第二回四国遍路の旅を終わって



この足掛け22日間の私の2回目の四国遍路の旅。
前半の暑さ、後半の足の痛み、正直に、「何でわしゃバカみたいに歩いているんだろう」「もう止めて帰ろうか」と思ったこともないとは言えない。
それでも、560k余りを歩かせていただいて、予定通りこの旅を完遂することができた。
足摺前後の海岸の素晴らしい情景、空、海、岩、白い波・・今でも目に浮かぶ。

歩んだ遍路道の多くは、今は通る人も少ないが、むかしは生活の道であったという。
それも世紀を隔てた時間ではない、この半世紀の間の急激な変化である。これらの道が、レジャーの道としてではなく、汗と涙の浸み込んだ活きた道として、いつまでも残されることを願わずにはおられない。

春よりずっと少なかったとは言え、宿でまた道で、多くの遍路さん達にお会いできた。
それにもまして、日記のコラム欄にも書かせていただいた、いい出会い、不思議な出会い、数々のお接待、道を教えていただいた人、励ましの言葉をかけていただいた人、それは、それは多くの四国の方々にお心をいただいて、印象に残る巡礼の旅となった。

「みーんなお大師さんのお計らいよ。意味のないこと、無駄なこと、ひとーつもありゃせんよー」よく言われた言葉を噛みしめている。

曼珠沙華の咲く道の傍でお会いした、おばあさんの言葉
「おへんろさん、おひとりで たまりませんなー」。殊更、心に残っている。

あらためて、合掌して、四国でお会いできた皆様にお礼を申し上げたい。

付記1 歩行距離について

毎日の日記に記した距離を加算すると、541kになる。(電車でズルした距離7kを含む)
これは、遍路地図(へんろ道保存協力会編(第6版))の札所間の距離から概算したもので、実際の歩行では、道を間違えて行き戻ったり、寄り道したり、札所内で右往左往したりの距離が加わる。
全歩数891679に0.63(私の普段の歩幅は1歩0.7m、山道を考慮して1割減として)を掛けた 560k余りが実歩行距離に近いであろう。

付記2 足の肉刺について

前回の遍路では悩んだ足の肉刺。今回は終わりまで肉刺ができることが無かった。
私の1日の歩行距離は長くない、ということもあろうが、普段より1.5cm大きい靴、足先の予防テーピング、五本指の靴下、この3つが効果を発揮したと思われる。指の付け根は、タコのように固くなっている。
道中でも、肉刺に悩む遍路さんの何人かにアドバイスさせていただいた。

全行程

         歩数  地図距離 電車  1歩の距離  札所         経由地(主な山道)              
               km         m
  9月20日   24073   13      0.540    32番         高知市五台山~浦戸
  9月21日   29480   18            0.611      33、34番           ~土佐市高岡  
  9月22日     42021      25            0.595      35、36番           ~須崎市浦ノ内(塚地峠)  
  9月23日     39582      27     2     0.682                             ~中土佐町久礼(焼坂峠)
  9月24日     31990      20     5     0.625        37番         ~窪川町琴平(そえみみず遍路道)
  9月25日     49841      34            0.682                           ~大方町入野(市野瀬遍路橋)
  9月26日     44324      27            0.609                             ~土佐清水市久百々
  9月27日     36527      20            0.548        38番         ~土佐清水市足摺岬(以布利遍路道)
  9月28日     43384      24            0.553                             ~土佐清水市三崎
  9月29日     46794      29            0.620  (月山神社)      ~大月町弘見(月山神社遍路道)
  9月30日     42610      25            0.587        39番               ~宿毛市中央  
 10月 1日     37697      22            0.584        40番               ~御荘町平城(松尾峠)  
 10月 2日     39352      24            0.610                              ~津島町岩松(柏坂峠)
 10月 3日     43492      31            0.713      41、42番            ~三間町則  
 10月 4日     49266      30            0.609        43番                ~大洲市大洲(歯長峠)  
 10月 5日     37888      22            0.581                              ~内子町大瀬
 10月 6日     39246      20            0.510                              ~久万高原町久万(鴇田峠)
 10月 7日     44147      21            0.476   44、45番      ~久万高原町久万(岩屋寺遍路道)
 10月 8日     44947      31            0.690     46~49番             ~松山市鷹子
 10月 9日     40249      22            0.547     50~53番             ~松山市堀江
 10月10日    46694      27            0.578                                ~大西町
 10月11日    38075      22            0.578     54~59番             ~今治市国分

