四国遍路の旅記録 二巡目 第1回 その4

平成18年10月21日     「きつーてもへんろ道を通るでござる・・」


行程
大日寺門前の宿より、第14番札所常楽寺、第15番札所国分寺、第16番札所観音寺、第17番札所井戸寺、地蔵院、地蔵越え道を経て、第18番札所恩山寺、第19番札所立江寺 まで。

歩行距離:28.5k(地図上の札所間の距離を示す。)

宿泊:鮒の里

今日は、初日と同じ7箇所のお寺にお参りする。17番札所と18番札所の間は、約17kあり、徳島市街を通るルートと、市街を迂回して峠道を通るルートがあります。前回市街を通ったので、今回は遍路道もある地蔵峠越えの道を選びました。
大日寺門前の宿を出て、2、3kの間隔にある4つの札所にお参りします。札所毎に、車でお参りの遍路の同じ顔ぶれに出会います。「早いですねー」と言われるが、この間隔の札所では、車と歩きの差は殆どないのです。

大日寺から常楽寺に向う道の石仏。


第14番常楽寺。お寺は、流水模様の見事な岩上にある。


第15番国分寺。境内には、塔の礎石などが残る。往時を偲ぶ。

 第16番観音寺

第17番井戸寺


井戸寺境内の面影の井戸。覗いて顔が映ると延命すると伝える。

地蔵院

地蔵越遍路道の入口 

徳島市街の南を流れる、園瀬川が美しい。 


第18番恩山寺。大師が修行中、母の来訪を受け、孝養を尽くしたと伝える。

第19番立江寺

「道しるべ」 地蔵越の道

峠の前後に県道をバイパスする3つの短い遍路道があります。地蔵院を出てすぐ始まる最初の道。小さな水車や鹿おどしが置かれた流れに沿う楽しい山道。次は峠を越える急坂の上りと下りの道。3番目は、県道のU字カーブを短絡する急坂の下り道。いずれもけっこうきつい坂があり、張られたロープの助けを借りないと危険な箇所があります。
「おじさーん、へんろ道とおるこたーないでー。きついだけで10分も短くなりゃーせんよー」と声がかかる。「まじめへんろは、きつーてもへんろ道を通るのでござるよ」と応じる堅物遍路。


地蔵越えの遍路道を過ぎ、県道203号を歩く。美しい園瀬川に沿った道なのだが、歩道がありません。車の通行も多く、トラックが肩を掠めるように通ります。歩き遍路にとって、けっこう危ない道なのです。県道135号を経て、広い国道55号に出ると、恩山寺はもう近い。

今回の遍路でも、道を歩いていて、お会いするお年寄りから子供まで、多くの方から励ましと労いのお言葉をいただきました。人も滅多に通ることのない田舎の道で、お年寄りから声を掛けられ、立ち話をしたこともありました。こういう気持ちのお接待は、心に沁みてうれしいものです。
しかし、この時まで、物やお金のご接待を受けたことはありませんでした。この日、地蔵越から恩山寺に向う道で、みかんをいただいた。恩山寺から、立江寺の道で、自転車のおばさんからビニールで編んだ草履のミニチュアと健康ドリンクのお接待。ああ、その前、国道55号で後ろから来た車が止まる。40程の男が出てきていきなり1000円を渡される。これには困った。いただけない、受け取れで押し問答。結局札所への代参の賽銭ということで受け取ってしまうことになったのです。

恩山寺の手前で、初日、安楽寺宿坊でご一緒したIさんが追いついてきて、その後、立江寺まで同行します。恩山寺先の美しい竹薮の遍路道を歩きながら、Iさんは五島列島の話をします。「今の私には良い処ですよ・・」。長く教員を務め、その後頼まれて幼稚園の園長を2年間したという。外れたことのない人生を送られ、やっと、念願の遍路ができる境遇になられたようだ。その気持ちが伝わってきます。
立江寺でお参りしていると、何とOさんがいる。「追いつかれちゃった」「昨日は、別格徳島市街で・・」などと言っています。
Iさん、Oさんはここの宿坊に泊まる。私は門前の民宿。

