四国遍路の旅記録 (平成17年) 第1回 その5

4月11日     (第1回遍路の旅日記)

天候:雨のち曇り

6:20、津照寺近くの宿を出て、国道を2kほど。
国道から外れて山道を登る。
7:20、26番札所金剛頂寺に到着。
一昨日同宿の先客1名さんに会う。快適な草の生い茂る遍路道を一緒に下る。足の血肉刺が相当ひどいらしく、下りは亀の子歩きをしている。
彼は、27番登山道前の宿まで行くという。私は奈半利までなので国道に出て吉良川の街に入った所でペースダウン、先行してもらう。
吉良川は古い家並が続いている。古い蔵造りの家の前で花を売っている。長閑な風景・・

吉良川の花屋                                    

高知(土佐の国)に入ってからちょっと気付くことがある。街道を歩いていて出会う人にあいさつしても返ってくることがづっと少なくなったことである。その昔、土佐は鬼の国と言って女人遍路はこの国を巡ることはなかったそうである。札所間の距離が長いこともあるし、土佐藩の他国者を警戒する政策によるところもあるだろう。歴史の中で培われてきた県民性の残渣なのかもしれない。
      
10:40、「ドライブインオハラ」で早めの昼食。
羽根の街の先、一部国道を外れて、中山峠越えの遍路道に入る。小さな川の一本橋を渡ったり。誰にも会わない。

14:45、奈半利の「山本旅館」に到着。またまた1番乗り。
清潔な感じの宿。おかみさんも面倒見がよさそうなひと。
同宿はあと二人いたようだが、7時頃到着、朝も少し遅かったようで顔を合わせない。

本日の歩行 37394歩

本日お参りした札所

第二十六番 龍頭山 光明院  金剛頂寺
宗派:真言宗豊山派
本尊:薬師如来
開山:空海
24番の東寺に対し、俗に西寺と呼ばれる。




4月12日     (第1回遍路の旅日記)

天候:雨

6:25、宿を出る。今日は、27番への登山道。雨が降り続き少し憂鬱である。
おかみさんから「お茶でも買って。ほかの人には黙っとってねー・・」と150円のお接待。「雨が降ってるから・・」と遠慮したのだが、国道に通ずる道を案内していただく。

27番への登山道。山の桜が雨に霞んでいる。遥か上、山の中腹にも桜の色が見える。そこが27番らしい。ひっきりなしに、自家用車やミニバンが追い越してゆく。遍路を乗せた乗り合いタクシーのようだ。生憎の雨、歩くのを止めて、車に乗った遍路もいただろう。車の窓越しに、私に向って頭を下げる人もいる。雨の中を歩いている人は稀なのだろう。
途中、例の先客1名さんが下りてくるのに出会う。相変わらず、変な歩き方をしている。
車道の急カーブをバイパスするように、数箇所、短い山道がある。雨が小川のようになって道を流れ下っている。沢蟹が、私の足の動きを伺ってうろうろ。踏まないように注意して登る。

神峰寺の大師像 

9:30、27番札所神峰寺に到着。神峰寺への道の最後は「まっ縦」と呼ばれる。その字感から、這い上がるような登りを想像していたが、それほどではない。
お寺の下の売店は、団体で満員。
下りは滑る山道をパスして車道を下る。

雨は止んできて晴れてきそう。田圃に蓮華が咲いている。子供の頃、私の家の前の田圃も一面の蓮華だった。その中で遊んだことを思い出す。

蓮華畑

土佐の美しい海岸の道に入る。防波堤の道を歩く。遠くにハイカー姿のご夫妻の姿。
大きな製材所の前、働く人から声がかかる。「おーい、その先行き止まり・・、手前の階段降りた方がいいよ・・」。防波堤から下りる場所の標識は無かったようだ。あるいは、見落としたか。でも、周囲の人々は、こうやって遍路の行く道をいつも気にかけていただいているのだ。

15:25、安芸市のビジネスホテル弁長に到着。
立派な全自動洗濯機がある。着ているもの全部をぶち込み、洗濯。
たまには、こういったビジネスホテルも、気楽でいいもんだ。

本日の歩行: 38911歩

この辺に伝わる「食わずの貝」の説話がある。書き留めておく。
「空海が、貝を携えた浦人に行きあった。貝を与えてくれるよう頼んだが、浦人は食べられない貝だからと嘘を言い断った。空海は浦人のケチぶりを哀れみ、後世を慮って呪法をかけた。以後、その貝は、煮ても焼いても食べられないものとなり、谷に棄てられた。現在でも石貝として残っている。」というものである。

本日お参りした札所

第二十七番 竹林山 地蔵院  神峰寺(こうのみねじ)
宗派:真言宗豊山派
本尊:十一面観音菩薩
開山:行基
もともとは神社として創建され、神仏習合により仏を合祀。明治20年に寺として再興される。土佐の関所寺。




 
4月13日     (第1回遍路の旅日記)

天候:晴れ

6:30宿を出て、砂浜に沿った遍路道(サイクリングロード)を歩く。素晴らしい道だ。

八流山極楽寺にお参りする。人の気配はない。寺の崖下の海辺に寄せる波の音だけ。
海岸の砂浜に座っていつまでも海を眺めていた。何かを考えていたような気もするが、あとから想うと、取り止めが無い。結局、何も考えてはいないのだ。

波の音(極楽寺で) 

浜辺を歩く

ハイカー姿のご夫婦、所々でお会いする。夫婦で歩いておられる方には、できるだけ同行しないように気をつかう。金剛杖の他、木の枝を左手に持って、スキーのストックのようにして歩いている人がいる。「歩き易い」と言う。これも一つの工夫。
海辺の道の遍路小屋で、自転車遍路に会う。「どこかでお会いしましたよねー」。「ああ、甲浦で会った東京の人・・」。雨で、甲浦海岸に2日も野宿したとのこと。自転車遍路も多い。歩きと違い山道は通れないから、車遍路とほぼ同じルート。多くは野宿である。大抵真っ黒に日焼けしている。苦労が偲ばれる。
琴ケ浜手前にある、個人が設けられている無人休憩所。楽しい絵や人形が飾られ、お湯や飴が置かれ、心温まる時間が持てる。
ここでも、メモを記すノートが置かれている。12番で同宿のcさんのメモを発見。10日付け、3日も前だ。元気で通られた様子。bさんもきっと一緒だろう。届くはづもないが、思わず「がんばってください」とメモを残す。

11:20、夜須町に入ったところの「ビッグうどん」で昼食。こういった食堂で昼食をとることは、むしろ稀なことである。多くは、パンと牛乳。昼食時、近くに食堂がないというのがその理由なのだが。

今夜は、今回の遍路の旅の最後の宿。予定していた民宿は、何度電話しても出ない。仕方なく、ちょっと歩き遍路には、不釣り合いと思ったが、黒潮温泉隣の「高知黒潮ホテル」に予約。まだ早すぎる。ホテルに荷を置き、28番にお参りする。
15:00、28番札所大日寺に到着。境内で、久しぶりにDさんに会う。積もる話をする。スキー歩きの人にも会う。
16:10、ホテルに戻る。
車でまわっている夫婦連れ、家族連れの遍路が多い。白衣ではなく、濃い緑の作務衣のようなものを着て、赤い納札を配ってまわっている男がいる。先達なのだろうか。
こういうホテルでは、歩き遍路用に、特別安いセットメニューを設けているところが多い。有難いような、情けないような・・。従って、素泊まりの遍路も多いと聞く。セットメニューの遍路は、食堂の片隅で、こそこそと黙って食事する羽目に陥るのだ。
歩き遍路には、やはり民宿の畳の上に座って、ワイワイガヤガヤの食事が似合っていると思う。

本日の歩行: 44074歩

本日お参りした札所:

第二十八番 法界山 高照院  大日寺
宗派:真言宗智山派 
本尊:大日如来
開山:行基
大師により中興。明治の神仏分離により廃寺、明治17年再興された。


 

4月14日     (第1回遍路の旅日記)

天候:晴れ

7:10、宿を出る。今日は、今回の区切り遍路の旅の最後の日である。31番まで行けるだろうか。
昨日、お参りした大日寺の前を通り、9:55、29番札所国分寺に到着。大きな立派なお寺である。

国分寺

国分寺で

また、Dさんに会う。Dさんは、今日は32番まで行きたい、急がなければ・・と言っている。「私は31番までで区切りますよ。ここで、お別れですね。がんばってくださいよ。」  本堂前で揃って写真に収まる。


田圃の中を行く遍路道

29番を出ると、遍路道は田圃の中の畦道。蒲原のスーパーでパンを買い、ベンチで昼食。
逢坂峠の遍路小屋で休む。備え付けのノートのページ、何とAさんの書き込みを見つける。昨日の日付だ。懐かしい。この人は独特のルートを歩いているようだ。健脚の割りには進み方が早くはない。

