小豆島霊場巡礼日記(その7)

この日をこの度の旅の最終日とすることにしました。結局19の札所は参ることができませんでした。あの中山千枚田が見える道は歩いておきたい。これは強い拘りです。中山に。

43番浄土寺(本尊 阿弥陀如来、納経 37番)。石段を上り左手奥にあるのがコンクリート製の本堂。京都工芸繊維大学の藤原義一博士の設計、昭和43年の建立という。また、右手にある茅葺寄棟造の建物が書院。内部には桃山時代の遺構もあり、古い書院造の格調高さが伺えるという。


浄土寺

 浄土寺本堂

 浄土寺書院と地蔵寺堂

45番地蔵寺堂(本尊 地蔵菩薩、納経 37番)。元々西中山に在った地蔵寺が解散され、浄土寺境内に移し存続されたという。

浄土寺、地蔵寺堂にお参りし、ご朱印を貰う段になり戸惑います。手持ちの小豆島霊場の案内書では、次の湯舟山を含め納経所は43番浄土寺と書かれているのです。浄土寺はどう見ても無住のようだし、納経所も見当たらない・・思い余って門前のお宅を伺う。奥さんが出てこられ
「もうだいぶ前から人おられんよ・・寺の横を上がって農免道路ちゅうんかまで・・ものすごい坂でワシら上がれんで・・たいへんだの・・」とか。(昨日、37番明王寺でどっさり多くのご朱印を戴いたなかに43、45、44札所も含まれていたこと、気付きませんでした。)

 浄土寺横を通って湯舟山へ


急坂

 猪除け柵を開け、農免道路を越えて


湯舟山へ

44番湯舟山(本尊 千手観音菩薩、納経 37番)。明治までは蓮華寺と称する寺であったという。本堂の柿(こけら)葺(銅板が覆う)、また鎮守社の熊野権現、いずれも島内唯一。

 湯舟山本堂

 鐘楼

 鎮守社熊野権現

 境内の古杉、真柏、楠


中山千枚田が見えてくる。

毎年夏の夕、湯船山から始まる「虫送り」の行事。映画「八日目の蝉」の撮影を機に復活しました。(2021年は中止)松明に火を灯した行列が「トーモセ トモセ」と声を揃えて千枚田を下るそうです。見てみたい情景です。(「虫送り」については、四国遍路日記「平成24年春 その3」に少々追記しました。)


中山千枚田


中山千枚田


高所の作業(この辺りで標高230m、千枚田の最高所)もっと高い空・・

 栂尾山へ

 栂尾山かずら橋の跡

 地蔵菩薩

47番栂尾山(本尊 十一面観音、納経 46番)


栂尾山。洞内に奥仏殿があり本尊を祀る。

 阿弥陀堂と観音像


肥土山の集落、遠く海が見える。


岩大師堂と秋葉大権現社


山を下る

48番毘沙門堂(本尊 毘沙門天、納経 46番) 本尊とともに青面金剛も祀られる。庚申信仰のなごり。

 毘沙門堂

 毘沙門堂

46番多聞寺(本尊 薬師如来)。本尊薬師如来は行基菩薩の作と伝える(秘仏)。

 多聞寺鐘楼門

 多聞寺。山門後ろから地下不動堂に通じる階段があり、本堂前に出る。


肥土山の田畑の向こうに小豆島大観音の姿。この度の小豆島巡礼の初日に見た御姿。まがりなりにも島を一周してきたという一つの感傷を思う。

 円満寺へ

74番円満寺(本尊 十一面観音)行基菩薩の開基、本尊(秘仏)は恵心僧都の作と伝える。安阿弥作伝える阿弥陀三尊他多くの仏像を祀る。

 円満寺。樹齢400年というシンパクが聳える。

 円満寺

 東林庵へ

49番東林庵(本尊 地蔵菩薩、納経 54番)昔は満願寺と称する寺であったという。本尊は安阿弥の作と伝える。

 東林庵

 東林庵

県道から少し入った池の傍、50番遊苦庵(本尊 薬師如来、納経 54番)

