日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

担当者よ市民警察の自覚を持て

2012年07月12日 | Weblog
担当者よ市民警察の自覚を持て

大津のいじめ自殺事件。被害者の父が窓口で被害届を出そうとしたら、「受付できないと」と言った。何故かと尋ねるとマスコミが追求すると「マスコミには答えられない」という。
一体この対応は何なのか

報道を見る限り
いじめによる自殺の可能性が極めて高い。だのに受け付けられないとか、答えられないとか。

常識から考えて見て善良な市民を守るのが警察の役目では無いのか。
君を含めて学校、教育委員会の連中は無責任極まる人間集団だ。いじめの噂が飛んだら、ひょうっとして犯罪になる可能性があるかも知れないくらいの職業感覚は無いのか。

文科省もこしをあげた。そこで滋賀県警は専従20人体制で捜査するという
受け付けられないといった君。本部長に反論したらどうだ。被害者と思われる中学性は死亡しているから捜査ができないと。 如何に君の判断が非常識か判ったか。
これにルイすることは最近 三重、千葉、長崎県警の連携の悪さが問題になったばかりじゃ無いか。それぞれが無責任に、動かないからこうなるんだよ
何をぼやっとして、教訓を学ばないんだ。働きのある人間は給料は貰えるが働きの無い人間は給料は貰えなくて当たり前というのが世間というものだ。

いじめの可能性は濃厚だ。いじめた生徒を調べ上げて、審判にかけて少年院へぶち込め。
この問題は単に学校だけにとどまらず、文科省、警察、地方行政機関など広範囲にまたがる社会問題である。

妻の操縦

2012年07月11日 | Weblog
妻の操縦

「スマートフォン 妻と同じで 操れず」(4位)は、アナログ世代の悲哀を感じさせる句だ
ちょいまち。
これはアナログ世代だけでは無いぜ。何時の時代でも女房ほど操縦しにくい者はないよ。

こんな話もある。ぐずぐずして予定の飛行機に乗れなかった夫が、妻に時間は判っているのだから準備は早くしておくのが当然だ。お前がのろのろしたから飛行機に乗り遅れちゃったじゃ無いか」と叱ったら。答えがふるってる。
「何を言ってるんですか。あんたこそなんですか。私を抱いたくせに」
「馬鹿、お前を抱いたのと飛行機に乗り遅れたのと何の関係がある?」
妻「、、、、」後はむくれて話にならない。

理屈が通らない者を説得したり操縦したりすることの難しさは、投げ出すほかはない。わが妻もこの口である。スマートフオンと同じである。柄にも無く
IPHONE4sを買ったものの使いこなせなくて往生している。操縦つまり使いこなしが難しい。デジタル世代だっておなじじゃありなせんか。
皆の衆。だよな。とりわけ男衆。

いじめ

2012年07月10日 | Weblog
いじめ

いじめは最近始まったという物では無い人類が出現して以来何時の時代でもどこでもあ会ったはずだ。というのは人間が生存競争をする限り、排他的な欲望に振り回されることが少なくないからである。

歴史的な流れの中では、人権が無視されるか、希薄な物てあっただけで、存在しなかったわけでは無い。ところが最近になって人権が大きくクローズアップされて、人権侵害に当たるのではないかと疑われる事象は問題視されるようになった。大変喜ばしことである。ただしこれも使いようによっては両刃の刃に成り、100%良い面だけでは無い。
今回大津市の中学校で発生したいじめ問題で、教育委員会が「加害者の人権も考えて、、、」という行は誤用の典型だろう。生徒の人権を言うのならまず被害生徒の人権を重視せねば成るまい。加害者の人権も問題にして調査を中途半端にするなどと言う事は、人権というものの意味が分かっていない者が言う台詞である。
この悲劇を最後にしていじめを全滅させてほしいものだ。表面化しないだけでいじめは学校には必ず存在する。いじめは無かったとする学校や教育委員会の主張は絵空事で全く現実的では無い。いじめは無かったと言い訳をすれば学校の管理体制の問題がハズされると思う発想そのものが、非現実的なのである。
なべていじめに関しては現状は学校は鈍感である。もっともっと学校全体が
教師全体が過敏にならないと、潜行するいじめを見過ごすことが多いだろう。
再度書くがいじめは学校には必ず存在する。それが前提でいじめ対策をしないといじめは防げない。全校集会を毎月、毎学期に行い、校長や生活指導部の主任などが、厳罰で臨む毅然とした態度を示すべきだ。生徒を学校の管理体制がまずくて、自殺に追い込むような隙は見せては成らない。