県道から、30番へ入る道は分り難い。一度道を教えていただいた人が、迷っている私を軽トラで追ってきて、再び教授。「あそこを曲がる・・」。いやはや、感謝のみ。
12:30、30番札所善楽寺到着。運悪く、団体の納経とかち合う。山のような掛軸を抱えた添乗員さん。只管にがまん、がまん。30分は待った。
13:30、30番を発つ。これからは、高知市内の道。
市街の道は、大変分り辛い。へんろみち保存協力会編の地図だけでは、迷わない方が不思議・・と思ってしまう。もっとも私は、かなりの方向音痴だけれど・・。遍路道をゆかず、広い県道を辿った方がよかったのかもしれない。強い日差しと足の肉刺に悩まされながら、迷いに迷い青息吐息。
スクーターで追ってきた娘さんから、スポーツドリンクのお接待は、地獄の仏。やっと五台山の登山道に辿り着く。久しぶりの土の道で、足が喜んでいる。登りきったところは、あの植物図鑑で有名な牧野富太郎博士を記念した植物園の中。ここからの道がけっこう長い。
15:40、31番札所竹林寺到着。
立派なお寺である。石段が美しい。
首に子供の写真をかけた白髪の遍路がひとり。供養の旅であろうか。

これまでお世話になった杖に合掌。ほんとうに杖に頼って歩いてきた。先がささくれて、2、3cmは短くなっている。杖袋に納める。これまで、よく歩いてこられたという気持ちとともに、反面には何とも寂しい気持ちが残る。


竹林寺の石段

竹林寺





ここまでの歩行: 42500歩

本日お参りした札所:

第二十九番 摩尼山 宝蔵院  国分寺
宗派:真言宗智山派 
本尊:千手観音菩薩
開山:行基
聖武天皇が詔勅を発して建てた、土佐の国分寺の名を継ぐ。

第三十番 百々山 東明院  善楽寺
宗派:真言宗豊山派  
本尊:阿弥陀如来
開山:空海
もと一宮の神宮寺。昭和に入り安楽寺と30番並立が続いたが、平成5年に善楽寺が30番、安楽寺が奥の院となり、それぞれの地位が確定した。

第三十一番 五台山 金色院  竹林寺
宗派:真言宗智山派 
本尊:文殊菩薩
開山:行基
聖武天皇の中国・五台山に似た場所に寺を建てよの命により、行基の開基と伝える。多くの坊や塔がある壮大な境内である。




第1回 四国遍路の旅を終わって

3月30日、第1番札所霊山寺門前の宿を発って、ゆっくり、ゆっくり、4月14日、31番札所竹林寺まで。私の初めての遍路の旅であった。おそらく、多くの人より3~4日は余分にかけた鈍足ぶりであったろう。
でも、梅、桜、ぼけ、名も知らぬ白い花、そして森影にはいつも椿、畑には蓮華、菜の花。
この花遍路の季節に、歩くことができたことは、何とも幸せなことであった。

普段、歩くことの少ない足弱の私にとって、歩くこと自体が、まず修行であったかもしれない。そして、四国の人々から数々の接待、遍路仲間との交流。それは、それは、多くの心を戴いた。
感謝の気持ちを込めて、すべての人に向って合掌したい。
 「南無大師遍照金剛・・」

この春の区切り打ちを終えた今、すっかり「お四国病」に嵌まってしまったようだ。
少し、「これってなんだろう」と考えてみる。
この旅は、宗教的なご利益(ごりやく)を戴いたり、あるいは、人生の漠然とした悩みに対し、解決を与えていただけるものでは無かったと思う。
背中に「南無大師遍照金剛」と書かれた白衣、菅笠、金剛杖を持った、この四国の人々にのみ認められた、特異な姿で、おそらく他人からみれば「何か満たされない悩みの表情」をして、四国の風土の中を、四国の人々の日常の生活の中を、遍路の仲間とともに歩かせていただくことによって、考えてみれば、素朴な、そしてとてつもなく貴重な体験を得たように感じているのだ。
これが、私の「お四国病」の実体のように思えてならない。

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四国遍路の旅記録 (平成17年) 第1回 その4

4月6日     (第1回遍路の旅日記)

天候:晴れ

5:20宿を発つ。まだ薄暗い。dさん一行も、もうすぐ発つようだ。宿のご主人からジュースを手渡される。お接待。
22番おの間の大根峠は、標高200m、地図で見るとなだらかと思われるのだが、擬木の階段の多い、結構きつい道であった。ここでも、下りの道の途中にある竹林がたいそう美しい。
峠を下り切ったところで、朝食のおにぎりを戴いていると、dさん一行が追いついてくる。
7:45、22番札所平等寺到着。この寺の本堂の片隅に足の不自由な人が、遍路の功徳で完治し、奉納したという木製の車が置かれている。私は、こういうことは、俄かには信じない方の人種であるが、先達さんあたりに怒られそうだから、信じておくことにする。dさんにも「あんた何言ってるの・・本当のことよ・・」って怒られるだろうな。
dさんのキャンペーン「遍路道を世界遺産に」の署名にも協力する。

ここから23番薬王寺までは、由岐町を経由する海岸の道を通る予定。まだ20K以上ある。
月夜御水庵にお参りし、休憩しているとBさんがやってくる。私は食事もせず、宿を早く出てきたのに、もう追いつかれた。単にワシの足が遅いだけの話。以降Bさんと同行する。
国道55号とぶつかるT字路の標示。左に行く遍路道があり、海岸を通り23番まで40K以上ある。迷わず、右に行く。国道から由岐町へ分岐する道をdさんに教えてもらい。お別れする。dさんは、今回は23番で打ち止め。国道を辿り、13時までに日和佐に到着したいと言っていたが、ちょっと無理、お疲れの様子であきらめムード。

正午を過ぎ、そろそろ腹が減ってきた。Bさんの土地勘がピタリと当り、幸運にも由岐町で唯一(らしい)の食堂に遭遇することができた。店のおかみさんが愛嬌のあるいい方で、いやがるのを無理やり2人の写真に入っていただく。

由岐から日和佐までの道は、多くは海岸に沿い、奇岩や洞窟などがあり、大層景色が良い。「えびす洞」とある。Bさんは、寄っていきたそうだったが、私はバテバテ、1mも余分には歩きたくない。寄らない。Bさんには悪いことをした。
Bさんとは、これまでやってきた仕事のこととか、家庭のこと・・話しながら、楽しく歩いてこれたのだから。
日和佐の海岸は見事な砂浜。来月には海亀が産卵のため、浜に上がってくるそうだ。照明や遊具など一切なく、ゴミひとつ無く保たれている。

日和佐の浜

Bさんの宿は薬王寺の門前、私は少し手前の国民宿舎。宿の前でひとまずお別れ。
15:50、国民宿舎「うみがめ荘」で荷を置き、まだ時間が早いので薬王寺にお参りに向う。疲れているのに、無理をすると碌なことがない。けっこう距離があるうえ、足は全く動いてくれない。やっとの思いで、23番札所薬王寺のお参りを済ませる。
納経所前で、Bさん、Cさんと再会。また何処かで会えることを期待してお別れする。
この後、私の進行ペースはさらにダウン、Bさんとはお会いすることはなかった。

17:15、宿に戻る。足の肉刺が相当進行している様子。
同宿は、久しぶりにAさん、Aさんと同行しているらしい70代の人。あとは、遍路ではなさそう。

本日の歩行: 52623歩



4月7日     (第1回遍路の旅日記)

天候: 小雨のち晴れ

7:10、久しぶりの雨空、合羽を着て宿を出る。
23番薬王寺から室戸岬の24番最御崎寺までは、80K近くある。ここを1泊にするか、2泊にするか、はたまた3泊にするか、巡拝全体の日程に大きな影響を及ぼす。多くの人は、2泊のようだが、慎重この上ない?ワシは、3泊の計画なのだ。

国道55号をひたすら歩き南下。長い日和佐トンネルを通過。トラックが通る度にすごい風圧。笠を必死で抑える。車が肩を掠めて過ぎるトンネルは、新たな「遍路ころがし」の一つと言われるが、納得させられる。
Cさんが後から来るのを見つけ同行する。

13:30、牟岐町に入る。牟岐警察署横にテントを張って、遍路接待所が設けられている。近所の方が交代で詰めておられ、お茶、まんじゅう、芋などをご馳走になる。
ここで、大坂峠、松坂峠越えの旧遍路道を教えていただく。
ワシの足は、「コンクリートの道はいやじゃ。あれは車の通る道。土の道を歩かせておくんなせー」などと、喚いておる。ワシも納得。
歩いてみると、八坂、内妻、古江の三つのトンネルの上を越える、快適な林間の道であった。海岸の風景も素晴らしい。最後は古江ノ浜の砂浜を通る道となる。唯一、大坂峠の下りの最後、右手に杖、左手を手摺ロープに頼っても滑る箇所がある。要注意である。

