四国遍路の旅記録 二巡目 第4回 その2

平成20年3月25日     命豊かな広葉樹林を想う 


以布利遍路道の日の出

道しるべ地蔵(以布利遍路道)

今日は、足摺岬の38番金剛福寺をお参りし、白皇山(458m)にあるという38番奥の院跡を訪ね、またこの以布利の宿に戻ってくる予定。

宿を出ると、ご主人が待っていて、以布利遍路道の入口まで案内してくれるという。
ブイーとバイクで行って、道の角々で待っていてくださる。
以布利港、なかなか立派な漁港です。
去年のいつだっけか「この沖でクジラが潮吹いとってなー」 
「この辺、昔は海草も貝も何も・・よう採れとってなー」
今は人の生活排水が入りこんで採れなくなったという。排水の環境基準が満たされているかどうかという話ではない。水の環境循環のサイクルが崩れたためという。

海岸から山道に入るところ、気付かない人が多いというが、言われてみると立派な地蔵があります。思わず合掌します。昔より「道しるべ地蔵」と呼ばれてきたという。
ご主人の案内はここまで。

ここから足摺の間、へんろ地図には載っていないが、県道から山側に入る短いが多くの「足摺遍路道」があります。私は、殆どを通りましたが、窪津手前の厳しそうな山越え道、「県道30分、山道60分」の標識。ここだけはパス。
「昔は奥に家があってなー、わしは新聞配達したもんや。きつい道でな、行かんのが正解じゃ」宿のご主人の事後での評価。

足摺への道


足摺への道

 津呂の六十五丁石

補陀落に通ずるという大海、今日は穏やかな足摺の海。
海亀の背中の金剛福寺は、遍路で賑わっていました。

これより、岬のホテル・旅館街を過ぎ右折、県道348号により白皇山に向います。


足摺の海 


 足摺の海

金剛福寺

38番奥の院については、ちょっと複雑な経緯があるようです。
現在の38番奥の院は金剛福寺の左隣にある白皇神社です。
明治初年の神仏分離以前は、この地に金剛福寺の奥の院で白皇山真言修験寺という寺があり、本尊の白皇権現を白皇山頂に祀っていたという。
この白皇権現というのは明治初年に解消されているわけですから、考えるとどうもすっきりしない・・。まあ、いいべ、行くべ。

県道348号、別称「足摺スカイライン」また「椿ライン」とも呼ばれます。確かに足摺に向う大型観光バスなどには有効な道路でしょう。ただ、交通量は極めて少ない・・と思わざるを得ないのです。
足摺からの入口の急坂の途中の大型ホテルを過ぎると住宅、店舗など皆無。その道が10k以上続くのです。
道路周囲を清掃している人に会う。「どちらまでー・・」 
「白皇山まで・・」「えー、これ歩いてゆくのー、まだまだ登りだよー」とあきれられました。
道の両側に疎らな椿の色はあるけれど、退屈な道。たまに見える松尾付近の海岸の風景が唯一の慰め。

 スカイラインより松尾付近を望む

足摺から4kほどで右手に石鎚神社の鳥居、白皇山への登山口です。
山道を500mほど進むと、人工的な石積みの跡があります。昔は何か在ったのかもしれません。
ここより道は急坂、かつ獣道風となり、山頂に達します。山頂の大石の上に石鎚神社、2、30m下に倉庫風のお堂があります。
一面の広葉樹林であるが、木が大きく、山頂から期待していた足摺岬やその先の太平洋の展望は殆ど望めません。残念でした。
頂上からの下山では、道を失いました。下からは、どうにか見えた道も上からは全く様相を異にします。道無き道を降りることができたのは、ここが広葉樹林であったことも幸いした・・と思います。