文部科学省も乗り出して日本全国どこの学校でもいじめには厳罰で臨み、常々毅然とした態度で曖昧にしない事だ。これは同時に教育の原点でもあるはずだ 。

師匠

2012年07月10日 | Weblog
師匠

充実した生き方をしようと思ったら、そういう人を探す努力をしなくてはと思う。探して見つかるものじゃないと言う向きもあるが、僕は時間を掛けて探そう。中山素平さんは師匠とした人の墓参りを欠かさないという。

親の墓参りも滅多にしない僕にとってはいくら師匠といえども他人の墓参りをすると言うことには、なんとなく抵抗がある。
が、中山さんは受けた恩に感謝して墓参りする事によって恩返しの一部をしているのだ。出来ないことをする人は立派な人だ。師匠も立派な人だったんだろう。尊敬できる師匠に巡り会えたこと自体幸せなことだ

10-64バックシャン

2012年07月09日 | Weblog
バックシャン

メッチエンとかシャンとか言う言葉は滅多に耳にしないし、お目にも掛からない。もう死語になったのだろうか 。

目の前に彼女は立った。吊り皮を持って向こうを向いている。顔の美醜は判らない。
後ろから見る限り何とも言えない美女である。髪は栗毛色にうっすらと染め、ポニーテール。耳には大きな金の輪のイヤリング、踵の高い黒色のハイヒール、
白のブラウスに黒のスカート。背中をすらっと伸ばし身体の均整が取れていて、がりがりのスリムでは無く中肉と言うところか。皮膚の色は白い方である。これだけの材料が目の前にあれば、想像が膨らまない方がおかしい。
僕は彼女はどんな美人だろうと想像した。というよりは妄想した。
僕は今「夜のスカイラウンジ」を作詞中。
電車を降りる時は出口が同じだったから、振り返りざまに彼女をちらっと見た。ところがその顔はパーツの配列が悪いのか美人ではない。どこがどうと言われると困るのだが、とにかく想像した美女では無い。がっかりした。だからもう後をついて歩こうと言う気は起こらなかった。
こればかりは本人の責任ではない。しいていうなら神様の作られた作品が美人で無かっただけという話である。

今は死語になっている言葉が急に思い出された。
学生時代には、バックシャンとか とてシャンとか騒いでいたが、
あの頃のことが夢のように浮かんで来ては消えた。

専門馬鹿

2012年07月08日 | Weblog

専門馬鹿

僕は常々常識という安定感のある大多数の感じ方考え方を尊重してきた。社会の最大公約数として常識は存在するのだから、常識に従って、、、というのは一番安定した考え方で有り判断だ。
僕は識者と言われる人の中に、常識欠如の言動を見ては、反感さえ感じていた。識者と言われる、ある種のエリート感覚が鼻について我慢成らない。

学者医者政治家評論家弁護士など社会では上の立場に立てる人々の中には専門馬鹿が大勢いる。専門領域についてはそれなりの人物であることは判るが、専門外のことは庶民と何ら変わらないはずだ。にもかかわらず奇妙な理屈を持ち出して、自己主張をする。非常識な言動をする。

最近面白いことがあった。
民主党離党届をあづけておけば、それは同時に提出する事が暗黙の内に了解されていると理解するのが常識だ。ところが預けた本人が預けはしたが、提出行為は委任していないと言った。提出するなら前もって提出するという委任を求めるべきだというのだ。ここが完全に常識とずれているところだ。離党届を受け取り提出しようとした人は多分唖然としたことだろう。
法律知識を使って、預け行為と委任行為を分離して常識破りの自己主張する。
本人はまじめかも知れないが傍で見ていると、この男如何に非常識かがわかる。法律は常識のラチ外に在るのでは無い。常識を十分に踏まえて法律を駆使するというのが、常識である。常識をわきまえないで、法律的なものの考え方を主張する事は、はた迷惑以外の何物でも無い。それに気がつかない専門家は専門馬鹿と言われても仕方が無い。

