四国遍路の旅記録(平成18年)第3回 その3

3月30日     廃校と桜の木

天候:曇り、雨、霰
6:30 宿を出る。宿で戴いた手書きの地図を頼りに砕石場を目指す。雲の間から日が昇る。やけに赤い。天候の急変を暗示するようだ。

日が昇る、やけに赤い空

林道を歩く

砕石場を過ぎると、約3k程、林道を登る。つづら折れに山を巻いて標高400mに至る。
辺りは急に暗くなり、雨が落ちてくる。林道を登り詰めた所で、香園寺から登る山道に合流する。60番まで4.6kの標示。

怪しい雲行き、風雨が来る

霰も降ってくる

風雨が激しくなる。前方に雨具を着込んでいる二人組み。昨夜、宿で話題に出た千葉の夫婦遍路であった。香園寺に荷物を置いて登ってきている。
「香園寺からの道は荒れていたでしょう」、「いやいや、どうってことない」と仰る。足が早い。たちまち追い抜かれて姿が見えなくなる。
馬の背尾根を通ると、谷からの風雨が吹きつけ飛ばされそうだ。雷が鳴り、ついに霰まで降ってきた。
道はやや下りとなり寺まで1.2kの地点で車道に合流する。0.2kの地点で先程の千葉の夫婦とすれ違う。「いやー、早いですね、もうお帰りですか」

横峰寺の遍路さん


横峰寺大師堂


星の森

9:50 60番 横峰寺到着。車で上がってきた団体遍路で賑わっている。とにかく寒い。0度ぐらいだろうか。
石鎚山成就社への歩行は、すでに諦めていたが、せめてモエ坂を下って、虎杖(いたずり)を見てみたい。
納経所で確認するが、「殆ど通る人がいなく、所々のコンクリートが苔で覆われていて、雨・雪の時は極めて危険」とお許しがでない。
0.6k先の星の森に行く。石鎚山発心の門として有名な鉄(かね)の鳥居がある。
暫く待つほどに、一時日がさして、石鎚の成就社辺りの山が望見された。ここからモエ坂が下っているのを未練たらしく眺める。

石鎚山成就社辺りを望む

仕方なく、極楽寺を目指して車道を下ることにする。
歩き遍路に出会うことはないが、結構頻繁に遍路さんを乗せた自家用車やマイクロバスとすれ違う。
有料道路の料金所の人に極楽寺への道を確認する。
加茂川に落ちる山麓の等高線に沿った狭い森影の道を辿る。
人にも車にも滅多に会わない。手を挙げたのでもないのに、農作業姿の夫婦を乗せた軽トラが止る。「極楽寺さんへはこれでよいのでしょうか」、「ああ、極楽寺さんならこれまっすぐだー・・」。道を間違えていると思われ、わざわざ止っていただいたようだ。

大保木(おおふき)というの近く、道は小さな校庭のような広場に出る。小さな校舎のような建物がある。立派な桜の木がある。ここで出会ったおばちゃんのこと、ちょっと印象に残ること。コラムに別記する。

極楽寺本堂

極楽寺参道

14:00 やがて、極楽寺の本堂が見える。
この寺は石鎚山真言宗の総本山と称している。真新しい立派な本堂である。平安時代の建築様式を踏襲して建てられたという。左手に地蔵堂がある。
お参りして本堂の横手に廻ると回廊に座って作業をしている人がいる。「ここは無人です。納経はここから石段を下ると県道沿いに大きな建物があり、そこでうけつけてますよー」。
私は、山の中腹の道を歩いてきたので、直接、本堂の前に出たが、加茂川に沿った県道から石段を登ってここまでくるのが本来なのだ。
この石段がすごい。高低差約80mを45度に近い勾配で登るのだ。手摺に縋って慎重に下る。輪袈裟を纏った参拝者が一人登ってくる。息を切らしている。「ごくろうさまです」。合掌を戴く。

沿道の石仏

加茂川に沿う県道12号を、今夜の宿京屋支店旅館に向う。沿道に石仏が多い。
4kで黒瀬湖が見え、15:30湖畔の宿に着く。

この宿は、去年4月徳島で同行した大阪のYさん推薦の宿。年寄りの心をもときめかすものがあるという。(それが何かは秘密)実は、それには遭遇できなかったのであるが、広い風呂、濁り酒、写真サービス、歩きへの特別料金(驚くほど安い)などとても良い宿であった。
60番への車道の基点でもあり、同宿は圧倒的に車遍路が多かった。歩きは40?くらいの夕張の女性と私だけ。女性は昨夜は59番国分寺のあたりで泊まり、既に60番も車道を登り降りし打ったという。いくら健脚でもそりゃ無理だ、と言うと、まーちょっとは車のご接待ということも・・と曖昧。まーどっちでもいいけど。


