四国遍路の旅記録(平成18年)第4回 その8

5月13日     結願の寺、そして與田寺で


天候:雨
7:10 Nさん、Kさんとともに結願寺88番を目指して宿を出る。
Mさんの見送りをいただく。雨である。

前山ダムの傍の「おへんろ交流サロン」に寄る。
ここは、ロータリークラブの運営で遍路に関する様々な資料が展示されている。
歩き通した遍路にのみ与えられる「遍路大使任命書」なるものを戴く。
そこにはこうある。「・・約1200kを完歩され、四国の自然、文化、人との触れ合いを体験されたので、これを証するとともに四国遍路文化を多くの人に広める遍路大使に任命・・」。さすがに、宗教色を抑えた書き方。
番号1573号。(6月末で更新されるので、年間の数が推定できる。)
代表の木村さんとお話をする。私が東京ということで、葛飾区在住のTさんが纏められた東京の88ケ所霊場「南葛88ヶ所」の資料も戴く。
東京にも四国に倣った88霊場があるのだ。

雨のため、木村さんが県道を歩くことを強く勧める。
女体山越えは諦め、3人(といっても私は屡々遅れるパターンだが)で県道を行く。
道の傍らに石仏が多い。
草に埋もれるように山頭火の句碑がある。気付く人は少ないであろう。

もりもりもりあがる雲へあゆむ

女体山が雲に霞んでいる。
ちょっと不精な案内犬?に出会う。暫く我々の前後をちょろちょろしていたが、いつの間にか姿を消した。

道傍の石仏

山頭火の句碑

女体山が霞んでいる

案内犬?(遍路はNさん、Kさん)

やがて大きな山門が見えてくる。「四国霊場結願所」の石塔。
12:00ようやく88番大窪寺に到着。
さすがに多くの遍路や参拝者で賑わっている。
本堂と大師堂で何度も何度も般若心経を唱える。
納経所で納経帳の終りのページを埋めていただく。
思わず「ようやくここまで来させていただきました。長かったです・・」。
納経所のお坊さんは無言であった。結願所での私の思い別欄「コラム」に。

門前の宿は満員で泊まれない。
Nさんと私は、9k先の白鳥温泉まで歩く。
その入り口の道が工事中でウロウロするが、星越峠を越える。
短いが久しぶりの八丁坂の山道。気持ちがよい。
16:30 白鳥温泉に到着。公営の立派な宿だ。観光客が多い。そうか、今日は土曜日なのだ。

大窪寺仁王門

大窪寺本堂

大窪寺大師堂

大窪寺の石仏


八丁坂を登る


八丁坂の道標

本日の歩行:42130歩

本日お参りした札所

第八十八番 医王山   遍照光院   大窪寺
本尊:薬師如来
宗派:真言宗大覚寺派
開山:行基
大師が唐での師・恵果阿闍梨から授かった印・中・日、三国伝来の錫杖を納めた。
その地が窪地の寺であることから寺号をとったという。
女人の入山を許したので、女人高野とも呼ばれた。
第88番の札所。宿願成り「結願寺」という。

江戸時代の僧真念の「四国遍礼功徳記」には、遍路の起こりを考える上で興味深い話が載っている。ちょっと長くなるが、引用する。(口語訳の出典は、別掲)