民宿鮒の里は、「へんろお接待処」とあります。宿泊だけでなく、昼はへんろの休憩所になっています。お隣に住む夫婦が、やっておられる。大工さんだという。そう言えば、ここもちょっと凝った造り。ただ、室の上部の仕切りが無く、音が筒抜けなのは・・。話好きで可愛い感じの女将さん。とても安いうえ、翌朝はおにぎりのおべんとうまでお接待。



平成18年10月22日     慈眼寺への道、坂本の宿

行程
:立江寺門前の宿より、別格3番札所慈眼寺、穴禅定 へお参り、坂本に戻る。

歩行距離:24.4k(地図上の距離を示す。)

宿泊:ふれあいの里さかもと


勝浦町、奥の山間の村、薄っすらと紅葉。

慈眼寺への遍路道

別格3番慈眼寺

慈眼寺と岩山

穴禅定への道の大師像

本日で今回の区切りの終りとしたい。別格3番慈眼寺の他、星の岩屋あたり、あるいは20番鶴林寺に足を延ばしたかったが、いずれも、時間的に少々無理がある。慈眼寺のみとします。

宿を出て、県道28号を歩き始めると、立江寺方向から何人かの遍路がきます。昨日、顔を合わせたIさん、Oさんの他に、Tさん、Yさんまでいるではないか。初日以来の仲間の大半が揃ったことになります。
づっと肩を並べて歩くのではなく、各々のペースで歩き、休憩毎に顔を合わせるといったパターンで歩きます。遍路の姿を見ながら歩くのは楽しいことです。
皆は、20番鶴林寺に向う。慈眼寺に行くのは私一人。

勝浦町の横瀬橋を渡り、坂本川に沿って約4.5k歩き、「ふれあいの里さかもと」に着く。ここは、昔小学校だった建物を利用した宿泊施設、地域の文化交流の場ともなっています。
玄関先は、多くの人で賑わっています。今日は日曜日。「へんろ道を歩こう」のイベントで2、30人の人が慈眼寺までハイキングするという。
リュックを置かせてもらい、慈眼寺までの遍路道地図をいただく。ハイキングの皆様には、「お先に・・」と出発させていただく。


「道しるべ」 慈眼寺への道

へんろ地図では、遍路道の詳細は不明ですが、「ふれあいの里さかもと」から約300m散髪屋前の坂道が始点。その後は、標識が各分岐に設けられており、注意すれば迷うことは無いと思われます。できれば、「さかもと」でいただける地図に拠りたい。慈眼寺までは約3.3k、標高差400m、山道と舗装車道を交互に通る。山道は生活の匂いが強く感じられる独特の風情を持つ。丁石も数個残されています。
上り、下りとも私の足で1時間20分ほど。それほどきつい道ではありません。
途中、舗装の広域農道から山道に入ったところにへんろ小屋があります。外観に違い、中はけっこう広く、清潔です。休憩させてもらう。地元の人にことわれば、泊まることもできよう。
慈眼寺の先550m、標高差100mを登り、穴禅定があります。

穴禅定での修行は、団体が入っており、1~2時間待ちだという。私は大岩の前のお堂にお参りし、禅定は諦めました。
やがて、イベントの団体で境内は満員となります。入れ替わりに下山します。

「ふれあいの里さかもと」は、大変立派な施設です。広く清潔な室、風呂、無料の洗濯・乾燥機。宿の人の対応も親切で気持ちよい。受付の女性、「東京に住んでたこともあるのよ」それも、私の住所の近く。美人です。
今日の泊まりは、私一人。寂しい夕食は唯一の心残りではありました。

翌朝、「さかもと」の近くのバス停から徳島行きのバスに乗る。今回の区切りの終りです。バスは、昨日歩いた道を逆に辿る。思わず、窓から遍路の姿を探したが、見ることはできませんでした。1時間余りで、徳島駅に着く。

お参りした札所・霊場

別格第三番札所 月頂山 慈眼寺(じげんじ)
本尊:十一面観世音菩薩
開基:空海
宗派:真言宗高野派
空海が延暦年間(782~806)に開山したといわれ、本尊十一面観世音菩薩は空海作と伝えられる。弘法大師19才の時、世の中の人々の生活苦、病苦及び一切苦厄を除くために修業中、夢の中でお告げがあり、鍾乳洞を発見し邪気払いのため護摩供の修法を行い、堂宇を建てて霊場としたという。
山岳修験寺として有名で洞窟での「穴禅定」が行われている。