              891679     534         0.599
1日平均       40531      24                  *1歩の距離は、地図距離を歩数で除した値  

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

四国遍路の旅記録(平成17年)第2回 その12


10月11日     コスモス揺れる遍路の墓

天候:曇り
今日は、この度の旅の最後の日。6つの札所をまわって、できれば15時の船に乗りたい。5:50 宿を出る。まだ暗い。

延命寺山門

延命寺

大谷霊園の軍人の墓

軍人の墓

7:00 54番延命寺着。
ここには、真念の道しるべ標石が残されている。
畑の中の道を通って、大きな墓地の中を歩く。大谷霊園である。
上方が少し細くなった柱、独特の形の墓がたくさんある。太平洋戦争で亡くなった軍人の墓である。墓銘をみると、その殆どが一等兵、兵長、曹長といった下士官、兵である。
愛媛に入ってから遍路道の傍でこの形の墓を幾度も見かけた。一つの墓地に一つか二つこの形の墓があることが多かった。お年寄りが花を供え、掃除している姿にも幾度か出会った。
この地から多くの人が戦場に行き、還らなかったのだろう。墓をみながら、暫し想った。

今治の市街に入る。
8:30 55番南光坊に着く。
隣にある元の札所、別宮大山祇神社にもお参りする。大三島にある、日本総鎮守大山祇神社より勧請された別宮である。
南光坊では、MTさんにお会いする。この人もへんろサイトで名を知っている方、あるお店の元社長さん。1番から逆打ちでまわっておられる。すこぶるお元気そう。お互いに写真を撮り合って、お別れする。

別宮大山祇神社

南光坊

泰山寺大師堂

泰山寺

 遍路の墓 


 川を渡る遍路道

9:30 56番泰山寺着。
ここから、田圃の中の道を辿って蒼社川の辺に出る。
ここには、古い遍路の無縁墓地がある。見知らぬ遍路道の路傍に倒れた遍路の心は、慰められようがないであろうが、献花の如くコスモスが風に揺れていた。
遍路地図に「渇水時に川の中を歩いた旧へんろ道」と書いてあるところ、黒く塗られた手(間違って川に入る酔狂な遍路もいないでしょうが・・)が川を指す道標がある。

10:30 57番栄福寺着。
門前に、老夫婦の遍路を乗せてまわっているタクシーが止っている。運転手に「59番打ったら、港までお願いしたいので・・」と言って電話番号を聞く。何時の船と聞くので、3時と言うと、「次の58番は250mの山だ、ちょっと無理だろう」と言う。
57番から58番までは、山道である。
足を痛めてから毎日薬を飲んでいるので、痛みも殆ど感じない。久しぶりの美しい山道がうれしい。
58番の二王門から先は急な階段の参道である。
11:50 58番仙遊寺着。
趣のある立派な寺である。今治の町が眺望される。
山道を下って、59番への道を歩く。
八百屋の前を通ると、「おへんろさーん」と言って、ご主人が道に出てきて、手を包み込むようにして、みかんを三つ握らせていただく。
13:45 59番国分寺着。

栄福寺

仙遊寺への遍路道

仙遊寺二王門

仙遊寺

 仙遊寺より今治を望む

国分寺

ここで、今回の遍路の旅の全行程を終わる。
門前の駐車場で白衣をポロシャツに着替える。
杖に合掌。「わたしなりによく歩かせていただいたなー、杖に負担かけちゃったなー」。10cmは短くなって、付いていた鈴もいつの間にか無くなっている。杖袋に納める。
タクシーに電話すると、57番で会った同じ運転手さんがやって来た。「はやかったですねー」とびっくり。今日は結構歩けたのです。


15時の高速船で今治港を後にする。
船の航跡が残す白いざわめきを眺めながら、放心したような、ぼおーとした頭で、この22日間のことを想い返していた。

 今治を後に

本日の歩行:38075歩     地図上の概算距離:22k  (59番国分寺まで)

本日お参りした札所

第五十四番  近見山   宝鐘院      延命寺
本尊:不動明王
宗派:真言宗豊山派
開山:行基
嵯峨天皇の勅願により空海が再興した寺という。

第五十五番  別宮山   金剛院      南光坊
本尊:大通智勝如来
宗派:真言宗醍醐派
開山:行基
現在西隣にある大三島の大山祇神社の別宮が元の札所であったが、明治初年の神仏分離令により、本地佛である本尊を薬師堂に遷座し現在の札所となった。