「空海の遍路道程は四百八十八里と伝えられている。昔は横堂すべてを拝み巡り、険しい道を乗り越えて、谷深い葛屋にまで食を乞いつつ歩いたためだろう。
今は空海ほど宗教的才能がないにもかかわらず、わずかに八十八カ所だけを巡拝し、大道を安楽に通ることができる時代だ。このため三百余里の道程となっている。
巡礼の起源は明かでない。しかし、その功徳は経典に説かれている。素晴らしい高僧が昔錫杖を持って徘徊した場所も、現在では人馬の往来が盛んになっている。空海は唐で仏道を修め、鯨寄る辺境の浦、善知鳥が飛ぶ僻地の浜にまで、善を勧め悪を懲らした伝説の跡を残した。例えば、こんな話がある。
福島、会津の貧しい者が行脚の修行僧に宿を貸した。元来が塩の乏しい土地柄だったが、何も馳走を出せない貧者は、以前に一包みだけ入手できた塩で僧をもてなそうとした。屋根裏に大切に吊って、いた塩は、いつの間にかなくなっていた。
旅の僧は、貧者の志を感じ、五鈷杵で加持した。すると直径八尺もある楠の株虚から塩水が湧き出て、井戸となった。井戸の底には、梵字を記した石が見えた。
驚いた貧者が僧侶に素性を尋ねたところ、「四国の辺りを彷徨いている者です」と答え姿を消した。どうやら行脚僧は、空海であったらしい。
里の者は、お礼をしようと皆で四国遍路に出かけた。以後、ますます井戸は盛んに塩水を出した。里人は塩水から製塩し、売り捌いた。このため耕作を怠け、収穫が上がらなくなった。かわりに領主は、製塩に税金を課した。井戸は塩水を出さなくなった。
里人は税金を課されたためかと考え、とりあえず領主には猶予してもらい、十七日間の予定で、里人全員で四国遍路をするから再び塩水が湧出させてほしいと、空海に祈った。
三日目、元通りに塩水が湧き出た。里人は四国遍路に赴いた。……との説話が残っている」


コラム「出会い」  結願所で、それから・・

1番札所霊山寺を出て、13ヶ月余り、4回の区切り打ちでこの結願所88番大窪寺の門前に立つことができた。
長い道のりだった。

「あるいは・・涙が・・」と予期していた結願の感慨が強く湧いてくることが無いのだ。
私の宗教的心情、そう・・信心の至らなさによるのかもしれない。
門前の店で、暖かい葛湯の接待を受け、少し放心したような気持ちでベンチに座っていた。
Sさんが現れる。ビールをうまそうにあおる。普段にも増して弾んだ声。
門前の石段を下りて来るYさん。満面の笑顔。抱き合わんばかりに交わす握手。

「おめでとう・・おめでとう・・」

そんな遍路仲間の声を聞き、笑顔に会い、私は結願の喜びを感じ始めていたのである。

大窪寺門前からそれぞれの郷里に帰る者、高野山を目指す者。遍路仲間を乗せたコミュニティーバスに手を振る。
残されたNさんと私は、白鳥温泉まで歩き、更に翌日、88ヶ所総奥の院の呼ばれる與田寺にお参りした。
道中、宗教の話、お寺の話、様々な話をした。
ちょっと風変わりなNさん、お互いそんなに気が合う同士とは思えなかったのだが・・。
人影もない與田寺の境内で別れた。
Nさんはこれからまだ徳島、高知を歩き40番まで行くという。私は今日中に広島に行かねばならぬ用事があり、三本松駅から電車で1番札所に行く。

「いろいろ楽しかったですよ・・」「気をつけてがんばってなー・・」 

がっちりと握手をして別れた。
寂しさとともに、何がしか満たされた心を感じながら。


與田寺の境内で



第4回四国遍路の旅を終わって
昨年3月末より始めた私の四国遍路の旅は、この4回目の区切り打ちで、その経路から大きく外れない別格札所や番外霊場を含め88ケ所の札所の総てをまわらせていただき、結願を迎えることができた。
万歩計の読みを合計して概算すると、約1270kmとなる。
足弱のわたしにとって、正直、よく歩いてこれたものだと思う。

私は、巡礼の旅とは、「自然と風土と人との出会い」だと思っている。
美しい海、海岸、山、季節それぞれの花々、路傍の石ぼとけ、地元の人のご努力で見事に維持されている遍路道、そして多くの人の暖かい心との出会い。
想い返せばますますその色を濃くする。
それは、それは幸せな日々であった。
出会った皆様に心よりの感謝をもうしあげたい。

これからどうするか。当面、高野山と京都の東寺へのお参りが残されている。
それからは・・。
私の巡礼の旅は、終わらない。体力と気力の許すかぎり、この懐かしい四国の地に戻ってくることになるだろう。きっと・・。


第3、4回区切り打ち全行程

 月 日   歩数  地図距離(km) 歩行距離(km)  参拝札所(番外霊場は省略)

