感動との出会いをもとめて・・、白いあごひげおじさん(もう、完全なじじいだな・・)の四国遍路の写真日記です・・
枯雑草の巡礼日記
おはなはんが住んだ街?、伊予大洲
「おはなはん」は、昭和41年のテレビドラマ。林謙一が、母の半生を綴った小説がその原作。
もう随分昔のことだから、知らない人の方が多くなったでしょうが、私にとっては、結構鮮やか
な色の記憶として、心のどこかに残っているのです。おはなはんは、樫山文枝、軍人さんの
夫は高橋幸治でした・・。
「おはなはん通り」という名の街があるって・・。愛媛県大洲を訪ねました。
大洲の古い街の一角。その通りの近くには、明治に建てられた銀行の赤い煉瓦の建物が
残されています。赤い煉瓦の色とランタン飾りのマントの人影・・限りなく優しい風情です。
その建物の裏手には「ポコペン横丁」という昭和30年代の風を売る店が並んでいます。
そして、おはなはん通りはその先です。
実は、本当の「おはなはん」は、ここではなく徳島に住んでいたのだそうです。では、なぜ・・
テレビドラマのロケがこの地で行われたこと。これが通りの名の由来なのだそうです。
まだ明るい時間、寄った喫茶店の若い女性。
「住んだ家は今はもう残っていませんけどね・・」
おはなはんが、実際に住んでいたという話し口。ひょっとしたら、ほんとにそうだと思っている
のかも・・。
この通りは遍路道にもなっています。「わたしはもう二度もこの前を歩いたことあるんですよ・・」
「あら・・、おへんろさんにも時々寄ってもらえますよ。こんど歩かれたときはぜひ・・」
土蔵と古い家並に囲まれた通りは、もう夕暮れ。
赤い提灯に誘われて、ちょっといっぱいやりますか・・。
コメント ( 24 ) | Trackback ( 0 )
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お花はん、NHKの朝の15分ドラマ見ていましたよ
白馬に乗った王子様を待って木の上で・・ここから始まりましtね
こんな素敵な街で育ったのですね
赤提灯のお店が風情があり良い光景ですね
此処で一杯行きましたか~
おハナはんが、先にコメントしてますね。(笑)
伊予の国なんですか。
私が中学の頃かな?
樫山文枝さんは記憶にありますね。
どんな話だったかは忘れました。
テレビの主題歌のメロディーを今でも覚えていますよ。
赤いレンガに開いた小さな窓も風情がありますね。
大洲で芋煮を食べたことがあります。
「おはなはん通り」懐かしい!・・・と言いたいところですが、私が歩いた時は雨で日暮れも近く、ちょっと道に迷ったような感じもしていたので、焦りながらの通過・・・じっくり味わう余裕はありませんでした。
ドラマの方は、映像の記憶はないけれど主題歌のメロディーの一部だけは耳の奥に残っております。
此処ですか?
赤レンガにアンチークな街灯、街灯の影、
素敵ですね、赤提灯の、お店、懐かしいような、
風情有りますね、
最後の素晴らしい雲の流れ、見入ってしまいます
おはなはんというとブログ愛好家であります、ハナさんを私はおはなはんと書いたことがあります。
私もおはなはんの話は良く分かりませんが、人気のあった放送だったようですね。
枯雑草さんレンガの街が素敵ですね。暖かさを感じますよ。私のいる街は昔レンガ工場があったのですよ。
ほとんど昔のレンガの建築物は深谷のレンガを使ったそうです。
(理由もなく、なんとなくですが)
少年マンボの看板や焼き鳥の看板の字が、
右から左に書いてあるのもいいですね~
赤提灯のお店、ここは映画のロケ用ではなく
普通の生活圏ですか?
だとしたら最高ですね
ゆ~たり! の~んびり暮らせそう
レンガがきれい。看板も古いですね。
最後の空がなんともいえないですね。
おはなはんのロケ地ですか。
うちの田舎にも、天地人の名前の道が残るかもしれませんね。
テレビドラマ見ておられた、よほど
お小さい頃ですね。再放送かな・・。
印象的なオープニングでしたね。
ロケに使われただけに、いい街でした。
どこでいっぱいやったか・・、それは秘密
です。
親父さんの年代だと、何かそんなドラマ
あったそうだ・・ぐらいの印象でしょうか。
街の名前に残るぐらい・・そんなイメージ
を残してくれるほど、すごいドラマだった
のでしょうね。
★赤い提灯の露店がある街並みの作品、わりと最近まではこんな街並が彼方此方にあったように思います。
私たちの町も、丁度、戦後まもなく建てられて家々が並んでいましたが、昭和50年代頃から瀟洒な家に建て代わりはじめ、道が広がり、すっかり面影が無くなりました。
★こういう風景、夕暮れが似合いますね。まさに「三丁目の夕日」です。
主題歌懐かしいですね。
↓の方が書かれたように、ちゃーらららん・・
でしたね。
大洲で芋煮ですか。うまかったでしょう。
そうですね。遍路のときは、次の札所へ宿へ必
死・・。通ったことは通ったけど、あまり印象
は残っていませんね。
ちゃーらららん・・さすがうまいなー。ドラマは
コイケダさんの年代では当然覚えてないでしょうが
歌はずいぶん後まで歌われてましたから・・。
おはなはんは原作を読まれましたか・・。
さすがです。コメントで書きましたように
本当は徳島のようですが、当時この大洲の
雰囲気はピッタリだったのでしょうね。
懐かしいような街ですね。
そうでしたね、kenさんはハナさんをおはなはん
と呼んでおられた・・。
お近くに煉瓦造で有名な片倉工業富岡工場もあり
ますし、街にも煉瓦造が多いのですか。
とても、暖かい感じがいいですね。
煉瓦造の建物は、関東大震災以降は急減
しますから、それ以前、明治、大正の建物
ということですね。暖かい建物ですね。
この街は、ドラマおはなはんのロケが行われ
ましたが、残っているのは、セットではなく
本当の街です。普通の生活圏です。
夕暮れ迫る大洲のおはなはん通り・・、
最後の写真の雲、私も見とれました。
そうですね。auntieさんの故郷も
そのうち天地人のナントカって残される
かもしれませんね。
そうですね。日本のすべてがとてつもなく
変わってきたのは昭和40年代後半から・・
というきがします。
街はきれいになり、それはそれでいいのですが、
路地裏の生活の味わいは失われてしまいました
ね。「三丁目の夕日」まさにその世界ですね。
オート三輪の絵が懐かしいです。
大洲に行かれたのですね。
正月の帰省時に大洲城を写しました。
ご無沙汰している間にため息の出るようなお写真を精力的に更新し続けていますね。一度、京都の東寺あたりの時に覗きました。京都は想いでの地なのでコメントをと思ったのですがグッとこらえて帰りました。
おはなさん、見ていました。スタジオ以外のロケはフイルムでしたね。もう随分昔になってしまいましたね。
小学校3年生ですか・・。では、ドラマには
興味なかったですね。オート三輪懐かしいです。
バタバタといって、マツダやミズシマがメーカ
だったかなー。
大洲は、もへじさんの故郷と近い所なん
でしたか。懐かしい風景も多いでしょう。
大洲城も立派ですね。
お久しぶりです。まだまだ大変のようですね。
とにかく、がんばるしか手がありませんね。
おはなはん、スタジオ以外がフィルムでした
か、よくおぼえておられる。当時はそれが
普通だったのでしょうね。古い話になりました。