石鎚神社の鳥居

石垣の跡

白皇山頂の石鎚神社

もうここまで来たら、後戻りする気力は失せます。まだ13k以上の距離ですが、県道348号をそのまま進み、土佐清水の市街を経て国道321号で宿まで帰ることにします。

鳥居より1.2k、左に唐人駄馬、巨石遺蹟への道を分けると、県道248号は一本道。右に左に存分にカーブを繰り返しなから、どこまで続くことやら・・。

宿に戻り、白皇山に行ったと言うと、女将さんが目を輝かせて
「あーら、私は足摺の生まれでねー、娘の頃、白皇山によく木の実を採りに行ったのよー。道なき道を歩いてねー・・」
そして、ご主人も含め、日本の林業の話となります。
先の戦争中、大量に伐採された日本の森林は、当時の農村の豊富な労働力に支えられ10年間で立派に復元された。
その後の薪炭から石油への燃料革命のもと、パルプ原料や建築用木材の需要が主体となります。このため昭和35年前後から始まる拡大造林は、もっぱら杉、桧などの針葉樹となるのです。
拡大する輸入木材、農村の過疎化、・・林業にとって厳しい現在ではありますが、当時造林された杉、桧が現在、伐採期を迎えています。私のこの遍路の旅でも、各地で杉、桧の伐採の現場に出くわすことになります。
ご主人、女将が口を合わせて言う。
「お上は言わないけど、大事なこと・・。針葉樹林は山の命を無くしてしまうのよ・・。山の命を育てるのは、広葉樹林なのよ」
「中村から、新伊豆田トンネルを通って下ノ加江にきたでしょう。一度トンネルを通らず、海岸沿いの道を歩いてごらん。立石とか布とかの山、立派な広葉樹林が残されているから・・」

私は、ご主人と女将さんのお話から、この地に住む人の本当の叡智と心の豊かさを感じ、ひとりうれしくなっていたのです。

     本日の歩行: 53674歩   地図上の距離: 31.8k


平成20年3月26日    真念の遍路道を辿って


 朝の大岐の浜 

浜に咲く花

打ち戻りの余禄のひとつ、好きな風景が二度見られること。それも、行きは午後、帰りは朝、二つの違った表情で。
大岐の浜を再び通ります。ねっとりと粘っこい朝の波、浜では白い花(ハナダイコンかな)が懸命に風に抗っていました。
久百々の海岸は、細かな縮緬のような波が一面に踊っていました。

朝の久百々海岸


 朝の久百々海岸

下の加江川の西の静かな道を辿り、真念庵に着きます。
ここには、お堂の前に四国八十八箇所本尊石仏があります。素朴で力の篭ったいい石仏だと思う。庵への自然石の石段もいい。あまりセメントで固めないで欲しいものです。
真念庵より南に延びる遍路道が森の中に消えています。その昔、足摺までの道は、このようなものであったのかもしれないと想像させるのです。

真念庵と石仏

真念庵の石段と落椿 

真念庵からの遍路道

真念庵より県道46号を行き、江戸前期、真念の時代の遍路道を辿ります。
真念の案内書「四国遍礼道指南(みちしるべ)」には次のような記述があります。
「是より寺山(39番延光寺)まで12里。真念庵に戻り行く。成山村、狼内村を通る。真念庵からここまで山路で谷川を通る。上長谷村に標石がある。昔は左の道を通ったが今は右の道を行く。但し増水時は左の道がよい。江之村には川があり、増水時には庄屋井村翁が遍路を助け渡してくれる。・・・」
村名はすべて残っており、現在の地図で追ってみても、親切な案内書であることが納得できます。
上記の狼内村の外れに、三原小学校東分校の廃校跡があります。荒れ果てた校舎がそのまま残されています。侘しさにしばし佇み、言葉もありません。

三原小東分校跡

そして、上長谷村の標石、今も真念の道標として残されています。
ここを右折し、江之村(江ノ村)に向う地道に入ります。
前半、地蔵峠までは、林道風の道ですが、峠からは平成15年11月に復元された細い山道です。急斜面の側面を辛うじて削って道にしたもので、大雨でもあればたちまち流出してしまう箇所も多いでしょう。遍路道の維持の大変さが忍ばれます。