3月28日 33421             22.7    (栴檀寺)(道安寺)
3月29日 39597             26.9    別格10番興隆寺、別格11番生木地蔵、61番香園寺、
                                62番宝寿寺、63番吉祥寺
3月30日 41527             24.9    60番横峰寺、(極楽寺)
3月31日 37910             25.8    64番前神寺

5月 6日 42502   27.0      28.9    別格12番延命寺
5月 7日 37545   19.3      22.1    65番三角寺、別格14番常福寺
5月 8日 50737   27.1      27.7    66番雲辺寺、67番大興寺、68番神恵院、
                                69番観音寺
5月 9日 43450   23.5      26.1    70番本山寺、71番弥谷寺、72番曼荼羅寺、
                                73番出釈迦寺、74番甲山寺、75番善通寺
5月10日 47113   27.4      32.0    76番金倉寺、77番道隆寺、78番郷照寺、
                                79番高照院、80番国分寺
5月11日 54033   25.9      33.3    81番白峯寺、82番根香寺、別格19番香西寺
                                83番一宮寺
5月12日 49679   26.1      29.3    84番屋島寺、85番八栗寺、86番志度寺、
                                87番長尾寺
5月13日 42130   24.4      28.6    88番大窪寺  (與田寺)(5月14日)  

             200.7     228.2                            
               第4回平均   28.5km/日
          注)歩行距離はこれまでの経験から、平地0.68m/歩、山道0.6m/歩を乗じたもの。

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四国遍路の旅記録(平成18年)第4回 その7

5月12日     源平戦いの跡

天候:晴れ後曇り
6:15 宿を発ち、早朝の高松市街を歩く。
途中でNさん、Kさんと会う。私は足が遅いのだが、どういうわけかこの二人と一緒になることが多い。これは、88番結願所まで続く。
屋島への登り道、多くの観光客とすれ違う。
屋島御加持水食わずの梨という大師に因んだ霊場を通る。食わずの梨は、大師が梨を所望するが、農夫が「食べられない梨だから」と断る。すると以降本当に食べられない梨になってしまったという伝説があるところ。
似たような話、確か高知の方でもあったなー。あっちは芋だったかなー。ケチするとバチが当るんだなー。

9:15 84番屋島寺に着く。
今日は珍しく天気がいい。それもあってか、この寺の広い境内、鮮やかな色の本堂、開放感は一入である。
白髭、半ズボン姿のオーストラリア人遍路に会う。金剛杖ではなく、仙人が持つような曲がった杖を持っている。話は全部英語、それも早口だから殆ど理解できない。笑って調子を合わせるだけ。

屋島の展望道をNさんと半周する。晴天のもと、島々の重なる瀬戸内海の青さが一際美しい。
屋島からの下り道は、おそろしく急な山道である。片目の視力が弱い私の最も苦手とする道。一歩一歩、亀の如く進む。
その横をマシラの如く駆け抜けるのは果たして・・オーストラリア人だ。
足元は何とゴム草履。何か訳のわからぬ奇声を発する。「つー ふぁーすと・・」と返すが、届かず、瞬く間に姿を消した。


御加持水


屋島寺への道


屋島寺山門


屋島寺本堂

屋島より見る瀬戸内海

屋島より五剣山を望む

屋島を下ると、源平の屋島の戦いに因んだ旧跡が多い。
義経の身代わりとなって討ち死にした佐藤継信の墓、安徳天皇社など。
壇ノ浦に近い、洲崎寺に寄る。
ここには、江戸時代の「四国遍礼道指南」の著者、僧真念の墓がある。
これは昭和48年、近くの牟礼町南三味で発見され、ここに移された。
周りの石に「現在の88ヶ所の札所番号は真念法師が付けたもの・・」と刻まれている。えっ、そうだったのかと思いあたる。

五剣山の中腹にある、八栗寺への坂を登る。
歩道に並行してケーブルカーがあり、駅の前で数人の遍路が待っていた。
11:30 85番八栗寺に着く。
ちょっと不思議なのは、山門の前に歓喜天の鳥居があり、これをくぐる。寺の境内の中ほどにお社もある。
本堂でお参りして大師堂に向っていると大勢の団体遍路。先頭の案内人が納経帳を乗せた一輪車を押している。「これはいかん」と納経所にとって返し、先に納経を済ませる要領の良さ。(ズルか?)

