厳島神社、五重塔周辺
















     厳島神社、本社本殿の横、小高い丘の上に聳える、朱色鮮やかな五重塔。
     室町時代前期1407年の建立。(現存する五重塔としては、古い方から数えて、
     10番目、中国地方では福山、明王院五重塔に次ぐ。)神社本殿の陰に隠れて
     注目度は高くはないようですが、分厚い桧皮葺きの屋根、その軒先の反りの
     大きさ・・特徴のある見事な塔なのです。禅宗様に和様を加えた様式と言われ
     ます。細かく見れば、初期禅宗様の特徴、木鼻に明王院と共通の渦巻き模様が
     見られたりします。国重文指定。
     神社に五重塔・・?と思いますけれど、明治初年の神仏分離令までは、長らく、
     神仏習合にならい、他の神社と同様、厳島神社の境内にも多くの仏教建築が
     建っていたのです。
     五重塔の隣にある、通称千畳閣。1587年豊臣秀吉の発願により着工、未完の
     ままとなった大経堂なのです。ここも明治以来、仏像を寺に遷し、厳島神社末社、
     豊国神社となっています。板敷きの大広間、夥しい数の奉納絵馬が目を引きます。
     丘の上から、樹の枝を通して、厳島神社の回廊が見えてきます。
     ここでは、神の使い、鹿さんが餌をねだって、すりよってくるのをかわし、焼蛎と
     もみじ万頭の匂いに耐えて、参道を歩くのです。
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岩国、錦帯橋を渡る
















     増水時の水流の激しい錦川に、流されない橋を架けることは、江戸時代、歴代の
     岩国藩主吉川氏の切なる願いであったといいます。1673年初代の橋が竣工し
     ますが、翌年の大洪水で流され、より堅牢な橋を再建。この二代目の橋が276年
     もの間、よく激流に耐えてきたのです。昭和25年の台風により流された橋の記憶
     は、まだ、お年寄りの頭に残っています。これまでの橋の構造のまま、直ちに再建
     された橋、それが今見る三代目だそうです。
     長さ210m、幅5m、橋脚の高さ5.6m。
     橋の周囲は、春は桜、夏は鵜飼いと花火、秋は紅葉、冬は雪景色・・春夏秋冬、
     多くの観光客を集めているのです。

     (紅葉の終わったこの時期、橋以外特に見るものはありません。でも休みの日
      には、若い二人連れも、おっさんも、おばさんの団体も、たくさんの人が訪れます。
      この橋、とても歩き難い・・と思われるかもしれませんが、実際歩いてみると、それ
      ほどでもないのです。みんな、みんな、エッサホイサで渡ります。)
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播磨、朝光寺、雨の山で
















     鹿野山朝光寺、兵庫県加東市畑(旧加東郡社町)にある真言宗の寺である。
     播磨平野は仏教文化のメッカであったかもしれない。浄土寺、一乗寺、鶴林寺、
     円教寺、そしてこの寺。古く、立派な寺が並びたつ。
     朝光寺は、一乗寺と同様、法道仙人の創立と伝えられる。もと裏山の権現山に
     あったが、1189年現地に移されたという。
     まさに幽谷の中に忘れられたように潜んだ古刹。
     本堂、方七間、寄棟造、本瓦葺きの堂々たるお堂。和様を基に扉の桟唐戸、
     柱上双斗の木組みなど禅宗様を採り入れた折衷様式の密教寺院、室町時代
     初期の建造とされる。向拝は1829年の後補。内部は、中世仏堂の典型の通り、
     礼堂と内陣に分けられ、格子戸で仕切られている。国宝である。
     鐘楼、本堂より古い鎌倉後期の建築様式を示すという。これほど素晴らしい屋根
     の線を持つ鐘楼も珍しい。国重文に指定されている。他に、多宝塔がある。

     (山中の舗装道から、谷川に沿う山道に入る。雨音に混じって聞こえるせせらぎ。
      川は一面落葉に埋まっている。その周囲に、つくばねという珍しい植物が群生す
      る滝が見えてくる。やがて山門の石段。恐ろしい形相の仁王がおられる。語るの
      は止めよう。広い境内に堂々とした本堂の佇まい。光輝く礼堂の床に座ってお参
      り、ついでに暫しの雨宿り。誰にも会わない。たった独り、山中の寺で。)
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播磨、一乗寺三重塔、雨模様
















