怪食一家 支店

食い散らかして経験値を上げていきます。
トライアスロン・マラソンを通じた肉の引き締めも同時並行します。

マルクスとかエンゲルスいうても浦和レッズさんとは関係あらへんで

2013-04-23 22:50:43 | book review




マルクス エンゲルス 『共産党宣言』 大内兵衛・向坂逸郎訳 岩波文庫

まあ色は確かに赤い。赤いが、浦和さんとの関係はきっとそれだけだ。田中さんもゲルトさんももういないし。で、いわずと知れた、マルクスとエンゲルスの手による綱領。最初に購入したのがたしか大学4年生のころだったか。何回読んでも何回読んでも理解に苦しむ。それは今も基本的に変わらないのは恥ずかしい。

ちょっと1888年の英語版のまえがきのマルクスの思想とかいう一節から引用してみますが、


いかなる歴史的時期においても、経済的生産と交換の支配的な様式、およびそれから必然的に生まれる社会組織が土台をなし、その時期の政治的ならびに知的歴史はこの土台の上に築かれ、この土台からのみ説明される。したがって、人類の全歴史は階級闘争の歴史であった。


この二文が「したがって」という接続詞でつながることがこころから理解に苦しむ。こんなもん解読を試みるたびに眠気とのマッチアップだよ、君。てか、支配的って言葉ちゃんと拾えるかだけなんですけど、さらっと読み流すともれなく間違いなく脳内は迷宮入りだ。西村京太郎も真っ青だ。

そんな自身の愚かしさはさておき、刊行当時のヨーロッパの社会情勢を十分に理解して、一労働者になりきって、階級社会をひっくり返すには暴力しか方法がないなんて思いを脳内占領させて、「万国のプロレタリア団結せよ!」で締められる一連の檄文で奮い立たされるか否か。そういう観点で読むことができるのか。もうすこしいうと、薄ぐらい灰色の空気のなか、ネズミ色のコートきて、パサパサしたうまくもないパンかなんか買うのに30分くらいかけて列にならんでみると、かるく心をやさくれさせればなおいいかもしれない。こんどのGWのプラレール博できっと近いフィーリングを味わえそうですが、そんなもん想像もしたくない。

keihさんのようなボンクラーズでも受け止められ方は全く変わるのではないでしょうか。ただただ、残念なことにいまのkeihさんにはそういう想像力は欠けていらっしゃる模様なので、やっぱひと通りいろんな本を読んでみた後で、再度チャレンジしてみたいと思うのでございます。しょっぱなからすまんのこんなんで。





巻末の方が固いな、なんておもってたらしおり代わりにはがきが入ってたのか。しかし、これなのはなにも言わないでおこうか。失楽園といえばヒロイン役はお笑いまんが道場に出ててワイン風呂につかるあのねえさまかと思ったら、お嬢さんが学校でいじめの限りを、、、いや宝塚出身にもかかわらず溢れんばかりの歌唱力で席巻する瞳ねえさんじゃないですか。だいたいパトロンがなべちゃんか五木さんかのちが、、、あんまり言うと〆られるのでこのへんで

ちなみに、訳者の方を調べてみたところ、やはりというか、日本のマルクス研究の第一人者の方で、当然のことながら革命思想を体現しての活動をされてるようなとてもとても偉大なおひとだ。ようわからんからwikiをひもといてみようかね。


東郷健との対談(『週刊ポスト』1978年新年号)で、向坂は「ソヴィエト社会主義社会になれば、お前の病気(オカマ)は治ってしまう」「こんな変な人間を連れて来るなら、もう小学館の取材には一切応じない」等の暴言を吐き、激怒した東郷は中座した。



というか、どこのだれがこんな何をもって紛糾以外結論が見出せない対談を仕組んだのか、まったくもって興味が尽きない。だいたい、正月早々オカマと左巻きで大ゲンカとかなんておおらかな時代なんだ。というか、腹筋が全力でよじれてしょうがないよこのシチュエーションを想像するだけで。いやあまったくもって想像力は大事だ


なんか、へんな啖呵きってこれかよ、な気がしてなりませんが、すいません次からはまじめにやります。はい。こころいれかえますです。つーか、正月早々オカrya)とか言いたかっただけだろおまえとかいうのは言わない方向で。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アウトプットのトレーニングって

2013-04-19 23:53:04 | book review

べつにアウトプットだからといって日常的に泥酔してゲロはくわけじゃないので、そこんところはお間違えなく。


会社と家の往復で終始する一週間になってしまうと、そこには以前と同じようなブログは書きようがないうんぬんはいいや。一般的には妻子がいて家庭がある時点で、自分ワールドな電脳世界がそれを凌駕することはあり得なく、まあ破綻は必然の道だったんでしょうか。


唐突ながら話は変わりますが、最近「本を読むこと」を心がけるようになりました。


読書の効用なんてもんはいろいろあるんでしょうけど、その一つとして、読書により人の体験を自分のものとして味わえることが挙げられます。横山さんの本を読むことで三国志の主人公になることもできれば、世界遺産ガイドブックを開いて読んで目を閉じることでそこへトリップしてみたり。


実はそんな読後感のよいリフレッシュ系の読書は志向してなくて。余暇の使い方としてもちろんそういうのはありですが、正直時間がないんですよ。日常的に、いままでとはちがって目と手で感覚を生ませるのではなく、圧倒的に想像力を働かせる必要があるし、一方で実行力ももちろん欠かせない。だとすると、そんなのを研ぎ澄ますものとして短期的に効果があるのがまさに先人の知恵とかで、自分のものにする手段は読書とそこからのアウトプットをどうやるかしかないんですよ。それを自分のなかでだけ収束させるのもありかもしれませんが、幸運にもこういう自己表現の場所があればそれを使わない手段はない。コメントやトラックバックというものがなくても、「ひとめに晒している」って思いは間違いなくちゃんとやらないとっていうガソリンになるんですよこれが。