10-64自殺の練習をさせられていた

2012年07月07日 | Weblog
自殺の練習をさせられていた

滋賀県大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒=当時(13)=が飛び降り自殺した問題で、教諭の放置を示す回答は記名8人、無記名6人で、直接見聞きした内容が1人、伝聞が13人。

伝聞であろうが、風評であろうが、何と可哀相なことが起きたことだ。涙がこぼれる。その涙は怒りに変わる。
報道で見る限り、真相究明はしなくては成らないが、記者会見の応答を見る限り学校、教育委員会、さらには警察、この連中はグルになって不幸な生徒に背を向けた許せない連中だ。

担任は教師の資格無い。即座に懲戒免職。その次は学年主任、校長。
一体何のために学校管理や運営をしているのか。教育委員会の連中は生徒の命を何と考えて対処したのか。いかにも自分たちの立場を守るかに終始している。その理屈たるや誰がきいても納得出来るものでは無い。対応が幼稚すぎる。

いじめの噂をキャッチした段階で、何故全校的な対応が取れないのだ。
いじめが学校問題として取り上げられてから久しいでは無いか。 生徒の安全を守のは学校の最重要任務であるはずだ。この責任放棄は絶対に許せない。
あきれてものが言えないのは「加害者にも人権があるから云々」と言うセリフ。
馬鹿言うんじゃ無いよ。まず被害者の人権を守ることが最優先で加害者は悪いのだから、それ相応の人権だよ」人権という言葉を持ち出せばそれがいいわけに成るなんて、人権の意味も分かってないのじゃないか。もっと勉強せよ。自分の頭で考えろ。

警察のあの態度は何なのだ。最初は答えられないと言いながら、マスコミが騒ぎ取り上げると、コメントが出る。これは一体どういうことなのか。警察も頼りない。人命救助という観点から本来は教育委員会に申し込みをしてもやり過ぎでは無いはず。

総じて今の日本特に行政官僚というのは、結果的には役に立って無いことがおおい。それは責任を問われても表面上だけで、そのために職を失うような処分を受けないからだ。だから常識では考えられないような屁理屈を付けて、のうのうと責任逃れをする。

生命に掛かにる場合は、「立場での発想」ではなくて一人の「人間として命の問題に向き合うときの発想」が大切なのに、それが欠落している。
マスコミから追求されると判断が甘かったかも知れないと発言を変える。
教育という立場にいて、それで職責が果たせていると思うのか。
今回の悲劇は担任を先頭に校長、教育委員会、さらには警察、そこまで事実調査をして責任追及する必要がある。追求の手は緩めては成らない。責任の所在が判った場合は明確な形で責任をとらせることだ。
いじめによる生徒自殺がでた場合、これだけの厳罰を受けるのだという前例を作って欲しい。そうすると、もうすこし現場は引き締まるのではないか。


参考


「先生も見て見ぬふり」や「一度、先生は注意したけれどその後は一緒になって笑っていた」と記されていた。
また「先生もいじめのことを知っていたけどこわくて言えなかったらしい」などとするものもあった。
 
一方、男子生徒が先生にも泣きながら電話でいじめを訴えたが、あまり対応してくれなかったらしい、と指摘する回答もあり、教諭が男子生徒へのいじめを認識していながら、適切な対応をとっていない可能性があることが明らかになった

アンケートには男子生徒が自殺の練習をさせられていたとの回答があったことがすでに判明。市教委は「自殺の練習」と同様に、事実確認できないとして公表していなかった。

 男子生徒の父親は、複数の同級生から独自に聞き取った暴行の証言と学校の調査結果を基に、生徒が自殺した後の昨年10月に2回、同12月に1回、大津署に出向き、暴行容疑の被害届を提出したいと申し出たという。

しかし、関係者によると、対応した署員は「犯罪としての事実認定ができない」として受理を断ったという。父親は大津署の対応について「真相究明のために、死んだ息子に代わって被害届を出したかった。どうして受理してくれないのか」と憤る。

同署は「一切、答えられない」としている。
.


