聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

創世記一章26~31節「開かれた心で生きる」新年礼拝

2017-01-02 17:51:00 | クリスマス

2017/1/1 創世記一章26~31節「開かれた心で生きる」新年礼拝

1.驚くばかりの

 創世記一章には、神が世界をどのようなものとして創造されたかのドラマが語られています。実に豊かな創造です。闇に照らされた光の中に、神はゆっくりと、色とりどりの作品を描いてゆかれます。あらゆる果樹や海の動物、あらゆる鳥、野の獣など、素晴らしく多様に、多彩にお造りになりました。神のなさることは実に楽しく、驚きに満ちています。神は尽きることのないアイデアを形にしてゆかれるアーティストです[1]。私たちには、その全てを見極めることは勿論、神が次に何をなさるかさえ推測することが出来ません。神のなさることは驚くばかりの御業です。そして、その創作やプロセスを美しいものとされます。そのわざを楽しまれ、喜ばれ、祝福されるのが神である。そう物語ることから聖書が始まるとは何と素晴らしいことでしょうか[2]

 勿論、世界には様々な問題があります。創世記三章以降、人間が神に背いたために、罪と悲惨が入った問題が展開されていきます。しかし、世界にはもう驚きや祝福は失われ、神が喜ばれた創造は台無しになってしまったのではありません。むしろ、世界にある美しさ、神の御業が溢れ、私たちを驚かせてやまない素晴らしさに、聖書は立ち帰らせてくれます。そして、今それぞれの場所で私たちは、人知を超えた神の御手の中に生かされているのです。

2.神のかたちに

 しかし、神が世界の豊かに造り上げ、想像力を存分に発揮なさった頂点で、なさったことがまた私たちの意表を突くのです。なんとその創造の最後に、神がなさったのが人間創造です。

26神は仰せられた。「さあ、人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地を這うすべてのものを支配するように。」

27神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

 創造の最後を飾るのに神がお造りになったのは、その栄光に相応しい巨大な生物ではありませんでした。巨人や竜、天使や仙人でもなく、なんと人間でした。それも、神がご自身の

「かたち」

ご自身に

「似せて」

造られたというのです。更に驚くべきことに、その神のかたちは、

「男と女とに創造された」

と言いかえられます。男だけが神のかたちでもないし、男も女も神のかたち、というのでもないのです。男と女とに創造されたことが神のかたちなのです。男と女、この造りからして違う者が、ともに生きることに神は、ご自身のかたちを置かれました。神の神らしさを現すのは、万能の存在や無敵の生物や完成された天使ではありません。男と女-互いに相手を必要としつつ、しかし決して同じでなく、厄介でさえある別の人格同士が、愛し合い助け合い、ともに神の恵みに応えて生きる。神は、そういう手に負えない関係にこそ、ご自身の神らしさが現れるのだとされるのです[3]。そうして人間に世界を委ねられたのです。

3.開かれた心で

 そう考える時「開かれた心」という言葉が浮かびます。神の豊かさに対しても、男と女という身近な関係でも、私たちは心を開いて生きるように招かれています。何よりも、神御自身が素晴らしい世界を創造された最後に、私たち小さな、限りある人間の人格的な関係や精一杯の応答に、世界を預けてくださいました。神御自身が、様々なリスクを承知の上で、この私たちに対して心を開いてくださったのです。これは、最大の驚きです。

 私たちが生きる世界は、神が私たちの予想や理想の枠をはみ出して行動される世界です。家庭や職場で、思い通りにはならない相手と暮らす社会です。そこで、「全能の神も当てにならない、神に裏切られた、失望した」と心を冷たくするのは甚だ勘違いです。神は飼い慣らせる方ではありません。神の御業は私たちの予想の範囲内の単純なものではありません。聖書の歴史そのものが、予想外の展開の連続でしたし、教会の歩みも信仰生活も、内向きに守りや安全や祝福や成長のパターンを期待するのではありません。神の尊いご計画は、測り知ることが出来ません。この創造も、神の子イエスの十字架も、人の推測を裏切るような、神の驚くべき御業でした。私たち一人一人に対しても同じです。神は私たちを予想も付かない道へ、かけがえのない人生へ召されたのです。

 新しい年に主イエスの祝福を願います。私たちの願い、予想する祝福や安全と違い、もっと大きな祝福です。直ぐにはその意味が到底分からないでしょう。神は私たちよりも大いなるお方、私たちの思いも寄らない御業をなさるお方です。驚くべき豊かな御業をなさった神は、その巧みな御手を惜しみなく開かれたばかりか、私たちに心を開かれます。私たちがご自身に似た者として、世界を愛し、自分と違う者を愛するよう招かれます。私たちも、神に対して、そしてお互いに対して、いつも心を開いて生きる時、もっと神に似た者とされるのです。神を信頼して、心を開きましょう。祝福のご計画を信じ、その一端を担わせていただきましょう。

「天の父よ。御手のわざである世界の豊かさに圧倒され、それを喜び、楽しまれる主の笑いを褒め称えます。あなたを小さく考え、自分をも卑しく考えがちな私たちですが、あなたが聖書において驚くべき栄光を約束しておられるゆえに憩わせていただけます[4]。この一年も主の御心をなし、私たちにあなたへの賛美と信頼を深めさせ、御心に従う心と歩みをお恵みください」