コラム「出会い」 廃校と桜の木

 

ここは、もうずっと以前に廃校となった小学校の跡。
小さな校庭であったと思われる広場の片隅に桜の木がある。
蕾を付けている。

向かいからおばちゃんが歩いてくる。
「あらー、お四国さん・・どこゆくのー」、「極楽寺さんまで・・」。
「このへん歩いてるへんろさん、めったいないよー・・」
「この桜の木、立派ですねー。もうすぐ咲くのかなー」。
「ようこのさくら見にくるんですー、わしらの学校でしたけー・・」。
「あの頃は、小さいこーもぎょーさんおって、よかったですー。いまー、おらしません、こどもらも、わかいもんも・・このさくら、そめいよしのですー、これだけですー、むかしと変わらんのはなー・・」
おばちゃんは、桜の幹を撫で、枝を見上げている。
「お元気でねー」、「おせったいなーんにもでけしませんけど、おへんろさんもお元気でねー、きーつけておまいりくださいなー」
おばちゃんのそんな声を背に歩き始めた。

何とはなしに少し嬉しくなり、この道歩かせていただいてよかったなと思ったものである。


本日の歩行:41527歩

本日お参りした札所

第六十番 石鉄山   福智院    横峰寺
本尊:大日如来
宗派:真言宗御室派
開山:役行者小角
空海二十四歳に書かれた「聾鼓指帰」に修行した場所「伊志都知能太気」が記されている。現在の石鎚山。
ここから谷を隔て13k余、当地を修行の拠点としたと思われる。明治初年の神仏分離令で廃寺、明治24年横峰寺として独立再興。
「星の森」 役の行者小角は、この地より石鎚山を遥拝し、蔵王権現を感得したという。大師42歳のとき再来山、厄除けの星祭りの行を修されたのでこの地を星の森と称するようになった。鳥居は寛保二年(1742)の建立、「鉄の鳥居」または「かねの鳥居」とも言われ、石鎚山の発心の門として昔から有名。

番外 九品山 極楽寺
本尊:阿弥陀三尊・石鎚蔵王大権現
宗派:石鎚山真言宗
開山:役行者小角
奈良時代の開創。石鎚山真言宗の総本山。


3月31日     石鎚山を望む

天候:晴れ
6:50 宿を発つ。今回の遍路では初めての晴れの朝である。黒瀬湖の湖面が美しく輝いている。

黒瀬湖

 瀬戸内海が見える

県道142号を行くと、松山自動車道を越えて、西条の街、工場、その向こうに瀬戸内海が見える。
石鎚神社、そして8:30 
64番前神寺に到着。

石鎚神社

前神寺門前

前神寺本堂

前神寺の石仏

ここより加茂川を渡って、西条の市街に入るのであるが、遍路道は市の中心を通らず、山沿いの静かな田舎道を辿る。
途中、加茂川河畔の武丈公園から真っ白な雪を被った石鎚山が見られる。
田舎道で、逆打ちの遍路に出会う。しばし、立ち話。
高校生風の若い男が追ってきて、しばらく並んで歩き、話をする。茨城県に住んでいるが、休みで祖父母のいる当地に遊びに来ているという。
「いい処ですねー。歴史的なものがたくさんあって・・」古いものが好きらしい。遍路のこと、歴史のこと・・話をする。丘の上に郷土歴史資料館を見付け、「僕はあそこへ・・」と去ってゆく。気持ちの良い若者であった。
遍路道沿いには、朽ち果てたお堂や大師の旧跡をもとに、新しく建てられた大師堂を見ることがある。この地のお大師さんへの深い思いを見る気がする。

加茂川畔より石鎚山を望む

西条の地蔵庵

再建された大師堂

松山自動車道の西条インターの入口を過ぎると遍路道は国道11号に沿った旧街道となる。
これが狭い。対向車の離合時には歩行者の余地は全くない。危険である。これなら、国道を歩いた方が安全であると思われた。

この頃より体調がおかしくなる。足が進まない。新居浜の足谷川近くのビジネスホテルを予約する。
15:15 ビジネスホテル到着。
ホテルの近くに食堂はない。ラーメン屋が一軒のみ。
ラーメンをたのみ、ひとくち、箸をつけるがあとは体が受付ない。これが決め手となり今回の遍路を中断することを決意する。
翌朝、新居浜の駅を発って、四国の地を離れる。