 遊苦庵


修行大師像のある道を行く。

52番旧八幡宮(本尊 無量寿如来、納経 54番)。旧八幡宮とは渕崎の富丘八幡のこと。明治の神仏分離により、恵心僧都の作と伝える本地仏を祀ってこの地に移る。

 旧八幡宮

51番法幢坊(本尊 十一面観音、納経 54番)。かつて富丘八幡の別当寺であったが、52番と同様この地(法生院境内)に移る。

54番法生院(本尊 地蔵菩薩)広大な敷地を有し、境内に51番、52番、54番の札所がある。

 法生院

 法生院本堂

 法生院大師堂


法生院境内の大シンパク。高さ24m、幹周囲16m、樹齢二千年といわれる正に日本一のシンパクの大樹。見上げれば圧倒される迫力、樹の生気を感じとることができます。

 荒れた狭い道を行き、いくつかの猪除け柵を開けて・・

 観音堂、行者堂への山道。

55番観音堂(本尊 馬頭観音、納経 54番) 本尊馬頭観音は小豆島霊場中唯一。

 観音堂

56番行者堂(本尊 役行者(神変大菩薩)、納経54番)80mほどの高地、眼前の土庄のの街と海峡が拡がっています。私は未参の札所を多く残しましたが、多くの遍路にとっては結願の場所となるところでしょう。感慨を感じます。
私は観音堂で忘れものをして山道を往復したためヘトヘトで到着。フェリーの時間も迫っているし、それやこれやで写真も撮り忘れ・・

「プレトピア橋」まで歩いて、後はタクシー、あわただしく新岡山港行のフェリーに乗って小豆島を離れました。

見送られるような山上の大観音姿を何度も振り返りながら・・

                                     (12月10日)

ここで小豆島霊場遍路道地図を掲げておきます。公認霊場94箇所の他いくつか人気の霊場も含めました。巡礼日記の(その1)から(その7)までで参った札所は道筋を確認していますが、この度は参れなかった札所の道はちょっと不安です。ご容赦ください。

地図配置図
西1.2 (土庄町本町付近)
西1.3 (鹿島・小瀬付近)
西1.1 (伊喜末・滝宮付近)
西2.1 (馬越・見目・小海付近)
西2.2 (中山・肥土山付近)
中1.1 (大部・小部付近)
中1.3 (奥中山付近)
東1.1 (豆坂・吉田・福田付近)
東1.2 (福田付近)
東2.2 (当浜付近)
東2.3 (岩谷・橘付近)
東2.4 (苗羽・坂手付近)
東1.4 (苗羽・草壁付近)
中1.5 (堀越・田浦付近)
中1.4 (日方・水木付近)
東1.3 (寒霞渓付近)
西2.3 (東田・蒲生付近)
西2.4 (蒲野・吉野付近)

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小豆島霊場巡礼日記(その6)

坂手を発つ


坂手港を出るフェリー


目指すは神戸港か

体調が悪い。食事を受け付けない。こりゃマイッタ・・多くの札所を未参とすることに致しやした。
坂手から内海湾に沿って草壁の海岸に近い札所のみを訪ね、清水から水木の札所を経て早々に池田の宿に入り休養することにします。

10番西照庵(本尊 愛染明王、納経 8番)。元内海の亀甲山八幡宮が札所であったが、明治の神仏分離により本地仏の愛染明王がここに移って札所になったと言われる。

 西照庵

 西照庵

この辺り(苗羽)は醤油の造醸場が多い。「醤(ひしお)の郷」と呼ばれる。小豆島で最も活気に満ちた街路であり、代表的な美観を見せているように思われます。


醤油の街


醤油の街

 佃煮樽                               

 醤油樽

 醤油蔵


醤油蔵

草壁へ


石段の上お堂が見える。

23番本堂(本尊 釈迦如来、納経 21番)。街を見下ろす小高所にある立派なお堂。恵心僧都作と伝える釈迦如来、気品溢れる仏であるという。


本堂。屋根に獅子が乗っている。

 峯山庵へ。上り口に「阿字道」とある。

22番峯山庵(本尊 千手観音菩薩、納経 21番)