国会の事故調の報告書

2012年07月06日 | Weblog

国会の事故調の報告書

国会の事故調の報告書を読んだ。要は前から指摘しているように、保安院の無能ぶりがあらためて指摘された。東電の体質はいわずもがなである。
朝日新聞夕刊の素粒子氏は簡単明瞭にそのこと指摘している。

氏曰く。「規制当は事業者のとりこ」と国会事故調。
その保安院の下で動き出した大飯原発。まさに事故は終わっていない

結局東電の方が悪い意味で優秀だったのだ。保安院はくそまじめで視野の狭い人間の集まりで、言葉悪く言えば泥棒の方が警察よりも全て上で、泥棒に警察が飼い慣らされていたような感じだ。これだから一般社会では通用しない東電独特の体質ができあがった。値上げは東電の権利だという愚かな発言をする体質ができあがっていたのだ。
原子力の恐ろしさは前哨戦に当たる東海村の事故で気がつかなかったのか?
僕はあの時に口汚く「保安院は何をやっているんだ」と叫んだが、僕のような素人が気がついているのに、十分な備えもせずに福島事故を迎えたことに、何を感じているのだろうか。深刻な反省の弁もきかれないのを見ると、判っちゃいるけどやめられない。とでも言いたいのか。

原子力発電の将来見通し

2012年07月05日 | Weblog
原子力発電の将来見通し

関電の株主総会の時に大阪橋本市長が指摘したことは的を得ている。
1,将来国策として脱原発政策が出来てきたら、どのように対処するのか
2,電力供給担当会社として現状維持で将来もやっていけるのか。現状の延長で物を考える限り、衰退していくだろう。

電力供給企業として原子力の発電を減らした場合に供えて新しいに脱皮
できるのか。またその方策はあるのか。現状維持は衰退の道をたどるだろう。

以上の質問に対する関電側の明確な答えは無かった。今までの悪弊が続き一歩も新しい電力会社の有り様については姿さえ描けていないと思った。
これじゃ大飯の発電にしがみつく他は無い。

電力業界の将来まで目が届いていない。橋下市長の指摘する様にこのままいけば、衰退産業になることは目に見えている。今後は国民の間で反原発、脱原発の声は今以上に強くなっていくだろうから。今日現在でも福島の避難者は16万人いるのだから。

日本国家を滅ぼす危険性

2012年07月04日 | Weblog
日本国家を滅ぼす危険性

原発がどんなに暴れても人間のコントロール下に置かれて制御出来る様にならないと、原発事故はまかり間違えば、日本国家を滅ぼす危険性がある。
それを考えると少々負担が増えても安全なエネルギーを原子力以外のものに求めた方が、絶対の安心が得られるからよい。
原子力以外のエネルギーはどんな大事故でも人間の手に負えるから、国土の破壊までには至らない。

自然エネルギーの普及には送電線と配電設備の活用に工夫をしなくては成らない。これはひとえに電力改革である。電力会社は従来の原子力に頼ること無く改革の先鞭を付けて貰いたい。期待できないのなら積極的な公共投資を図り
公共財としての送電配電設備の整備を急ぐ必要がある。

原発事故からその恐ろしさに目覚めて新規事業参入が有り、2年経たずして250万kw原発2基分の発電設備が増える見込みだ。この流れを加速して
51基の原発に変わるような電力事情を、発電、送電、配電その他電力に関するあらゆる省力化効率化を推し進め安全国家を作り上げたいものである。将来はきっとこの方向に向かって産業構造の変革も進むだろう。

滋賀県嘉田知事様

2012年07月03日 | Weblog
滋賀県嘉田知事様


大震災以降あなた様が言われている卒原発という考え方が最も現実的で将来の電力事情を見渡したとき、現実には段階的に稼働を止めて廃止することが最上の方法だと思います。

私が大きく感動したのは、万一原子力発電所が人工的であれ自然災害であれ
被害を受けたとき、関西地方では水源である琵琶湖を何としても守り抜かないと力説されたことです。この発言には特に関西人は感謝しなくては成らない言葉であり、考え方であります。

福島から200km離れた江戸川水系でも放射能汚染が噂されたとき、東京に住む娘達のために関西からボトル詰めの水を何回も送りました。一時的ではあるが、都内のお店ではボトルが姿を消したそうです。
福井原発から30km圏内にも一部はいる琵琶湖が汚染されたら、想像を絶する恐ろしいことが起こります。
水を失えば生活が出来ないから間違いなく関西は全滅するでしょう。人間が住めなくなるのだから、全滅と言わざるを得ないでしょう。それは日本有史以来の大災難で、いかなる方法を講じても防がねばなりません。