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四国遍路の旅記録 二巡目 第1回 その3

平成18年10月20日     「おへんろさーん、がんばれ・・」


行程:
寄井の旅館を出て、建治寺、別格2番札所童学寺、第13番札所大日寺まで。

歩行距離:25.7k(地図上の札所、お寺間の距離を示す。この日は相当迷った。実際の歩行距離は30kをこえていたでしょう。)

宿泊:名西旅館


県道207号を行く。やたらとセイダカアワダチソウが目立つのだ。

やっと見つけた建治寺への下り道。

建治寺

建治寺行場

建治寺より鮎喰川を展望する。


建治寺から童学寺に向う。遍路道の始まり。

7:00 宿を出る。Oさんは既に早出。ISさんは、バスで13番札所に行く。バス停前で握手して別れる。「いい出会いがありますように」

実は、昨夜の宿は手配遅れで、そこしか無かったのですが、ここに泊まった以上、予定の建治寺へは通常の北側からのルートではなく、国道438号、鬼籠野(オロノ)から県道21号、207号を経て南側から上るルートが好都合だと、へんろ地図を眺めながら思いました。実はこれが誤りだったのだが・・。

県道207号は、人も車も殆ど通りません。道の両側は、セイダカアワダチソウの黄色に占められています。昔からの秋の花、コスモスは今やその地位をこの黄色の花に譲ってしまったようです。
路傍の地蔵堂に手を合わせるおばあさんにお会いしました。「あーら、おへんろさん・・」とにっこり。しばしの立ち話。心が癒される会話です。

「道しるべ」 建治寺への道

県道207号の大桜トンネル前を左折、神山森林公園の標識を目印に進む。地図では一本道のように見えますが、森林公園の整備に伴うものでしょう、縦横に新道があります。建治寺の標示は皆無と言ってよい。おまけに通りがかりの誰に聞いても、「コンチジー?、ワシは知らんなー」
右往左往し、やっと公園の管理の人を見付ける。「右行って、左行って、上がって、下がって・・・」。うーん、憶えられんなー。
とにかく前進、公園の一角から見当を付けて山を下ります。おっ、仏のご加護か、公園の草取り・清掃のおばさん連がいます。軽の車もあります。「おへんろさん、ざーんねんです、行き過ぎでーす・・」、「車で連れてってあげようか・・」、「ああ、ここからは車じゃ行けないんだった・・」、ヨレヨレ遍路は、赤くなったり、青くなったり。
「頼む、地図書いておくんなせー」。おばさんの書いた地図を手に、「おへんろさーん、がんばれー」の合唱を背に下った山を再び登ります。
やっと唯一の建治寺の標識を発見。廃道のような急坂を下り、やっと寺に辿り着く。地図上3.6kを実に2時間半以上掛けたことになりました。

寺より県道21号への道。門前の駐車場からの車道をしばらく行き、子持地蔵を左折、遍路道へ。(へんろ地図H280の地点) やや荒れているが、楽にH210地点に至る。私は、別格2番に行くため、ここから車道を下って、行者野橋を渡りました。



建治寺の納経所で納経をお願いすると、若い女性がちょっと馴れぬ動作で書いてくださる。隣には若い男性もいます。辰濃和男さんの本「歩き遍路」でも紹介されているが、ここで修行をする若い人は多いという。何か独特の雰囲気を持ったお寺なのです。よく、不思議も起こるという。私は出会わない。もっとも、こうやって迷い迷いながらもお参りできたのも、何かのお力のお陰であるかもしれませんが。


別格2番童学寺、「いろは四十八文字」はこの寺で創作されたといわれる。

「道しるべ」 童学寺への道

新童学寺トンネルを抜け、へんろ地図には、斜め左折する遍路道が記されています。舗装道でロープが張ってあります。
「ロープを越えて進む」とのアドバイスを何処かで見たことがあります。しかし、その先は行き止まり、道は発見できず。仕方なく戻り、1k近くの遠回りだが、正規の参道を行きます。
寺からの帰りは、ロープの所に出られるのではないかと寺前を直進。大きなお宅の敷地内。きれいな奥様が出てこられて「あーら、以前はこの上の山道が通れたのですが・・、この竹薮を抜けてください」。奥様の指令よろしく竹薮を右左、ロープに繋がる道に出ました。
この道、どうも真っ当な遍路が通る道では無さそうですぞ。