大坂峠の旧遍路道


古江ノ浜

14:50、鯖大師(別格4番八坂寺)に到着。これまで、番外のお寺はお参りしても納経はしなかったが、ここではお願いする。

15:20、鯖大師近くの民宿「海山荘」に入る。海岸の丘の上にある宿で、海の眺めが素晴らしい。
同宿は、鯖大師からまわり始めるという川口のDさん、ハイカー姿のご夫妻であった。いずれの方とも、これから頻繁にお会いすることになる。

本日の歩行: 35701歩

本日お参りした札所:

別格第四番 八坂山 八坂寺(鯖大師)
本尊:弘法大師
宗派:高野山真言宗
開山:行基
鯖にまつわる伝説があるため、通称鯖大師と呼ばれる。
ここのご住職は歩き遍路への訓導にご熱心。ご住職の黄色の札を厳しい遍路道のあちこちで見かける。




4月8日     (第1回遍路の旅日記)

天候:晴れ

真っ赤に海を染める恐ろしいほどの日の出を眺め、6:20、宿を出る。

淺川駅を過ぎたあたり、道沿いに洒落た喫茶店がある。「お遍路さーん、お接待しますー」の声。招き入れられ、おいしいコーヒーをご馳走になる。女主人は牟岐の人。車でここに来る途中、追い越した遍路の姿を認め、お待ちいただいたようだ。
長くやってきた仕事を止めて、始めた老後の趣味、と言っているが、まだまだとても若い、品の良い女性。
後からくるであろう同宿のご夫妻のため、お返しも置かせてもらう。(ご夫婦は寄られず、Dさんが寄られたと、あとから聞いたことだけれど・・)
いつまでも、見送っていただいた女主人の印象。何やら嬉しくなって、すぐ先の遍路小屋のノートに書き込みをする。「山の水のとってもおいしいコーヒーごちそうさま。楽しいお話と、それにお店の窓から見えた山桜の色も・・」
遍路道の所々にある遍路小屋、ありがたいものである。暫しの休息も取れるし、遍路同士の情報交換の場にもなる。それに、大抵ノートが置かれており、通り過ぎていった遍路さんの声を聞くことができる。

宍喰の砂浜 

宍喰の砂浜の海岸は美しく、遍路道を外れ、暫し砂に座り込んで、何も考えずに時をすごす。

峠の道の反対側で「ぶんたん」などを拡げて売っている。「おへんろさーん、おせったいしますよー・・」と声がかかるが、車が頻繁でなかなか道を渡れない。ついパスする。
14:50、東洋町の民宿「谷口」に着く。ちょっと早過ぎ。昨日も今日も一番乗り。ちょっと区切りすぎたのかもしれない。
この辺は、サーファーのメッカ。宿の前のベンチに座って、若い人の姿を眺めながら、おかみさんの帰りを待つ。同宿の遍路はあと二人。6時頃到着。明日は24番までと言っている。35kか・・、こっちの方が普通の遍路。ワシは怠け遍路。
おかみさんは、気さくな、話好きの人。蜿蜒長蛇話が続く。でも楽しい。

本日の歩行: 36521歩



4月9日     (第1回遍路の旅日記)

天候:晴れ

6:40、宿を出る。
昼食として、おにぎりのお接待を戴く。おかみさんが育てたトマトが一つ。これが甘くておいしかったこと。
東洋大師明徳寺にお参りする。寺横の小さな瀧でお坊さんが瀧行の最中。呪文の声が響く。(後で、明徳寺のご住職であると聞く。)
野根川を渡る。河畔の桜が美しい。
民家も畑もない、海岸に沿う国道だけが、南に向っている。歩きに飽きて、海岸に降りてみる。ゴロゴロ石の浜。この辺りの海岸では、石が波に揉まれて、ごろごろ鳴くのだそうだ。本当に、どの石も角がとれて丸い形をしている。

野根河畔の桜

佛海庵にお参りして、草原で昼食をとっていると、Dさんが来る。しばらく一緒に歩く。
外国人の元気な娘さんを見掛ける。ハイキングスタイルだが、ちゃんと金剛杖を持っている。遍路さんだ。
「今日はどこまでゆくの」。「できれば、24番まで・・」。「インポッシブル・・」。「お参りは明日でも・・」。
「がんばって・・」。すごい勢いだ。日本語も堪能。
(これも後で聞いた話だが、この人は日米混血の女性で、先の道中では、若い男性の親衛隊が結成されたとのこと。うーん、むべなるかな・・。)

14:00、民宿「徳増」に着いてしまう。またまた一番乗りと思っていたら、既に先客1名到着という。
同宿は、Dさん、同年配の先客1名さん、それに、鯖大師近くの宿で同宿だった、ハイキング姿のご夫妻。先客1名さんは、血肉刺に苦しんでいる。お参りしても納経はしないという。会社の部下の納経部隊が別にまわっていると、冗談とも本当ともつかぬことを言う。こんなのありか?

本日の歩行: 33397歩



4月10日     (第1回遍路の旅日記)

天候:曇り時々雨

海岸の道を室戸岬に向って歩くと、山側に白い大きな像が見える。青年大師像である。ここは、通り過ぎ、御蔵洞にお参りする。大師が修行した場所と聞く。折角だから、室戸岬の先端まで行く。点々と連なる岩、荒い波が騒いでいた。
少し戻り、24番に登る山道が始まる。久しぶりの土の道。急だが気持ち良い。休み休み登る。山道の途中で厚木から来たという遍路に会う。

室戸への海岸

御蔵洞

室戸岬で

11:30、24番札所最御崎寺到着。
ご詠歌「明星の出ぬる方の東寺 暗き迷いは などかあらまし」にあるように、俗に東寺と呼ばれる。

七曲がりの車道を下る。高知の方まで続いている海岸線が見事に眺望できる。
下りになると足が靴の前方に当り歩き辛い。足は膨張する。靴がやや小さかったようだ。遍路を満載した大型バスが、何台も登ってくる。

御崎寺からの下り道

旧道に1軒ある食堂は、日曜ということでお休み。仕方なく、やっと見つけた小さなお店で、パンを買い、近くの空き地で昼食。小雨が降ったり止んだり、冴えない空模様。

津照寺

13:40、25番札所津照寺到着。街中の押し込められたようなお寺である。長い石段を、たくさんの団体遍路さんが登っている。
鯖大師近くの宿以来、よくお会いするハイカー姿のご夫婦がおられる。お参りの時は、笈ズルと輪袈裟を着けておられる。
本堂も大師堂も団体で大混雑。納経所のお坊さんがおおきな声で言う。
「遍路さん、この納経帳は1番で買われたものでしょう。結願ののち、1番にお礼参りするようになっていますが、それは不要です。直接高野山へお参りしてください。1番の金儲けです・・。」
これには、驚く。札所の間の妬みだろうか。札所も金儲けか・・ちょっと複雑な気分になる。

今日の宿は寺の近くのはず。通り掛かりの人に道を尋ねると、「うーん、吉○さんねー、もうやめたんじゃないかなー、まだ、やってるかなー」。悪い予感。
14:50、「吉○旅館」に着く。古い建物で廊下を歩くと異様に沈む。風呂の扉もない。泊まりは私ひとり。寂しく寝る。

本日の歩行: 34313歩

本日お参りした札所

第二十四番 室戸山 明星院  最御崎寺(ほつみさきじ)
宗派:真言宗豊山派 
本尊:虚空蔵菩薩
開山:空海
ご詠歌「明星の出ぬる方の東寺 暗き迷いは などかあらまし」にあるように俗に東寺と呼ばれる。

第二十五番 宝珠山 真言院  津照寺(しんしょうじ)
宗派:真言宗豊山派  
本尊:地蔵菩薩
開山:空海
東寺と西寺の間、室津浦にあるため、俗に津寺と呼ぶ。本尊は楫取地蔵と呼ばれ、海上安全の守護佛として信仰を集める。

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四国遍路の旅記録 (平成17年) 第1回 その3

4月2日     (第1回遍路の旅日記)

