鳳来寺観音堂
















     このお堂は広い敷地の中央に、ひとつだけ建っている。
     もともと、善福寺の観音堂であったが、廃寺に伴い、鳳来寺の所属に、
     そして昭和41年、この地に移設された。
     近くの西願寺阿弥陀堂と同様、室町時代の建立と伝える。
     阿弥陀堂より、一回り小さいが、同様に禅宗様式を色濃く残すという。
     このお堂の小ささが、巧まぬ効果を生んでいるように思われる。
     茅葺き屋根の厚みが強調され、屋根下地、組み物と見事な
     バランスを形づくっているのだ。何とも美しいお堂。

     (千葉県市原市吉沢にある観音堂である。
      前回の西願寺阿弥陀堂とは、山ひとつ越えた隣村にある。
      お堂も、またその周囲も、見事に維持・整備されている。
      お堂の前の石段に腰掛けて、近くのお年寄りとお話をした。
      お堂の話が弾む。村の自慢のお堂なのだ。
      午後から急に暖かくなった春の日。)
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西願寺阿弥陀堂
















     小高い丘の樹の間から、寄棟の茅葺き屋根が見えてくる。
     西願寺阿弥陀堂である。
     室町時代の1495年(明応四年)の建立という。
     西願寺は、当時は金色輝く大寺であったというが、
     今に残るのは、この阿弥陀堂ひとつ。
     軒下は、二層の扇垂木、尾垂木まで有する。
     重層の肘木に大らかな力強さを感じる。
     そして、そのすべてを覆う、茅葺き屋根の柔らかさ。暖かさ。
     瓦屋根は、もともと中国伝来のもの。永く権力者のものであった。
     日本古来の茅葺きは、その間も多くの人々のものであったのであろう。
     今は、やや傷みが目に付くけれど、五百年もの間、保たれてきたこのお堂に、
     限りないありがたさを感じる。
     今も、お堂の中の厨子に、金色の阿弥陀仏がおられる。

     (千葉県市原市平蔵にある阿弥陀堂である。
      春の風に菜の花が揺れる日、近くの吉沢にある観音堂とともに訪ねた。
      訪れる何人にも会えない寂しさであるが、すばらしいお堂に会えた。
      これだけ古いお堂は、数少ない。村の人の誇りが目に見えるようだ。)
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もみじの新芽(2)
















     もみじの新芽は、
     一瞬、力強い赤い色を、
     ちらつかせながら、
     その陰に、ちゃんと、
     柔らかな葉を潜めています。
     縮じんだ葉は、
     少し冷たい風と、陽光の中で、
     爽やかな緑の手になるのですね。

     (前回の続き、六義園裏庭園のもみじです。
      もみじは何と言っても、秋の紅葉。
      でも、私は、この春先の新芽が、それに負けないぐらい
      すばらしい情景をつくってくれるのではないか。
      と思うことがあります。)
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もみじの新芽(1)
















     きっと出ている、
     と期待して行くと、
     やっぱり、今年も、
     約束通り、
     もみじの新芽に、
     会えましたよ。
     生命の力を、
     感じさせてくれる、
     芽吹きに、
     何となくの憂鬱を、
     少し軽くして、
     帰ってきましたよ。

     (毎年、心待ちにしている、六義園裏庭園のもみじです。
      今年も新芽に会えました。)
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波と龍


















     江戸時代も半ばを過ぎ、後半に入る頃、房州(千葉県)に、
     武志伊八郎(初代)という彫物師がいたという。
     房総南部を中心に、神奈川や江戸の神社や寺の欄間
     彫刻などに優れた作品を残した。
     特に、波と龍の彫物を得意とし、「波の伊八」と称された。
     9歳年下の葛飾北斎の富岳三十六景の波の絵、あの
     「神奈川沖浪裏」に多大な影響を与えたと言われる。

     武志伊八郎の残した彫物を有する二つの寺を訪ねた。
     飯縄寺(いずなでら)と光福寺である。
     圧倒的な波と龍があった。今は静かな山村の寺に、
     こんな存在が残されたことに不思議と驚異を感ぜざるを
     得ない。

     (1~5枚目は、夷隅郡岬町和泉の飯縄寺。宗派は天台宗だが
      飯縄大権現(天狗)を祭る、神仏習合の姿を残す。
      江戸時代の初め、家康の神号に大権現を推したあの天海大僧正
      (同じ天台宗の僧)に所縁があるという。
      また、この地は、義経伝説を伝える。天狗と牛若丸の彫物は、
      その証という。以上は、ご案内いただいた村田ご住職のお話し。
      なお、5枚目は、江戸末期の代表的な鐘楼。多くの動植物
      の彫物は初代伊八より一世代後の彫工の作。
      6~8枚目は、夷隅町大野の光福寺(日蓮宗)。
      小高い山の上の寂しい佇まい。祖師堂に、伊八の傑作と
      言われる龍がある。山門の梅が散りつつあった。)
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