鮎喰川 、もう夕暮れ、鷺の姿が見える。

第13番大日寺

大日寺向いの一宮神社

広い鮎喰川を眺めながら大日寺への道を行く。秋の日は短い。もう暮色だ、川面に鷺が見えます。

16:25 13番大日寺に到着。納経所の高齢の女性から「ごくろうさま・・、今日のお宿は決まっているの・・」と労いのことばをいただく。心暖まる。ありがたい。

宿の女将は名物女将です。話好きで面倒見がいい。同宿は、中年の女性二人連れ、団塊の世代の男性、バイクの40代男性、車遍路の夫婦二組でした。どうもワシはどうしようもない頑固爺遍路に見られたらしい。夕食は盛り上がり、また話が絡み合う。

お参りした札所・霊場

番外 大滝山 建治寺(こんちじ)
本尊:金剛蔵王大権現
開基:役の行者小角
宗派:真言宗東寺派
役の行者小角の開山による古刹。後、空海も久しく荒修行したという。
現在も修行に訪れる者が、絶えない。独特の雰囲気をもった寺である。

別格二番札所 東明山 童学寺
本尊:薬師如来
開基:行基菩薩
宗派:真言宗善通寺派
飛鳥時代の古刹である。空海が十六歳の折、逗留し学問に親しんだと伝える。
日本の民衆教育の最初である「いろは歌」47文字を創作されたと伝えられている。

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四国遍路の旅記録 二順目 第1回 その2

平成18年10月18日     青い青い吉野川の流れ

行程
安楽寺を出て、第7番札所十楽寺、第8番札所熊谷寺、第9番札所法輪寺、第10番札所切幡寺、第11番札所藤井寺まで。

歩行距離:20.9k(札所より宿の距離は含んでいない。)

宿泊:さくら旅館(鴨島)

第7番十楽寺。納経所、宿坊など大改築工事中。

熊谷寺仁王門。去年の春は桜がきれいだったなー。思い出す。 

第8番熊谷寺山門と遍路さん。

第9番法輪寺。


第10番切幡寺。333段の石段、 意地で荷物を背負って上る。

吉野川潜水橋。手前の橋、水はない

吉野川潜水橋

吉野川

吉野川。何と美しい水か。

吉野川の水。遍路の影を映す。


吉野川潜水橋。川島橋。この上の休憩所でゆっくり休む。

藤井寺山門。

第11番藤井寺。

第7番、第8番と、私が門前を出ると、昨夜同宿のTさんが門前に。私がちょっと早く回っているようです。手を挙げて挨拶。
第8番熊谷寺の立派な山門。去年の春は、桜がきれいでした。桜とともに、お会いした人のことを思い出します。懐かしいが会う術はない。遍路は大体、一期一会なのですから・・。
熊谷寺のご本尊、十一面観世音菩薩は、年一回のご開帳。金色輝く菩薩にお会いできました。
第9番法輪寺では、神奈川から来た若い女性の遍路と話す。27番から逆打ちで回っている。ここも11番→9番→10番→8番と変則に回るという。地図で確認すると、なるほどこの方が近いのかもしれない。
足は相当速い。10番までの間、姿を100~200m前方に追う。

第10番切幡寺の333段の石段を上ってぐったりとしていると、本堂前に若い女性が二人います。先ほどの神奈川の女性ともう一人。昨晩の宿坊でちらっと見掛けた人。この人が神奈川から来ているISさん。同県、それも隣町ということですっかり打ち解けて話している様子。ISさんとは、この後も会い、翌日は、焼山寺の山道を殆ど同行することになります。とても素直な飾らない性格の人、私にとっては、娘いや孫に近い歳。まーいいじゃござんせんか。遍路仲間。

吉野川の水は、青く何とも美しい。川を渡る潜水橋、車1台が通る巾しかありません。車はかなり頻繁、歩行者は遍路以外はまずいない。遍路にとってここは結構危険な橋なのです。水の流れに見とれて油断しててはなりません。
昨年は、ここで写真のお接待をいただいたところ。思わずカメラを持ったSさんの姿を探しました。人影はありません。