※ 画像は、ノーマン・メッセンジャー『天地創造』(岩波書店)からのものです。

[1] この言葉を読みながら、うわべだけをさらっと読み飛ばしてはつまりません。私たちの貧弱な想像力で表面的に読んで、もうこの創造の記事については分かったかのように思うなら、最も肝心なメッセージを読み損ねているのです。神のなさることは私たちの想像力や予想を遙かに超えています。私たちが自分のちっぽけな頭で考えるよりも、遙かに大きく、意外で素晴らしいことをなさいます。

[2] 神は、「自分ではないもの」を作り、それを力で支配したり型にはめたり、固執しようとしたりせず、その自由を喜び、多様性を楽しまれ、小さな者、人格的な関係を生み、育て、そのためのリスクをも引き受ける神なのです。

[3] エペソ四22-24「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、23またあなたがたが心の霊において新しくされ、24真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」「25ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。」 イエス・キリストにある教えとは、神のかたちに造られた人間性の回復です。その「真理」「義と聖」とは、硬直したものではなく、神の豊かな創造と贖いの御業に現された、豊かで生き生きとした神の属性です。

[4] この創造記事は、二章四節前半の「安息の制定」に頂点を持ちます。これもまた、人の予想を裏切る、神の創造の本質でしょう。やすむこと、眺めること、誇りやがんばりを捨てて、恵み豊かに働き、楽しまれる神への信頼を全身で告白すること…なのです。この安息に根拠を置いて命じられたのが、安息日規定です。主の日に集まるのは、神を喜ばせるためでも、奉仕するためでもなく、神が豊かに働き、私たちに労働(奉仕)や犠牲ではなく、ともに世界の王である神と過ごし、神の栄光を満喫し、信頼をもって静まり、喜びに生きるためです。礼拝出席や奉仕が、信徒個人の負担であるほどに強いられるならば、安息日規定の本質とは本末転倒になっています。主の前にともに休むこと、それこそ、神が私たちに求めたもう安息日です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マタイ二1-12「幼子を拝みに」クリスマス夕拝説教

2016-12-25 17:30:03 | クリスマス

2016/12/25 マタイ二1-12「幼子を拝みに」クリスマス夕拝説教

 クリスマスの最初の礼拝は、イエスがお生まれになった夜に、羊飼いたちを礼拝者として招いて飼葉桶の回りに集まったものでした。今日の博士たちの礼拝は、もっと後です。彼らはユダヤ人の王としてお生まれになった方の星を見たので、拝みに来たと言いました。その星が登場したのが、イエスがお生まれになった晩だとしたら、そこから旅を思い立ち、旅支度をして、ずっと後にここに着いたのです。それでも、彼らを最後に導いたのは再び現れた星でした。この博士たちの礼拝もまた、夜の夕拝であったのです。

 しかし、この

「東方の博士たち」

は一体どこから来たのでしょうか。一般的には、ペルシャ(パルティア)からだと考えられているようです。そうだとしたら、この旅には何ヶ月もかかったはずです。イエスを拝むためだけに、彼らは遠い道のりを何ヶ月にもわたって旅してきました。治安も悪く、身の危険もあったでしょう。家の生活も後にして、仕事も他の人に任せてきたのです。留守の間にどんな変化があるかも知れません。仕事を取られて、帰ってきたらポストを失っていることもあり得ます。勿論、旅の費用も膨大です。時間もお金も、立場も危険に晒せて、彼らはイエスを拝みに来たのです。

 この事は彼らの礼拝の熱心さや信仰心の篤さを物語るだけではありません。まさに、お生まれになったイエスは、そのような礼拝を受けるに相応しい、ユダヤ人の王。大いなる支配者でした。博士たちがキリストを礼拝するためにエルサレムに登場したことは、それ自体が、お生まれになったお方がどれほど素晴らしい、拝むべきお方であるかを物語っていました。また、彼らは旧約聖書に記された神の約束の素晴らしさをも思い出させてくれます。神は、やがて王となるお方が来られるだけでなく、その方が、ユダヤだけでなく、全世界を支配されると予告しておられました。戦いを止めさせ、平和をもたらし、豊かな世界をもたらしてくださることが語られていました。この博士たちは、その事を知っていたのでしょう。ユダヤ人の王としてお生まれになったというのに、ユダヤ人ではない自分たちのことのように喜んで、礼拝にやってきたのです。それは、そのユダヤ人の王が、ユダヤ人だけでなく、全ての民族を治めて下さる、素晴らしい王様だと知っていたからに違いありません。そして、そういう博士たちの姿そのものが、ユダヤ人にとって、神様の素晴らしい約束を思い出させるメッセージであったはずでした。

 しかし、ここで私たちの目に付くのは、その博士たちを見ても、ヘロデ王が恐れ、戸惑い、エルサレム中の人も同じように反応した、という抵抗ですね。博士たちが遠くからやってきて、惜しみない礼拝をした、そこに感じられるストレートな明るい喜びとは対照的です。何とも後ろ暗い…。あれこれ心配し、自分を守ろうとし、心の中で計算をしている…。そんなダークな雰囲気が強く感じられてなりませんね。ヘロデ王は、歴史上、非常に権力欲が強く、また猜疑心の強かった王として知られています。ですから彼は自分の身が危うくなることを恐れます。そして、こっそり博士たちに、居場所を教えてくれるよう頼んで、後から命を奪うつもりでいました。そして、博士たちが黙って帰ったことを知ると、この近郊の二歳以下の男の子を皆殺しにしてしまいます。ひどい話です。しかし、ヘロデだけではありません。民の祭司長や学者たちは、イエスがどこで生まれるのかを答えるだけで、自分では拝みに行こうともしませんし、口をつぐむばかりです。そして、エルサレム中の人々も誰一人、博士たちとともにベツレヘムに行こうとはしなかったようです。この冷たさ、恐ろしいばかりの沈黙が、不気味にエルサレムを支配しています。素晴らしい王がお生まれになったというのに、それを受け入れず、喜べない。恐れたり、あれこれ計算したり、黙って時間が過ぎるのを待っている…。それもまた、このマタイ二章が浮き彫りにする私たちの現実です。