屋島を下る(遍路はNさん)

佐藤継信の墓

安徳天皇社

真念の墓

歓喜天の鳥居(八栗寺)

八栗寺山門


たくさんの遍路さんが来る

八栗寺本堂

八栗寺を下り、六万寺にお参りする。
ここは行基の建立になり、六万の小仏像が安置してあったとか、源平合戦の折、安徳天皇のご在所になったとか、由緒ある古寺である。
今はちょっと寂しい佇まいだが。
讃岐牟礼から海岸に沿った道を行く。平賀源内記念館・住居を過ぎ、地蔵寺に寄る。
14:25 86番志度寺に到着。
門前でまたまたSさんに会う。今日はこの近くに泊まるという。

Nさんと同行して、長尾寺に向う。道の左方、岡の上にハリウッドばりのオレンジタウンの看板。緑の中に点在する住宅。新しい街なのだろう。
途中、玉泉寺(87番奥の院)に参る。盛りはまだだが、藤の古木が見事である。お参りのおばちゃんからみかんを1個いただく。

16:15 87番長尾寺に着く。広い境内のお寺である。
荷物をベンチに置いて納経所に行くと「あれあなたのリュックでしょ、置いておきましたから」。意味わからず、曖昧にお礼をいう。
明日の女体山越えの道の様子を聞く。「今は子供達のハイキングコースになってるぐらいだから、そんなにきついとこじゃないよ」と仰る。
ベンチに戻ると、「長尾寺名物甘納豆入りおはぎ」が置いてある。改めて納経所に向って頭を下げる。これが、なかなかうまかったのだ。

六万寺

平賀源内記念館

志度寺門前

志度寺本堂

志度寺大師堂の絵

長尾寺山門

長尾寺

16:45 門前の民宿ながお路に入る。Nさん、Kさんも一緒だ。
同宿は二人の他に、何と民宿岡田さん以来のMさん。
今日88番で結願し戻ってきたという。この人は足が速い。さすがに歩き過ぎで足を痛められた様子だが・・。
夕食は、Mさんの結願祝いを兼ねて盛り上がる。

本日の歩行:49679歩

本日お参りした札所

第八十四番 南面山   千光院    屋島寺
本尊:十一面千手観音菩薩
宗派:真言宗御室派
開山:鑑真
鑑真が唐より奈良に向う途中、霊場を開いたのは屋島北岸であった。
大師が訪れ現在の南嶺に一日で堂を建てようとしたところ、間に合わず日が沈みかけた。大師は日没を遅れさせ、堂を完成したという。

第八十五番 五剣山   観自在院   八栗寺
本尊:聖観音菩薩
宗派:真言宗大覚寺派
開山:空海
この寺のある五剣山は、昔五つの峰があったが、宝永三年の地震で東の二峰が中腹から崩壊した。
大師が求聞持法を修したとき、五振の利剣が空から降ってきたため、五剣山と称するようになったとも伝える。
大師が唐へ留学に行く前試として焼栗八枝を植えたことが寺名となったという。

第八十六番 補陀楽山  清浄光院   志度寺
本尊:十一面観音菩薩
宗派:真言宗善通寺派
開山:藤原不比等
天武天皇の時代、大臣藤原不比等が建立したと伝えられる。伝説多い古刹である。

第八十七番 補陀楽山  観音院    長尾寺
本尊:聖観音菩薩
宗派:天台宗
開山:行基
讃岐国司を務めた菅原道真は、当時の住持・明印と詩友だった。このため菅公の自画像を鎮守とした。
建久3年 静御前と母が参詣し、宥意に就いて剃髪したという話が伝わる。母が讃岐出身であったため、この寺で剃髪した話もあり得ることである。