     法華山一乗寺、兵庫県加西市坂本にある天台宗の寺である。
     西国三十三霊場、第26番札所でもある。この播磨の地に25番清水寺、27番
     円教寺と天台宗の3つの寺が近接する。巡礼は最西端の円教寺より北に転じ、
     京都宮津の28番成相寺に向う。
     この寺、650年インド、マカダ国の僧、法道仙人の開基という伝説を有する。
     実は、この播磨一帯、法道仙人を開祖と伝える霊場が60を超えるという。
     山岳密教の行者集団の活動が想像されるのである。
     本堂に至る長い石段の中間、岩盤の上に国宝の三重塔がある。平安末期の
     1171年の建立という。国宝・重文指定の三重塔は全国で56を数えるが、この
     塔は古い方から6番目と言われる。初重周囲の板張りの縁、独特の蟇股(中尊
     寺金色堂と同様の形式)など古代から中世への移行期の特徴を持つ和様の塔
     という。屋根は上層に行くに従って小さくなっており、どっしりとした安定感のある
     優美な塔である。日本三大三重塔の一つに数えられる。

     (小雨のなか、名残りの紅葉の下、落葉を踏んでのお参りとなった。西国霊場の
      札所であるが、参拝の人は見掛けない。深山幽谷の雰囲気は一入である。
      門前に唯一軒ある喫茶のお店。「お茶をお接待しまーす」と女性の声に呼び止め
      られる。四国遍路以外で聞く、この「お接待」という言葉、懐かしい。
      「いやいや、札所巡りではないんです。国宝のお寺を訪ねているので・・」
      お店の女性、近隣の播磨のお寺のこと、さすがに詳しい。すっかり話込む。
      雨が強くなってきた・・。次の朝光寺に向う。)
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播磨、鶴林寺夕暮れ
















     刀田山鶴林寺、加古川の市街にある天台宗の寺である。
     聖徳太子がこの地に来て、創建したという聖霊院が、この寺の前身と伝えること
     から、播磨の法隆寺と呼ばれることもある。9世紀始め、慈覚大師円仁の来寺
     より天台宗となり、奈良時代以降各時代の文化財を護持し、今に伝えている。
     太子堂は1112年の建立という。聖徳太子との所縁により、この名で呼ばれるが、
     本来は、本堂を挟んで西にある常行堂と対をなす法華堂である。天台宗法華堂
     として、日本最古の建物。北面を除き殆どを蔀戸で囲む、純和様である。前面に
     孫庇を一間幅で通り庇として設けるため、見る角度によっては、やや異様な感じ
     もある。常行堂は、太子堂とほぼ同時の建立。もと桧皮葺きであったが、1566
     年瓦葺きに葺き替えられた。
     本堂は1397年の建立という。外周りを桟唐戸で囲み、柱上の組物は尾垂木入り
     の二手先組、中間に板蟇股を置く。和様に大仏様、禅宗様をとり込んだ数少ない
     建築例という。(和様、大仏様、禅宗様ともに、元々中国から伝えられた建築様式、
     和様は、最も古く奈良時代に輸入され、日本で咀嚼、変容を遂げ平安時代には、
     ほぼ定型化した建築様式である。)
     太子堂、本堂は国宝、常行堂は国重文に指定されている。
     写真上より本堂(2枚)、常行堂、太子堂(3枚)、三重塔の影である。

     (加古川の鶴林寺を訪ねたのは、弱い冬の陽が、早くも傾きかけた午後でした。
      著名な寺だけあって、本堂の中には、納経所もあるが、お参りする人の影はない。
      僧衣の若い女性達は、世間話に余念が無い。
      夕暮れのほの赤い光が境内を覆う。太子堂の蔀戸の永遠を想わせる格子紋様、
      投げかけられた夕陽の影が、一際印象に残った、鶴林寺でした。

      国宝建築物シリーズ、中国地方を出て、ついに兵庫県に入りました。もっとも、
      小野の浄土寺は昨年5月にお参りしましたが・・。あと二つのお寺があります。
      詰まらないけど、がまんです。)
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