 そういう冷たい現実を、しかし恐れてはいけません。そこに星が光るのです。

彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。

10その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。

 博士たちは意気消沈していたかも知れません。でも、ここでまたあの星が再登場します。明らかに、その星は博士たちを導いて、幼子の所まで連れて行ってくれるために現れたのです。その星を見た時、彼らは「この上もなく喜んだ」。最大級の喜びがわき起こりました。そして、彼らはどうしたのでしょうか。

11そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

 願いを叶えてもらうため、ではありません。魔法の道具や宝物を戴いた、という冒険ではなかった。彼らは、幼子を見て、ひれ伏して拝んで、自分たちが持ってきた宝物を贈り物として献げて、そして、それだけで帰って行ったのです。この幼子は、彼らに直接何か御利益をくれたわけではありません。彼らが拝んだのはサンタクロースではありませんし、怒らせると怖いヘロデ王でもありません。大きくなってユダヤ人の王となり、世界に平和をもたらすのも、まだまだ先で、その頃彼らが生きているかどうかさえ定かではありません。でも、彼らはそれでもこのお方にお目にかかっただけで十分でした。

 この関係は、私たちが神を礼拝する最も基本的な関係を表しています。神は私たちにも、イエス・キリストを通して、神を礼拝する心を下さっているのです。博士たちがどれほど遠い国から来たのだとしても、この宇宙を作られた神が、この世界に来られた距離は、それとは比べものにならないほどです。その距離を超えて、イエスは私たちのところに来て下さいました。私たちを神の民として治めてくださるためにです。そして、その関係は何よりもまず、御利益とか自分の立場を失ったらどうしようという不安とか、嘘をついてでも自分を守りたいという思いそのものから救い出してくれます。その反対に、いろいろ失うとしても、少人数であるとしても、疲れたような時にも、神が星や人や様々なものを遣わして、喜びを与えてくださる生き方です。この神が、私を不思議にも治め、確かに導いて、やがて完全な平和を世界にもたらしてくださると信じる。

 そのために、まず私たち自身に、平和を愛する心を、この上ない喜びを、自分を献げる思いをイエスが下さる。完璧で、純粋なそんな思いになれというのではなく、この博士たちの姿は、私たちの人生もそのような旅の途中であるのだと、励ましてくれるのです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルカ2章8~22節「羊飼いたちの礼拝」燭火礼拝説教

2016-12-25 17:19:10 | クリスマス

2016/12/24 ルカ2章8~22節「羊飼いたちの礼拝」燭火礼拝説教

 クリスマスはイエス・キリストのお誕生をお祝いするお祭りです。世界の教会でも、イエス・キリストを知らない人たちの間でも、楽しく祝われるお祭りです。イエス・キリストを知らない人の間でさえ、とは素晴らしいことです。私はそれが「本当のクリスマスではない」とは思わないようになりました。神が全ての人に喜びを与えてくださること、クリスマスは何となく嬉しく幸せな気分になれると思わせてくださること。そうして、クリスマスが心の中の暖かい思い出になって振り返ることが出来るようにしてくださること。そういう幸せな思い出がある人生にされる事自体が、クリスマスに現された神の愛を物語っているに違いありません。

 イエス・キリストがお生まれになった時、その知らせを最初に伝えられたのは、羊飼いたちであったと今読んだルカの福音書には記されていました。キリストのお生まれが真っ先に知らされたのは、当時の神殿(今で言う教会)に礼拝に来ていた人々やそこで仕えている祭司(今で言う牧師)ではありませんでした。王さまや政治家、偉い人たちでもありませんでした。金持ちやセレブ、人生の成功者でもありません。暖かい家で、和やかにのんびりと過ごす家庭でもありませんでした。イエスがお生まれになった場所の回りにいた、ラッキーな人たちにでもあません。今年一番頑張った人でも、ベツレヘムで一番よい子だった子どもにでもありません。この夜も、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた、羊飼いたちにでした。

 そして、主の使いは、羊飼いたちに現れて、こう言うのです。

10…「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。

11きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

12あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

 この民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来た。その代表として真っ先に選ばれたのが、羊飼いたちでした。一番強い人でも、一番頑張った人、最優秀信仰者、そういった相応しそうな人ではなく、最も思いつかなそうな、お仕事中の羊飼いたちであったこと。でも、だからこそ、私たちはイエス・キリストが救い主としてお生まれになったという喜びの知らせが、自分たちのためでもあると信じさせていただけるのですね。

