小豆島霊場巡礼日記(その7)

この日をこの度の旅の最終日とすることにしました。結局19の札所は参ることができませんでした。あの中山千枚田が見える道は歩いておきたい。これは強い拘りです。中山に。

43番浄土寺(本尊 阿弥陀如来、納経 37番)。石段を上り左手奥にあるのがコンクリート製の本堂。京都工芸繊維大学の藤原義一博士の設計、昭和43年の建立という。また、右手にある茅葺寄棟造の建物が書院。内部には桃山時代の遺構もあり、古い書院造の格調高さが伺えるという。


浄土寺

 浄土寺本堂

 浄土寺書院と地蔵寺堂

45番地蔵寺堂(本尊 地蔵菩薩、納経 37番)。元々西中山に在った地蔵寺が解散され、浄土寺境内に移し存続されたという。

浄土寺、地蔵寺堂にお参りし、ご朱印を貰う段になり戸惑います。手持ちの小豆島霊場の案内書では、次の湯舟山を含め納経所は43番浄土寺と書かれているのです。浄土寺はどう見ても無住のようだし、納経所も見当たらない・・思い余って門前のお宅を伺う。奥さんが出てこられ
「もうだいぶ前から人おられんよ・・寺の横を上がって農免道路ちゅうんかまで・・ものすごい坂でワシら上がれんで・・たいへんだの・・」とか。(昨日、37番明王寺でどっさり多くのご朱印を戴いたなかに43、45、44札所も含まれていたこと、気付きませんでした。)

 浄土寺横を通って湯舟山へ


急坂

 猪除け柵を開け、農免道路を越えて


湯舟山へ

44番湯舟山(本尊 千手観音菩薩、納経 37番)。明治までは蓮華寺と称する寺であったという。本堂の柿(こけら)葺(銅板が覆う)、また鎮守社の熊野権現、いずれも島内唯一。

 湯舟山本堂

 鐘楼

 鎮守社熊野権現

 境内の古杉、真柏、楠


中山千枚田が見えてくる。

毎年夏の夕、湯船山から始まる「虫送り」の行事。映画「八日目の蝉」の撮影を機に復活しました。(2021年は中止)松明に火を灯した行列が「トーモセ トモセ」と声を揃えて千枚田を下るそうです。見てみたい情景です。(「虫送り」については、四国遍路日記「平成24年春 その3」に少々追記しました。)


中山千枚田


中山千枚田


高所の作業(この辺りで標高230m、千枚田の最高所)もっと高い空・・

 栂尾山へ

 栂尾山かずら橋の跡

 地蔵菩薩

47番栂尾山(本尊 十一面観音、納経 46番)


栂尾山。洞内に奥仏殿があり本尊を祀る。

 阿弥陀堂と観音像


肥土山の集落、遠く海が見える。


岩大師堂と秋葉大権現社


山を下る

48番毘沙門堂(本尊 毘沙門天、納経 46番) 本尊とともに青面金剛も祀られる。庚申信仰のなごり。

 毘沙門堂

 毘沙門堂

46番多聞寺(本尊 薬師如来)。本尊薬師如来は行基菩薩の作と伝える(秘仏)。

 多聞寺鐘楼門

 多聞寺。山門後ろから地下不動堂に通じる階段があり、本堂前に出る。


肥土山の田畑の向こうに小豆島大観音の姿。この度の小豆島巡礼の初日に見た御姿。まがりなりにも島を一周してきたという一つの感傷を思う。

 円満寺へ

74番円満寺(本尊 十一面観音)行基菩薩の開基、本尊(秘仏)は恵心僧都の作と伝える。安阿弥作伝える阿弥陀三尊他多くの仏像を祀る。

 円満寺。樹齢400年というシンパクが聳える。

 円満寺

 東林庵へ

49番東林庵(本尊 地蔵菩薩、納経 54番)昔は満願寺と称する寺であったという。本尊は安阿弥の作と伝える。

 東林庵

 東林庵

県道から少し入った池の傍、50番遊苦庵(本尊 薬師如来、納経 54番)

 遊苦庵


修行大師像のある道を行く。

52番旧八幡宮(本尊 無量寿如来、納経 54番)。旧八幡宮とは渕崎の富丘八幡のこと。明治の神仏分離により、恵心僧都の作と伝える本地仏を祀ってこの地に移る。

 旧八幡宮

51番法幢坊(本尊 十一面観音、納経 54番)。かつて富丘八幡の別当寺であったが、52番と同様この地(法生院境内)に移る。

54番法生院(本尊 地蔵菩薩)広大な敷地を有し、境内に51番、52番、54番の札所がある。

 法生院

 法生院本堂

 法生院大師堂


法生院境内の大シンパク。高さ24m、幹周囲16m、樹齢二千年といわれる正に日本一のシンパクの大樹。見上げれば圧倒される迫力、樹の生気を感じとることができます。

 荒れた狭い道を行き、いくつかの猪除け柵を開けて・・

 観音堂、行者堂への山道。

55番観音堂(本尊 馬頭観音、納経 54番) 本尊馬頭観音は小豆島霊場中唯一。

 観音堂

56番行者堂(本尊 役行者(神変大菩薩)、納経54番)80mほどの高地、眼前の土庄のの街と海峡が拡がっています。私は未参の札所を多く残しましたが、多くの遍路にとっては結願の場所となるところでしょう。感慨を感じます。
私は観音堂で忘れものをして山道を往復したためヘトヘトで到着。フェリーの時間も迫っているし、それやこれやで写真も撮り忘れ・・

「プレトピア橋」まで歩いて、後はタクシー、あわただしく新岡山港行のフェリーに乗って小豆島を離れました。

見送られるような山上の大観音姿を何度も振り返りながら・・

                                     (12月10日)

ここで小豆島霊場遍路道地図を掲げておきます。公認霊場94箇所の他いくつか人気の霊場も含めました。巡礼日記の(その1)から(その7)までで参った札所は道筋を確認していますが、この度は参れなかった札所の道はちょっと不安です。ご容赦ください。

地図配置図
西1.2 (土庄町本町付近)
西1.3 (鹿島・小瀬付近)
西1.1 (伊喜末・滝宮付近)
西2.1 (馬越・見目・小海付近)
西2.2 (中山・肥土山付近)
中1.1 (大部・小部付近)
中1.3 (奥中山付近)
東1.1 (豆坂・吉田・福田付近)
東1.2 (福田付近)
東2.2 (当浜付近)
東2.3 (岩谷・橘付近)
東2.4 (苗羽・坂手付近)
東1.4 (苗羽・草壁付近)
中1.5 (堀越・田浦付近)
中1.4 (日方・水木付近)
東1.3 (寒霞渓付近)
西2.3 (東田・蒲生付近)
西2.4 (蒲野・吉野付近)

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小豆島霊場巡礼日記(その6)

坂手を発つ


坂手港を出るフェリー


目指すは神戸港か

体調が悪い。食事を受け付けない。こりゃマイッタ・・多くの札所を未参とすることに致しやした。
坂手から内海湾に沿って草壁の海岸に近い札所のみを訪ね、清水から水木の札所を経て早々に池田の宿に入り休養することにします。

10番西照庵(本尊 愛染明王、納経 8番)。元内海の亀甲山八幡宮が札所であったが、明治の神仏分離により本地仏の愛染明王がここに移って札所になったと言われる。

 西照庵

 西照庵

この辺り(苗羽)は醤油の造醸場が多い。「醤(ひしお)の郷」と呼ばれる。小豆島で最も活気に満ちた街路であり、代表的な美観を見せているように思われます。


醤油の街


醤油の街

 佃煮樽                               

 醤油樽

 醤油蔵


醤油蔵

草壁へ


石段の上お堂が見える。

23番本堂(本尊 釈迦如来、納経 21番)。街を見下ろす小高所にある立派なお堂。恵心僧都作と伝える釈迦如来、気品溢れる仏であるという。


本堂。屋根に獅子が乗っている。

 峯山庵へ。上り口に「阿字道」とある。

22番峯山庵(本尊 千手観音菩薩、納経 21番)


峯山庵。夥しい墓の山、そして地蔵。


峯山庵の鐘楼。街と内海港をみおろしている。

県道横の狭い道を通り

21番清見寺(せいけんじ)(本尊 大聖不動明王)。行基菩薩の開基と伝える古刹。春の「玖島桜」は著名。

 清見寺

 清見寺

細い道を左右して

 木下庵へ


木下庵へ

 石段上の地蔵

19番木下庵(本尊 薬師如来、納経16番)。ここも春の「白妙桜」が著名。

 木下庵

草壁地区ではここで打ち止めとしました。ここより東、北(寒霞渓に迫る)の未参の札所を示しておきます。
17番一ノ谷庵、16番極楽寺、15番大師堂、・・14番清瀧山、20番仏ケ瀧、18番石門洞(以上6ヶ所)


清水から日方の札所へ。

 日方へ

 日方へ

 日方札場の地蔵。江戸時代初期ここに切支丹禁教の高札があったという。

 五輪塔群。日方の鎌田氏は藤原秀郷の血を引く源氏の郎党で、
鎌倉時代、一族十八家を率いて小豆島に移住、廻船業を始めたと伝える。

 安養寺へ

24番安養寺(本尊 如意輪観音)。行基菩薩の開山と伝える。阿弥陀如来来迎図を所有する。庭に樹齢200年を超える椿(天然記念樹木)。

 安養寺

 安養寺


安養寺門前、誓願寺庵へ。

 誓願寺庵へ

 誓願寺庵へ


誓願寺庵へ


門前の地蔵

25番誓願寺庵(本尊 薬師如来、納経 24番)。昔は誓願寺という寺であったという。安阿弥作と伝える薬師如来を安置。


誓願寺庵

 誓願寺庵境内   

 櫻の庵への山道。


美しい竹林の道。

 御水の大師(阿弥陀寺奥ノ院大師堂)

 大師の御水(涸れることがない井戸)

 延命地蔵

 櫻ノ庵へ

27番櫻ノ庵(本尊 十一面観音、納経 26番)。眼前に内海湾が開ける。

 櫻ノ庵

 阿弥陀寺へ

26番阿弥陀寺(本尊 無量寿如来)。寺縁起によれば行基菩薩の開山という。

 阿弥陀寺

 阿弥陀寺

水木、道の駅があり、内海湾の海岸で憩う若者の姿を見掛けます。


水木の海岸 空にはクジラ!

 内海湾

 水木の海岸

ここより少し離れますが、池田上地の一つの寺(二札所)に参ります。

36番釈迦堂(本尊 釈迦如来、納経 37番)。堂は大永年間(1521~28)の建立。旧国宝、現重文(小豆島で唯一)。本尊釈迦如来は運慶の作と伝える。

 釈迦堂。このお堂の方が小規模ですが、四国49番浄土寺本堂とは建設年代も近く類似した所があるように感じます。屋根の形式、支える木組みの素晴らしさに魅了されます。


釈迦堂


釈迦堂


釈迦堂

37番明王寺(本尊 不動明王)。正安3年(1301)弘山上人の開山と伝え、元禄年間に再興。本尊不動明王は弘法大師の作、脇立の毘沙門天、弁財天は行基菩薩の作と伝える。

 明王寺

 明王寺

 明王寺


明王寺、釈迦堂

早々に池田の山上の宿に入ります。

ここで未参となった札所を挙げておきます。
池田から蒲生。38番光明寺、39番松風庵、35番林庵、42番西ノ瀧、41番仏谷寺、40番保安寺(以上6ヶ所)
水木から池田。28番薬師堂、29番風穴庵、30番正法寺、31番誓願寺、34番保寿寺庵、32番愛染寺、33番長勝寺(以上7ヶ所)



池田湾


対岸のホテル


池田港


日没

 日没

                                           (12月9日)




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小豆島霊場巡礼日記(その5)

安田を発って安田大川に沿った道を南下。道を左に折れれば大きな銀杏の木が見えてきます。

  観音堂へ

11番観音堂(本尊 聖観音菩薩、納経 8番)


観音堂


この辺り「醤(ひしお)の郷」、大きな蔵のある家の傍を抜け庚申堂へ


庚申堂へ

9番庚申堂(本尊 不動明王、納経 8番) 本尊とともに青面金剛を祀る。

 庚申堂

 ふと見上げれば修行大師様

東へ400mほど
8番常光寺(本尊 薬師如来) 行基菩薩の開基と伝える。2番碁石山の本坊。春の早咲き桜は有名。

 常光寺

 常光寺

 少々坂を上がるとすぐ

7番向庵(本尊 阿弥陀如来、納経 8番)