そうはいっても、あいにくkeihさんは教養がなければ文章力も欠如してるので、レビュー系のエントリーなんて論外だ(カテゴリーはbookreviewとかだけど)。密林に行けばそんなのわんさかいるし。それではなく、読んだ本の中身を可能な限りミニマム化してアウトプットってのは、自分の血肉とするにはかなり効果的だし、アウトプットを意識して読むことがより良い結果をもたらすことはいうまでもない。それは新しい旅かわからんけど、限りある時間を使うに値する行為であるとは強く思う。そのアウトプットにいままでのようなテイストをまとわせれば、作成行為自体も楽しくなるし。まあ、家人のかたもそうですがなんというか無駄に蔵書が多いだけに、それにいちど向き合うってのもいいかもというのあります。


で、まずはここからいってみるとします。





マルクス エンゲルス 『共産党宣言』 大内兵衛・向坂逸郎訳 岩波文庫

なんかかなり無謀な気がしてなりませんがそれはそれだ。きにすんな。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そろそろ、旅も終わりに

2013-04-17 00:20:04 | Weblog

とりあえず、表題通り。


少し思うところがあり、手じまいをしようと思う。


ブログを始めたそもそもの理由は、ホームページのアップがしんどいこととホノルルにトライアスロンしにいった備忘からのスタートだったのかな。それが、もう8年も前の2005年の3月。そこからトライアスロン周りの競技ごとへのチャレンジへの一進一退と肉を焼いて食うことを、「必要以上に面白おかしく」書くことが日常生活のモチベーションとなり、すこしづつのエスカレーション。

ブログ興盛の時代とあいまって、すこしづつ閲覧いただく方も増え、またブログを通じてのおともだちもできてきたりして、そうなるとまたモチベーションもエスカレート。ともさかりえも真っ青だ。

仕事をして、泳いで走って肉やいてキャバっとしたところに入り浸り、、、あんまり人間的な位が高いとは思わんけども、ブログでそれを適度に記述することで、記憶や思い出が明確な形で血となり肉となり、人格の形成がここでなされていったことは間違いない。そういや消えたね長井くん。


おそらく、人生で一番いい時代だったはず。そして、明るい未来のみが眼下に広がっていたんですよきっと。つーか、明るい未来が見えなかったのはケンゾースズキだけだろうね。


しかしながら、いろんな意味で時はたちます。時間は残酷だとまではいわんが。


仕事上の責任が重くなること、家庭を持つこと、身体の劣化、毛根の脱北、、、かつてほどの自由の謳歌はもはやあり得ず、また、何かを記述しようとも、「必要以上に面白おかしく」書くことはもはや不可能な状況になってきた。イメージも何もあったもんじゃない。

毎日更新していたのが、2-3日に一度となり、気づいたら一か月も更新はなく、やってることといえば”写真でひとこと”みたいな顔本にちょっと何か書いて、身内プラスアルファみたいな方々から義理でイイネとか押してもらうようなもんだ。気持ち悪い。だいたい、はっきりいって、ネット上で日記なんて公開する人間なんてあり得ないんだよ本来は。一方で、日記に毛が生えたくらいのを喜々として「記事」なんてアップしていた人種とは志が違うんだよベイベなんてほざきながら、自分で体験してきた事実と主観とブログにかくことで人格形成だとかのたもうたやつが、顔本でLike!ってボタン押してもらいたいために軽蔑してた連中と同様の行動をして時代に迎合してこれでいいやと思ってやがったりするんだ。


もちろん、ブログメディアももはや著名人のステマツールになり下がっている昨今においてちくちく書くことがどうか、みたいなものがないわけではありませんが、忙しいのにかまけてちまちま作ってきた自我を自分で崩してるんだわ。


それで、ブログ書かなくなって何が起こったか、というとエントリーしていた青梅高水山トレイルのレース日を一週間勘違いしてて気づいたら終わってたなんてことがあったんですよ。まああほかって話ですが、かつては年始にレーススケジュールを立てて目標考えてそれに向かって突っ走る、なんてことやってたのが仕事忙しいのにかまけてkonozama。せっかく3月に青梅に試走にいってたのに、その辺のブログさえ知恵ひねって書くという楔入れるだけですべて解決してたんですよ本来なら。


そんなこんながgdgdしきって筋肉も弛緩しきって今に至ってしまった。そういうわけなんです。


もう、ドリームジャーニーはおわりだ。しっかりと現実を見ないと。時代はオルフェを超えてゴールドシップ、、、ってベタだな。



***

とまあ壇蜜、じゃなかった断筆みたいな書き方してますが、ここまで一時間くらいかけて文章を書いてやっぱり意欲が沸いて、、、もあるけど。それよかネタがないのよ。ネタが。もう少しいうと時間もだけどさ。あとは一日中建物の中にいてディスプレイに向かっていると流石にブログなんてむりむりかたつむり、なんてのもありますが。

とりあえずは、「必要以上におもしろおかしく」書くことからは卒業します。というか、アウトプットのトレーニングの一環でどうしてもやりたいことがあるんで、いったん一区切りしたかったんですよ自分の中で。

keih先生の次回作に乞うご期待!なんていってはいサヨナラサヨナラということになる気もしてなりませんが、まずは気持の整理ということで。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする