周防山口、瑠璃光寺五重塔
















     この五重塔の前に立って、振り仰ぐと、圧倒的な木塊の命が降りかかってくる
     ようだ。それでいて、深い軒の出をもつ各層の屋根は、軽快な桧皮葺の所為か、
     今にも空に向って飛び立ちそうな、気配さえ感じる。
     建築様式は、和様を主体とし、二層の回縁勾欄などの一部に最小限の禅宗様
     を採り入れているという。
     保寧山、瑠璃光寺(曹洞宗)、この美しい名を持つ寺に相応しい五重塔。
     建立は1442年頃という。元々香積寺の五重塔として建てられたが、毛利氏の
     萩移封に伴い、寺自体は萩に移る。そして、残った五重塔は、この地に移って
     きた瑠璃光寺の所属となる。塔の身寄りは幾度か変遷したが、室町時代山口
     に栄えた大内文化の最高の傑作と言われている。
     まさに、見る者を、一瞬心を奪われたように立ち竦ませる。

     (五重塔の見える、東屋の休憩所で、姑と嫁と思われるお二人にお会いした。
      二人の間では、もう話すことも無くなったようで、傍に他人が座るのを待ち
      構えていた気配。「この塔、風が吹くと揺れるんです。ほら・・、ほら・・。
      やおう造ってあるけー、めげることないんです。よう来よりますが、天気の
      夕方がいちばんええ。夕日がようさして、塔の屋根が輝いとります・・。」
      この塔、中国地方の13箇所の国宝建築物の中でも特に優れたものという。
      日本国中の五重塔中でも3本の指の数える人が多い名塔なのである。)
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土蔵、町屋そして劇場のあった街


















     広島県の東部、山間の町、上下(じょうげ)(現在は府中市に属する)
     は、江戸時代、幕府の天領として、また石見の銀を瀬戸内、尾道に
     運んだ石州街道(銀山街道)の宿場町として栄えたという。
     この地方の政治、経済の中心であった伝統は、明治、大正、昭和の
     時代に引き継がれ、現代に残る土蔵や町屋の並び、白壁、格子窓、
     なまこ壁、そして、うだつなどに往時が偲ばれるのです。
     街並みの外れに、劇場「翁座」が残されています。大正時代に建て
     られたもので、昭和の半ばまで、芝居や映画の上演に大いに賑わった
     という。高田浩吉、鶴田浩二・・、最近では、広島出身の平幹二郎も
     この舞台に立ったそうです。
     ここには、写真載せませんが、土蔵造りのキリスト教会や、田山花袋
     の「蒲団」のモデルとなったといわれる女流作家の生家があったり、
     盛りだくさんの不思議な街なのです。

     (翁座の中は、入場料を払って見ることができる。受付には、ちょっと
      風変わりな若い娘が、暇を持て余している。「おねーさん、写真撮って
      いいかい・・」、「うーん、まあいいや、いいことにしよう・・」、「ってこと
      はほんとはダメなの?・・」、「いやいや、自由、自由、でも暗いから、
      うまく撮れネーよ、きっと・・」。ちょっとズレてるのかなー。いや、まとも
      なのかなー・・。で、翁座の外に出て銀山街道の案内までしていただ
      いたのでした。)
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国東、富貴寺阿弥陀堂
















          大分県、国東半島の山谷の急峻な地形は、古くは山岳仏教の修行の場となり、
          都より遠く離れたこの地を、天台密教の拠点として栄えさせたという。  
          六郷満山と呼ばれる如く、国東半島の嘗ての六つの郷の谷深く多くの寺や摩崖
          佛が存在する。 そのひとつ、一般には、富貴の大堂と呼ばれる、この蓮華山
          富貴寺(蕗寺ともいう)(天台宗)の阿弥陀堂は、平安時代後期の浄土思想
          阿弥陀信仰全盛期の建立と伝えられる、九州最古の和様建築物である。
          総素木(しらき:榧)造り、大面取りの方柱の上部は舟肘木のみの簡素さ、二重
          繁垂木の上は単層宝形造りの屋根。
          この阿弥陀堂は、中尊寺金色堂、平等院鳳凰堂と並び称され、国宝中の国宝と
          言われる。暑い夏の日、汗を流し、期待に胸躍らせてこのお堂を訪ねた。

          (仁王門をくぐると、石段の向こう、緑の樹木を纏った、阿弥陀堂の屋根が見える。
           おー、その美しさに思わず声を発する。お堂の周りを巡ると、榧の素木造りの柱や
           壁や扉が、自ずから光を発しているように輝くのだ。
           お堂のなかで、薄灯りに端整に座られる、阿弥陀佛に手を合わせる。
           一際暑いこの夏、国東半島のお寺と石仏を訪ねる旅は、難儀である。店先に氷
           の旗を見る度に、駆け込む繰り返しであったが、この阿弥陀堂の前では、しばし
           暑さを忘れた。私は、これまで多くの素晴らしい阿弥陀堂を拝見してきたが、この
           お堂は、その素朴な輝きゆえに、一際感動的なお堂であることに疑いない。
           残念ながら、夏の強い日差しは、写真にとって最適ではない。秋や初春の柔らか
           な光の中で、どんな表情を見せていただけるであろうか。再訪に期待を抱かせた。)
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