天候:晴れ

7:00、13番札所大日寺を目指して出発。bさん、cさん、それと岡山のdさん。dさんはへんろ道保存協力会のスタッフで、もう一人の70代の男性、(この人、病気持ちということだが、半ズボン姿でいたって元気、その上健脚という不思議な方。何の病気なんだろう・・)と同行して、阿波1国をまわる。各所で道や標識の状態をメモされている。ごくろうなことである。
これら5、6人の遍路が、ある時はかたまり、あるときはばらばらに鍋岩への遍路道を下る。
この辺り、梅が多い。今盛りである。夢のような田園風景の中を行く遍路。こりゃ、絵になるわい・・花へんろというのかな。森影には、私の好きな椿がいつもいつもあった。落ち椿の道を歩くのもまた良い。
鍋岩の橋を渡って狭い山道に入る。
玉ケ峠の登り口のベンチで休んでいると、bさんcさん一行がやってくる。それぞれベンチに座ってツーショットの写真に納まる。「こんなジジイとのツーショットでよろしいのかね・・」などと照れておるが、内心はやたらとうれしいおっさんなのだ。
私は、登りが極端に遅い。ご一行には先行してもらう。
cさんは、険しい遍路道の木の枝に自分の名前を書いた白い布を結んで歩いている。納め布とでも言うのだろうか。以後、山道でこの白い布をよく見かけた。「あー、ここも通られたのだなー・・」と少々の感慨をもって見たものだ。
峠に上がると、bさん一行のほか、dさん一行もいる。dさん達は車道を登ってきたようだ。皆さん、私の到着を持っていたかのように「お先に・・」と出発していった。

玉ケ峠の先は長い長い舗装道。前半は森影の道である。広野の街に着くまで、いつも鮎喰川の姿が右手に見えていた。川が遠ざかると、道を間違えたのではないかと心配になる。
人に会うことも稀であるが、森の中の道からひょっこり出てきた一人の老婆に出会う。80歳だというがとても元気、矍鑠としたものだ。長い立ち話が尽きぬ。息子のこと、「おだいっさん」のごりやくのこと・・。こういう山中の道で出会うものだから、てっきり、お大師さんの変身じゃないかと思ったりするものですよね。

広野からは川沿いの道となる。阿野の先、小さな峠を越えて鮎喰川を一本橋で渡る。

鮎喰川を渡る

南行者野の「プチペンションやすらぎ」の前を通る。Aさんは、昨日鴨島の宿から焼山寺を越えて、ここに泊まる計画と聞いていた。無事に来られたろうか。山道を含んで30k以上、それにしてもなんと健脚。

足に肉刺ができたようだ。痛む。やっとのこと14:50、13番札所大日寺に到着。
この寺元々向いの一宮神社の神宮寺であったもので一宮寺と呼ばれていたという。
お参りを済ませると、焼山寺宿坊で同部屋だったオカルト学者さんがいる。この人は5時前に食事もせずに宿坊を出ている。「どうしてこんなところに・・?」 「いやー、番外の建治寺をまわってきた。疲れた、疲れた・・」 先ほど、bさん、cさん一行にも会ったとのこと。あまり差はなかったようだ。

大日寺隣のかどや旅館に入る。美人のおかみさん。「今日は団体が入っててねー」
別館の団体に囲まれた一部屋に通される。顔を合わせても、あいさつも返ってこない団体のメンバー。ちょっと、気が滅入るようなこの夜の宿の状況ではあった。

本日の歩行: 37237歩

本日お参りした札所:

第十三番 大乗山 華厳院  大日寺
宗派:真言宗大覚寺派
本尊:十一面観音菩薩
開山:空海
もともと向かいにある一宮神社の神仏習合における神宮寺で、一宮寺と呼ばれていた。



4月3日     (第1回遍路の旅日記)

天候:くもり時々雨

初日からづっと天気は良かったが、今日は雨模様。合羽を出しておく。

朝食を戴きながら、どういう訳か、おかみさんとインターネットの話になる。
「インターネットで遍路宿の○×をやってるのがあるらしいの。あれって困るんよねー」 「それは、泊まった人の主観によるとこ多いからねー、そのまま受け取られると困るだろうなー。あるサイトの主宰者も、あれはちょっと困ると言ってますよ・・」
「応援してくださいねー」

7:00、宿を出発。おかみさん推薦の一宮神社奥の見事な枝垂れ桜も見学。
8:00、14番札所常楽寺に着く。隣の番外慈眼寺にもお参り。

このあたりより、雨は降ったり止んだり。有名な「キルヤム ヌグフルの法則」の始まりである。蒸し暑くても、我慢して合羽を着ていることが要求されるのである。
8:35、15番札所国分寺に着く。

第15番国分寺


9:10、16番札所観音寺に着く。この辺り、10番以来よく顔を合わせたハイカー姿夫婦にまたお会いする。16番への道、右手に無料宿泊所の看板。bさん達は昨夜ここに泊まったという、ハイカー主人の情報。

10:35、17番札所井戸寺に着く。ここは寺名にもなっている「面影の井戸」がある。覗いて顔が映ると延命すると伝える。

15番札所以降、ミニバンでまわる数人の集団遍路によくお会いする。本堂前でゴザを敷いて座り、拍子木に合わせて読経する。うまいものだ。でも、同じ遍路姿ではあるが、独行の歩きから見ると、何とも違和感を感じてしまうのだ。どうしてだろうか。

井戸寺山門

第17番井戸寺

午後は、徳島市の中心を通る道を辿る。
都会の道を、歩く多くの人の視線を浴びて遍路姿で通るのは、何とも気恥ずかしいものだ。途中、ご婦人よりお金のご接待を受ける。ただただ恐縮するばかり・・。このお金、次の札所でお納めすればいいのだろうか。
昼食に入ったラーメン屋でも、お客から「がんばってください。お気をつけて・・」と励ましの言葉を受ける。遍路と言ったって、ワシはただ歩いておるだけなのになー。戸惑い、恐縮の極。

まだ14時前。早いけれど、勝手に今日は休養日と決め申した。遍路にはやや不釣合いながら、立派な「ワシントンホテル」に入り申した。
浴衣に着替え、上から下まで、白衣までも洗濯機にぶちこんで、うとうと・・。それにしても、スリッパでは、足の肉刺が床に直接当たり、歩き難いこと夥しい。

本日の歩行: 27074歩

本日お参りした札所

第十四番 盛寿山 延命院  常楽寺
宗派:高野山真言宗 
本尊:弥勒菩薩
開山:空海
境内全体が、自然の流れのような岩上にあり、その模様が見事である。

第十五番 薬王山 金色院  国分寺
宗派:曹洞宗  
本尊:薬師如来
開山:行基
聖武天皇が天平九年に詔勅を発して諸国に建てた国分寺の名を引き継ぐ寺。

第十六番 光曜山 千手院  観音寺
宗派:高野山真言宗  
本尊:千手観音菩薩
開山:空海
下町風情のある街中の寺。中世の間衰微したが、近世蜂須賀家の帰依で復興した。

第十七番 瑠璃山 真福院  井戸寺
宗派:真言宗善通寺派    
本尊:七佛薬師如来
開山:天武天皇勅願
「面影の井戸」は、覗いて顔が映ると延命すると伝える。




4月4日     (第1回遍路の旅日記)

天候:晴れ

これまで歩いてきて、午後になると急激に疲れ、ペースが落ちることが分った。午前中にできるだけ歩いておきたい。ホテルの朝食はとらず、5:30に出発。
人気のない早朝の街で、85歳のおばあさんからお金のお接待。しばらくお話をする。納札をお渡ししお礼。「まだ、お若いんねー、おひげが白いけんもっとお歳の多い方じゃと・・」。「むむむ・・・」。
コンビニでパンと牛乳を買い、店前で朝食。国道をひたすら歩く。

8:00、18番札所恩山寺に到着。大師が訪れて再興した寺で、母親に孝養を尽くし、墓も築いたと伝える。山号母養山の由来という。
境内のベンチで70代の方、ともう一人大阪のBさんに会う。この方とは年齢も近く、気が合って、この後、20番から23番まで殆ど一緒に歩くことになる。

恩山寺を出て、養鶏場の前から山道に入る。これは釈迦庵に通ずる道。椿と竹林の心洗われるような素晴らしい道なのだ。再び県道に出て19番を目指す。

恩山寺の先、竹林の道

10:10、19番札所立江寺に着く。ここは、街中にある大きなお寺。心掛けの悪い人は、ここから先に進めないという阿波の関所寺だそうだ。
県道を今晩の宿「金子や」を目指して歩いていると、後から軽トラが近づき、すーと止まる。窓からバナナ2本、差し出される。
県道沿いの空き地に座り昼食。立江寺門前の店で買ったパンとお茶の昼食にバナナが加わり、急に豪華となる。お接待の気持ちが心に沁みるとき。
ふと足元に目をやると、一面に土筆が生えてるではないか。春だなーと思う。子供の頃の田舎の春を思い出すひと時。
青いウインドブレーカを着て、青いシートで覆った大きな荷をしょった人が目の前の道を通り過ぎる。この人が大阪のCさん。40代半ばか、まだ童顔の残る野生的な感じの人。この後、23番まで、つかず離れず同行するこになる。
もう一人、登山姿もカッコいい長身の若者。20k以上はあると思われる巨大な荷を担いでいる。掛け軸の筒が見える。
「おばあさんが遍路してまわった掛け軸を完成させるためにまわっています。おばあさんが元気なうちに完成させたくて・・」
こんな若者もいるんだ。ほんとの遍路じゃないかな。ひと時の感傷、姿形、うちの次男に似てるなーと余計なことまで思う。
沼江大師に参る。遍路道沿いにあるが、立ち寄る人は殆どいない様子。ご住職が顔を出され、「よう、お参り・・」 入った所は裏口、正面から出ようとすると、「必ず入ったところからお出ください。これはお参りに限らず作法の常識です」と、お教えいただく。

