感動との出会いをもとめて・・、白いあごひげおじさん(もう、完全なじじいだな・・)の四国遍路の写真日記です・・
枯雑草の巡礼日記
瀬戸田、向上寺三重塔
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潮音山向上寺(曹洞宗)。15世紀、隆盛を誇った寺といわれるが、明治初めの
火災で、三重塔を残し、総ての伽藍を失う。以来、丘の上の孤塔となった。
この三重塔は、室町時代の初め1432年の建立。和様を基調としながら、初重の
扇垂木、花頭窓等、禅宗様(唐様)が採り入れられている。
また、随所に波や蓮華の彫刻があしらわれ、華麗な印象を添える。
しかし、この塔の素晴らしさは、何といっても、矍鑠とした老人を思わせるその
全体の骨格と、秘めた赤き情熱のような、軒下の木組みの見事さにあると思う。
建立以来の年月を、潮風に晒されたにもかかわらず、昭和38年の解体修理で、
用材の大部分は建立当時のものと確認されたという。
500年を超える日々。三重塔は、今日もまた、港を見下ろす丘の上から、
瀬戸田の街と、瀬戸内の海を見守り続けていた。
(向上寺のある瀬戸田は、現在は尾道市に属すが、島なみハイウエイが通ずる
生口島(いくちじま)にあります。この島は、あの耕三寺と平山郁夫美術館で
有名で、この向上寺三重塔は、国宝にもかかわらず、訪れる人は、少ないのです。
港町の旧い家並みの間から上がる参道の石段もあるが、私は、塔の裏山に登る
500mほどの急な山道を歩きました。
山頂に着いて、汗を拭きながら見下ろす眼前に、海と瀬戸田の街と港を背景に、
突然あらわれる三重塔に出会える感激が味わえるのです。)
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備前藩旧閑谷学校(2)
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講堂に入ると、広い床面は、花頭窓から入る外光を反射して
輝いています。江戸時代以来、この床に座った学生たちによって
拭きこまれたためだそうです。
教室の柱も廊下の床も扉も、また輝いています。
300年の歳を経て、生徒と先生の意思が浸み込んでいるのでしょうか。
障子の窓を開けると、学校を取り囲む石塀と、その向こうの
緑の森が見えます。
そんなものに囲まれて、学んだ学生たちの意気込みと、
そして、幸せを想いました。
(梅雨の最中で、しとしとと雨の降る閑谷学校でした。
学校の周囲の、濡れた緑は、一層鮮やかだったかもしれません。
この史跡を管理する人の「秋は講堂横の楷の木の紅葉が、それは
見事です。またおいでください・・。」の声をあとに、吉永の駅まで
の静かな帰り道を辿りました。)
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備前藩旧閑谷学校(1)
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庶民(武士以外)を対象とした学校の建物として、現存する世界最古
のものと言われる、備前藩校、閑谷(しずたに)学校は、岡山県の東、
和気(現備前市)閑谷の緑に囲まれた山中にあります。
備前藩主、池田光政が建設を命じたのは、1670年。現代の建築家に
も信奉者が多いといわれる講堂(現国宝)が建立されたのは、元禄14
年(1701年)のこと。
学校に近づくと、まず梅林越しに見える壮大な校門に圧倒されます。
校地を囲む石塀は、上部が丸くなった「切り込み剥ぎ式」と呼ばれる
精巧な石工技術の賜物。これも目を見張らせます。そして、講堂。
堂々とした柱組みの入母屋造り。こけら葺きの上に備前焼瓦をのせた
壮麗な屋根が、一際見事です。周り一面の緑のなかで、輝いていました。
(旧閑谷学校は、山陽本線吉永駅の南、約3kにあります。
車で行けば、5分の距離だが、出来れば歩いて行きたい・・、と思わせ
ます。歩行道の短いトンネルを潜ると、そこは別世界。
緑の山に囲まれた、閑谷の小世界にとっぷりとしたることができます。)
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