13:30、11番藤井寺に着く。ここは、札所では珍しい臨済宗のお寺で、地味な独特の雰囲気を持っています。今日はもうこの先には行けません。時間が余裕があり、ゆっくりお参りします。
私は、昨日まで今日は高越寺の山登りと色気を捨てきれないでいたので、宿の手配が遅れた。この近くの宿は既にいっぱい。
昨年も泊まった、鴨島駅前の旅館に予約。いい宿だがここから3kぐらい距離があるのが難。
時間を持て余し、ベンチに座っていると、ISさんがやってくる。スクーターのおっさんが、近くの宿まで案内してやると門前で待っていると言う。
私は前回、女性を案内して金をとるあくどいおっさんに会っているので、ちょっと心配。一緒に門前に出て、おっさんとちょっと話をします。まあ、悪い人でもなさそうだ。大丈夫だろう。
(吉野川の畔で、写真のご接待をいただいたSさんのこと、そして、女性を案内する怪しいおっさんのこと、平成17年3月31日の遍路日記に記したこと。)



平成18年10月19日     若い遍路仲間とともに

行程
第11番藤井寺を出て長戸庵、柳水庵、一本杉庵を経て第12番札所焼山寺、その先 、寄井の旅館まで。

歩行距離:22.1k(地図上の距離を示す。)

宿泊:桜屋旅館(寄井)


藤井寺を出る。すぐ急坂の登りが始まる。

長戸庵

 
長戸庵付近の尾根より吉野川を望む。

 
柳水庵近くの杉林の道

柳水庵近くの尾根道

 
柳水庵に新しく出来た小屋。水がおいしい。

一本
杉庵(淨蓮庵)の大師像


 
一本杉庵(淨蓮庵)の大師像と大杉

 
左右内(そうち)の集落。春は梅がいっぱいだったなー。

焼山寺山門

 第12番焼山寺

 
杖杉庵、遍路の元祖と言われる衛門三郎と大師の像。

今日は、88札所巡礼中、最大の難所といわれる焼山寺越えです。700mクラスの山を3回登り降りします。
前回は、大休憩を繰り返し7時間を要しました。今回はどのくらいで行けるか。登りは肺の具合も試されます。
6:50 藤井寺を出発。1時間後3.3k先の長戸庵で休憩していると、Tさん、ISさん、それに滋賀のYさんがやってきます。いずれも、昨夜、藤井寺付近の宿に泊まった仲間。
9:05 3.4k先の柳水庵に到着。ここで、6時頃藤井寺を出たという千葉のOさん(30代)が合流。
9:23 柳水庵を出て、2.2k先の一本杉庵を目指す。ここの登りはきつい。私の肺は爆発寸前となり、足の肉刺に悩むISさんにも先行してもらう。独り山道に座って、静かに山の空気を吸っていると、穏やかな気持ちになります。何か、力を戴いたような気がした。10:13 一本杉庵のお大師さんが迎えてくださる。同行の連中も皆待っています。
ここより1.6k山を下り、左右内の村へ。川のほとりで、旅館でお接待いただいたお握りの昼食。包み紙に書かれた女将のメッセージにほろり。
最後の急坂2.5kを登ります。12:35 焼山寺の山門をくぐる。5時間45分でした。まずまず標準的な所要時間。私の肺でよく歩けた。一本杉庵前で力を戴いたためかもしれません。思わず、合掌、南無大師遍照金剛。

ここより山を下り、9.2k先の宿まで歩きます。同宿のISさん、Oさんと一緒です。
鮎喰川沿いの神山の町が見えてくる。15:30桜屋旅館に到着。
Oさんは、転職の間の期間、2ヶ月でゆっくり四国を回るという。クリクリの頭がよく似合う、どう見ても若いお坊さんという風貌なのです。ISさんは、独特の性格のいい娘さん。食事の後、足の指を見てくださいという。指がもげるんじゃないかと心配だという。「大丈夫、肉刺になりかけ、水を抜いて、テープまいときゃ大丈夫・・」、「あーよかった」