13:30、民宿金子やに到着。早すぎてまだ入れない。宿前の広場に座っていると、遍路が次々集まってくる。Bさん、Cさん、それにあのカッコいい若者も。ふと見るとAさんが来る。10番以来だ、でもここで会うとは・・、足が速いのか遅いのかわからない人だ。ひょっとしたら、とんでもない寄り道をしているのかも。「女性群とはその後どうしました?」、「焼山寺先はどうでした?」話が弾む。
体の回りにポリ袋をいっぱい下げた、ちょっと変った風体の遍路おじさん。「管さんが遍路したときもついてまわった。あの人は後援者の車に乗って、山道は殆ど歩いておらんのだよ・・」などと言っている。・・とすると、この人長ーく遍路しているのか。ともかく、話の内容は信用しない方が身のため、でしょうな。
遍路姿じゃなく、ボストンバッグを肩から紐にぶら下げた、実に変な格好の人がうろうろ。「20番、21番だけ参りに来た。宿は開いていないのか・・。徳島に戻る・・」などと喚いておるのだ。
14:50、やっと宿の玄関が開き、一同投宿。
この宿は20番前の一軒宿なので、たくさんの遍路でいっぱいだ。
Bさんと差し向かいで夕食を戴いていると、後から突然声が掛かる。焼山寺以来のdさん。「どうしてここに・・、もう大分先行ってるはずじゃあ・・」
「この人を案内して穴禅定(別格3番慈眼寺)に行ってきた・・」 見れば玉ケ峠でお会いした病気持ちの元気な人もいる。

本日の歩行: 41636歩

本日お参りした札所

第十八番 母養山 宝樹院  恩山寺
宗派:高野山真言宗 
本尊:薬師如来
開山:行基
開基した当初は、災悪・悪疫退散の道場であり女人禁制であったという。大師が訪れて再興し、母親に孝養を尽くし、また遺骨を納めた墓を築いたともいう。寺の名の由来である。

第十九番 橋池山 摩尼院  立江寺
宗派:高野山真言宗  
本尊:延命地蔵菩薩
開山:行基
心がけの悪い者は、ここから先に進めないという阿波の「関所寺」。



4月5日     (第1回遍路の旅日記)

天候: 晴
7:00宿を出発。相前後してAさん、Bさん、Cさんも宿を出る。
Aさんは今夜の宿は22番門前ということで、先を急ぐ。図らずもBさん、Cさんと一緒に20番への山道を登ることになる。
「遍路ころがし」の一つというが、連れもあり、割合楽に登れる。Cさんは時々遅れる。休憩して待つ。
8:50、20番鶴林寺に着く。
立派な寺である。山門の傍に鶴が置かれている。大師が訪れた時、樹上に金色輝く地蔵菩薩像を翼下に抱いた鶴が現れたという伝説を持つ。
境内をゆっくり見学する。特に三重塔が古色蒼然として素晴らしい。

鶴林寺山門

9:20、20番を発ち、山を下る。里に出て那賀川の橋を渡る。水の色が濃い青で何とも美しい。川を渡ったところで例のカッコのよい若者に再会。昨夜は鶴林寺の軒先で野宿したとのこと。真っ暗で野犬の声、野鳥の叫びが怖かったとのこと。「がんばれ・・」と激励して別れる。


那賀川の橋を渡る。遍路はBさん、Cさん

21番を目指し清らかな流れの川に沿った山道を登る。休憩。川の水に手を漬け飲もうとふと川上を見ると、げっ排泄物。おそらく遍路の仕業であろう。マナーの悪さに心が痛む。
高い場所だが、畑、民家、おまけに放置された廃車まである。
人の気配はない。その傍、3人で宿で作ってもらったおにぎりで昼食。
そこから始まる1.5kほどの急坂を登る。

大龍寺への登り

12:55、21番太龍寺に着く。山道を登り切った後の舗装の参道が結構長く、足にこたえる。
ここも立派な寺である。若き空海が、虚空蔵求聞持法を修したところという。三教指帰に「阿国の大瀧の嶽にのぼりよじ・・谷響き惜しまず・・」と書かれているのはここのことともいう。(別格20番大瀧寺だという説もあるらしいが・・)
たくさんの遍路で賑わっている。ロープウエイで上ってくる遍路が多いようだ。
本堂への参道の途中に鐘楼がある。鐘楼門という形式。思わず鐘を突く。鐘音の余韻が心に沁みる。
ロープウエイの駅でお茶の接待があるというのでBさんと共に戴きに行く。そこでお会いした車でまわっている後家さん3人組と話ながら駐車場までの道1kを下る。

15:30、今晩の宿「龍山荘」に到着。近くのもう一つの宿「坂口屋」に団体が入ってるので、昨夜とほぼ同じメンバーが顔を揃える。乾燥機があるので溜まった洗濯物を纏めて処理する。
明日は23番まで行きたい。私の足にとってはけっこう距離があるので、ちょっと自信がない。宿を早く出ることにする。朝食の代わりに道中で食べるおにぎりを注文する。

本日の歩行: 26610歩

本日お参りした札所:

第二十番 霊鷲山 宝珠院  鶴林寺
宗派:高野山真言宗
本尊:地蔵菩薩
開山:空海
大師が訪れたとき、樹上に鶴がおり翼の下から光が放たれていた。それが地蔵菩薩の金像であった。高さ三尺の地蔵菩薩像を作りこれに金像を納め、寺を建てたと伝える。

第二十一番 舎心山 常住院  太龍寺
宗派:高野山真言宗  
本尊:虚空蔵菩薩
開山:空海
若き空海がこの山の霊威を見て登り、虚空蔵求聞持法を行ったところ。三教指帰に「阿国の大龍の嶽にのぼりよじ・・・谷響きを惜しまず・・」と書かれているのは、ここのことともいう。

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四国遍路の旅記録 (平成17年) 第1回 その2

3月31日     (第1回遍路の旅日記)

天候:晴れ

7:00、民宿寿食堂を発つ。
やや肌寒い風が、白衣の襟から入り込み、程よい緊張を感ずる朝。道傍の畑で農作業をする女性が、ふと顔を上げて「ごくろうさま、気をつけて・・」と、挨拶をおくってこられる。犬を連れて散歩の奥様ともお話をさせていただく。戴く言葉の端々に遍路に対する労わりの気持ちを感じるのだ。やはり、この地では、遍路は特別の存在なのだという思いを抱かせる。
7:30、7番札所十楽寺に着く。
8番札所に向う道で、初めてのお接待を戴く。
すれ違った車が、後で止まる気配、パタパタと足の音、「お遍路さあーん・・」
あたりを見回しても誰もいない、私がお遍路さんなのだと気付く。振り向くと手には2個のミカン。
納札を出して・・、御宝号を・・、そんな余裕などありはしない。涙が出そうで、お礼の言葉にも詰まる。それが初めてのお接待の現実。
こんなことが、我々の住むこの社会にあってよいのだろうか・・という戸惑い。

8:30、8番札所熊谷寺に着く。
本堂でお参りをしていると、横に立っている女性が私の顔を覗きこみ、
「あの・・お願いがあるのですが・・」。
話を聞いてみると、後方のベンチに座っている男に「案内する・・」とひつこく付き纏われて困っている、次の札所まで同行してもらえないかと・・。
この女性が名古屋の奥様eさん。切れ長の目が涼しい美しい方。気さくないい方に見える。あっ、昨夜宿で話しに出た人だ・・と気付く。
ちょうどAさん、aさんの姿も発見。4人で9番に向うことにする。くだんの男には、「連れができましたので、ありがとうございました・・」と言っている。
aさんが、男の視線を避けるようにしている。おかしい・・。後で聞いた話だが、aさんは男に手を握られたうえ、案内料2000円を要求されたとのこと。
お接待という風習のある地で、一方にはこういうことを考える輩もいる・・それもやはり現実。

熊谷寺山門の仁王

山門の桜が満開であった。途中、aさんが「あっ、杖間違えた・・」と8番に戻る。「ゆっくり行ってるからねー・・」。
eさんと、並んで歩きながら、少し話しをする。1ヶ月の休みをとって来ているという。子供があきれているとか・・。どんな事情で遍路に来ているのだろう、それ以上の詮索は憚られる、一期一会の遍路同士だから・・。