 神は、住民登録にも数えられない貧しい羊飼いたちに、喜びを知らせ、また彼らをその喜びを伝える人材としてお選びになりました。暗い夜、ひっそりと羊の番をしていた彼らに目を留めてくださいました。これは、本当に不思議なこと、本当に恐れ多い、驚くべき神のわざです。それは、クリスマスだけではありません。今に至るまで、常に、神は人間の考えとは逆のことをなさいます。神は、立派な人や成功者、勝ち組のそばにではなく、追いやられ、忘れられている人の所においでになります。暗い夜、報いの少ない、休む事も出来ない仕事を続けている人にこそ、神は喜びの知らせを告げて下さいます。それが神です。この神こそ、世界をお造りになった神です。決して、私たちが考える幸せの基準とは別に、神の下さるもう一つの幸せの世界がある、というのではないのです。この神の憐れみこそが、本当の幸せです。人間がよく思いがちな、成功と失敗、幸せな人と不幸な人、自分は幸せでよかった、あの人のようでなくて良かった、という考え方はいつか完全に間違っていたとバレるに違いありません。

 羊飼いたちは、羊飼いであるままでキリストに会いに行き、喜びに満たされ、そして

「神を賛美しながら帰って行った」

と閉じられます。彼らは帰っていって、それからも羊飼いを続けたのでしょうね。キリストは、羊飼いを大金持ちにしたり王様にしてくれたのではなく、羊飼いのままで喜びに満たしてくださいました。私たちがキリストをお迎えする時も、別人に変わるわけではありません。人は幸せになるために、あれがあればこれが変われば、と環境のせいにします。お金があれば、健康になれたら、もっとやりがいがある環境なら。そうでない今の真っ暗な環境なら、幸せになんかなれない。そう思います。しかし、そういう所にキリストが来て下さったというのがクリスマスです。どんな所にもキリストが来て下さる。キリストが私のために生まれて下さったとは、どんな環境ももたらせない、本当の喜びなのです。

 お生まれは、すべての人に告げられています。病気の人、家族が死にかけている人、大きな間違いを犯した人、取り返しのつかない失敗をした人、孤独な人、裏切り者、死刑囚、親の財産を使い込んでしまった放蕩息子、聖書にはそんな人たちのそばに立たれるキリストのエピソードで満ちています。私は決して「いいお話し」をしたいわけではありません。私は本気で「神はどんな人をも慰め、喜びに満たしてくださる」と信じているのです。それこそ、この神が世界をお造りになった時に、この世界にコッソリと忍ばされた秘密だと信じているのです。それは、私たちの狭い了見や比べたり競争したりする考えはいずれ必ず化けの皮がはがれ、神の慰めと喜びが世界を満たす日がいつか来る。思いもかけない、でも本当に素晴らしい形で、神の喜びを聞かされ、神に栄光あれと心から叫ぶ日が始まると、私は本気で信じています。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マタイ二章1~12節「幼子を拝んだ」

2016-12-25 17:12:51 | クリスマス

2016/12/25 マタイ二章1~12節「幼子を拝んだ」

 クリスマス、おめでとうございます。私たちのために救い主がお生まれになりました。その素晴らしい出来事を伝えるために、当時のエルサレムに現れたのが、遠く東の国からやって来ました博士たちでした。神は常に意外なこと、人間の常識や私たちの予想を超えたことをなさるお方ですが、このクリスマスの出来事も、それを知らせた役者たちも全く意外なものでした。

1.東方の博士たち

 ここに出てくる

「東方の博士たち」

がどこから来た誰なのか、詳しいことは分かりません。古くは「賢者」とか「王」と表現され、新共同訳聖書では「占星術師」と訳されるように「星占い」「魔術師」という意味もある言葉です。身分の高い人で、学識も豊かな人でしょう。東方が、パルティア国[1]のことを指すとも考えられますが、パルティアは広すぎて、そのどこから来たのかも分かりません。そもそも、「博士たち」と言えば三人と思い込んでいますが、聖書のどこにも三人とは書かれていません。もっと大人数だったという言い伝えもありますし、身分の高い人には大勢の従者が付き従っていたはずだ、と言う人もおられます。

 いずれにしても、この謎だらけの博士たちがエルサレムに現れたのは衝撃的な出来事だったことは想像できます。どこから来たにせよ、東方の遠くから、何ヶ月も旅をしてきたのでしょう。色々な犠牲もあったでしょうに、それでも彼らはここまでやって来て、言うのです。

マタイ二2「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

 博士たちはどんな星を見たのでしょうか。また、それが「ユダヤ人の王」の星だとか、その方がお生まれになったしるしだとはどうして確信できたのでしょう[2]。様々な不可解は尚更、彼らがその「ユダヤ人の王」を拝むためだけに、東方からの長い旅をしてきた不思議を引き立てます。それだけでも、エルサレムに住む人々には強烈なインパクトだったでしょう。しかし、

 3それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。

 当時「王」と呼ばれていたヘロデ大王は

「ユダヤ人の王」

という言葉に敏感に反応しました。自分の立場が危ないと思ったのです。また東方の博士たちの期待や礼拝に、妬みや劣等感も覚えたのかもしれません。そしてヘロデ王は早速、博士たちに協力する形を取りながら、その王の抹殺を画策します。ユダヤ人の王の生まれる場所を学者たちに尋ね、秘かに星を見た時間を聞き出します。そうして、博士たちを送り出しつつ、自分にその場所を教えてくれるよう頼みます。それは、後に明らかになるように、見つけたら拝むためどころか殺すためでした。しかし、こんな狂った王ヘロデの支配下にいたエルサレム中の人々も、王と同様に