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四国遍路の旅記録 二巡目 第1回 その1

二巡目の四国へ  (平成18年10月17日~22日)

今年の5月、88番札所大窪寺で結願させていただいた後、9月、お礼参りとして高野山に上りました。山上に、思いも掛けず出現する壮麗な寺の街は、驚きでありましたが、あの四国の地を歩かせていただいた者にとって、何処となく違和感を感じる処でもありました。それと・・・。
さすがに、金剛杖と菅笠は持ちませんでしたが、せめてという思いで、背中にご宝号を記した白衣を着て、九度山の駅から高野山に通ずる町石道を歩き始めたのです。最初の四国の区切り打ちで知り合った、大阪のYさんに同行・案内いただいています。これは、かねてからの約束。
町石道での白衣装束は、失敗だったようです。山道で出会う数人のハイキング姿の人から、悉く敬遠された感じ。われは我と思えば、気にすることもないのですが・・。
白衣装束が、四国の地以外ではそぐわないものであることを実感しました。さらにショックなことが・・・。
丹生都比売(にうつひめ)神社から二ツ鳥居に向かう登り坂で、異常に胸が苦しくなりました。足が進まない。予約した宿坊に5時までの到着はとても無理。二ツ鳥居から急坂の道を下り、上古沢駅へ。電車、ケーブルカーで高野山へ上がる破目となりました。
帰宅後、病院で肺気腫の診断。長年の不摂生の報いです。
巡礼の道としての四国のすばらしさを改めて感じました。この道をいつまで歩くことができるだろうか。薬を吸いながらでも・・、坂道は登れるだろうか。こんな思いが、私を二巡目の四国遍路へと急き立てました。

前回、お参りすることができなかった88札所を巡る道から大きく外れた、別格札所や番外札所にもできるだけお参りしたい。きつい山の上にあったり、山越えの番外札所は、体調次第とする。おそらく無理でしょう。
別格や番外のお寺への遍路道は、88札所の遍路道に比べ、道しるべ(標識)は急激に少なくなります。遍路道自体の整備もなされず、年月は草木にその道を覆わせ、廃道と化しているところも少なくないと聞きます。
わたしが通ったこれらの遍路道については、別欄「道しるべ」としてその状況を記しておきたい。なお、へんろ地図とは、へんろみち保存協力会編の地図(第7版)をいいます。

「道しるべ」の記録のほか、この二巡目の日記をどのように記しておくか、頭の中の整理ができていません。
この一番札所から始まる徳島の区間は、前回、写真を殆ど撮らなかった。それを補う意味で、できるだけ、多くの写真を貼っておこう。
日記の内容については、徐徐に追加できたらと考えています。お許しあれ。


平成18年10月17日  持鈴の音を聞きながら・・二巡目の旅に

行程

第1番札所霊山寺より、第2番札所極楽寺、第3番札所金泉寺、愛染院(第3番奥の院)、第4番札所大日寺、五百羅漢、第5番札所地蔵寺、別格1番札所大山寺(たいさんじ)、第6番札所安楽寺まで。

歩行距離:24.3k(今回は、万歩計不良につき、地図上の札所間の距離を示す。実際の歩行距離は1割増し程度でしょう。)

宿泊: 安楽寺宿坊

第1番霊山寺にお参りし、納経所、売店に行く。3度目であり、勝手知ったる・・という処。新たに金剛杖と納経帳、それに一番小さな持鈴を買います。売店の女性は、以前の印象とは異なり、とても親切、何かとアドバイスいただく。この持鈴、とてもいい音がします。本来、お参りの読経の際、振るものですが、私は大方頭陀袋から下げて歩きました。独り歩く山道では、心に染む慰めとなったものです。

 第1番霊山寺

 第2番極楽寺

極楽寺境内の長命杉。大師お手植えと伝える。

黄金の稲の中を行く遍路道

第3番金泉寺 

 大日寺への遍路道。最初に出会ういかにもへんろ道らしい道。


愛染院。ここに御住いらしい女性から親切に道を教えていただく。

第4番大日寺

大日寺山門の鐘


地蔵寺近くの句碑 「道岐れすなわち遍路しるべかな」

第5番地蔵寺

地蔵寺の大師像

1番霊山寺から、接近している2番、3番の札所を過ぎると、いかにも遍路道といった風情の山道に会えます。第4番、大日寺に向う道。心が開けるようです。
これらの道は、昨年の3月末、即ち1年半ぶりに通る道です。意外に良く憶えているもの・・。とても懐かしいのです。ただ、その時はやたらと長く感じた道も、随分短く感じるものなのです。