第五十六番  金輪山   勅王院      泰山寺
本尊:地蔵菩薩
宗派:真言宗醍醐派
開山:空海
近くの蒼社川が毎年氾濫し困窮していたため、空海が堤防を築いて秘法を修した。満願の日に地蔵像を刻んで堂宇を建立し安置したという。

第五十七番  府頭山   無量院      栄福寺
本尊:阿弥陀如来
宗派:高野山真言宗
開山:空海
江戸時代の札所は石清水八幡宮。明治初年の神仏分離により、本地佛を社殿から分離、移転し現在の札所となった。

第五十八番  作礼山   千手院      仙遊寺
本尊:千手観音菩薩
宗派:高野山真言宗
開山:越智守興
本尊の千手観音は、龍女が刻み龍宮から届けたという。この地に長く住した阿坊仙人が養老二年、雲と遊ぶようにして姿を消した。これが仙遊寺の名の由来と伝える。

第五十九番  金光山   最勝院      国分寺
本尊:薬師如来
宗派:真言律宗
開山:行基
聖武天皇の勅願により、行基が創建した伊予の国分寺である。

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

四国遍路の旅記録(平成17年)第2回 その11

10月10日     花遍路の街


天候:晴れ時々曇り
6:30 宿を出る。海岸に沿って国道196号を歩く。


瀬戸内海


懐かしい瀬戸内の海、フェリーが行く


瀬戸内の海が見える。これまで見てきた太平洋の海とは、全く様相を異にする。あくまでも穏やかな海だ。この海は、故郷広島に繋がっている。何とも懐かしい海だ。

花へんろの街北条

養護院(杖大師)

おまつり

北条の街に入る。花へんろの町という。
この「花へんろ」ということば、語感の快さから氾濫しているが、ここ出身の作家早坂曉の小説から広く知られるようになったのだと思う。
沿道の街はどこもおまつりだ。揃いの衣装の若者が嬉しそうに走りまわっている。この辺では、神輿は担がない。車が付いていて、多くの人が引っ張たり押したりして、歩いている。
神輿を引いている人のあとを付いて歩くと、「へんろさん、ごくろうさまです」と言う。「そちらさんこそ、ごくろうさんでごぜーます」と答える。
「杖大師」養護院に寄る。
ここから、国道を離れ、鎌大師に向う。
11:00 鎌大師に着く。ここは、大師が農家の鎌で自像を刻み、里人に残したと伝えるところ。山を背にして北条の里を望む地にある。

鎌大師(花へんろ1番札所)

 峠より浅海の街を望む

菊間の遍照院

青木地蔵

鎌大師に最近移られてこられたご住職、インターネットのへんろサイトで存じあげている。
名乗ると「あー、○○さん ようこそ」と迎えていただく。
「もうすぐ、こどもたちがいっぱい集まってくるんだ・・」おまつりへの対応でお忙しいなか、いろいろとお話いただいた。
若く、溌剌した姿、元気も戴いた気がした。いつまでも合掌でお見送りいただく。

峠から浅海の街と海が美しい。
菊間の遍照院に寄る。瓦工場が多い。銀色に輝く菊間瓦は、京都や奈良の有名な寺にも使われている。ただ、阪神大震災で重い菊間瓦の建物の被害が多かったため、需要が落ちているとか。遍照院の山門にも立派な鬼瓦が置かれている。
青木地蔵にも寄る。

16:40 大西の宿スガノヤに入る。ビジネスホテルだが、頼めば食事も出る。
話好きの感じのいいおかみさんと、四方山話をしながら夕食をいただく。
鎌大師にお参りした様子をお話しすると、前の堂主、手束妙絹尼さんのことも話題に。
妙絹尼は、歳を経て信仰の道に入り、15回も歩いて遍路をした女人。「人生は路上にあり」などの著作もある。この人の姿を見、言葉を聴くために鎌大師を訪れる遍路も多かったという。
その後は、養老院に入られ、お過ごしのご様子。ご健勝をお祈りしたい。