本日の歩行:37910歩

本日お参りした札所

第六十四番 
石鉄山   金色院      前神寺
本尊:阿弥陀如来
宗派:真言宗石鎚派(総本山)
開山:役行者小角
明治初年の神仏分離令により、石鎚神社境内にあった前神寺は、当時下寺であった塔中寺医王院の現在地に遷座された。石鎚神社が元札所。
石鎚山別当。石鎚山(一九八三メートル)まで度々は登れないため、拝所となっている。昔は里前神寺と呼ばれた。
       

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四国遍路の旅記録(平成18年)第3回 その2

3月29日     興隆寺前の桜


天候:曇り時々雨7:20
宿を出る。女将さんが飴を持たせてくれる。ありがたい。「西山さんに行くんでしょ」といって道順を指南。「いえ、わたしは興隆寺さんへ・・」とトンチンカン問答。興隆寺は地元ではその山号西山で呼ばれているのだ。
県道150号を行くと、途中、思いがけず、林芙美子実父宮口麻太郎生家跡の標識。放浪の作家の複雑な家庭のこと、しばし想う。
6kほど行くと、道は緩やかな上りとなる。道の傍に枝垂れ桜の巨木がある。2、3分咲きというところか、赤い花が美しい。

興隆寺手前の枝垂れ桜

興隆寺山門

興隆寺本堂


興隆寺境内、牛石


墓地の中を抜けると、鬱蒼とした樹林の中、朱の橋がある。御由流宜橋、橋板の裏側に経文が書いてある、無明から光明へのかけはし、心して渡れとの立て札。
山門を過ぎるとなだらかな階段を登り 9:30興隆寺本堂に着く。途中、牛石がある。
広大な実に立派なお寺である。
2、30人のお年寄りの集団が、よいしょ、よいしょと金剛杖をついて石段を上ってくる。殿に赤い杖の女性の先達さん。「がんばって、もうすぐそこですよー」と、思わず声をかける。門前に停まっているバスの運転手と話をする。名張大師講の一行で、別格札所も含め回っているという。
興隆寺をあとに緩やかな坂を下る。枝垂れ桜の枝越しに丹原の町が見える。
ここでバンダナをつけた髭面の男から柏餅のお接待。写真を撮らせてくれという。ワシはこいうのにゃ馴れておる。深刻な顔を作って坂を上がったり下がったり。(冗談、じょうだん)


丹原の街を望む

久妙寺山門

椿咲く道

生木大師

久妙寺にお参りする。ここも桜が多いがまだ殆ど開花していない。落ち椿の道が印象に残る。
雨が降ったり止んだりするなか、生木地蔵にお参りし、石鎚橋の袂の定食屋でうどんの昼食。健康ドリンクのお接待。「スタミナつけなきゃ」とおねーちゃん。有難がるヨレヨレ遍路。

高鴨神社

香園寺本堂

香園寺

国道11号を通り、高鴨神社に参り、13:30 61番香園寺に到着。
コンクリート造の巨大な会館のような本堂に驚愕。
堂前で灯明、線香、階段を上がり、劇場のような堂内で大日如来、大師像にお参り。
明日予定の60番への経路はまだ決めていない。納経所で尋ねる。「こちらの奥の院から60番へ登れますでしょうか」、「道は崩れておる。登れるとは言えん。もっとも、ここに泊まって荷物を置いて往復する者もおるようだが・・」。さすが奥深かーい物言い。うーん、唸る。
小松の市街を通り、14:30 62番宝寿寺到着。
門前で車から降りたおばさんから「はーいはい、おせったーい」の声。飴数個、賽銭入れから小銭を私の手にジャラジャラ。驚きと恐縮。

宝寿寺

吉祥寺

15:20 63番吉祥寺にお参り。

来た道を62番まで戻り、16:10 本日の宿、ビジネス旅館小松に到着。
ここは肉屋さんの経営、ブタ肉鍋で腹いっぱい。
同宿は大方が車で回っている人達。歩きは滋賀の男性Aさんと私。車で一人回っている神戸の83歳の男性にはびっくり。もう20回以上まわっているという。見たところ運転も覚束かぬ様子、どこにそんな力が潜んでいるのだろう。こういうのをお大師さんのお導きというのだろうか。

昨日までの天気予報では、明日からは晴れると報じていた。昨日、今日とゆっくりと60番周辺を歩いてきたのは、天気の日に60番、石鎚山成就社まで歩きたいとの企みがあったためである。ものごと、思い通りにゃならぬものである。昼間、成就社前の旅館に電話すると、新雪10cm、歩き道(今宮道)はちょっと無理だろうという。成就社行きを諦める。それどころか、明日の晴天もウソらしい。まいった。まいった。