真念道標から江ノ村まで5.6k、1時間40分でした。

この先、平田までは自動車道が出来、従来の道は寸断されています。できれば歩きたくない区間です。強い風に煽られるように、笠を押えて、16時30分平田の宿に着きます。

真念の道標

地蔵峠

復元された真念へんろ道

     本日の歩行: 55687歩   地図上の距離: 33.5k    

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四国遍路の旅記録 二巡目 第4回 その1

4回目の区切り打ちへ
二巡目の遍路の旅も、今回で4回目の区切り打ち。これまでの3回は1週間程度の短いものでした。やっと高知の先まですすんだところ。このペースじゃ二巡目もいつ終ることやら・・、ひょっとしたら歩けなくなりゃせんか・・など心配も芽生えてくるものですから、今回はちょっとがんばりました。16日間だよ。
山の遍路道は、総て歩いて。おまけに、篠山神社、金山出石寺と1000m級の山頂までお参りしました。花へんろ、桜の花にも菜の花にも蓮華の花にも、そして椿にも会えましたけれど、けっこうの花冷え、おまけに、100mで0.6度でしたっけ、温度降下率がどういうわけか頭から消えてしまい、寒さ対策が間抜け。おかげで最後の日には、声が出なくなっちゃいました。反省、反省。

やはり、高知の海はそれはそれはきれいでした。ブログのタイトルバックにも使ってる大岐の浜(以前)。2.5年前です。最新版をここに貼っておきます。顔はバレないようにブラックダウンしますけど・・。

なお、これからの日記の中で「へんろ地図」とあるのは、例によって へんろみち保存協力会編の第8版です。また、通る遍路が少ないと思われる番外霊場への道や最近復元された遍路道などについては「道しるべ」として字色を変えて道の状況を記しました。こういう道は、道標なし、聞く人なし、地図?のことが多い。初めての通行を計画されている方の参考にでもなれば幸いです。




平成20年3月23日   トンネルの向こうの波高い海のほとり


今回の区切り打ちの出発点は、第37番札所岩本寺です。
23日、朝から歩き始め・・と考えていましが、22日の午後、窪川の駅に降り、天気予報を聞くと明日は雨と。で、今日もちょっと歩いとくか・・、という気になって、10k近く歩いたかな・・。日記はインチキして、23日分として加えておきやしょう。ま、いいでないですか。

遍路道しるべに導かれて

水仙の歓迎、市野瀬遍路道へ

窪川から国道56号を歩き始めて最初の山道は市野瀬遍路道です。くねくねと曲がる国道をショートカットし、時間はともかく、距離を大幅に短縮します。
杉林の中の道。物音ひとつしない、気持ちの悪いほど静かな道なのです。むしろ、国道の傍でも雑木林があると、梅や桜がちらちらしたり、椿が匂ってきたり、鶯の声さえ聞こえたりするのです。こういう時こそ、道を歩く楽しみを味わえるのです。この針葉樹林のこと、明後日話題となります。

竹林に沿った国道を行く

 熊井トンネル

熊井トンネル

暫し国道を離れて、熊井トンネルのある村の道に入ります。
この道、遍路道として指定されなければ、果たして1日誰も通ることのない日が多いのではないか・・と思わせられる道。
こんな立派なトンネルが出来た、明治38年当時は、持て囃された華やかな道であったのでしょう。時とともに無情にも遠く忘れられてしまった世界を見る思いがします。

やがて、鹿島が浦、白浜の海岸の道。1巡目の時は9月の終わり、夏のように暑い日でした。海辺の喫茶店でアイスクリンとカキ氷を食ったことを思い出します。今日は一変した雨模様、波も荒く風も冷たい。こういう日には、海岸の休憩所も手持ち無沙汰。休む気分もおこりません。