本日の歩行:46694歩     地図上の概算距離:27k

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

四国遍路の旅記録(平成17年)第2回 その10 

10月8日     雨の三坂峠

天候:雨のち曇り
雨の中、ポンチョを着て6:30 宿を出る。
出がけに、おかみさんが「雨が激しいときは、峠を下る遍路道は通らず国道をいきなさいねー」と念を押される。お世話になったお礼に浅草の手拭を差し上げる。(私が持ってきた手拭は5本、あと誰に差し上げたか、は秘密。)
国道33号を三坂峠に向う。時折、雨が激しくなる。倉庫や家の軒先を借り、勢いの弱まるのを待つ。峠に着いても雨は止まない。ついに国道を歩くことを決意。結果としては、これが失敗、悔いを残すことになった。
国道はやたらと長い。浄瑠璃寺へ降りる分岐点の半ばを過ぎたところ、雨は上がる。少し待って、遍路道を下ればよかった。

三坂峠を振り返る。雨は止んできた。 


浄瑠璃寺を目指してみかん畑を下る

浄瑠璃寺

八坂寺

別格9番文殊院

札始大師堂

西林寺

西林寺奥の院杖ノ淵 


 浄土寺二王門

浄土寺 

塩ケ森の分岐点から、みかん畑のなかの道を下る。
12:00 46番浄瑠璃寺着。
ここからは松山市内、札所が近距離で連なる。1k足らずで次の札所。
12:30 47番八坂寺着。
すぐに、遍路の元祖と言われる、衛門三郎の菩提所、別格9番札所文殊院がある。衛門三郎の私宅跡とも言われる。
いかにも都市の郊外といった道を1.5kほど進むと、ここも衛門三郎ゆかりの札始大師堂。ここで遅い昼食のパンを食う。
2kほど歩いて、14:30 48番西林寺に着く。少し戻った公園の池の中にある大師像、48番奥の院杖ノ淵にも寄る。
3kほど行って、16:15 49番浄土寺に着く。
今日はこれで打ち止め、近くの鷹の子温泉に泊まることにする。
温泉の近くを歩いていると、白髪、痩身、どこかから抜け出してきたような老人が手招きする。気味が悪いがついて行くと、ある旅館の前。
「ちがいますよ」「きょう泊まる人じゃないの、こりゃしつれい」。予約した遍路の到着を待ちかねて迎えにきていたらしい。

17:00 鷹の子温泉着。やたらと複雑な大きな建物。遍路は旧館へ。観光客、温泉客、高校の体育会グループで賑わっている。広い食堂。団体客、家族連れの中でひとり寂しく夕食を戴く。

本日の歩行:44947歩     地図上の概算距離:31k

本日お参りした札所

第四十六番  医王山   養珠院      浄瑠璃寺
本尊:薬師如来
宗派:真言宗豊山派
開山:行基
松山市内に入った最初の札所である。こぢんまりとしたお寺。

第四十七番  熊野山   妙見院      八坂寺
本尊:阿弥陀如来
宗派:真言宗醍醐派
開山:役行者小角
元は八つの坂を切り開いて創建した修験道場であったという。

第四十八番  清瀧山   安養院      西林寺
本尊:十一面観音菩薩
宗派:真言宗豊山派
開山:行基
行基が開山したときには別の場所にあったが、空海が現在の地に移転したという。

第四十九番  西林山   三蔵院      浄土寺
本尊:釈迦如来
宗派:真言宗豊山派
開山:恵明上人
空也上人の像(重要文化財)がある。京都・六波羅密寺蔵と同様に、口から六体の阿弥陀如来が出てきている形。



10月9日     伊予の寺寺を巡る

天候:晴れ
久しぶりに晴れた朝、さわやかで気持ちよい。
7:25 宿を出る。昨日お参りを済ませた浄土寺の前を通って、繁多寺に向う。

繁多寺に向う遍路道の地蔵 

繁多寺山門

繁多寺、多くの遍路さん

7:55 50番繁多寺着。
広い境内の寺。声を高めて般若心経を読むと清清しい気持ちになる。
車でお参りの遍路さんがたくさんいる。「づっと、あるいておまいりですか」と声がかかる。「わたしも足がよければ、あるいておまいりしたいですよ」とお金のお接待。
ちょっと、金額が多い。戸惑い、納札を出して・・。足早!に去ってゆく。
松山の繁華街に懸かる。