峯山庵。夥しい墓の山、そして地蔵。


峯山庵の鐘楼。街と内海港をみおろしている。

県道横の狭い道を通り

21番清見寺(せいけんじ)(本尊 大聖不動明王)。行基菩薩の開基と伝える古刹。春の「玖島桜」は著名。

 清見寺

 清見寺

細い道を左右して

 木下庵へ


木下庵へ

 石段上の地蔵

19番木下庵(本尊 薬師如来、納経16番)。ここも春の「白妙桜」が著名。

 木下庵

草壁地区ではここで打ち止めとしました。ここより東、北(寒霞渓に迫る)の未参の札所を示しておきます。
17番一ノ谷庵、16番極楽寺、15番大師堂、・・14番清瀧山、20番仏ケ瀧、18番石門洞(以上6ヶ所)


清水から日方の札所へ。

 日方へ

 日方へ

 日方札場の地蔵。江戸時代初期ここに切支丹禁教の高札があったという。

 五輪塔群。日方の鎌田氏は藤原秀郷の血を引く源氏の郎党で、
鎌倉時代、一族十八家を率いて小豆島に移住、廻船業を始めたと伝える。

 安養寺へ

24番安養寺(本尊 如意輪観音)。行基菩薩の開山と伝える。阿弥陀如来来迎図を所有する。庭に樹齢200年を超える椿(天然記念樹木)。

 安養寺

 安養寺


安養寺門前、誓願寺庵へ。

 誓願寺庵へ

 誓願寺庵へ


誓願寺庵へ


門前の地蔵

25番誓願寺庵(本尊 薬師如来、納経 24番)。昔は誓願寺という寺であったという。安阿弥作と伝える薬師如来を安置。


誓願寺庵

 誓願寺庵境内   

 櫻の庵への山道。


美しい竹林の道。

 御水の大師(阿弥陀寺奥ノ院大師堂)

 大師の御水(涸れることがない井戸)

 延命地蔵

 櫻ノ庵へ

27番櫻ノ庵(本尊 十一面観音、納経 26番)。眼前に内海湾が開ける。

 櫻ノ庵

 阿弥陀寺へ

26番阿弥陀寺(本尊 無量寿如来)。寺縁起によれば行基菩薩の開山という。

 阿弥陀寺

 阿弥陀寺

水木、道の駅があり、内海湾の海岸で憩う若者の姿を見掛けます。


水木の海岸 空にはクジラ!

 内海湾

 水木の海岸

ここより少し離れますが、池田上地の一つの寺(二札所)に参ります。

36番釈迦堂(本尊 釈迦如来、納経 37番)。堂は大永年間(1521~28)の建立。旧国宝、現重文(小豆島で唯一)。本尊釈迦如来は運慶の作と伝える。

 釈迦堂。このお堂の方が小規模ですが、四国49番浄土寺本堂とは建設年代も近く類似した所があるように感じます。屋根の形式、支える木組みの素晴らしさに魅了されます。


釈迦堂


釈迦堂


釈迦堂

37番明王寺(本尊 不動明王)。正安3年(1301)弘山上人の開山と伝え、元禄年間に再興。本尊不動明王は弘法大師の作、脇立の毘沙門天、弁財天は行基菩薩の作と伝える。

 明王寺

 明王寺

 明王寺


明王寺、釈迦堂

早々に池田の山上の宿に入ります。

ここで未参となった札所を挙げておきます。
池田から蒲生。38番光明寺、39番松風庵、35番林庵、42番西ノ瀧、41番仏谷寺、40番保安寺(以上6ヶ所)
水木から池田。28番薬師堂、29番風穴庵、30番正法寺、31番誓願寺、34番保寿寺庵、32番愛染寺、33番長勝寺(以上7ヶ所)



池田湾


対岸のホテル


池田港


日没

 日没

                                           (12月9日)




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小豆島霊場巡礼日記(その5)

安田を発って安田大川に沿った道を南下。道を左に折れれば大きな銀杏の木が見えてきます。

  観音堂へ

11番観音堂(本尊 聖観音菩薩、納経 8番)