「恐れ惑った」

というのですね。ユダヤ人の王、素晴らしい王様の到来に喜んだのではなかったのです。

2.一番小さく

 エルサレムの人々の思いを、マタイは

「王と同様であった」

と記します。生まれる町がベツレヘムだと回答することが出来た宗教家たちも「では自分たちも行きましょう」とは言わず仕舞いでした[3]。なぜでしょうか。その答は、彼ら自身の答の中に感じ取れるかも知れません。

 6『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」

 ベツレヘムの町は、わざわざ

「決して一番小さくはない」

と言われるように、小さな、取るに足りない村でした。そのような小さな村が、キリストの出身地となる、というのです。これはこの時だけではありません[4]。この先にも、イエスがいつも低くなり、小さい者を大切になさり、

「最も小さい者のひとり」

を大事にされることが、マタイの福音書には繰り返して書かれているのですね。五章から七章の、有名な「山上の説教」の始まりも、

「心の貧しい者は幸いです。天の御国は彼らのものだから。」

という言葉です。心の貧しい者、小さい者、田舎者、余所者…そういう者の所に、ユダヤ人の王であるキリストはおいでになります。エルサレムや王の宮殿、豊かで綺麗で華やかな場所ではありません。低い者、顧みられない所、貧しく、悲しみや痛みの覆っている場所に、キリストはおいでになって、そこに天の御国を始めてくださるのです。

 もしキリストが、軍馬か天馬にでも跨がってヘロデを打ちのめす、そういう颯爽としたヒーローのような現れ方をする、というなら、人々はもっと単純な反応をしたかもしれません。でも、そうではありませんでした。キリストは、小さく卑しくなられました。その礼拝をしに来たのも、神の民の正統な代表者ではなく、異邦人の怪しい博士たちです。だから彼らは戸惑ったのでしょう。キリストの誕生は、喜びより恐れや戸惑いを引き起こしました。既成の人間社会の根底を揺るがせるような出来事でした。私たちが思い描く幸せとか豊かさをひっくり返す革命的な登場でした。この予想外の神の低さ、革命的な無力な登場に人は戸惑い抵抗します。しかし、その抵抗や目論見の後に、神はひょっと希望を輝かせて待ち構えて下さるのですね。

 9彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。

3.幼子を見、ひれ伏して拝んだ

 エルサレムから出て来た博士たちを、再び現れた東方で見た星が、幼子の所まで導いてくれました[5]。思いもかけない導きがありました。神の御支配が、意外な形で確かにありました。

10その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。

11そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

 ひれ伏し拝んで、尊い宝物を献げて、翌日には帰って行きました。神がすべてを導かれて、私たちを祝福してくださるとは、私たちの願いや憧れが何でも不思議に叶えられる、という意味ではありません。博士たちは、願いごとをしたり、魔法の道具を戴いたりするために来たのではないのです。将来の王がお生まれになった。やがて全て低い者、悲しむ者、罪人を治めてくださる。なんと有り難いことか。しかも、都エルサレムではなく、最も小さいと言いたくなるようなベツレヘムの片隅でおられた。そのお姿にますます有り難がって、衣が汚れるのも厭わずにひれ伏して、拝んだ。その一途な姿に、礼拝の原点というものを見る気がするのです[6]

 イエス・キリストは王としてお生まれになりました。でも、まだヘロデや人間的な歪んだ力のほうが強いように見える現実があります。私たち自身、豊かさや安全に憧れます。悲しみや障害、面倒や失敗は避けたり隠したり、遠ざけたがります。そうした予定外のものがあると、神なんか何だ、クリスマスなんて気分じゃないとふて腐れるのです。クリスマスが示すのは、そのような問題がある世界にこそ、イエスは来られ、働かれ、恵みで治めたもう、という約束です。私が自分で自分の心を治めきれず、愛やあわれみから離れた思いに囚われていようとも、本当の王であるキリストは弱い姿をとってそこにおられます。小さな星を輝かせたり、この上ない喜びに踊る心を下さいます。今はまだ、恵みの神ならぬものに囚われている私たちも、このイエスこそ王であることに希望を持てます。なぜならイエスこそ、王であって、私たちを恵みによって治めてくださる方だからです。この方以外の何者も、世界や私たちを支配してはいません。この幼子イエスが今私たちを治め、この方の恵みがすべての人間の営みを新しくするのです。クリスマスはそのような約束です。そのような不思議を本気で信じるのが私たちです。なぜなら、博士たちが持ってきたのは、まさにそんな信じがたい話だったのですから。[7]

「小さな町にお生まれになった主よ。あなたのなさることは本当に意外です。私たちの人生もあなた様は意外な形で導かれ、人の浅はかな思いを覆し、更に力強い喜びへと招き入れてくださいます。御降誕を祝いつつ、恐れ惑わず、あなた様の御支配を心から受け入れさせてください。イエスの深い憐れみが全てを新しくする日を待ち望み、あなた様の証しをさせてください」

ブリューゲル「東方の博士たち」
 

[1] 広辞苑より「パルティア【Parthia】 (1)古代西アジアの王国。イラン系遊牧民の族長アルサケスが、前3世紀中葉セレウコス朝の衰微に乗じて、カスピ海の南東岸地方に拠って独立。226年(一説に224年)ササン朝に滅ぼされた。中国の史書では、安息国と記す。アルサケス朝。パルチア。(前238頃~後226) (2)前1世紀~後1世紀頃、現在のアフガニスタン南部・東部、パキスタンを支配していた王朝。」