石手寺

 石手寺山門

伊佐爾波神社

道後温泉、大勢の観光客

9:10 51番石手寺着。
ここは、道後温泉の近く、境内は観光客で賑わっている。ガイドさんに引率された団体が次々とやってくる。「こちらに見えますのが おへんろさんといいまして・・・」とやっている。(これは半分ウソ)
境内は、○○記念塔やら「××にカンパを」の看板やら雑多で、他の札所とは異なった雰囲気。
「坊ちゃんの湯」の前を通る。記念撮影のラッシュ。商店街を抜ける。何人もの人が話し掛けてくる。
ここから52番までのルートは、沢山ある。山頭火一草庵の前を通るルートにも未練があったが、「旅ごろも吹きまくる風にまかす」(これ山頭火の句)一番北側の道を行く。
溜め池が多くある、気持ちの良い道であった。
途中、蓮華寺にもお参りする。誰もいない。本堂の階段を上ると突然、般若心経のテープの声。人感センサーらしい。「これはヤリスギだべ」と思わず声をあげちゃった。

太山寺に向う道、溜池が多い 


太山寺一の門

太山寺二王門

 太山寺本堂

一の門を通り、14:00 52番太山寺に着く。
この寺は規模が極めて大きい。一の門、二王門、山門を経て本堂まで1kはある。
本堂は重厚かつ優美、見事である。鎌倉時代の建物で国宝だという。
車で来た遍路さんが「納経所はどこだろう・・」とキョロキョロ。「300mほど戻った左側に表示がありましたよ」。
来た道を戻って2.5k、15:10 53番円明寺に着く。
ここは52番とは対照的なコンパクトなお寺である。どういう訳か、山門の左奥のまた奥の方にキリシタン灯籠がある。

円明寺 


 円明寺山門

堀江の街を通る。「ほりえ」懐かしい地名だ。ここの港からは広島へ渡る船が出ている。むかし、この港を通って、広島と松山を何度か往復したこと。そのときのことを想い出す。

16:30 民宿四国に到着。同宿の遍路は、あとひとり。53番でちょっとお見掛けした人。山で転んだと言っている。目の周りが黒いアザになり、腕は傷だらけ。
あとは、商用らしい3人、別の室で車座になって大声出して酒を飲んでおる。
廊下の物干し台に洗濯物を干す。遅くなって、廊下で物音。出てみると、おかみさんが洗濯物の前に扇風機を置いている。「いやー どうも・・」。こんな細かな心遣い。ありがたいものだ。

本日の歩行:40249歩     地図上の概算距離:22k

本日お参りした札所:
第五十番  東山   瑠璃光院    繁多寺
本尊:薬師如来
宗派:真言宗豊山派
開山:行基
松山市出身で時宗開祖の一遍上人が修行した寺。地元では「ばんたいじ」と呼ばれている。

第五十一番  熊野山   虚空蔵院    石手寺
本尊:薬師如来
宗派:真言宗豊山派
開山:行基
遍路元祖と言われる衛門三郎が石を手に握り、伊予守・河野家の男子として生まれ変わったという(石手寺縁起)。石手寺の名の由来である。
道後温泉に近く、観光客が多く訪れている。

第五十二番  瀧雲山   護持院      太山寺
本尊:十一面観音菩薩
宗派:真言宗智山派
開山:真野長者
大分・臼杵の石仏を造立した真野長者の開基。鎌倉時代に建てられた本堂は重厚、壮大である。(国宝)一ノ門、二王門、山門を有する極めて大規模な寺である。

第五十三番  須賀山   正智院      円明寺
本尊:阿弥陀如来
宗派:真言宗智山派
開山:行基
境内にキリシタン灯籠がある。小規模な境内だが、落ち着いた風情がある。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

四国遍路の旅記録(平成17年)第2回 その9

10月6日     ひわだ峠で会った人

天候:曇りのち晴れ

 早朝の国道379号を行く

足は痛むがどうにか歩けそう。7:05 宿を出る。
早朝の国道379号を行く。この辺、所々新しい広い道やトンネルが出来ている。

国道沿いの古い墓

 宮の谷口バス停留所

バスの停留所ごとに小屋がある。
バスは日に数本、普段は格好の休憩所となる。夜は野宿遍路の宿ともなるだろう。
足が痛む。小屋があるごとに休む。
小田町の立派な三嶋神社を過ぎると、下坂場峠への山道となる。峠は標高570m、きつい登りではない。

三嶋神社

下坂場峠に向かう遍路道

最短の遍路道?(宮成)

峠から一旦、宮成の集落まで下り、こんどは標高790m鴇田(ヒワダ)峠への山道となる。宮成では、最短の遍路道?を通る。
舗装道から家の後ろを通り、約20m、すぐにまた舗装道に出る。へんろ石やへんろ道マークもしっかりある。「これジョーダン」という声が聞こえてきそうだ。

かなりきつい坂を登って、鴇田峠に出る。ここには、札掛け台やお堂がある。
お堂の前には、苔に埋まってよく読めないが、病気が治ったことを謝すことばを刻んだらしい石がある。
峠の名は「一説に、大師が八十八か所開基の折、大洲からづっと雨、ここに来て初めて晴れ、「日和りだ」と言ったのが訛ったものだという」と案内板にある。大洲からの天候の変化、奇しくもこの度の私の旅と一致している。不思議な符合ではある。

鴇田峠遍路道の始まり

 鴇田峠のお堂

鴇田峠の札掛け

鴇田峠

ここも先日通った松尾峠、柏坂峠、歯長峠と同様、以前は生活道で昭和30年頃まで、茶屋があって多くの人が通ったという。
峠からの下りは荒れた道、懲りて、下りの一部は砂利を敷いた林道を歩く。
下り切ったところにあるトイレのある休憩所。ここで会ったちょっと不可解な人のこと、コラムに記す。

久万高原町に入る。大きな町立病院がある。16:00 ここに寄る。
「こりゃ捻挫だ、疲労も溜まっとる、1、2日休みなさい」と先生。「休みたいのは、やまやまでござんすが、そうはいかんのでごぜえます」と意固地な遍路。
結局、痛み止めの薬をいただいて病院を後にする。
16:40 本日の宿、笛ケ滝に到着。
あかるく、とても親切なおかみさん。
同宿は、横笛を吹いて札所をまわっている京都の若い女性TAさん、松江の好青年Wさん。TAさんはプロの演奏家。国内、海外でジョイントを含め、多くの演奏実績があり、その世界では著名な方であるらしい。(教えていただいたHPで確認したこと。)
この宿の名とTAさんの奇縁、笛と苗字の一文字。この宿を選んだ理由の一つでもあったようだ。
Wさんは充電期間を3年ぐらい、四国を皮切りに中国やインドにも行きたいと言っている。
夕食後、おかみさん、ご主人、WさんそれにTAさんから「おとうさん」呼んでいただいて、うれしいような悲しいような私。この4人を聴衆に笛の演奏を聞かせていただく。
篠笛など5本の笛で、自作を含む5曲の演奏。身と心に染み透るような力強い笛の音色。しばしの陶酔。

本日の歩行:39246歩     地図上の概算距離:20k

コラム「出会い」   職さがしで歩くひと

鴇田峠を下ったところ。道の傍の沢でペットボトルに水を汲んでいる人がいる。すぐ近くのトイレのある休憩所で休んでいると、その人が戻ってきた。そういえばリュックが置いてある。

「すいませんが、タバコいただけないでしょうか、2、3本」それがきっかけで話をする。
50代前半の感じ、こぎれいな色シャツを着たおじさん。
「沖縄の者です。職を失って、遍路しようと思ってどうにか50万円貯めたんですが、九州に渡る船の中で全部盗まれましてな。それから都城で漁師の手伝いをして、佐伯から宿毛に渡ってきたんです。宿毛からは、遍路の道を辿ってここまできたんです。きのうからこの休憩所で寝ておりますです。」
ちょっと不思議なはなしではある。
「遍路の格好してないと、お接待もないでしょう。ところで仕事を探しておられるんなら、こんなところで泊まっていてもどうしようもないでしょう。ここから松山の街まではそんなに遠くないですよ」。
「はあー、でもここに今晩も泊まりますです。あのータバコもう2、3本、これがあれば紛れますから・・」

その晩、同宿の遍路さんもこの人が、休憩所にいるのを見たという。気味が悪いので近づかなかったとか。
どうも、不可解なはなしである。



10月7日     岩屋寺の笛の音

天候:晴れ時々曇り
今夜はこの宿に連泊する。リュックの中の大半を宿に置く。
おかみさんから戴いたお接待のおにぎりをリュックに入れ、薬を飲んで 7:15 出発。

大宝寺二王門

大宝寺

7:45 
44番大宝寺着。
鬱蒼とした森の中にあるお寺である。
納経所の女性から「45番はここの奥の院でした。45番にお参りしたらここに戻るのがほんとうです」と言われる。
山門を出て左折、森の中の遍路道に入る。峠御堂トンネルの先で県道に出る。
若い遍路とすれ違う。「どっかであったよねー」。あの暑い日、白浜の海岸でだ。(9月25日)。姿もすっかり遍路じみてきている。
3kほどで県道から右折、八丁坂に向う遍路道に入る。
八丁坂は、高低差160mを600mで登る。宿のおかみから「わたしは行ったことないけど、きついらしいよー」と脅かされていた。それが利いて、「この先がきついのか・・」と思っているうちに、尾根に達した。