 向庵

 少々下って

 いよいよ碁石山への山道にかかる。草深い。


九丁丁石

 地蔵


一旦車道に出る


地蔵に向かって上る。再び車道。


名残りの紅葉

 再び上る

 洞穴と地蔵


碁石山中腹(標高250m)からの展望


内海湾展望

2番碁石山(本尊 不動明王、納経 3番) 8番常光寺の奥の院にあたる。鳥居など神仏習合時代の面影を色濃く残す。
本堂は日々の護摩祈祷の場。

 碁石山

 参道

 碁石山本堂


不動明王


不動明王

不動明王から更に岩山を攀じ登れば小祇があります。私は参りません。
この辺りでお会いしたのが、四国霊場会先達東日本の幹部Mさん。車で廻っておられます。話が尽きません。(後で振り返って見ると、この人以降お会いした遍路は一人も居られませんでした。まだまだ寂しい小豆島遍路道です。)

1番洞雲山(本尊 毘沙門天、納経 3番)

 洞雲山

 洞雲山


洞雲山。夏至前後の50日間、午後3時ごろ、この洞窟の表面の観音が出現するそうです。(中央の岩の左面辺りか?)夏至観音と称し多くの参拝があります。小豆島に多く見られる岩窟は毎年少しづつ姿を変えているとか。この夏至観音も20年位前、参拝者の写真より発見された事象だとか・・

奥之院隼山に向かう細い舗装道の途中の展望台。小豆島南の瀬戸内海が見渡せる景観絶佳の場所です。長らく眺めていても飽くことがありません。自然の妙・・


瀬戸内海展望


瀬戸内海展望

3番奥の院隼山(本尊 聖観音菩薩、納経 3番) 弘法大師の開基と伝える。

  奥之院隼山

 奥之院隼山

 奥之院隼山

ここより坂手に下る道はその殆どが舗装車道です。1ヶ所車道をややバイパスする歩道があり、へんろ道と案内されていますが、今は草木繁茂、入らない方がよいでしょう。



碁石山の岩峰を振り返る

3番観音寺(本尊 十一面聖観音菩薩) 弘法大師の開基、本尊も大師の作と伝える。

 観音寺。寺には誰も居られない。読経後自分で朱印を押す。
6ヶ所も。寂しい・・

坂手から堀越、田ノ浦へ。

4番古江庵(本尊 阿弥陀如来、納経 3番)

 古江庵。御本尊阿弥陀様は、鎌倉時代のもので安阿弥作と伝えられます。是非拝見したいもの。庵前には多くの味深い石像が。


古江の浜、弁天島が見える。


古江の浜。その美しさとは裏腹に、戦争中特攻潜水艇の演習場があったという。

5番堀越庵(本尊 阿弥陀如来、納経 3番) 幕末の頃、庵に住み村人に尽くした妙光尼の伝えを持つ。

庵に近くに居られた人に次の札所田ノ浦庵に行く峠(馬立峠、標高150m)の様子を尋ねます。「行って通れんこたーないだろが。猪が掘り返しとって大変じゃろ・・」
これで私は県道行くことに決めました。何やかんやで庵の写真撮れてなかった。

6番田ノ浦庵(本尊 無量寿如来、納経3番)本尊無量寿如来は恵心僧都の作と伝わる。どういう訳か、小豆島の霊場の仏は恵心僧都の作と伝わるものが多い。

 田ノ浦庵

 田ノ浦庵

 山の鞍部が馬立峠

田浦には明治35年田浦尋常小学校として建てられた校舎が、廃校(昭和46年)後も岬の分教場として残されています。
壷井栄の小説「二十四の瞳」の舞台となったこの田浦分教場は、昭和29年木下恵介監督、高峰秀子主演により映画化、多くの人に知られ感銘を与えることになりました。
この岬の分教場を見て思いました。
「大石先生の、そして十二人の生徒たちの夢や望みや・・そんな、それはそれは大事なものが、廊下や教室の床や壁、そしてこの机に沁み込んでいるように感じます。それらは、時代の波のなかに埋もれたり、散っていったり・・そういうことが出来る限り無くなるよう、いや少なくなる世の中を望み、助力してゆくことを誓わずにはおれないのです。」
「巡礼に廻る寺々の仏は多く沈黙のなかにおられるようです。巡礼はその心を感じとり日常の行動に移さねばならないのではないでしょうか・・ ここは巡礼の来訪を待っている札所の一つだと私には思えるのです。」


岬の分教場

 岬の分教場


岬の分教場


岬の分教場


岬の分教場


岬の分教場


岬の分教場

 映画「二十四の瞳」のシーン

                                         (12月8日)




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