人間の力でコントロールが出来ないほど恐ろしいものはありません。原子力は一端暴れ出したら手の付けようがありません。制御がきかないのだから。
理想的には本日からでも全原発が廃止されたらよいが、現実的には原子力発電による電力供給が産業構造の中に組み込まれているから、一挙にというわけには参りません。しかし原発廃止のロードマップは作っておかなければ成りません
橋下市長も言われるように現状維持の考え方しか出来ないのなら関電は衰退産業になってしまう。最悪の事故に遭遇してなお現状の延長線上でしか経営を考えられないと言うのは、無能力者と言わざるを得ません。おそらく関電もないないには検討していることだろうと推測はしますが。

今になって考えて見るとよくぞ琵琶湖汚染について発言下さいました。これは本来なら総理大臣が憂うべき事柄です。それは言うまでも無く国家の存亡に関わるからです。琵琶湖汚染は単に滋賀県だけの問題ではありません。日本国の存亡に関わる重大事項です。
利己的に聞こえるかも知れませんが、他の原発は動かしても琵琶湖汚染を引き起こす原発は即座に止めないと国家を滅ぼします。琵琶湖汚染は影響が大きすぎる。まずは福井原発を完全停止して、その後に全国に及ぶようにしないと
危なくてとても安心は出来ません。国家的見地から考えてもそれが得策だと思います。
原発特に隣接する福井県の大飯原発については再稼働するなら電力不足に成るときだけに限定すべきです。というのは自然はどのような想定外の大災害をもたらす猛威をふるう時期がまるで判らないからです。期間限定で免れるかも知れないし免れないかも知れない。でもフル回転の状況から比べると安心は出来ます。自然エネルギーの開発を急ぐべきだし、家庭や産業が持ちこたえられるくらいのコストアップは安全料と考えたら良いと思います。おそらくこの安全料は国民は認めると思います 。
いづれにせよ、安全あって初めて国民の安寧が得られる訳だから、
絶対的安全を目指すべきです。それには一日に早く原発を廃止することです。卒原発から脱原発に移ることです。

100万kWhにかかる発電コスト

2012年07月01日 | Weblog
100万kWhにかかる発電コスト

 そこで、「内閣官房国家戦略会議コスト等検証委員会」がまとめた試算に基づき、設備建設費、燃料費、維持費、人件費、稼働率、稼働年数などをもとに100万kWhにかかる発電コスト試算した。

■100万kW(=原発一基)発電するための規模とコスト

原子力
【規模】約0.3ha(原発1 基)
【発電コスト】890万円
※柏崎刈羽原子力発電所6号機(定格出力135.6万kW)、稼働率70%を想定。

火力(ガス)
【規模】約15ha(火力発電機2.5基に相当)
【発電コスト】1070万円
※富津火力発電所4―1号(定格出力50.7万kW)、稼働率80%を想定。

水力
【規模】約2245ha(水力発電所6.6基に相当)
【発電コスト】1060万円
※黒部川第四発電所(定格出力33.5万kW)、稼働率45%を想定。

太陽光
【規模】約5600ha(山手線の内側に相当)
【発電コスト】3010万円~4580万円
※1平方メートルあたり定格出力0.15kW、稼働率12%を想定。

風力
【規模】直線で約177km(風車1770基に相当)
【発電コスト】990万円~1730万円
※風車1基あたり定格出力2000kW、稼働率24%を想定。

地熱
【規模】約2211ha(タービン22.7基に相当)
【発電コスト】920万円~2200万円
※八丁原地熱発電所2号機(定格出力5.5万kW)、稼働率80%を想定。

※週刊ポスト2012年3

以上で見る限り原子力発電が最も安価である。だが、今回の福島事故によう被害総額を原価に組み入れることや、核燃料最終処理費用などはコストに組み入れてない。これらは実際に出費を伴う費用なのだから原価に組み込まれていなくては成らない。だが現実には終末費用などは計算すら出来ていないから、原子力発電が最も安価とは断言できまい。
将来にむかって明らかに出費を伴うのだから、原子力発電コストには
890万円+アルフア となり、アルフア部分は未計算だと断りを付けないと正確では無い。