本日の歩行:39597歩

本日お参りした札所

別格第十番 西山 興隆寺
本尊:千手観音菩薩
宗派:真言宗醍醐派
開山:空鉢上人
六四十年代空鉢上人により開創された名刹、古刹。大師も入山し奥西山の文殊岩屋で求聞持法を修したと伝える。

別格第十一番 生木山 正善寺 (生木大師)
本尊:生木地蔵尊
宗派:高野山真言宗

第六十一番 栴檀山   教王院    香園寺(こうおんじ)
本尊:大日如来
     子安弘法大師
宗派:真言宗御室派
開山:聖徳太子
用明天皇の病気平癒を祈願して聖徳太子が開いた古刹。大師が通りかかったとき、栴檀の芳香が漂っていた。このため、栴檀を山号とし、香苑を寺号としたとも伝える。安産、子育に霊験ありと「子安大師」の名で知られる。

第六十二番 天養山   観音院    宝寿寺
本尊:十一面観音菩薩
宗派:高野山真言宗
開山:聖武天皇
一宮の御法楽所として建立。当初は金剛宝寺と称し、現在より下流の白坪にあった。寛永年間に、現在のJR伊予小松駅付近に移った。大正十年に鉄道が境内を通ることになり、約百メートル西の現在地へ。

第六十三番 密教山   胎蔵院    吉祥寺
本尊:毘沙門天
宗派:真言宗東寺派
開山:空海
長わずらい封じ(通称ポックリさん)のお札がある。近くに名泉があり、「芝之井」と呼ばれる。



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四国遍路の旅記録(平成18年)第3回 その1




私の3回目の四国遍路の旅は、4日間という短期間となった。
実は、石鎚山の中腹、成就社までは歩きたい、そして、桜の花の下、88番大窪寺での結願を迎えることができたなら・・などと期待して今治を発ったのであったが、いずれも果たせぬまま、体調不良も回復せず、新居浜で切り上げることとなった。

それにしても、季節外れの寒さ、雪、雨、強風。「修養の足りぬ者、石鎚に近づくことあいならん」との思し召しであったようだ。
いつの日か再挑戦を果たしたい。お招きいただけるであろうか。
しかし、今治から新居浜までの4日間、開き始めた桜の花と路傍の仏に見守られ、歩かせていただいた。横峰さんにも登ることができた。
振り返れば幸せな日々であった。 (平成18年3月28日~31日)


3月28日     桜はまだ初め

天候:晴れ後曇り、雨、突風
早朝、今治港に着いた高速船を降りた。
私の3回目の区切り遍路の旅の始まりである。体調は完璧ではない。咳が止まらないのがちょっと心配であるが、歩いているうちには、良くなるだろう。(甘い、結果としてはこれが裏目。)
8:30 昨年秋、第2回の遍路で打ち止めた59番国分寺に到着。境内の桜は、まだ蕾。この地の桜は、東京あたりよりづっと遅いようだ。

  国分寺を出る。桜はまだ蕾

自動車道側道を歩く

県道156号を外れ、今治小松自動車道の側道に入る。通る人もいない静かな道だ。
10:30 栴檀寺(世田薬師)に到着。

栴檀寺

栴檀寺奥の院への道の地蔵

後方の山の頂上に奥の院がある。標高280m、所要時間3、40分。登ってみたくなる。
少し登ったところで、降りてくる3人の女性に会う。「おへんろさん、うえまでゆくのー、荷物背負ってじゃ、すごくきついよー」。これは軟弱遍路の気勢を削ぐに十分である。引き返す。
道安寺と近くの臼井御来迎に寄る。ここは、大師が老母の願いにより臼の中に加持して五色の御光を影じたと伝える旧跡である。臼状の石の中に水がたたえられている。向かいに遍路休憩所。野宿もできそうである。

道安寺

臼井御来迎

実報寺の桜

日切大師

光明寺

ここより実報寺へ向う途中、天候が急変する。突然の雨、立っておられないほどの突風が吹き荒れる。しばし農家の納屋の傍に避難させていただく。
14:00 実報寺に到着。大きなお寺である。立派な桜が2本ある。2、3分咲きというところ。
日切大師(日切山弘福寺)、光明寺にお参りする。日切大師の楠は遠くからでも目につく巨木。

14:30 本日の宿、敷島旅館に着く。

本日の歩行:33421歩 

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