9番法輪寺

9:30、9番札所法輪寺に着く。待てどくらせどaさんは来ない。境内のベンチで、数人が僧衣のようなものを着た人を囲んでストレッチの手ほどきを受けている。eさんもやっている。eさんダメですよ。足なんか挙げちゃったりして・・、えらくなまめかしいじゃねーですか。
どういう訳かAさんは10番近くの温泉が今日の宿。私は鴨島駅前の宿。時間も心配になったので、Aさんにお願いして先に発たせてもらう。いやーこれも後でわかったことだが、aさんは私と同宿、eさんも11番近くまで来られたよう。それなら、ご一緒するんだった・・。反省いや、後悔。

切幡寺の石段

第10番切幡寺

12:10、10番札所切幡寺に着く。ここは、長い長い石段の参道。何と、333段ある。息を切らす。
ここまでくると、読経も20回目、かなり馴れてきて声もでるようになる。不思議なもんではありますなー。
納経所前のベンチで、ハイカー姿のご夫婦からせんべいを戴き、お話をする。二巡目だという。「昼食はうどん亭八幡がいいですよ・・」とお教えいただく。
石段を降りたところで、向かいから3人連れの遍路さん。Aさん、eさん、aさんと思ったがaさんの代わりに若い男性。「aさんは?」。「それが来ないの。先に来ちゃった、どうしよう。」とeさん。そこに「道に迷って・・」とaさんの姿。一同「よかった、よかった」。

13:10、うどん亭八幡着。うどんの定食、これがなかなかうまい。隣席の女性群から質問やら労いやら・・。遍路姿の効用か。
店を出たところで振り返ると、10番でお会いした夫婦が店の方へ曲がるのが見えた。

吉野川


 吉野川潜水橋


吉野川中ノ島を歩く団体遍路



吉野川を渡る潜水橋(沈下橋)は、是非通りたい場所のひとつであった。
この潜水橋というもの、四国以外では全く無いわけではないが、こんな大河を渡る生活道として、そして遍路道としてあるとは・・。川の水が心に沁みるように青い。何と美しく、やりきれないような色をしているだろう。
7番で会った、歩き遍路の団体に会う。若いお坊さんが、元気に先頭を行く。
橋を渡り、土手に上がった所で写真のお接待。この人のこと、後日を含めて、別欄「コラム」に記しておく。

相当に疲れ、痛む足を引きずって、15:50鴨島駅前「さくら旅館」に到着。
同宿は、何とaさん、それに寿食堂で一緒だったbさん。その他にも数人おられたよう。aさんは明日帰るという。「お別れだねー、また遍路に来るの?」。「明日から4回生で・・就職活動で来れないと思う・・」。いい娘だなー。ちょっと、いや大分寂しい。

本日の歩行: 37978歩


コラム 出会い 「遍路の写真を撮るひと」

心に沁みるようにような青い水の吉野川。潜水橋を渡って、川と橋が見渡せる土手に上がり、暫し振り返る。
「写真撮らしてもらいました。住所書いてください。送ります。お接待です・・」と、訥々とした語りのおじさん。
熊谷寺で、ちょっといやなこと見聞きした後でもあり、俄かには信用できない気分。後で望外の料金でも請求されたら困るなー・・という気持ち半ばで、住所を書いた納札をお渡しした。
「・・お送りいただかなくてもいいですよ・・」と礼のことばに添えて、お別れした。

後日、自宅に帰ると、大判の写真が届いていた。
美しい青色の吉野川、潜水橋を渡る真っ白な私の遍路姿が小さく写っている。懐かしい、いい写真だった。
お送りいただいたのは、川の近くに住むSさん。手紙も添えられていた。

幼少より遍路道の傍に住み、遍路の鈴の音とともに育ったこと。47歳で脳梗塞で倒れ、その後30年間写真をレハビリの友としてきたことが記されていた。
「何処辺か 一期一会の徒遍路」、歌も添えられていた。
とてもその歳には見えぬ元気な姿にお見受けしたこと、応対に失礼があったであろうことを詫びた礼状をお返しした。

(追記)
この年の11月、Sさんが徳島の駅前のホールで、遍路の写真展を開かれることを耳にした。見に行って、Sさんにお会いしたかったが、何しろ遠い。せめてもと、生花にお祝いの言葉を添えて会場にお送りした。
写真展は盛況であったようだ。地元紙の紙面も飾った。
感激で喉を詰まらせたような語りの電話を戴いた。立派な伊勢海老もお送りいただいた。過分である。
これからも、元気で写真を撮り続けられることをお祈りする。



本日お参りした札所:

第八番 普明山 真光院  熊谷寺(くまたにじ)
宗派:高野山真言宗
本尊:千手観音菩薩
開山:空海
境内から少し離れた仁王門が立派。これは、長意上人が貞享4年(1878)に建立したもの。春は門の周囲は桜、桜である。

第九番 正覚山 菩提院  法輪寺
宗派:高野山真言宗 
本尊:涅槃釈迦如来
開山:空海
大師空海が法輪で悪鬼を調伏して創建したと伝える。寺号はこれに因む。
本尊の涅槃の釈迦如来は珍しい。

第十番 得度山 灌頂院  切幡寺
宗派:高野山真言宗
本尊:千手観音菩薩
開山:空海
少女が織っていた布の切れ端を所望した空海に対し、少女は惜しげもなく織っていた布を与えた。喜捨の精神に感じた空海が灌頂を施すと、少女は光明を放ち即身成仏して千手観音になったという伝えがある。女人即身成仏の寺として信仰を集める。本堂左奥の大塔(珍しい二重塔)は、住吉神宮寺にあったものを明治6年移築したもの。国指定重要文化財。

 

4月1日     (第1回遍路の旅日記)

天候: 晴
6:40、宿を出発、11番藤井寺に向かう。
宿を出るとき、昼食のおにぎりを戴く。お接待だという。焼山寺への山道での昼食の際、初めて気づくのだが、おにぎりの包みにはおかみさんの心の篭った言葉がぎっしり。泊りの遍路が寝静まった頃、一人ひとりの顔を浮かべながら書いていただいたのであろう。心遣いが沁みる。
道の先には同宿の2人の男性遍路の姿が見え隠れする。
今日は、最大の「遍路転がし」と言われる、焼山寺への山道。遍路は皆緊張の風情。私も、いや私が一番緊張していたのかもしれない。
7:30、11番藤井寺に着く。ここは、札所にはめずらしい臨済宗のお寺。他の札所とは雰囲気が少し異なる。大師お手植えと伝える五色の藤がある。寺名の由来という。
ほどなくbさんともう一人の大阪の女性cさんも到着。二人とも12kぐらいはありそうな大きなリュックを背負っている。この後二人で野宿主体でまわられるらしい。女性の野宿は、どうしても身の危険が伴う。見知らぬ同士でも、こうして連れになる。二人連れは、身を守る手段でもある。
8:00、11番を出発。本堂の横から始まる焼山寺への急な山道を登り始める。
道にかぶさる木々の枝には、「南無大師・・」、「修行の道・・」、「がんばれ・・」などなど書かれた札が満載。
端山休憩所の手前、林道で地元の85歳のお年寄りに会い話す。 毎朝この辺を散歩しているとのこと。矍鑠として元気なものだ。
長戸庵で長休憩。途中すごいスピードで坂を登ってゆく軽装の人がパスしてゆく。「早いですねー」 「これでもしんどいんでー・・」
それにしてもbさんcさんはまだ来ない。後で聞くと、8時過ぎに例の歩きの団体が11番に到着。その出発を待って後から出たとのこと。そのときeさんも11番におられた模様。他の人と一緒にお接待の車で山道はパスしたらしい。

遍路道からの眺め

遍路の墓

10:50、柳水庵に到着。手前の道で団体歩き遍路の車を運転しているお坊さんが歩いてくるのに出会う。吉野川の潜水橋でも会った。もう、顔見知りである。
「迎えにきてるんだけど、団体と合いませんでしたか?」
「多分私より後に出ていると思いますよ」
柳水庵の休憩所前には荷物満載の車が留まり、一人の女性が休んでいる。
「団体のメンバーなんですが、足を痛めて歩けないのでこの車に乗って来たんです。明日はもう帰ろうと思います」 話してみると、東京のそれも私の近所の人らしい。
柳水庵には、「旅人が喉が渇いたとき、空海が(菩薩道具の)楊枝で加持し立てると水が迸りでた。また空海が楊枝を置くと、それが美しい糸柳の木となった」という伝えがある。今も、水が迸り、遍路の喉を潤してくれる。
柳水庵先の広い道の途中で宿でいただいたおにぎりの昼食。静かな静かな山の雰囲気。歩き疲れもあって、眠くなる。また大休憩。
昼寝どころではない。これからが大変らしい。二つの山を越えなくてはならない。
浄蓮庵への登りでは、20歩進んでは息があがり休憩、それを繰り返す。(本当はこういう歩きは最悪でゆっくりでもペースを保って歩き続けた方よいらしいのだが・・)
休憩すると山の気を胸いっぱいにいただき勢いよく登ることができる。お大師さんの力を戴いたと感ずる時であった。
ふと横を見ると・・信女と書かれた墓石。昔ここで倒れた遍路の墓であろう。合掌する。
突如、ものすごい勢いで下ってくる人がいる。「往復してるんだー」。ひょっとしたら朝方すごいスピードで追い越していった人であったかも?

