感動との出会いをもとめて・・、白いあごひげおじさん(もう、完全なじじいだな・・)の四国遍路の写真日記です・・
枯雑草の巡礼日記
梅を見に行く・・








ちょっとズボラを決め込んでいたら、
もう梅散っちゃうよ・・って誰かが言うもんだから、
できるだけ近い梅見に行ってきました。
山の斜面の梅園で、梅の向こうに農家の家
なんかが見える・・なんてとこ想像してったけど。
実際はかなり違っていて、結局、枝や花の先
だけ撮ってきました。
・・で、腕なりの不作でしたが、白梅と紅梅が
こんなに雰囲気違うんだってこと気付かされ
ました・・ね。
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滲み出す古の色と声、臼杵石仏









我が国では、特に秀でた石仏として名高い臼杵の石仏。大分県臼杵市深田の丘陵の山裾
の凝灰岩に刻まれた磨崖仏群です。平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫られたものと
言われています。石仏の大々的な修復、覆堂の設置などが終わった平成7年、4群59体の
石仏はまとめて国宝に指定されました。そのうち、いくつかを紹介しましょう。
ホキ石仏第2群の内。阿弥陀三尊(写真1)、阿弥陀如来(写真2)、左脇侍観音菩薩(写真3)。
臼杵石仏のなかでも特に優れた石仏と言われますが、覆堂が設置されて、その印象が最も
大きく変わった(厳しさから柔和な表情へと)のは、この阿弥陀仏でしょう。
ホキ石仏第1群の内。地蔵十王像(写真4)。臼杵石仏の中では最も新しく、鎌倉時代に彫ら
れたものと言われます。石の上に滲み出る色の残映が鮮やかです。
同じく第1群の内。如来三尊(写真5)、釈迦如来(写真6)。
古園石仏の内。大日如来(写真7、8)。臼杵石仏を代表する最も有名な大日如来です。
修復により本来の位置の戻された仏頭・・。バランスはどうでしょう。長い眉、豊かな頬の
肉取り、我が国の仏には見ることの少ない圧倒的な迫力を感じます。
大日さんの前で、お年寄りが正座して読経されています。その声が覆堂に木霊していました。
(実は、私は大昔、まだ学生だった頃、臼杵の石仏を見に行ったことがあるのです。
その頃は、草繁る畑中の道を歩いて、山陰に潜むような石仏に会った・・そんな記憶がある
のですが。覆堂は無く、あの有名な大日如来の仏頭は、直接台座の上に置かれていました。
その時の強烈な印象は忘れることができないものです。長い年月を経て、この日感じた
印象よりももっと強いものを・・。なぜでしょう。覆堂によって外光が遮られたためでしょうか。
修復により端整な面持ちとなった仏の姿のためでしょうか。いや、半世紀近くの歳月を経て、
私の感じる心が変わった・・。きっとそうなのだと思います。)
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おはなはんが住んだ街?、伊予大洲








「おはなはん」は、昭和41年のテレビドラマ。林謙一が、母の半生を綴った小説がその原作。
もう随分昔のことだから、知らない人の方が多くなったでしょうが、私にとっては、結構鮮やか
な色の記憶として、心のどこかに残っているのです。おはなはんは、樫山文枝、軍人さんの
夫は高橋幸治でした・・。
「おはなはん通り」という名の街があるって・・。愛媛県大洲を訪ねました。
大洲の古い街の一角。その通りの近くには、明治に建てられた銀行の赤い煉瓦の建物が
残されています。赤い煉瓦の色とランタン飾りのマントの人影・・限りなく優しい風情です。
その建物の裏手には「ポコペン横丁」という昭和30年代の風を売る店が並んでいます。
そして、おはなはん通りはその先です。
実は、本当の「おはなはん」は、ここではなく徳島に住んでいたのだそうです。では、なぜ・・
テレビドラマのロケがこの地で行われたこと。これが通りの名の由来なのだそうです。
まだ明るい時間、寄った喫茶店の若い女性。
「住んだ家は今はもう残っていませんけどね・・」
おはなはんが、実際に住んでいたという話し口。ひょっとしたら、ほんとにそうだと思っている
のかも・・。
この通りは遍路道にもなっています。「わたしはもう二度もこの前を歩いたことあるんですよ・・」
「あら・・、おへんろさんにも時々寄ってもらえますよ。こんど歩かれたときはぜひ・・」
土蔵と古い家並に囲まれた通りは、もう夕暮れ。
赤い提灯に誘われて、ちょっといっぱいやりますか・・。
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島と船と灯台と






時計台のある港を出た釣り船は、
あの三角形の島の周りで
群れて、たゆとうています。
きっとあのあたりは魚の
棲家ですね・・。
島の周りは、ひがな潮が渦巻いていて、
それと知らぬうちに夕暮れを迎えます。
そう、島の上の灯台にも、
荒磯の灯台にも薄らと火が入ったようです。
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この赤き乱舞・・、尾道向上寺再訪








瀬戸田(現尾道市)の港の古い街並みの上に三重塔が見えます。
向上寺三重塔に初めて会ったのは、一昨年の夏の日。汗を拭きながら上った丘の上から
見た三重塔の印象は忘れられません。塔の向こうの青い瀬戸の海の色もまた・・。
この度は、冬の日。待望の再訪でした。
長い石段を上って、塔の前に立つと、やや色褪せた塔身から蘇る極彩色の世界に飲み込まれます。
軒下を巡る扇垂木の並び。その下の圧倒的な組物。尾垂木の上下の波のようにも見える
若葉の抽象化された彫物。黄色の木鼻。各層に見える花頭窓。
欄干四隅の親柱の逆蓮華の飾り付け。禅宗様が色濃いと言われる建築様式。
これほどの装飾に彩られた三重塔は他に見ることはないでしょう。
いや、講釈はどうでもよいことでしょう。
この赤き乱舞・・狂気とも言えるような色の中に身を置けることは得がたいことに思えます。
こういった極彩もまた、日本の原風景の一つだったと気づかされます。
向上寺の境内は、三重塔の他は山門があるだけ。大きな建物の土台が造りかけられていました。
やっと本堂が再建されるようです。こんな冬の日、訪れる人は誰もいません。
またの再訪を期して、ゆっくり、ゆっくり長い石段を下って瀬戸田の街へ。
前回(2007年7月)の記事はこちら
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