金子みすヾ記念館で


















     上の雪 さむかろな。
     つめたい月がさしていて。
     下の雪 重かろな。
     何百人ものせていて。
     中の雪 さみしかろな。
     空も地面(じべた)もみえないで。

     山口県長門市仙崎の港の埠頭にジャンプする鯨の像がある。その昔、ここは
     日本有数の捕鯨基地であったようだ。
     そんな港が見える路地に面した本屋の店番をしながら・・、こんなやさしい詩を
     うたった 金子みすヾ。明治36年の生まれ、本名金子テル、才能に恵まれながら
     も、不幸な結婚を経て、26歳の若さで自らの命を絶った童謡詩人。
     本屋「金子文英堂」は、後に映画のロケセットとして復元。今は、記念館の一部
     としてある。その店先で、上がり框で、そして座り机の前で、しばしその人の
     影を追った。
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赤煉瓦と石の建物の時間
















     広島港から船で30分、瀬戸内海に浮かぶ江田島に、この赤い煉瓦の建物は
     ある。現在は、海上自衛隊幹部候補生学校の校舎として使われている。
     その昔、太平洋戦争の終戦までは、海軍兵学校の校舎(生徒館)。
     この場所では、明治以来培われてきた日本の軍隊の心が生きている。現に、
     校舎の隣の、教育参考館のなかでは、多くの軍人が、英霊として、神として、
     祀られているのだ。忌まわしい過去という言葉は、ここでは禁句。
     だから、そんな話はしたくない。赤煉瓦の建物として見る。長い年月を経た建物
     の存在感は頑としてあるのだから。
     この建物、明治26年(1893)イギリスから輸入されたという煉瓦を用いて、
     イギリス人技術者の指導により建設されたという。当時、日本では、これほど
     美しい色と肌を持った煉瓦は製造できなかったそうだ。
     校舎の隣にある大講堂。大正6年、瀬戸内の島の花崗岩で造られた。
     少し荒れた空模様のもと、堂々とした姿を誇示する二つの建物。

     (ここは、日に数回、元自衛隊員の方の案内で、集団で見学する。
      ここでは、終戦という言葉は無い。明治から現代まで繋がった日本海軍がある。
      それをどう考えるか・・。それは、別の問題である。赤い煉瓦の壁にそっと
      触れてみる。すべすべした表面と、意外な暖かさを持っていた。
      このイギリス生まれの煉瓦が、もっと我々の生活に身近な建物のなかで生か
      されていたら・・と思わせられた。
      因みに、現在まで残されている著名な煉瓦造建物としては、西にはこの建物の
      他、大阪中央公会堂、福岡今村天主堂(以前に紹介した)。東には、東京駅、
      横浜新港埠頭倉庫、片倉工業富岡工場がある。)
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海食棚の波の煌き
















     山陰の島根県浜田に、石見畳ケ浦という浜がある。
     昔、浅い海の底であった所が、地震により隆起したものという。
     平らな磯に縦横に走る節理を、畳の縁に見立て、この名がある。
     砂岩層の中に、貝殻の炭酸カルシウムの働きで硬い天然コンクリートの塊が
     出来る。周りの砂岩層が、波の作用で削り取られ、不思議な地形として残された・・
     と説明書にある。
     眺めていると、様々な空想の世界に入り込めそうな、海食棚の風景であった。

     (山陰の浜は、まだ訪ねる人も多くはないと思われます。これが、大都市の近郊
      であれば、きっと遊歩道が作られ、直接浜を歩くことは出来なくなっているでしょう。
      ここは幸いです。漂流物はあるものの、海は美しく、キラキラと輝いていました。
      青い空に、高く丸く飛ぶ、とんびの声も聞こえていたでしょう。)
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名残りの山法師
















     深い森を歩いていると、
     突然、枝の先が輝いていました。
     山法師です。
     その花の名、法師が被る
     白い頭巾からきたそうです。
     すっかり花の少なく無くなった、
     森ですが、
     そんななかで花に会えるのは、
     うれしいものです。
     少し色褪せた花ですが、
     しっかり、その存在を、
     誇示しているように、
     思えました。
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昔日の輝き


















     広島県呉市にある入船山記念館。明治22年に建てられ、呉鎮守府司令長官
     官舎として使用されたものである。
     記念館の随所は、過去の忌まわしい思いを呼び起こすような設えが見えるので
     あるが、明治の建物として見れば、その豪華さとともに、憂いにも似た別の思いも
     湧いてくる。
     表側は洋館で、英国風(ハーフティンバー様式)、屋根は天然スレートの魚燐葺き
     である。玄関扉の華麗な装飾ガラス、内部は薄暗い照明に金唐紙の壁紙が浮か
     びあがる。壁も床も豪華な家具の背も、昔日の輝きの残照の中にあるようだ。
     そして、裏側の開放的な和風建物(和館)に繋がる。その段差に驚かされる。
     外から見れば、平でない明治のガラスが生む煌きも独特の雰囲気を生む。
     平成10年、国重要文化財に指定。

     (この呉は、太平洋戦争までは、軍港として栄えたところ。戦後の荒れ果てた街
      の面影は、今は見い出す術もありませんが、この入船山を中心とした旧軍の
      記念施設や、戦艦大和のドックがあった地に建つ大和ミュージアムなど、かって
      の軍港としての顔が今や、観光資源となっているのです。それらをどう捉えるか、
      それは我々見学者の問題でしょう。)
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