浄蓮庵

突然お大師さんの姿が眼前に現れ、13:00浄蓮庵に到着。
立派な一本杉がある。(大師お手植えと伝える。このためこの庵は一本杉庵とも呼ばれる。)またまた長の休憩。
ここからは、急な下り。ひざをがくがくにしながら左右内のまで下る。
ここは梅の花がいっぱい。山の中にあるという桃源卿とは、きっとこんな村を言うのだろう。

左右内の

最後の焼山寺への登り。焼山寺への道ではここが一番厳しいと言われる。その宣伝による覚悟の所為か、私には浄蓮庵の登りほどではないと感じられた。
しかしあい変わらず20歩歩き休憩を繰りかえす。最後のところで10番でお会いしたハイカー夫婦にパスされる。
15:00頃焼山寺に到着。長い休憩をはさんだとはいえ、実になんと7時間に及ぶ山歩きであった。これは、私にとっては、このところ長く経験したことのない苦行であった。
境内は、車で上がってきたお遍路さんでいっぱい。
お参りの後、スポーツドリンクをガブ飲みし、ハイカーご夫婦と一緒に宿坊に入る。
ご夫妻の男性と一番風呂でご一緒。お話すると私より1歳上らしい。私とは違い、全然若々しい。
薄暗くなって、bさんcさんも到着の気配。相部屋の人も到着。40代半ばの青森の人で、カルト的な話にはちょっとついてゆけなかったが、ヨガや宗教関係の本もお書きの学のある方のようだ。
夕食は各部屋での精進。期待していたお勤めは宿泊者が少ないためか無し。

本日の歩行: 28941歩

本日お参りした札所:

第十一番 金剛山  藤井寺
宗派:臨済宗妙心寺派 
本尊:薬師如来
開山:空海
五色(赤、紫、白、八重、小豆)の藤は空海の手植えと伝える。寺の名はここから来る。幾度もの災難に遭ったが、その度に逃れた。本尊を「厄除け薬師」と呼ぶ。

第十二番 摩盧山 正寿院  焼山寺
宗派:高野山真言宗 
本尊:虚空蔵菩薩
開山:役ノ行者小角
毒蛇によって山が燃えたとき空海が登って調伏、鎮火したと伝える。後醍醐天皇の勅願寺という。

 

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四国遍路の旅記録 (平成17年) 第1回 その1

 

はじめに  準備など・・

いつの頃からか定かではないが、おそらく会社の定年が目の前に確かに見えてきた頃であろう。四国の海岸や山の上にあるという八十八の霊場を、歩いて回りたいと思うようになった。四国遍路である。
といっても、どこにその霊場(札所ともいうらしい)があり、どの道を辿ってそこに至ればよいのか皆目見当もつかない。
札所、霊場、遍路道、宿などを詳細な地図に示した本があるということを聞いた。
へんろみち保存協力会編の「四国遍路ひとり歩き同行二人」(地図編)である。
別冊「解説編」には、巡拝の仕方、装備・携行品から心得、戒めにいたるまで書かれている。この二冊は必需品である。まず最初に買い求めた。
大きな書店に行くと、札所寺院の故事来歴をしるした解説書や、個人の遍路体験記が多く出されている。前者はともかく後者で新書版となっている数冊に目を通した。
辰濃和男「四国遍路」(岩波新書)、加賀山耕一「お遍路入門」(ちくま新書)、月岡祐紀子「平成娘巡礼記」(文春新書)などである。
また、霊場遍路ということは、それが宗教的行事であろうとのおそれに似た気持ちも多分にあった。
「頭でっかちになるな。とにかくまず歩き始めてから学べばよい・・」などの経験者の忠告にもかかわらず、いくつかの宗教関係の本にも目を通した。
しかし、これまで宗教というものに深く接することの無かった私にとって、こういった本の内容は馴染のないものであった。
遍路が盛んになってきたと言われる江戸時代の初めのガイドブックとして、寂本の「四国遍礼霊場記」と真念の「四国遍礼道指南(みちしるべ)」がある。
いにしえの札所や遍路道の様子を知る上には興味深いものである。(実は、私はこの第一回の遍路が終わってからこれらの口語訳に目を通すことになった。) 

串間洋さんが主宰するインターネットのホームページ「掬水へんろ館」には「談話室」というコーナがあり、「こんなことまで・・」と思うことでも書き込めば、先輩遍路が答えてくれる。励ましや忠告をうけたり、遍路出発前の不安を和らげてもらえる。これは大変便利でありがたいものだ。

携行品を出来るだけ少なくすること。これは足弱の私にとっては切実な問題であった。着替え、雨具、最小限の医薬品、洗面用具、地図などリュックに入れてみては秤にかけ、最終的には7kg以下とした。前述の地図なども必要な箇所だけをコピーして持参したほど。その他、1番札所で購入した山野袋とそれに収めた納経帳、蝋燭、線香など。ウエストバッグに最小のカメラ、メモ帳など。
しかし、一番大事なことには無頓着であった。それは、自分が普段あまり歩くことのない生活を過ごしてきて足弱であるということ。遍路道や宿で出会った歩き遍路の多くは、山歩きの常連であったり、遍路の前何箇月も歩きのトレーニングをしたりした方であることを知ることになる。呑気な横着者への天罰はテキメンであることもまた知ることになる。

実際に、四国の地を巡拝して歩いてみると、最初で余裕がないということもあろうが、札所寺院の宗派や本尊やご利益(りやく)や故事来歴など殆ど頭に残っていない。
札所の間の遍路道を歩いていて出会った四国の風物や人びとや遍路仲間、これらからいただいた心がやたらと大きな場所を占めるのである。それが私にとって、遍路における最大の感動となった。
何方か「遍路はその道中にある・・」と言われたことに納得する。
それとともに、道中でお会いしたお年寄りや先達と呼ばれる方から聞く、「お大師信仰」というもの、それとお大師さん「弘法大師」が興した真言密教というもの、そのあまりにも大きな距離にしばらく悩むことにもなった。

母からは、20年ほど前、団体のバス遍路で巡礼したときの経本、それと菅笠用の手製のあご紐をいただいた。母は実家が真言宗で、また四国に近かったこともあってか、20年前の遍路の印象は高齢の今でも心の一角に大きな位置を占めているようである。
私の遍路出発に際して、母が遍路行で詠んだ短歌を送られた。
母は遍路衣を自ら縫い背中の御宝号は先達のお坊様に書いて戴いたようである。送られた歌のいくつかを以下に掲げる。
四国遍路が持つ特有の感傷に涙を誘われる。

      巡礼に着る遍路衣を縫う夜は我が振る鈴の音聞く心地す
      「ようおまいり」挨拶かわし助け合い心開きて札所を巡る
      行き倒れし遍路の姿凝りたるか人うずくまると見ゆる石あり
      巡りゆく最御崎寺の参道に二人静の群に足とむ
      慈母観音に誰が持たせしか風車水子の魂あやすごとまわる

                                          (平成17年3月29日~4月14日)

(づっと後の追記)
その母は平成25年7月亡くなりました。宗派の上ではだめといわれましたが 、白衣も杖も笠も・・棺のなかにこっそり入れました。



 3月29日      (第1回遍路の旅日記)

天候:くもり

番霊山寺門前

11時2分羽田発のスカイマークエアラインで徳島に向う。
飛行機に乗るのは何年ぶりだろう。シニアメイトの格安料金は初めて。
これから四国の中はづっと歩いていこうというのに、徳島までは空を飛んで・・何やら不思議な感じである。
空港より徳島駅までバスで25分、12:58徳島駅発のワンマン電車で13:20板東駅に降り立つ。
徳島駅のホームで遍路らしい格好の夫婦を見かけた。私はまだ遍路の格好ではないけれど、やはりとても気になる。

坂東駅に降りたのは、私を含め3人ばかり。 それにしても、この坂東駅の付近、四国遍路の出発点、1番札所の門前の街とは信じられないほど、寂しい風情なのだ。
古びていて営業しているのかどうか疑わしいほどの映画館が見える。
これも古びたタクシーが1台。
予約した宿、「かどや旅館」に向けて歩く。通りをすれ違う人の姿はない。
後から年配の人が追いついてきて「遍路ですか・・」、少し話しをする。「ワシはあてはないけど、これから5番くらいまで歩く・・」という。そういえば先ほど電車の中で見かけた人。これからハイキングでも行くといった感じの普通の服装。