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四国遍路の旅記録(平成18年)第4回 その6

5月11日     お接待の心

天候:曇り時々雨
6:45 宿を出る。
白峯寺への坂道をKTさんと登る。この人は野宿主体だから、荷物は20k近くなる。
普段からリュックにおもりを入れて歩く鍛錬をしているという。
逞しい体付き、ワシとは心がけが違うワイ。
突如、猛烈な勢いで山道を登ってくる若い男がいる。
山道を登り切った休憩所でKTさんと3人で少し話す。北海道から来ている。リアカーを引っ張ってまわり鉄道の駅などで寝ている。札所に行ってもお参り、納経はしない。昨夜は駅に寝ていて3時間も警官に問い詰められた。「へんろしてまわっとるのにアッタマきたベ」と怒っておる。
KTさんが私の耳元で囁く。「この男ちょっと変だ、かかわらんほうがいいぞ」。
うーん、このところこういったちょっと外れた遍路、増えているのかもしれない。考えさせられることである。

雨で足元の悪い道を通って、9:00 81番白峯寺に到着。
寺に隣接して、崇徳天皇白峯陵がある。ここにもお参り。
Nさん、KさんRさんも相前後して到着。オランダ君もいる。「おーす」手を挙げてあいさつ。山道途中の東屋で野宿したようだ。

白峯寺への道(遍路はKTさん)

白峯寺

白峯寺

白峯寺の石塔

谷川を渡ったり、けっこう荒れた山道を82番に向う。
横の道からひょっこりSさんが現れる。「よくへんなとこであいますなー」。これから白峯寺に向うという。
途中、夫婦遍路に合流したり、小学生の一団に会ったり。先生が山道の植物の説明をしている。子供達は現れた遍路に気をとられ、一斉に「こんにちは・・こんにちは・・」。賑やかなこと。

県道に出たところ、高松付近の瀬戸内海が遠望できる。
11:00 82番根香寺着。
ここの本堂はちょっと変わっている。回廊を一周してお参りする。

根香寺への道

高松付近の海が見える

根香寺山門

根香寺

ここから、別格札所香西寺を目指して山道を下る。
山道の途中、高松の街の向こう美しい瀬戸内海が見える。
88札所以外の道に入ると、遍路マークは急激に少なくなる。
香西寺までの間、私が見つけたのは1箇所のみ。従って迷いに迷う。おそらく2、3kは遠回りしたであろう。道を聞こうにも通る人もいないのだから。
13:20 別格19番香西寺にたどり着く。
新しい本堂を建設中でお参りできないのは残念。

広い県道177号を行く。遠くにちらっとKTさんの大きな荷物を見た。
鬼無の駅の傍を過ぎ、田舎道に入る。
道を曲がったら、ちょっとした広場でオランダ君がコンビニで買った食物を拡げて休憩しているのに出会う。
「きょうは、どこまでゆくのー」
遍路地図の一宮寺あたりを指して、「このへん・・」と言う。野宿できるとこあるのかなー。

香東川の河川敷きの道を歩く。
KTさんが追い付いてきて、15:50 83番一宮寺に到着。
じき、オランダ君も到着。KTさんは、オランダ君と一緒にこの近くの東屋で野宿することになったという。「よかったねー」、オランダ君、ニコニコしている。
一宮寺には、地獄の釜音が聞こえるという石の祠がある。悪人が首を入れると扉が閉まって、首を挟まれる。団体遍路がひとりひとり試している。
ワシは品行方正じゃが、ひょっとしてということもある。決して試したりはしない。

私は、この先さらに5k歩き、高松市街のビジネスホテルに泊まる。18:00ビジネスパーク栗林に着く。

香西寺へ、山をくだる


高松市街と瀬戸内海


香西寺

一宮寺山門

一宮寺

一宮寺の遍路

本日の歩行:54033歩

本日お参りした札所

第八十一番 綾松山   洞林院    白峯寺(しろみねじ)
本尊:千手千眼観音菩薩
宗派:真言宗御室派
開山:円珍 空海
流罪の末に客死した崇徳院を、荼毘にふした場所である。陵もある。
天皇中心の近代国家としてスタートするため、明治政府が最初に行ったことは、崇徳院ら朝廷のため怨みを呑んで死んでいった人たちが祟らぬように祀り直すことであったという。このあたり、こういった霊場が数多くある。
寂本の四国遍礼霊場記には、「四方中央の五峰となっている霊場のうち、西にあるものを方位の色をとって白峰と呼んでいる。東の方位は青で象徴されるので、東に青峰があり、根来寺(根香寺)となっている。」との記述がある。