[2] ここには、旧約時代の最後に「バビロン捕囚」によりイスラエルの民がバビロンに連れて行かれ、逆にユダヤ人としてのアイデンティティを確立し、聖書(旧約聖書)正典の編纂と教育を行うようになった歴史が絡んでいるのでしょう。バビロニア帝国が、ペルシャ帝国に駆逐されて、捕囚の民の一部が帰還した後も、大半は東方に住み続けました。聖書のタルムードも「バビロニヤ・タルムード」が成立するぐらい、ユダヤ教の中核的研究が続くのです。こうした影響で、東方の博士たちが、<ユダヤ人の王であり世界の平和の主がやがておいでになる>との預言に触れていたことは十分考えられますし、最も筋の通った説明として想定できます。

[3] 明らかにこの態度は、次に彼らが登場する三7、五20(「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。」)、九3、そしてそれ以降、裁判や十字架へと至っていく伏線を予感させています。

[4] 例えば、この二章の最後に出てくるのも、キリストがガリラヤのナザレという田舎で過ごされたことであり、23節では彼が「ナザレ人」と呼ばれることも聖書の預言の成就だと言われています。ナザレ人という言葉が出てくる、というよりも、田舎者として馬鹿にされ蔑まれるという事でしょう。

[5] この記述からすると、東方で見た星は、この時点で再び現れて、彼らを照らしたというつながりです。旅の間中ずっと彼らを導いてエルサレムにまで来たわけではありません。同時に、その星は、東方で見た星と同じ星だと同定できる特徴がありましたし、最後のこの9節では彼らを導いてくれたのです。これが、ベツレヘムの方向で、彼らが教えられたベツレヘムまで旅をする間、ずっと先にあったのか、あるいは、ベツレヘムへの情報がなくとも星が彼らを不思議にも先導したのか、は定かではありません。しかし、マタイはここで、星が先導した、という表現をしています。

[6] 新共同訳聖書は「占星術の学者たち」と訳しています。「占い師」という意味にはキリスト教信仰からすると抵抗も感じますが、占い師や異教徒よりも自分たちの方が正しいと思い上がっている神の民が、意外な人から本当に大切な信仰の姿を教えられて、ガツンとやられる、というのも聖書には頻出するモチーフです。

[7] ボンヘファー「これらのことはすべて、ひとつの「言い回し」の問題なのであろうか。美しい、敬虔な言い伝えの牧歌的な誇張なのであろうか。-そうではない。これを単なる言い回しとしてしか理解しようとしない人は、わざとそうしているのであって、その人は、ほんとうは、アドベントを今までと同じように、異教的に、自分は決してアドベントの出来事に参与せずに、祝いたいだけなのである。われわれにとって、これは、決して言い回しの問題ではありえない。なぜなら、すべてのものの主であり、創造主である神御自身が、ここで、小さな者となったのであり、この世のみすぼらしさの中に歩んで来たのであり、われわれのうちで無力な幼子となったのだからである。そしてさらに、これらすべてのことが、われわれを美しい物語で感動させるために起こったのではなく、<神が人間的な高みにあるすべてのものを撃ち砕き、その価値を無にし、低いところに神の新しい世界を造ろうとしている>ということをわれわれに気づかせ、そのことにわれわれが驚き、われわれが喜ぶようになるために起こったのだからである。」(『主のよき力に守られて』、625ページ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルカ2章1~7節「いる場所のない救い主」

2016-12-18 20:15:22 | クリスマス

2016/12/18 ルカ2章1~7節「いる場所のない救い主」

 今日の聖書箇所は、イエス・キリストがお生まれになった出来事を伝える段落です。

「全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグスト[1]から出た」

という歴史的なスケールから始まり、ユダヤ総督クレニオ[2]、ユダヤのベツレヘムという町にズームインし、更に布にくるまれて飼葉桶に寝かせられる初子の赤ちゃんをクローズアップする、ダイナミックな手法です。

1.全世界の

 全世界と言っても、日本は勿論含まれません。これは、当時のローマ帝国の領土、地中海世界一帯に過ぎません。「全ての道はローマに通ず」とは有名な言葉ですが、あらゆる道がローマに通じるわけはなくても「全ての」と言えるぐらい広い領地をローマは支配していましたし、それを「全世界」と呼べるほどの広さがローマの傘下に収まっていました。その皇帝アウグストが全領土の住民登録をせよとお触れを出しました。日本では昨年「国勢調査」が行われて、その結果が先日やっと出されました。それほど国勢調査とは大規模で手間がかかるのです。かつてイスラエルの王ダビデが晩年、人口調査をしようとした時、側近のヨアブは大反対して引き止めます。それでもダビデは強行してしまい、後から大変後悔をして、主の前に罪を犯したと懺悔をするという顛末がありました[3]。日本のように十年ごとなど到底無理な、民への負担の大きな作業でした。それを皇帝が実行したのはその権力や自信の表れでもありました。