宿に荷を置かせてもらい、早速1番札所霊山寺にお参り。
さすがに、境内は遍路姿の人たちで賑わっている。山門前で記念写真に収まる人も多い。初めての札所の雰囲気に緊張すること・・暫し。
寺の売店で金剛杖、白衣、菅笠、さんや袋、納経帳、輪袈裟、数珠、納札を買う。
売店の女性、お参りの仕方など含め詳しく解説してくれると聞いていたが、どういう訳か私には解説はなし・・あっさりしたものであった。
しめて19000円余り。じつは、宿に寄ったとき、女将に、「遍路用品はどこで買うのがよいのでしょう・・」と聞いたけれど言葉を濁された。考えてみればお寺も宿も商売、聞く方が悪い。(門前のお店の方が安いらしいというのは後で遍路仲間から聞いた話。)

この売店は納経所にもなっているらしく、買った納経帳の最初のページにはすでに納経印が押されている。「歩きの方はこれにも・・」というのでノートに名前と住所を記入。
ちょっと割り切れない思いながら、とにかく本堂と大師堂に行って合掌してお参り。
1番札所の周り、2番札所の方へ少々歩いて足慣らし。はやる気持ちを抑え宿に戻る。
宿は椿荘というだけあって、庭に椿の多いきれいな宿。
同宿は60台の男性Aさん、20歳くらいの女性aさん(神戸女子薬科大の学生さん、春休みを利用して11番まで歩く予定)、その他55歳くらいの男性。(この人は何か事情があり気で、あまり話をしない。)
Aさんは近くの床屋で坊主頭にしてきたところと手ぬぐいを被っている。
「これで整髪用具などの荷物が減るんだ・・」。
北海道帯広から来ている。当然通し打ちの予定だという。
aさんは静かに食事していたが、私が話し掛け、明日から始まる遍路への期待と不安の話、3人で結構盛 り上がる。
食事が終わって、「洗濯できますか」と聞くと、宿のおばあさんが「遅いからダメ」。そういえば、遍路は、早寝早起きなのであった、納得して早々に床につく。

霊山寺で

1番霊山寺

本日の歩行:11989歩(板東駅からカウント)



3月30日     (第1回遍路の旅日記)

天候:晴

今日から正式の歩き始めということになろうか。
6:50宿を出発、1番は昨日カンニング気味ではあるがお参りを済ませているので、旧道を2番を目指して歩く。
あっけないほどの近さで、2番札所極楽寺に着く。
赤い山門より入る。大師お手植えという長命杉を見上げる。
境内はお遍路さんでいっぱい。
極楽寺を出ると、いきなり墓地の中の道に出る。
「これは道が違うのではないか・・」とあたりをキョロキョロ、またウロウロ。赤いペンキで遍路の影絵を描いた立て札を発見。これが、遍路道マークとの初対面。
この後、この道標に幾度となく出会い、安堵し導かれて歩くことになったことだろう。

第2番極楽寺

8:15、 3番札所金泉寺に着く。
霊場での礼拝作法は次のように定まっている。
門前で一礼、手水、納め札、灯明、線香、お賽銭、読経、これを本堂と大師堂で。
普段の生活では、どちらか言うとこういった儀礼作法を嫌悪する方であるが、ここでは異常に拘るこの心理。どういうことであろうか。
何か一つ二つ忘れたような気がする。読経は般若心経とご宝号三返でお許しいただくと決めている。詰まり詰まりは仕方ないけれど、さっぱり声が出てこないのだ。
隣で、すごいスピードでお経を合唱する団体さんなどに遭遇したりすると、気後れしてもういけません。口の中でもごもごとしただけで、早々に退散したくなるのだ。

3番札所を過ぎると、俄然「これが遍路道だよなー・・」と思わせられる土の道の様相。田圃の畦道、森の中の道。緊張した心が徐に開かれるようだ。
「あー、遍路に来てよかった・・」と最初に思う瞬間。
きっと新米の遍路は皆そう思って歩き始めるんだろうな・・と思ったりした。

4番大日寺への道 

第4番大日寺

山道を通って、9:55 4番札所大日寺に着く。
広い境内の立派なお寺である。緩やかな下りの広い道を通って 10:45、五百羅漢に到着。
遠くの方で掃除をしている人ひとり。他には誰も見掛けない。
「お願いしまーす・・」、何度か叫んで、やっと受付の奥の方から品の良いおばあさんが登場。200円払いお参りする。
五百羅漢と言えば、屋外の石造りと勝手に想像していたのだが、ここは広い回廊風のお堂に並んだ塑像。確かに夥しい数であるが、稚拙な感じの像も多く、やや期待を裏切られた感じもある。

地蔵寺前の遍路道で

第5番地蔵寺

11:00、5番札所地蔵寺に着く。
お参りして、振り返ると本堂の杖置きに置いた杖が見当たらない。
大師堂の方を見ると4、5人の女性の参拝者がいる。纏めて持っていったようだ。その中に私の杖を発見。
「私のです。名前が書いてありますから・・」。
教訓、杖には名前を書いておくべし。

新宅小学校の近くの神社の境内で靴を脱ぎ、昼食のパンを食う。既に足が少し疲れてきたようだ。無理も無いこと、普段こんなに歩くことってないことなのだから。
実は、この辺りに10時半ぐらいまでに着けば、別格1番札所大山寺にお参りする予定でいた。どうも、私のペースでは無理のようだ。
初日から宿に遅く着くのも厭だしなー・・と考えた。あきらめましょう。

13:20、6番札所安楽寺に着く。
ここは宿坊もある大きなお寺。団体さんが、先達の指導で屈伸運動なんかやっておる。荷物を背負ったまま真似したら、ひっくり返りそうになって、止めにした。
「おっとっと・・」と大声を出し、団体さんの注目をあびる。恥ずかしいことだ。

14:10、7番札所十楽寺に着く。
ここでは、東京から来た、阿波一国歩き遍路、約25人の団体と会う。引率の若いお坊さんと話をする。参加者の平均年齢62.5歳、私と同年配。この団体とは、この後吉野川の潜水橋、焼山寺、徳島市内と頻繁にお会いした。歩くペースがほぼ同じということだろうが、荷物は車で 先々に運んでいる。荷物の重さだけ、私にハンデがあると勝手に得心。

第6番安楽寺

安楽寺境内で

この日の宿は5番、6番間の民宿寿食堂に予約してある。
来た道を引き返す。15:10、民宿寿食堂に着く。
女将さんに杖を洗っていただく。
同宿は前宿に引き続きAさん、それと茅ヶ崎の若く元気な女性bさん。宿の主人の独特、薀蓄のある話を中心に大いに盛り上がる。
もう一人年配の男性。昨日は板東の駅で野宿。その無理が祟ってか3番で気分が悪くなり寺の人から紹介されこの宿に泊まっている。
もうやめてかえろうかと迷っている。3番で会った名古屋の派手な女性の話が盛んに出る。実は、この女性とは、翌日お会いすることになるのだが・・

本日の歩行: 35419歩


本日お参りした札所

第一番 竺和山 一乗院  霊山寺
宗派:高野山真言宗
本尊:釈迦如来
開山:行基
昔は2kほど北にある大麻比古神社が1番の奥の院であったよう。霊威があることで有名でお参りする遍路が多かったようだ。(現在は東にある東林院(種蒔大師)が奥の院)

第二番 日照山 無量寿院  極楽寺
宗派:高野山真言宗
本尊:阿弥陀如来
開山:行基
大師が無量寿の秘法を修め、阿弥陀如来を刻んで安置したと伝える。境内に大師お手植えと伝える「長命杉」がある。

第三番 亀光山 釈迦院  金泉寺
宗派:高野山真言宗
本尊:釈迦如来
開山:行基
寺号は、大師空海が掘り当てた黄金の井戸に由来するという。この井戸を覗き顔が映れば「三年の間は死なない」との伝承がある。

第四番 黒巌山 遍照院  大日寺
宗派:真言宗東寺派
本尊:大日如来
開山:空海
その地名から黒谷寺とも呼ばれていた。朱色の門が際立っている。

第五番 無尽山 荘厳院  地蔵寺
宗派:真言宗御室派
本尊:延命(勝軍)地蔵菩薩
開山:空海
嵯峨天皇の勅願により大師が開いたと伝える。歴史的には熊野修験との関わりが深い寺。昔の五百羅漢所が奥の院であったようだ。

第六番 温泉山 瑠璃光院  安楽寺
宗派:高野山真言宗
本尊:薬師如来
開山:空海
大師が温泉地、引野に堂を建て創建。様々な病に効能があったため医王薬師如来を本尊とする。

第七番 光明山 蓮華院  十楽寺
宗派:高野山真言宗
本尊:阿弥陀如来
開山:空海
阿弥陀如来のおられる極楽には、十楽があるという。それから採られた寺号。盲目に霊験ある寺として知られている。          

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