南禅寺、三門の上から今年を振り返れたら・・










          京都市左京区の南禅寺。京都五山や鎌倉五山の上に置かれる格の高い臨済宗のお寺だ
          そうです。
          国宝の方丈など、たくさんの見どころがあるのですが、南禅寺といえば、五間三戸(中央3間
          が出入り口)の二重門、この巨大な門の方がお馴染みじゃないでしょうか。
          歌舞伎の「楼門五三桐」で、石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな・・」という名台詞を吐いた
          のがこの門の上ということになってるそうだ。歌舞伎など、とんと見たこともねー私でも、五右衛門
          のこの台詞どっかで聞いたことあるなー。
          でも、実際の三門は、五右衛門の死後30年以上経った寛永5年(1628)の建築。京都三大門
          の一つに数えられるそうです。
          門の上に上がってみると、さすがに「絶景かな・・」納得させられますな。
          この近くには、琵琶湖から引かれたきれいな水が、勢いよく迸っていて・・、東山慈照寺(銀閣寺)
          までの「哲学の道」の出発点でもあるのです。春の日なら、ここを歩くのもまた良きかな・・
          でしょうな。

          今日で、一応今年のブログの貼り納めとしたいと思います。
          この一年、詰らない写真ばかり貼ってきました・・、今日もまた特に。
          来年は少し反省して・・(うそだ! 変わりっこねー)と思ってますが。
          ま、とにかく来年もよろしくお願いいたします。
          皆様よいお年を。
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波の輝きと暮れ行く海に・・(1)














          午後の低い太陽は、波の上に
          幾百万の欠片となって、
          漂うているけれど。
          その主が、雲や島の向こうに
          姿を隠すと、
          たちまち、そこは
          のっぺりとした水の流れの世界。
          幾重にも縞模様をつくって彷徨する
          暮れ行く海となる。
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華麗なる平安の別邸、宇治平等院(その2)
















     鳳凰堂が、通常の寺院とは異なった印象を与える最も大きな要素は、一目瞭然
     とも言えますが、中堂の両側に翼のように伸びる翼廊の存在でしょう。
     池に映ずる翼廊の姿、廊の間から見える庭園の緑や紅葉、独特の世界を創って
     いると感じられます。
     それに、中堂の屋根にある二つの鳳凰。阿弥陀堂が鳳凰堂と呼ばれるように
     なったのは江戸時代以降と言われます。当然この屋根の鳳凰が名付け親です
     よね。この鳳凰、金銅製で高さ2.3mあります。現在、屋根にあるものは複製で、
     本物は宝物館「鳳翔館」に展示されています。近くで見ると相当の迫力です。
     10円硬貨に鳳凰堂がデザインされているのは、誰でも知ってますね。
     でも意外に気付かないのは、一万円札のデザイン。あまり、しげしげ見る機会も
     ない(私だけかな・・)のですが、裏面の左側、これが鳳凰堂の屋根の鳳凰なん
     だそうですよ。ご存知でした?。
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華麗なる平安の別邸、宇治平等院(その1)
















     京都府宇治市の朝日山、平等院、このあまりにも有名な寺院。
     9世紀末頃、この地には光源氏のモデルとも言われる源融(みなもとのとおる)
     の別荘があったという。幾人かの高貴な人の手を経て、長徳4年(998)藤原道長
     の別荘「宇治殿」となる。永承7年(1052)、道長の子頼道に寺院に改められ
     「平等院」と称した。翌、天喜元年(1053)阿弥陀堂(現在の鳳凰堂)が建立され
     た。・・とおおよそこのような経過を辿って今に至っている。
     寺院に改められた永承7年は、当時、釈迦の歿後2000年以降に訪れるとされた
     末法の元年に当たり、極楽往生を願う貴族は、西方極楽浄土の主阿弥陀如来を
     祀る仏堂の造営を盛んに行ったという。
     寺院といっても、広い庭園に囲まれ、池(阿字池)の中島に建つ鳳凰堂の佇まい
     は、その経緯を併せ、平安貴族の別邸としての色濃い雰囲気を拭えないように、
     私には思える。異色の華麗なお堂であろう。
     国宝の鳳凰堂は、本尊阿弥陀如来像を安置する中堂(ちゅうどう)、左右の翼廊、
     中堂背後の尾廊よりなる。中堂正面の扉を開けると、本尊の頭部の高さに丸窓
     があり、建物外からお顔を拝することができる。これは、池の東岸(または寺前を
     流れる宇治川の東岸)から、西方の彼岸にある浄土、阿弥陀如来を拝するよう
     意図されたものと言われる。
     池に映り込んだお堂の姿、褪めた残影の中から浮かびあがる赤い柱、木組み、
     添えられる紅葉の葉色、そんなものを見ていると、夢の世界に誘われる。
     平安貴族の現実的な楽しみと、そして極楽浄土を求める気持ちの両立。それを
     想像するに難くはない。
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宮島のもみじが散った・・
















     宮島でも、あの有名な厳島神社の辺りじゃなくて、
     大聖院といって真言宗のお寺の参道です。
     ちょっと奥の方ですから、観光客はあまり行きません。
     ですから、石段や苔の上に、散ったもみじがよく残っています。
     そのあたりは、ちょっと寒い風が吹いてて、
     親子の鹿でしょうか、寄り添う風情です。
     軽くなった枯葉は、波立つ谷川の水の表でも、
     水底だって参ります。
     もみじが散ろうが、どうしようが、頓着しないのは、
     阿羅漢さんたち。笑いほうけておられました。
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