モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

龍樹『中論』の十二支縁起が説く相互依存的な世界

2020年11月18日 | 「‶見ること″の優位」

「時間の前後関係とか因果関係を伴わない出来事」という観念は、龍樹の『中論』理解への道をつけてくれました。

『中論』が提示しようとしているヴィジョンは十二支縁起ということですが、
それは煩悩に囚われて苦しむ世界を「無明-行-識-名色-六処-触-受-愛-取-有-生-老死」の十二の支分の縁起関係で説明しようとするものです。

すなわち「無明によって行が生じ、行によって識が、識によって名色が、名色によって六処が、六処によって触が、蝕によって受が、受によって愛が、愛によって取が、取によって有が、有によって生が、生によって老死が生れる」というふうに説明されます。

そして無明が消えれば行が消え、行が消えれば識が消え、……となって煩悩の苦しみから解放されていくわけです。


その説明が「……によって~~が生まれ」という文型で説明されるので、
そこに時間的順序や因縁による生起(因果関係)をも読み取ってしまいがちです。

しかし『中論』の冒頭では因縁による生起とか時間の順序関係とかは否定されている、
それにもかかわらずこの一二支縁起で時間的な順序関係や因果関係が再び持ち出されているのはどういうことだろうと、思ってしまいます。

そこが『中論』の最大の躓きの石であり、誤解の源となるようです。



中国語訳でも「生」という漢字を使っているし、サンスクリット語原文でも「生まれ」を意味するbhava(生れること)という単語が使われているので、
「……によって~~が生まれ」としか訳しようがないようにも思われます。

しかしbhavaという単語を改めて英訳辞典で確認してみると、coming to existenceとかbeing, state of beingといった英語に訳されている、
これをよくよく検討してみると、「存在に至ること」とか「存在している状態」というふうにも解釈できて、
必ずしも時間的順序関係が含まれていると考えなければいけないということはなにのでは、というふうにも考えられます。

つまり、「……によって~~が生まれ」は時間的な順序関係や因果関係が表明されているのではなくて、
それらを伴わない“出来事”、言い換えると現代物理学が発見した無時間的な相互作用による“出来事”として解釈することができるのでは、ということです。

かくして、龍樹『中論』が提示する一二支縁起の「……によって~~が生まれ」の連鎖作用は、
無時間的な相互作用のヴィジョンとして捉えられることが、少なくとも私の中では納得されてきました。

つまり一二支縁起は、現象世界は十二支の相互的な依存関係によって生起するのであり、
その実体は“空”であるという龍樹の主張が理解されてきたということです。



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