雨の鹿島が浦

白浜海岸


 白浜海岸

白浜海岸

井の崎のトンネルを抜け、伊田、そしてくじらの町、入野の入ります。
ここの海岸は広域公園になっていて、入江や葦の原があり、その陰に忘れられたように船があったりします。
雨は上がってきたようですが、風は強い。飛ばされた菅笠を追っかけながら、今日の宿に急ぎます。かくて、区切り打ちの初日は、終わりやした。


 入野の浜



ところで、今年は、逆打ち(1番から88番、87番・・と反時計周りにまわる)遍路が多いと聞いていました。
逆打ちは大変で順打ちの3倍の功徳があるといわれています。
今年はうるう年。遍路の元祖と言われる衛門三郎が、逆打ちでお大師さまに会ったのがうるう年だったとか・・。そういうことも影響しているとか・・。
まあ、衛門三郎自体が伝説上の人物だし、根拠を探しても意味がないこと。まあいいか、実際逆打ち遍路が多いのです。この初日の道で5人ほどお会いした。
この後、足摺の道は打ち戻りだから、順か逆か判別できません。その後は番外や山道でノタノタしてたから会いません。松山近くなってからの国道で、またどっと逆打ちさんにお会いしました。
逆打ちは遍路道標識が無く、山道は迷い易い。そこで、国道を通る逆打ちさんが、多いのではないか。どうもそう思えます。どうでもいい話だけど・・。

     本日の歩行: 52619歩   地図上の距離: 33k


平成20年3月24日   白い、美しい浜を懐かしむ


土佐湾の日の出を見ながら

昨日とはうって変った晴天、入野の海岸、頬に当る海風も気持ち良い。

広域公園の中の道で、3人の遍路にお会いしました。1人は関西の人らしい年配の男性、今日は竜串までゆくという。
「えっ、足摺の先の竜串?」というと、「途中からバスに乗るつもり・・」だという。
あと2人は、東京の夫婦。ご主人は私と同じ広島出身、奥様は、山口出身ということで、郷里のことを含めいろいろと話し込みます。
なぜ、この夫婦のことをここで書いておくか。私は、番外霊場も含めまわっているので、数日を隔てて同じ方と顔を合わせることは、まずありません。実は、この夫婦とは今回の区切りの最終日に顔を会わせるという奇跡のようなことが起こることになる・・、そのためなのです。

夫婦は、下ノ加江まで。それぞれ今日の目的地が異なるので、自然、四万十大橋の手前では、私、関西の男性、ご夫婦と夫々相当の距離となってしまいました。

広域農道を行く(東京の夫妻)

菜の花畑

四万十大橋は、ものすごい風。笠を両手で押え、杖は脇に挟み、姿勢を低くして通ります。それでも、時に体が浮き上がる感覚。1k近い橋の上で、ただ祈るように通過。
後から来る3人も苦労されたことでしょう。 

四万十河畔

下ノ加江川

新伊豆田トンネルを通り、市野瀬で休憩。
以前にも感激した下ノ加江川の美しさは、今日も変りません。
やがて岩の見事な久百々(くもも)海岸。そして、私が最も好きな遍路道の一つである大岐の浜へ。


 百々の海岸 


 百々の海岸


白い砂、青い海、それに空、繰り返す白い波頭。いつまでも、いつまでも眺めていたい。飽きることがない・・。

大岐の浜

大岐の浜

大岐の浜


 大岐の浜

まもなく、民宿旅路に着きます。
ご主人、女将さん揃って笑顔でお出迎え。すぐ室に案内してもらえるわけではないのです。
「まー、ここに入れや・・」とコタツに招かれ、「お茶飲むか、それとも牛乳一杯いくか・・」 
けっこう疲れているので室で横になりたい気もあるのですが、「どっからきた?・・」などなど、すでに夕食時の前哨戦。やはり、噂に違わぬ独特の宿なのでした。

     本日の歩行: 50473歩   地図上の距離: 34.5k      

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