おはなはんが住んだ街?、伊予大洲


















          「おはなはん」は、昭和41年のテレビドラマ。林謙一が、母の半生を綴った小説がその原作。
          もう随分昔のことだから、知らない人の方が多くなったでしょうが、私にとっては、結構鮮やか
          な色の記憶として、心のどこかに残っているのです。おはなはんは、樫山文枝、軍人さんの
          夫は高橋幸治でした・・。
          「おはなはん通り」という名の街があるって・・。愛媛県大洲を訪ねました。
          大洲の古い街の一角。その通りの近くには、明治に建てられた銀行の赤い煉瓦の建物が
          残されています。赤い煉瓦の色とランタン飾りのマントの人影・・限りなく優しい風情です。
          その建物の裏手には「ポコペン横丁」という昭和30年代の風を売る店が並んでいます。
          そして、おはなはん通りはその先です。
          実は、本当の「おはなはん」は、ここではなく徳島に住んでいたのだそうです。では、なぜ・・
          テレビドラマのロケがこの地で行われたこと。これが通りの名の由来なのだそうです。
          まだ明るい時間、寄った喫茶店の若い女性。
          「住んだ家は今はもう残っていませんけどね・・」
          おはなはんが、実際に住んでいたという話し口。ひょっとしたら、ほんとにそうだと思っている
          のかも・・。
          この通りは遍路道にもなっています。「わたしはもう二度もこの前を歩いたことあるんですよ・・」
           「あら・・、おへんろさんにも時々寄ってもらえますよ。こんど歩かれたときはぜひ・・」
          土蔵と古い家並に囲まれた通りは、もう夕暮れ。
          赤い提灯に誘われて、ちょっといっぱいやりますか・・。
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ふるさとの家と蔵と・・赤い実
















          実は、私のふるさとの家というわけではありません。
          でも、それととっても近い場所だし、
          想い出すようなものが、やたらとたくさん
          あるものだから・・。

          長い塀に囲まれた荒れた庭があって、
          そのなかには、納屋があって、木小屋があって、
          家の後ろは竹藪。
          家のガラス戸の前には、きっと赤い実。
          その前で遊んだ、隣家の大きな白壁の蔵。
          怖かったような、懐かしいような、数々の記憶・・。
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鞆の浦、古き港街の想い


















     古くから、瀬戸内海の風待ち、潮待ちの港として栄えた鞆の浦(とものうら)。
     (現、福山市鞆町) 先ずは港の最も先端、小高い丘にある対潮楼(真言宗福禅寺
     客殿)に上って、向かいの仙酔島と海の景色を眺めねばなりません。ここは江戸
     時代を通じて朝鮮通信使の宿所となったところで、使節団も景色を愛で「日東第
     一形勝」の書が額となって残されています。
     そこから、狭い道の坂を下って、江戸時代に北国や上方との物資の交易で
     賑わった街。船問屋、商家やその土蔵を眺めながら路地を歩きます。
     16種の薬味が入っているという、この地独特の保命酒の醸造元も目を引きます。
     蔵の中に真新しい乗用車があったりして驚かされるうち・・、またたく間に海岸の
     道へ。狭い道で干物を造ったりして。かもめが群れ飛ぶ、真っ青な空でした。
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奥出雲の深い秋、櫻井家住宅


















     島根県奥出雲町。この地に、古く6世紀後半に朝鮮半島から伝えられ、江戸時代
     中期に完成を見たという「たたら製鉄」。(たたら(踏鞴)とは送風装置の
     鞴(ふいご)のこと。)アニメの「もののけ姫」でたたらで鉄を吹く場面が出てきた
     ことを想い出しますね。
     江戸時代、そのたたら製鉄を営んだ、鉄山師頭取、櫻井家住宅が残されています。
     天文3年(1738)に建てられた主屋を中心に、江戸、明治、昭和前期までに建設
     された後屋敷、土蔵(7棟)、物置(3棟)が並ぶ。江戸時代、藩主松平公の度々の
     来訪のため、御成座敷や庭園も整備されたといいます。主要建物は国重文指定。
     製鉄に係るものは見られませんが、ガラスが多用された建具が目を引きます。
     御成座敷を囲む、あの「揺らめきガラス」の向こうに庭園が見えます。山より滝を
     下った水は池に注ぎ、屋敷を取り巻く石垣の下から水路に迸っていました。
     土蔵の前の柿の葉が色付いていました。柿の実は一つ残らず取り込まれて、
     軒の下を飾っていました。奥出雲の静かな、深い秋の日でした。
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中門造りの民家を見る


















     芸北町西八幡原(現広島県山県郡北広島町)もう、一山越せば島根という広島
     県の最奥部。中門造り(ちゅうもんづくり)の民家を見に行く。
     この中門造りという家は、向って右側に主家より前面に張り出した中門と呼ばれ
     る部分を持つ。ここは、便所、下肥貯蔵所、干し草置場、木小屋として利用され、
     雪深いこの地の冬の生活の便が考えられているという。東北地方に見られる
     曲がり屋と似ており、雪の多い地域に住む人の知恵が生んだ共通の様式なの
     である。江戸時代中期、天明期の建築と言われる。
     ここは、樽床ダムの湖畔。ダムの底に沈んだ村には、中門造りの民家がいくつか
     見られたという。この清水家住宅はそのうちの一つ。解体され、展示建築として
     湖畔に移築された。
     家の周りには、オミナエシが咲き始めていた。青い空と緑に囲まれているけれど、
     住む人の無い寂しさは覆いようもない。
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