 そういう国際的な大権力の発する命令で、世界が動き、人々が従ったのが今日の箇所です。ナザレ村にいた貧しいヨセフとマリヤ夫婦など、芥(け)子(し)粒(つぶ)のような存在に過ぎません。ナザレからベツレヘムまではおよそ百二十キロメートルだそうです。身重の妻を連れた旅は、一週間以上かかったでしょう。それは、社会の大きな流れに拭かれ、為す術なく飛ばされている木の葉や虫のような、小さな存在です。愛国心に燃えるユダヤ人たちは、先祖たちの歴史の全盛期を懐かしみながら、ローマ帝国の属国に落ちぶれて、異教徒の皇帝に言われるままに登録の手続きをしなければならない屈辱に歯ぎしりをし、神の呪いや裁きを祈ったことでしょう。権力者の思惑とか不公正、社会の不正、暴力は昔も今も変わらずにあって、庶民は仕方なくそれに翻弄されるばかりです。しかし、そのような歴史の大きなうねり、どうしようもない強者の支配の波の中で、実は、ヨセフがマリヤと共にダビデの町へ上って行き、マリヤが男子の初子を産み、イエスがベツレヘムでお生まれになる出来事が起きたのです。ナザレの自宅ではなく、ダビデの町でお生まれになり、布にくるまって飼葉桶に寝かせられた姿となられたのです。ローマ皇帝がほしいままに振る舞い、庶民は登録に従うしかない、ただの統計上の数としか見做されないようでしたが、実はイエス・キリストがお生まれになるご計画は着々と信仰していました。イエスこそが、本当の王、本当の皇帝、そして救い主としてお生まれになったのでした。

2.飼葉桶に寝かせた

 とはいえ、ローマ帝国の思惑を越えて生まれた子どもは、布にくるまれて飼葉桶に寝かされました。決して、人知れない所で奇蹟が起きていたわけでも、ひっそりと大パーティが行われたわけでもありません。家畜の餌入れに寝かされた、地味な貧しいお姿です。

 7宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

 これは、伝統的なクリスマスの風景では、マリヤとヨセフの二人が、家畜小屋にしか泊めてもらえず、そこでイエスがお生まれになったということになっているでしょう。当時の習慣をよくよく考えてみますと、どうやら二人が特別追いやられたというよりも、当時の貧しい庶民にはよくあったことらしいのです[4]。詳しい説明は省きますが、私が言いたいのは、イエスが本当に貧しい庶民と同じようになってくださった、という事です。そんなに低くなられたわけではない、と言うのでなく、当時のごくごく当たり前になっていた低さと同じようになってくださったのだ、ということです[5]。皇帝アウグストは世界を動かしながら、ローマの大邸宅で暮らしていましたが、イエスはそんな安全で快適な場所ではなく、貧しい人々と変わらない、民泊での、家畜スペースでの誕生をなさったのです。居場所を探しあぐねるような人間の現場に、イエスはおいでになったのです。言い換えれば、イエスは最も貧しく、いる場所も与えられない人々の所に、同じような生活をすることも厭わずに、来てくださったのです。

 例としてヨセフを考えてください。ヨセフはマリヤを一緒に連れて行きました。住民登録は家長の男性だけがすればよかったでしょう。女性は家で子どもといれば良かったのです。それにマリヤは身重です。一緒に連れて行くより、さっさと自分だけで行って帰ってきた方がどれほど楽か知れません。しかし、ヨセフはそれでもマリヤを連れて行きました。きっと一緒になる前に子を宿したマリヤへの誤解や口さがない噂がナザレにはあったのでしょう。そうした冷たい村に、マリヤを独り置いておくことは不安だったはずです。言い換えれば、マリヤにはナザレの村にいる場所がなかったのです。ヨセフはそのマリヤを守ろうとしていうヨセフの気遣いがありました[6]。ヨセフは、マリヤを一緒に連れて行こう、ヨセフ自身がマリヤの居場所となろうとした、と言えるでしょう。そして、イエスも人間に対してそうしてくださいました。イエスご自身が人間の中に来られ、居場所のない独りとなり、私たちの友となられたのです。

3.ただの「男子の初子」と

 ひっそりと、いる場所のない者の所に来られたイエスこそ、私たちの友であり、救い主です。そして、皇帝や政治や歴史の流れの中で、本当に私たちを治めておられるお方です。しかも、皇帝が居心地の良い場所から勅令を出したのとは違い、イエスは神の立場を惜しまずに後にして、冷たい飼葉桶に寝かせられる低さにまで降りて来られました。私たちを愛したもうイエスは、卑しめられている人と同じ扱いを受けて、卑しめられることも嫌がりませんでした。この、大いなる王であり、同時に、小さな幼子、傷つきやすく脆い存在としてご自分を差し出してくださるイエスを、私たちが受け入れ、自分の主、神、救い主として信じるのがクリスマスです。

 ここでは「イエス」と言われず、「男子の初子」としか言われません。布にくるんであげ、飼葉桶でもいいから寝場所を与えてやらなければならない、本当にデリケートな赤ちゃんです。イエスが、そのような繊細で、小さく、傷つきやすい存在となって下さった[7]。それは、何のためでしょう。それは、私たちが神を信頼するため、神と出会い、神との本当に豊かな関係を回復するため、でありました。カルヴァンは、

「信仰とは、私たちへと向けられた神の慈しみについての着実で確かな知識である。」

と定義しました[8]。世界を作り、歴史を支配しておられる神。神の力や正義、全てを知り、悪を裁かれる偉大さも私たちは受け入れます。しかし、何をしても神の偉大さは不動だ、人が何をしようと神は痛くも痒くもない、というのでもないのです。神の子イエスは、私たちが、神の子どもとしての生き方を回復するために、名もなき貧しい赤ん坊になってくださいました。誰かを助けるために、我が身の危険をも顧みず、ジャングルや戦場や宇宙に行くという感動的なストーリーはよくあります。イエスは私たちのために、今から二千年前、実際にそうしてくださったのです。このお方を受け入れるのは、偉大で強くて、ビクともしない神への信頼だけではありません。神の慈しみ-文字通り、赤ちゃんを抱くような、繊細で小さくて、自分のだっこを求める存在を差し出される主を知り、受け止めさせて戴くのです。神を信じるとは、幼子イエスを私たちが抱き留める事でもあるのです。