観音堂


この辺り「醤(ひしお)の郷」、大きな蔵のある家の傍を抜け庚申堂へ


庚申堂へ

9番庚申堂(本尊 不動明王、納経 8番) 本尊とともに青面金剛を祀る。

 庚申堂

 ふと見上げれば修行大師様

東へ400mほど
8番常光寺(本尊 薬師如来) 行基菩薩の開基と伝える。2番碁石山の本坊。春の早咲き桜は有名。

 常光寺

 常光寺

 少々坂を上がるとすぐ

7番向庵(本尊 阿弥陀如来、納経 8番)

 向庵

 少々下って

 いよいよ碁石山への山道にかかる。草深い。


九丁丁石

 地蔵


一旦車道に出る


地蔵に向かって上る。再び車道。


名残りの紅葉

 再び上る

 洞穴と地蔵


碁石山中腹(標高250m)からの展望


内海湾展望

2番碁石山(本尊 不動明王、納経 3番) 8番常光寺の奥の院にあたる。鳥居など神仏習合時代の面影を色濃く残す。
本堂は日々の護摩祈祷の場。

 碁石山

 参道

 碁石山本堂


不動明王


不動明王

不動明王から更に岩山を攀じ登れば小祇があります。私は参りません。
この辺りでお会いしたのが、四国霊場会先達東日本の幹部Mさん。車で廻っておられます。話が尽きません。(後で振り返って見ると、この人以降お会いした遍路は一人も居られませんでした。まだまだ寂しい小豆島遍路道です。)

1番洞雲山(本尊 毘沙門天、納経 3番)

 洞雲山

 洞雲山


洞雲山。夏至前後の50日間、午後3時ごろ、この洞窟の表面の観音が出現するそうです。(中央の岩の左面辺りか?)夏至観音と称し多くの参拝があります。小豆島に多く見られる岩窟は毎年少しづつ姿を変えているとか。この夏至観音も20年位前、参拝者の写真より発見された事象だとか・・

奥之院隼山に向かう細い舗装道の途中の展望台。小豆島南の瀬戸内海が見渡せる景観絶佳の場所です。長らく眺めていても飽くことがありません。自然の妙・・


瀬戸内海展望


瀬戸内海展望

3番奥の院隼山(本尊 聖観音菩薩、納経 3番) 弘法大師の開基と伝える。

  奥之院隼山

 奥之院隼山

 奥之院隼山

ここより坂手に下る道はその殆どが舗装車道です。1ヶ所車道をややバイパスする歩道があり、へんろ道と案内されていますが、今は草木繁茂、入らない方がよいでしょう。



碁石山の岩峰を振り返る

3番観音寺(本尊 十一面聖観音菩薩) 弘法大師の開基、本尊も大師の作と伝える。

 観音寺。寺には誰も居られない。読経後自分で朱印を押す。
6ヶ所も。寂しい・・

坂手から堀越、田ノ浦へ。

4番古江庵(本尊 阿弥陀如来、納経 3番)

 古江庵。御本尊阿弥陀様は、鎌倉時代のもので安阿弥作と伝えられます。是非拝見したいもの。庵前には多くの味深い石像が。


古江の浜、弁天島が見える。


古江の浜。その美しさとは裏腹に、戦争中特攻潜水艇の演習場があったという。

5番堀越庵(本尊 阿弥陀如来、納経 3番) 幕末の頃、庵に住み村人に尽くした妙光尼の伝えを持つ。

庵に近くに居られた人に次の札所田ノ浦庵に行く峠(馬立峠、標高150m)の様子を尋ねます。「行って通れんこたーないだろが。猪が掘り返しとって大変じゃろ・・」
これで私は県道行くことに決めました。何やかんやで庵の写真撮れてなかった。

6番田ノ浦庵(本尊 無量寿如来、納経3番)本尊無量寿如来は恵心僧都の作と伝わる。どういう訳か、小豆島の霊場の仏は恵心僧都の作と伝わるものが多い。

 田ノ浦庵

 田ノ浦庵

 山の鞍部が馬立峠

田浦には明治35年田浦尋常小学校として建てられた校舎が、廃校(昭和46年)後も岬の分教場として残されています。
壷井栄の小説「二十四の瞳」の舞台となったこの田浦分教場は、昭和29年木下恵介監督、高峰秀子主演により映画化、多くの人に知られ感銘を与えることになりました。
この岬の分教場を見て思いました。
「大石先生の、そして十二人の生徒たちの夢や望みや・・そんな、それはそれは大事なものが、廊下や教室の床や壁、そしてこの机に沁み込んでいるように感じます。それらは、時代の波のなかに埋もれたり、散っていったり・・そういうことが出来る限り無くなるよう、いや少なくなる世の中を望み、助力してゆくことを誓わずにはおれないのです。」
「巡礼に廻る寺々の仏は多く沈黙のなかにおられるようです。巡礼はその心を感じとり日常の行動に移さねばならないのではないでしょうか・・ ここは巡礼の来訪を待っている札所の一つだと私には思えるのです。」


岬の分教場

 岬の分教場


岬の分教場


岬の分教場


岬の分教場


岬の分教場


岬の分教場

 映画「二十四の瞳」のシーン

                                         (12月8日)




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小豆島霊場巡礼日記(その4)

小部の旅館を早朝に発ち、峠を越えて吉田へそして福田に向かいます。最初の豆坂峠(標高340m)まで2.14k、吉田庵まで4.5k、そこから福田庵までは1.73kの行程です。
例によって猪除けの柵を開けて山道へ。石の多い歩き難い道、急坂には小豆島へんろ道特有の鉄パイプの手摺が設けられています。これが足弱の私には大きな助けとなるのです。1kほどで山の鞍部に出て、道は緩やかになります。小部の街と海が展望できます。


山道の入口


急坂

 道標


石の多い道


小部の展望

 道標

 峠

(余文:なお、昭和初期の国土地理院地図を見ると、この峠の少し南側にも峠道があり直接福田へ通じています。この道の方に「豆坂」と表記があるのです。吉田ダムの建設により、南側の峠は廃道化し、吉田に通じる道が豆坂とよばれるようになったと思われます。)
峠からの下りも石の多い道で膝に応えます。830mで吉田ダムの湖畔へ。
ここからダムを右に見る道。当然、ダム建設(1996年竣工)以降の新しい道で、コンクリートが流してあったり鉄パイプ橋が付けられたり。浮石も多く気持ちのよい道とは言い難い。
やがて反対側からは「立入禁止」標示のゲート。
ダム堰堤(堤高74.5m)に沿って階段を下る。逆に上ることを考えれば我慢できようが、ここも気が滅入るようなへんろ道。


峠からの下り道の地蔵

 吉田ダム


ダム湖畔の道

 吉田ダム

 ゲート(振り返る)

 堰堤の下り道(階段)

吉田の青い海が見えてくると82番吉田庵(本尊 薬師如来、納経 84番) 弘法大師の創建と伝える。本尊は特に眼病に霊験あらたかと古くから住民に尊信を集める。

 吉田庵

ここから次の83番福田庵に行くへんろ道は、少し戻り橋を渡って公園の中を過ぎ、いざり坂(標高200m)を越える道。距離は短いがこのいざり坂は極め付きの急坂。石も多くはない土道と聞きますが、豆坂を越えてきた私の膝は悲鳴を挙げています。
吉田の集落に出て福田港までのバスを待つことにします。

  いざり坂を望む(山の鞍部)

83番福田庵(本尊 薬師瑠璃光如来、納経 84番) 本尊薬師瑠璃光如来は恵心僧都作と伝える。

 福田庵、後方の山の鞍部が「いざり坂」

 雲海寺へ

 雲海寺へ

84番雲海寺(本尊 如意輪観音) 行基菩薩の開基、弘法大師の霊場開創と伝える。

 雲海寺

雲海寺境内に 85番本地堂(本尊 弁財天、納経 84番)。本尊弁財天は、当地 葺田八幡神社の本地仏であったが明治の廃仏毀釈により遷移された。本尊弁財天は恵心僧都の作と伝えられる。