3番金泉寺では、愛知のTさんにお会いする。納経所前のベンチでうまそうに煙草を吸っています。「いいですなー、実は・・」と話し込む。Tさんも二巡目だそうです。Tさんとは、今回の区切りの最終日まで、お会いすることになります。
4番大日寺は、山に囲まれた、雰囲気の良いお寺です。五百羅漢、5番地蔵寺にお参りすると、昼時。
食堂を探すが、見当たらず、商店でパンを買い、大山寺への道を訊ねます。

大山寺遍路道の始まり。飛地蔵堂の標石。

草むす遍路道

大山寺仁王門 、ここより長い石段を上る。

大山寺の石段と山門

「道しるべ」 大山寺への道

徳島自動車道をくぐり(藍住42ゲート)約200m、飛地蔵堂の標石より(またはその前20mのコンクリート坂)遍路道が始まります。草の生い茂った急坂、柿畑の中を通り車道を横切る。車道をバイパスし、へんろ地図H230に至る道はやや急坂のコンクリート道。その先、車道が右折する(へんろ地図4.5k表示地点)より、地図には載っていない遍路道が寺の手前、約0.6kまで続く。前半の遍路道ほど急ではなく、山道といった風情。いずれの遍路道も、その入口に明らかに個人の厚意と思われる手製のへんろ札が下がっています。遍路道入口から大山寺まで、私の遅足で1時間20分

大山寺納経所の女の方は「へんろ道は整備してないから、荒れてたでしょう。通れました?」と仰る。標高差350m、それほどきつい道ではないのですが、初日ということもあり、意外に疲れました。肺の具合も良くない。この後、あわよくばと計画していた番外札所の山道を諦めるのには充分なパンチではありました。

第6番安楽寺

安楽寺の宿坊は、3組の団体が入り、大賑わい。個人の歩きも十人ぐらいは居る様子。団体の片隅で食事を戴く。愛知のTさん、九州五島列島のIさん、不明の女性、・・その後もお会いすることになります。
食事の後は、本堂で御勤め。ご本尊薬師如来のご真言を何度も何度も唱える。ご住職のご講話。この国の仏教では、この何度も何度も口に出して唱えること、それも多くの人が声を揃えて、これが重要だということ。唱える回数を数える道具として、数珠があるということ。南無大師遍照金剛、南無阿弥陀仏、南無大悲観世音菩薩。四国遍路の道は、この三つが混じりあっていること。江戸末から大正時代初めにかけて、年中四国を巡り、人々に慕われた中務茂兵衛の話など、お聞かせいただく。

お参りした札所・霊場
(前回もお参りした88札所は、略し今回始めてお参りした主要霊場のみについて記す。)

別格第1番札所 佛王山 大山寺(たいさんじ)
本尊:千手観世音菩薩
開基:西範僧都
宗派:真言宗醍醐派
西範僧都により西暦525年開山の古刹。空海により堂塔が整えられ、恵果和尚より授かったと伝える千住観音を奉安する。空海作という波切不動明王を祀る。
開運招福の寺、男女縁結びの寺として知られるが、大山(691m)の中腹にあるため、歩いてお参りする者は少ない。なお、別格札所の納経帳は、ここの納経所でもとめることができる。

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木曽路宿場印象(2)
















     ここには、
     さわやかな日陰と、
     清涼な水がある。
     格子戸に懸けられた花籠、
     店先の、細かな木細工や、
     踊る人形の姿が、
     懐かしさと楽しさを誘う。
     豊かな時が流れていそうに、
     思わせる。
     中仙道、妻籠宿での想いです。

     (江戸時代、中仙道の宿場として栄えた妻籠宿。
      住人は「売らない、貸さない、壊さない」の3原則により、その街並み
      を今に伝えてきたという。苦労が偲ばれる。しかし、そのお陰で、
      この豊かな、懐かしい時間を、我々は体験できるのです。)
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