 私たちのために、弱く小さな赤ん坊となってご自分を差し出してくださったイエスです。このイエスを受け入れるとは、私たちの生き方そのものをも、神への恵みを信頼する生き方へと変えていただくことです。主イエスは、神への信頼と、優しい心とを下さるのです。[9]

「主が、この世界に人として貧しくお生まれくださった恵みを感謝します。その勇気、犠牲、惜しみない愛に思いを寄せます。飼葉桶から十字架へと至る道を歩まれ、今も私たちの心と人生に、測り知れない謙遜をもって伴いたもう恵みに感謝します。どうぞその主を心開いて迎え入れ、また互いに受け入れ合い、主の御国の完成を待ち望み備える私たちとならせてください」



[1] ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタビアヌス。紀元前六三年から紀元後一四年。紀元前四二年に「神君」、二九年「皇帝(インペラトール)」、二七年「アウグスト(アウグストゥス)」の称号を与えられる。

[2] プブリウス・スルピキウス・キリニウス。紀元前五一年から紀元後二一年。紀元後六年にシリアの総督となる。

[3] Ⅱサムエル24章、Ⅰ歴代誌21章。

[4] この言葉は、現代人の感覚ですっかり色づけられています。つまり、ヨセフたちがベツレヘムに着いた時には、もうどこの宿屋も空き部屋はなかった、だから仕方なく二人は馬小屋に泊まった、という筋書きです。でも、ほんの数百年前までは、裕福な人間でない限り、旅先では「民泊」が一般的でした。庶民の家は客室どころか持ち家さえなく、洞窟の入口に幕を掛け、手前に人間が、奥に家畜が住むのです。旅人は、その手前部分に場所を借りて、一晩一緒に眠らせてもらうのです。マリヤとヨセフもそうしたのでしょう。「宿屋」というより「借宿」、泊めてもらった家の事です。しかし、その手前部分では流石に妊婦がいたり、子どもを産んだりは出来ないので、洞窟の奥に引きこもって、そこで子どもを産み、壁に掘った飼葉を入れる穴にその子を入れた、そう考えた方が正しいのだそうです。「馬小屋」というイメージも、庶民が馬を飼うことなど出来ませんから、現代的な脚色です。「飼葉おけ」からの連想でしょうが、本文で触れたとおり、洞窟の奥の壁に掘られた穴のことを指しているとイメージを一新した方がよさそうです。

[5] 私たち現代人が思い込んでいる当時の生活の美化を考え直させてくれるものです。ヨセフとマリヤだけでなく、みんな個室に泊まるなんて出来なかったのです。普段の生活でさえ、持ち家などでなく、冷たい洞窟暮らしだったと考えたらどうでしょう。それは、出産の時も、いる場所を憚って飼葉桶のある場所に移動しなければならないような生活でした。そんな所に、ヨセフとマリヤも来られて、同じような寒い宿を取られました。

[6] あるいは、マリヤはイエスを布にくるんだとありますが、この言葉は「産着」から出て来た言葉で、マリヤがイエスのために産着となる布を用意していていました。決してぼろ布やあり合わせで間に合わせたのではないのです。ちゃんと出来る限りの用意をしていたのです。

[7] この頃の新生児の死亡率はどれほどだったでしょう。生まれた赤ちゃんの誕生は、今よりも遙かに、か弱く、脆く、危なっかしい思いで迎えられたに違いありません。家畜スペースで産むならば、不衛生で周産期は安心できなかったでしょう。今でさえアジアやアフリカにはそんな地域が多くて、助産師として派遣される方は絶えないのです。まして、今から二千年前の赤ん坊は、どれほど不安定ないのちだったでしょう。

[8] 『キリスト教綱要』第3篇第2章7節。中村佐知さんは、山田和音さんのブログからこの言葉を紹介していますが、その後に山田さんはこう付け和えておられることも紹介されています。「彼の言葉を今の私なりに受け止めて言い換えると次のようになると思います。「私が神を信じられない時、神などいないと思えるとき、神がいたとしても私なんかは絶対に愛されてなどいないと思えるときに、それでもなお愛されているという知識、それが信仰である」と。」http://rhythmsofgrace.blog.jp/archives/14326859.html

[9] しかし、そこで私たちは何もしないのではない。この方の働きに気づき、この方を礼拝し、心に迎え入れるようにと招かれている。いる場所がないキリストをそのままにしておくのではなく、その事にこそ私たちが悔い改め、問題を認め、キリストをお迎えする「居場所」となることが求められている。いや、すでに私たちの中にキリストがおられる。私たちが立派だから迎えられる、立派ではないから相応しくない、お迎えしていないと妙な遠慮を止めて、私たちの相応しくなさのためにこそ、キリストがこの心に来て下さったことを告白する。世に対して、傲慢な優越感を持つのではなく、自分の相応しくなさ、貧しさ、汚さを正直に認めつつ、その私たちの中に与えられたキリストの確かな希望を証ししていく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする