あの石巻市立大川小の悲劇は東日本大震災の防災上の象徴的な悲劇として語り継がれることになるだろう。
この悲劇の主因は津波が来る10分前に避難を開始したことだ。地震が起きて40分後のことだ。
大川小の児童数なら職員のほとんどは全員の顔を知っていたはずだ。児童の2次避難後の児童確認に40分もかかるわけがない。
かりに、地域の住民が避難してきたとしても大人の対応には事務系の職員が対応すればよいのだ。まずは児童の安全確保という鉄則がこの学校では守られなかったのだ。
はっきり言えばこの学校の管理職の指示がなかったのだ。なんせ校長は年次休暇で娘の卒業式に参加していたというのだから。このような管理職意識の希薄な者を校長にした市教委・県教委の任命責任は大きい。校長は私事より公務を優先は当たり前だ。好きで管理職になったのだからそれくらいは最低のモラルなのだ。娘の卒業式より公務の方が軽いと考えた、危機管理のできていないも者を任命した責任こそが一番なのだ。
この間の情報は以下のように集約できる。
・避難開始まで30分 津波到達まであと20分
・その間教師は話し合い
・その間スクールバス運転手も校庭で待機
・焚き火の準備に貴重な時間を潰す
・話し合いの結果、避難場所は川べりの『高台』に決定
・そもそも、津波想定して避難場所が決められていなかった
・児童の母親は山に逃げろと進言したが、教師は大丈夫と答えた
大川小の悲劇は以下の要因に集約できる。
1 指揮官たる校長が不在で決定が遅れた。
2 日ごろの避難訓練が適切ではかなかった。
同校の人数なら引き渡しは最悪1人の職員が対応できたはず。
3 市の行政指導が不適当で避難先を確保できていない。
4 裏山のことを職員がよく知らない。
たったこれだけのことだ。
しかし、それらを上回るほどに大地震だったことは否めない。
不可抗力だったのかも、もはやわからない。津波対策は安全な高台に上ること、それができないのだ。
しかし、周辺の学校が少ない被害で済んでいることを考えれば、やはり大川小の悲劇には何か致命的な問題があったのだろうと推量せざるを得ない。それが校長の不在なのだ。私事を優先した意識の低い校長を任命した県教委の責任はきわめて大きい。
県教委・市教委がこれ以上説明会をしない理由もそこにある。優秀な管理職を選択しないという不作為があるからなのだ。
↓ 「学校に過失ない」確かに「学校職員」に過失はない、「過失は校長・教頭・市教委・県教委」にある!
大川小の避難遅れ「学校に過失ない」 TBS系(JNN) 6月5日(日)9時36分配信
石巻市の大川小学校では、津波で全校児童108人のうち68人が死亡し、6人が行方不明になりました。4日夜の保護者説明会では市の教育委員会が、校庭に集められた児童が避難を始めるまでに40分以上が経過していたことを明らかにしましたが、保護者や住民への対応に時間がかかったためで、「学校側に過失はなかった」としました。
「市長も出ていたけど、悪いのを認めないのがだめだね」
「説明会きょうで終わりと言われたので、全然納得できない」(保護者)
保護者は再度の説明を求めていますが、教育委員会では応じない方針です。(05日03:35)
大川小、教師間の議論が原因で避難に遅れ
読売新聞 6月4日(土)23時19分配信
市側の説明会は2回目で、市教委は、児童らが地震発生から校外に出るまで約40分間かかった理由について、教師の間で避難場所について議論になるなどしたためと説明。その結果、移動開始まで時間がかかり、避難の遅れにつながったという。
市教委によると、説明会には保護者約70人が出席。助かった児童4人と保護者が連れ帰るなどした児童20人らから聞き取った当時の様子を、市教委が説明した。
市教委は、地震直後に校庭に集合した際、教師数人が裏山への避難を主張したが、「木が倒れるので、この揺れでは駄目だ」との意見も出て議論になったとした。一部の児童は迎えに来た親と帰宅し、名簿の照合や点呼にも時間がかかったという。児童らは北上川近くの高台に避難することになったが、校外に出て約10分後に津波にのまれた。