八丁坂に向う遍路道の入り口

八丁坂

岩屋寺に向う尾根道 

 
1丁ごとの石仏

岩屋寺まで尾根道を行く。
近づくと1丁ごとに道標の石仏がある。急な下り坂となり、あたりは沢山の明王や童子の石像、大岩がまっ二つの裂けたような、白山権現を祀る鎖禅定(セリ割行場)、不動明王を祀る穴禅定の二つの行場が現れる。
行場の入り口は柵があり錠がかかっている。寺の納経所で鍵を借り、修行体験ができる。

岩屋寺裏山の不動明王

セリ割行場


岩屋寺
 


岩屋寺山門

 体佛

12:00 
45番岩屋寺着。
山道からは、参道、山門を通らず直接本堂の横に出る。
巨大な岩山に食い込むようにお堂が建っている。壮観である。
お参りし、納経所の横で休んでいると、本堂の方から笛の音が聞こえる。岩にこだまして朗々と響きわたっている。TAさんだ。
近くの遍路さんも一斉に聞き入っている。TAさんに会って、「よかったですよー」とお礼を言う。
長い参道を下る。次々と上がってくるバスで来た遍路さん達が息を切らせている。
夥しい数の石仏が並んでいる。これも壮観である。
帰りは、一部県道を通り、国民宿舎の横から遍路道に入る。
八丁坂の登り口を過ぎ、今朝来た道を逆行するところ、道を間違えた。林道を1k以上進んだところで、山作業の地元の人に出会い間違いに気付く。林道を戻り1時間近くのロス。
大宝寺横の峠御堂トンネルを通る。短いトンネルではあるが、この度通ったなかでは最も歩道が狭い。へんろ道保存協力会のご努力で蛍光帯が用意されているが、なかには肩を掠めるように過ぎる車もある。通りたくないトンネルである。

17:00 宿、笛ケ滝に戻る。
「おそかったねー」とジュースを差し出すおかみ。「道、間違っちゃって・・」と言い訳する遍路。
同宿は、昨日に続いてTAさん、それと45番で合流したTAさんの友人、若い男性。
TAさんは、45番本堂前で演奏した後、友人と鎖禅定を登り岩の上でも笛を吹いたとのこと。笛の音は岩にこだまし、何処からともなく法螺貝がそれに和したそうだ。この人の笛は全身を使って吹く。さすがにお疲れの様子。

世の現象は、世の動きの鏡でありましょう。遍路の形の変遷も例外ではないはず。
ごぜ三味線の奏者で遍路記まで出版された(「平成娘巡礼記」文春新書)月岡祐紀子さんに見るように、若い邦楽の演奏者の四国遍路は、増えているのではないでしょうか。
彼女、彼らの遍路は、活動の基としての心身鍛錬ということもあるでしょうが、その最も大きな目的は、自らの芸術表現の場をこの四国、遍路の地に求めているのでしょう。
夫々の遍路ということか。
TAさんの生き生きとした姿を、うれしく、また頼もしく垣間見ながら、おとうさんは、つらつらこんなこと考えておったのであります。

本日の歩行:44147歩     地図上の概算距離:21k

本日お参りした札所

第四十四番  菅生山   大覚院      大宝寺
本尊:十一面観音菩薩
宗派:真言宗豊山派
開山:明神右京、隼人兄弟
文武天皇の時代、大宝元年、猟師が山に入り観音像を発見、堂を建て安置したのが始まりという。朝廷の知るところとなり、天皇の帰依を受け、立派な堂舎が建てられ勅願所となった。なお、久万町の名は、空海を接待した老婆の名という。

第四十五番  海岸山      岩屋寺
本尊:不動明王
宗派:真言宗豊山派
開山:空海
空海が来るまでは、法華仙人という女性の行者の修行地であったという。鎖禅定、穴禅定の二つの行場があり、修行体験ができる。
山号の海岸は、空海の歌「山高き谷の朝霧海に似て松吹く風を浪に喩えん」による。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