 本地堂


雲海寺、本地堂


寺より福田港展望


福田港を出てゆくフェリー

(また余文)福田から当浜(あてはま)への道として、海岸線に沿った国道が開設される以前は「めくら坂」とよばれる旧道(標高200mほどの峠越えの道)があったそうです。この道は、国道開設以降もへんろ道として採用されてきたようです。ところがこの道の中ほどにゴルフ場ができ通行が困難となったため、現在はへんろも国道を通るよう勧められている・・こんな話を聞きました。(この道、現在の地図にもゴルフ場の北と南に残っています。今は福田側の入口付近には手摺のあるコンクリート階段、微妙な位置に「→へんろ道」の石標があります。おそらくこれが「めくら坂」の入口でしょう。)
山に囲まれた入江の集落、この間の通行は船便が主体、舟が出せぬ時を考え峠を越える道を開く、車社会になり海岸線に沿った広い道を開く、交通量の増大に伴い峠の下を最短距離で繋ぐトンネル道を設ける・・こういった道の変化の過程は随所でみることができるように思います。(四国の高知県清水から大月に至る道でも同様の経緯を読み取ることができます。)


福田~当浜の海岸、小島

 福田~当浜の海岸、採石場

福田、当浜間のゴルフ場の直前、国道のヘアピンカーブをバイパスする、短いへんろ道があります。へんろ道の途中には比較的新しい不動堂があったりします。この道、私には古くからの道ではなく、国道開設後に歩きへんろのために設けられたバイパス路(不動堂も近くから移設された)のように思えてならないのです。

 短いへんろ道

 短いへんろ道、草の中の道標

86番当浜(あてはま)庵(本尊 千手観音、納経 3番)親寺(納経所)なぜ3番観音寺なのか・・3番に行けばわかります。この札所、国道より少し入った所にあり、小豆島霊場の中でも一際寂しさを感じるところかも。

 当浜庵へ

 当浜庵

岩ケ谷へ


岩谷の海岸

当浜の先、国道を行くと左手に「大坂城築城残石 八人石」の表示。その少し先右手に地蔵菩薩があり、「観音寺参道」の表示。これが「洞の観音」として知られる観音寺への道。一応アスファルトを流した車道となっていますが、果たして寺まで行けるのかどうかちょっと心配になる道ではあります。
すぐ岩谷へ。

87番海庭庵(本尊 十一面観音、納経21番)本尊十一面観音は安阿弥作と伝える。島随一の名品であるとも。(小豆島霊場に多くの仏像を残した安阿弥(あんあみ)は快慶とも称する、鎌倉時代を代表する仏師)

 海庭庵

橘へ
城ヶ島への希望の道が開ける美しい岬。昭和41年、歌舞伎役者市川団蔵がこの世の最後の宿とした「たちばな荘」があります。ふと思いは巡ります・・ 

 橘港

88番楠霊庵(本尊 地蔵菩薩、納経 13番)  打止めの札所であるが、多くのへんろにとって結願の札所とはならない。

 楠霊庵

 庵前の店。この辺り食堂などの店は少ない。覚えておきたいお店。

ここより橘峠を越えて安田に向かいます。その晩、安田の宿の主人の話「2年位整備していない。荒れとったろう・・」。

 橘峠への入口

 荒れている

 地蔵と供養塔。
供養塔には「奉納 大乗妙典日本廻國供養」文化八年の銘。相当古い六十六部供養塔。

 草木深し。

 池畔の道。(水は涸れている)

 大師堂。


峠へ。小豆島特有の鉄パイプ手摺。


峠(標高175m)

 岡ノ坊へ

 安田の街。

12番岡ノ坊(本尊 地蔵菩薩、納経 13番) 本尊は六地蔵。昔、坊の傍は海辺であったという。

 岡ノ坊

13番栄光寺(本尊 無量寿如来) 本尊は恵心僧都の作と伝える。薬師堂には行基菩薩作と伝える薬師如来、内陣には多くの仏像を祀る。

 栄光寺

 栄光寺

安田の宿に入ります。
                                      (12月7日)


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小豆島霊場巡礼日記(その3)

小豆島の霊場巡礼が途切れてもう2年以上の歳月が経ってしまいました。その間、新型コロナ禍のため広島県外に出ることも躊躇われましたし、それに私自身加齢による足腰の衰えも著しく、思いを残しながらもそのままに・・
このところ新型コロナも少々油断しているようですので、足腰をさすりながら、省力型の巡礼旅を再開することを思い立ちました。
歩けるところまで・・実際、寄ることのできなかった札所も多く残りましたが、半日歩きで5日間、土庄港を発ちそこ戻ることができました。これはその記録です。

さて、場所はやや不適当な感じもありますが、ここで小豆島の神社について触れておきたいと思います。自身の備忘のためとも・・
小豆島霊場が開かれて以来、その構成要素の一つであった神道(神社)は明治の神仏分離により大きな変換を迎えます。それまで札所であった13の神社・別当寺がそこから外されることになったのです。10番亀甲八幡宮(内海八幡宮)、その別当寺9番八幡寺。35番亀山八幡宮、その別当寺34番保寿寺。52番富丘八幡宮(本地仏を移し旧八幡宮として存続)、その別当寺51番宝幢坊として存続)。59番天満宮。63番大木戸八幡宮。66番伊喜末八幡宮、その別当寺67番瑞雲寺。71番瀧宮天王宮(現八坂神社)。85番葺田(福田)八幡宮、その別当寺83番神宮寺。
これらの神社の多くは立派な社叢を持つものが多く、小豆島の人々に敬われ守られてきたと言われます。特に挙げれば、滝ノ宮八坂神社、伊喜末八幡宮、富丘八幡宮、亀山八幡宮、亀甲八幡宮。
機会があれば、未参の札所と共にお参りしたい所です。


    岡山新港を発つ

    小豆島へ


小豆島北西の海


小豆島大観音

牛の肩の辺りに当るでしょうか、小高い平原に沿った道を歩いていました。北西の海辺には蕪埼や千振島の影、後方には先ほどより小豆島大観音の姿が。この観音像、スリランカの佛歯寺より分与された佛歯をお祀りするとか。近年は「しあわせ観音」として親しまれているようです。
この度の巡礼の最初の札所は、76番奥の院三暁庵(本尊 弘法大師、納経 76番) 通称笠松大師。弘法大師巡錫の伝説、霊跡をもつ。
庵の周囲は散り残った紅葉が美しい。偶に居られた庵主さんからお声をいただきます。私は大師堂前に座って暫く紅葉を眺めていました。


三暁庵へ

   三暁庵の紅葉         

   大師堂

西に「夕陽ケ丘」と標した道。夕陽の素晴らしさを想像させるに十分です。


夕陽ケ丘


歓喜寺への道

 歓喜寺へ

77番歓喜寺(本尊 如意輪観音) 行基菩薩の開基、本尊如意輪観音も行基作と伝える。読経を始めると何処からか磬の音。恐縮します。

 歓喜寺

緩やかな道を下って屋形崎へ。古い宝篋印塔や地蔵が並ぶ道です。
76番金剛寺(本尊 不動明王)  行基菩薩の開基、宝暦元年、竜厳上人の再興と伝える。本尊不動明王は弘法大師の作と言われる。

 金剛寺

金剛寺では次の札所藤原寺までの道筋を北側の県道に案内していますが、私は旧道を選びました。民家の間、畦道、森の中・・細い変化に富んだ道の連続、草木の陰にへんろ道札を見たりします。


