「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

読まずに死ねるか!(書籍紹介) 「弾左衛門と車善七 塩見鮮一郎 著」

2024年03月05日 20時34分22秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)
久しぶりの賤民史です。
未読の本は数冊…(~_~;)
最近読んでいる他の精神疾患や哲学系の本よりもすいすい読めます。塩見氏の筆致も読みやすい。
さて、内容ですが本書は今まで書かれたもの数冊分を抜き出してあるものと、さらに資料を足してその解説を書いたものです。この著者に限らず、「弾左衛門」については今まで多く書かれたものがありますが「非人頭 車善七」についての記録は格段に少ない。この本は「穢多頭 弾左衛門」とその下に位置づけられた「非人頭 車善七」の関係があって、車善七の資料は弾左衛門との関わりで出てくるものや奉行所での裁判記録でしか登場しない。弾左衛門と車善七は両者ともに徳川家康が転封で三河から江戸に国替えさせられ、江戸に入った際に両人は徳川家康に「私は鎌倉以前から続く穢多頭の家柄で…」「頼朝公から朱印を頂いています」という触れ込みで来たものの、善七は弾左衛門の下部組織にさせられて、不満たらたらで百年近くたって弾左衛門配下であった同じく職能民である「歌舞伎役者/能楽者」「座頭」などは独立を許されて、なぜか善七はそのまま…。弾左衛門も車善七もお仕置き(処刑や流刑など)の片付けや管理をしていて、幕府も武士に「汚れ役」をしたくない。本書には斬首や磔(はりつけ)の様子や図や写真などがあって、よく分かるようになっています。また、地図も詳しく書いてあって弾左衛門や車善七が江戸という都市が拡大する過程で「お仕置き場(処刑場)」と共に役宅を移動していった様が詳しく書いてある。最後は浅草の新吉原周辺に落ち着きます。幕末を迎え、『四民平等』となり車善七はようやく弾左衛門の配下から解放された。その後の両者はというと弾左衛門は「弾直樹」と改名し、当時需要があった革製の軍靴加工に乗り出しますが、西洋製に負けて廃業。で、車善七はというと「長谷部善七」に改名。両者が担っていた賤民管理は明治政府がすることになった。また、「乞食」管理も政府がすることとなった。「最後の弾左衛門」である弾直樹は写真が残っているが「最後の車善七」である長谷部善七の行方がわからない。これはその後も続く差別意識のことを考えると仕方ないと思う。善七はおそらく江戸=東京を離れたのだろう。それと同時に過去の記録も消したのか?現在は地方の家から記録も出てきているようです。「史学」として研究が深まってくれればと思います。

「差別的好奇心」ではなく。


ん~この本読まずに死ねるか!!


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