第八十二番 青峰山   千手院    根香寺(ねごろじ)
本尊:千手観音菩薩
宗派:天台宗系単立
開山:空海
智証大師が千手院を、弘法大師が華厳院を創建。これを併せて根香寺と号した。後白河上皇の祈願寺。
牛鬼と呼ばれる怪獣が人々を苦しめていた。弓の名手・山田蔵人高清が本尊に祈願し退治に成功したという。門前に、怪獣の像がある。

別格第十九番 宝幢山  香西寺
本尊:延命地蔵菩薩
宗派:真言宗大覚寺派
開山:行基
行基が刻んだ仏像の身中に弘法大師が尊像を刻み納めたという。ボケ封じの寺として知られる。現在、新しい本堂を建設中である。

第八十三番 神毫山   大宝院    一宮寺
本尊:聖観音菩薩
宗派:真言宗御室派
開山:義淵
義淵は行基の師に当たる。当初は大宝寺と称した。讃岐一宮田村神社別当。空海以前は法相宗だった。
境内に薬師如来を祀る石の祠がある。台座の下に地獄へ通じる穴があり、地獄の釜音が聞こえる。心がけの悪い者が首を入れると、扉が閉まるという。


コラム「出会い」  お接待について

 

前回までの遍路の旅であったのと同様、今回の旅でも、それはそれは多くのお接待を、戴いた。
しかし、四国の方々が、我々遍路に対してどのような気持ちで接待をされるのだろうか。私はその気持ちに応じて、接待を受けるに値する遍路なのであろうか・・、など接待を受ける度に、いくらかの戸惑いを感じることが多かったのも事実なのです。

四国における接待の風習は、背中に南無大師遍照金剛と墨書し、金剛杖を持つ遍路は、弘法大師の化身、あるいは同行者であり、遍路に接待することは、お大師さんに接待すると同じ功徳があるとする信仰にもとづくといわれる。
さらば、遍路は皆、大師の化身と見做していただけるほど立派・・、いや、少なくとも宗教的心情の片鱗でも持ち合わせているのであろうかと思ったりする。
亡くなった子供の写真を首から提げてお参りしている遍路にもお会いしたことがある。また、外見にはそれとわからぬが、亡き妻の菩提を弔うことが目的で、四国を歩く人と同宿したこともある。
しかし、私がお会いした多くの歩き遍路は、そういった明確な動機を持つ人ではない。無論、私を含めて。
こうした多くの歩き遍路よりも、お坊さんや立派な先達に率いられ、札所で声を合わせ熱心に読経するバス遍路の方が、宗教性という面ではづっと優っているのではないかと思わせられる。
この日会った人のように、自らは遍路であると意識しながら、お寺にお参りもしない、その地の人に自分がどのように映っているか、迷惑をかけてはいないか、そんなことには全く頓着しない歩き遍路は、最近増えているのではないだろうか。

四国と本州が三つの橋で結ばれ、交流が繁くなるに従って、四国の人の遍路に対する心情も変わってくるであろう。
暑い陽光の照り返すアスファルトの道で、スポーツドリンクをお接待いただいた若い人と話しをしながら、つい聞いてみた。
「大変失礼なことを聞きますが、どうして私のようなものにこうして接待していただけるのでしょうか・・」
「お大師さんのごりやくを期待しているわけじゃないですよ。こうやって汗を拭きふき歩いている人が少しでも楽になってもらえれば、自分の気持ちがすっきりするじゃないですか・・」。

歩いていると、子供達から「こんにちはー」と声がかかる。
すれ違う人の暖かい視線と励ましの言葉をいただく。
軽トラとすれ違う。運転している人は、片手を挙げて明らかに私に向って合掌している気配なのだ。
遍路道をゆっくり歩いていて、また、道傍の石に座って休んでいるとき、現れたお年寄りが、心を開いて、自らの信ずるものを静かに語られる。
こういった心のお接待は、金や物の接待にも増して有難いものと思わせられるのである。
四国を歩かせていただくことの最大の喜びは、このあたりにあると感じる。

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