藤原寺への道

 藤原寺への道

 藤原寺への道、へんろ道札

番外 藤原寺(とうげんじ)(本尊 波切不動、納経 46番多聞寺) 大正10年土建業の藤原氏が私財を投じて建立した寺といいます。現在無住。納経所も最近変わった様。

  藤原寺

 藤原寺の紅葉

見目から小海へ海岸の道(県道)を行きます。途中「女風呂橋」と刻まれた短い橋があります。昔はここに風呂があったのでしょうか。
小海で右折、王子神社とその鬱蒼とした社叢を過ぎると、大阪城石垣の石切場として知られる宮ノ下丁場跡があります。ここは江戸期の初頭、豊前小倉の細川家が石垣石の採取場としたことに始まると考えられ、その後江戸後期以後の石材の需要の拡大まで、厳しい統制に置かれたとされます。見上げれば崩れかからんばかりの石山・・

 雲胡庵へ

 王子神社社叢


宮ノ下丁場跡

庄屋屋敷前の高札場跡を過ぎ「大坂城石垣石とびがらす丁場跡」の石碑の前、立派な石垣、土塀と四脚鐘楼門が見えてきます。
78番雲胡庵(本尊 聖観音菩薩、納経 77番)


雲胡庵前、丁場跡石標


雲胡庵

 雲胡庵


庵前の道標

庵前に「へんろ道」、「旧へんろ道 鳴滝不動尊参道」の石標。現在、鳴滝不動尊までは少し南に車道が通じています。旧へんろ道は途中から廃道となっているかも・・
県道に出ると道の駅。大坂城石垣残石記念公園となっています。見学者はいない。売店のおねいさんも手持ち無沙汰。

 大坂城石垣残石記念公園

県道に沿って暫く行くと琴塚の手前に「山之観音」の道標示。右手舗装山道3.1kで「子安観音寺本坊」通称「山の観音」(80番奥之院とも)に通じています。
田井に入り79番薬師庵(本尊 薬師如来、納経 80番) 本尊は恵心僧都の作、庵は豊臣秀吉の建立と伝わります。

 薬師庵

ここで、長野から来られた遍路姿(笈摺)の方にお会いする。(島の北、東の道で出会った唯一人の遍路)この人は巡礼より歩くこと自体に興味があるらしい。「今日は池田まで・・」などと驚かせる。後の道で2回ほどお会いすると「いやー、道が悪い・・厳しい・・」を繰り返していたこと。
大部(おおべ)の80番観音寺(本尊 聖観音菩薩) 安産子宝の観音で子安観音と呼ばれる。

 観音寺へ


観音寺

 観音寺、巨大な稚児大師像

新しい立派な本堂、ご住職が太鼓を打って読経。隣の信徒会館でうどんの接待を受ける。大黒さんはお若く気さくな人のよう。次の恵門ノ瀧の道のことが話題になります。「私たちも車でしか行ったことないけどねー・・」とか。


小部を望む


小部の沖の「小島」


砂の浜(「千鳥ケ浜」)

小部(こべ)の旅館の並びが見えてきます。ここより恵門ノ瀧へのへんろ道の始まり。


小部の港遠望


参道の始まり。「古不動道 八十二番」の道標。道標に八十二番とある理由は不明。(恵門の瀧は今は81番の札所)

 猪除けの柵を開けて入る。

 土道に入る。


一旦車道に出て、また土道に入る。

 土道の出口。(振り返る)

土道は勾配も急で大小の石で覆われており極めて歩き難い。私はその大半を避け、併行する車道を歩かせていただいた。
土道を出たところは広場、その先に長い石段が続きます。


石段

 石段途中の地蔵


右 地蔵尊、左 鐘楼門

 鐘楼門

龍宮型の鐘楼門にはロープが張られ「通行禁止」の標示。この先に鎖場がありそこを攀じ登って本堂に達すると聞いています。私には無理、本堂の姿を見ることはできませんが、ここより遥拝することにしました。(後で聞くと、石段の右側の車道を歩き本堂下へ、そこから鎖場とそれに併行して石段があり本堂に達することができるそう・・やや残念)
81番恵門ノ瀧(本尊 不動明王、納経 80番)。小豆島の山岳霊場では、役行者や蔵王権現の伝えを聞くことがありません。(56番行者堂が役行者を本尊とするのみ)それは小豆島の霊場が比較的新しく(平安後期以降)開かれたものであるとみてよいのでしょう。                                       
                               (令和3年12月6日)

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