海上を渡る雪の雲












          巨大な雲の塊の中に
          陽光が姿を消すと、
          何処からともなく
          薄墨のような朧が、
          海の上を渡ってきます。
          雪の雲ですね。
          やがてこの辺も
          横殴りの白い礫の
          到来でしょう。
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ふるさとの家と蔵と・・赤い実
















          実は、私のふるさとの家というわけではありません。
          でも、それととっても近い場所だし、
          想い出すようなものが、やたらとたくさん
          あるものだから・・。

          長い塀に囲まれた荒れた庭があって、
          そのなかには、納屋があって、木小屋があって、
          家の後ろは竹藪。
          家のガラス戸の前には、きっと赤い実。
          その前で遊んだ、隣家の大きな白壁の蔵。
          怖かったような、懐かしいような、数々の記憶・・。
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醍醐寺、美しき全身像、五重塔へ


















          金堂のやや奥、右手の広い敷地に独り立つ五重塔が見えてくる。天暦5年(951)の建立。
          醍醐寺創建当時より残る唯一の建物である。
          また、京都府内に現存する最古の建物でもあるらしい。
          わが国に残る五重古塔としては、5番目に古いもの(4つの塔のうち2つは小塔であり、実質に
          は、法隆寺、室生寺に次いで3番目に当たる) 
          塔の高さ38m。その上の相輪は13mで塔全体の1/3を占める。創建以来多くの修理が行われ
          たようで、必ずしも創建時の姿を忠実に伝えているとは言えないのかもしれないが、仰ぎ見れば、
          そのバランスのとれた全身、木組みの力強さ、屋根の瓦の並びと反りの美しさ・・どこをとっても、
          稀にみる見事な五重塔である。暫し佇んで、その前を離れることができなかったほど・・。

          (醍醐寺発祥の地、上醍醐はここより約2kの山道を上ったところ。上醍醐には、薬師堂、
           清瀧宮、開山堂、准胝堂など、国宝、重文の建築物もあり、ぜひ参りたいところであった。
           2008年8月24日、西国十一番札所でもある准胝堂が、落雷による火災で全焼。それ以来、
           上醍醐全体が入山禁止となっている。私の行ったのは少し前。今は解除された模様。
           機会があれば、いつか訪ねたい地である。)
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醍醐寺、修行の寺、仁王門から金堂へ


















          京都市の東辺、伏見区の醍醐寺(真言宗醍醐派総本山)。弘法大師の孫弟子、理源大師
          により貞観16年(874)、笠取山山上に創建されたと伝える。そこは当時、山岳信仰の盛んな
          霊山であったという。後に醍醐山と呼ばれるこの地は、麓より険しい山道を歩いて40分程、
          上醍醐と呼ばれ、修験の道場として発展する。そして、山裾にも寺域を拡大し、多くの伽藍が
          建てられ、下醍醐として隆盛をみるようになる。戦国の時代には、他の多くの寺と同様荒廃
          するが、歴史上著名な豊臣秀吉の「醍醐の花見」以降、再興され、今に見るような広大な
          寺域と多くの堂宇を有する大寺となった。
          醍醐寺(下醍醐)の正面、比較的小さな総門を経て、しばらく参道を辿ると、通称仁王門と
          呼ばれる西大門がある。慶長10年(1605)の再建。仁王は平安後期(1134)の造立で、
          独特の表情を有する。(写真1~3)
          西大門より更に参道を進むと、左手に金堂(国宝)の大伽藍が望まれる。慶長4年(1599)
          紀州湯浅の満願寺より移築されたもの。12世紀後半の建物と言われるが、移築時に大改造
          が加えられたようで、桃山時代風の華麗な屋根が目を引く。寺の本尊である薬師如来(三尊)
          を安置する。(写真4~6)
          金堂の向いに、清瀧宮本殿(重文、1517年の再建。上醍醐にある宮の分身)がある。空海が
          唐より勧請した密教の守護神を祀るという。当時の仏教と神社の関係を物語る。典型的な流造
          だが、極彩色の梁柱が美しい。(写真7、8)

          (この寺は、仏教を学ぶ若い僧が多く集まる寺だという。広い寺の境内、或いは周囲を歩いて
           いると修行の僧であろう、緊張した表情の若者によく出会う。
           私が四国遍路でお参りするあるお堂の堂主も、この寺で修行された方と聞いた。厳しい言葉
           と優しい表情と・・そんなものを、この地で身に付けられたのであろうかと、ふと思ったりした。)
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東寺、この壮大な真言密教の本山




















          京都市南区九条町に在るこの著名な寺。正式名はかなり長大なものだそうだが、通称は東寺、或いは
          教王護国寺と呼ばれる。延暦15年(796)の創建と伝えるが、その後、弘仁14年(823)弘法大師
          空海が嵯峨天皇からこの寺を賜り、真言密教の根本道場とするとともに、国家鎮護の寺としての性格
          を併せ持つこととなる。このことが後に、王を教えると記す、別名教王護国寺と呼ばれるようになる所以
          であろう。
          広大な境内に多くの伽藍を有する。主要なものでも、金堂(国宝)、講堂(重文)、五重塔(国宝)、
          御影堂(国宝)、灌頂院(重文)、南大門(重文)などを数える。
          金堂は慶長8年(1603)の再建。入母屋造、一重裳階(もこし)付き。建築様式は和様に大仏様を
          併用。(大仏様の特徴である、柱に直接差し込まれた挿肘木を有する。この時代の建物としては珍しい)
          極めて壮大な建物で、広大な内部空間に薬師三尊像を安置する。
          講堂は延徳3年(1491)の再建。単層入母屋造、純和様。朱塗りの柱列が美しい。内部には、この寺で
          最も著名なものであろう、五仏(重文)、五大菩薩(国宝)、五大明王(国宝)、梵天帝釈天・四天王(国宝)
          などを安置する。これらの仏は立体曼陀羅を構成していると言われるが、空海が、この空間で何を説き
          たかったかについては、諸説あり、定説に至らない。
          五重塔は寛永21年(1644)の再建。高さ54.8m、木造塔としては日本一の高さ。塔全体が黒く、
          五重塔特有の空に向かってとき放されたような開放感には欠けるように思える。一方、多くの塔の
          ように上層にゆくに従って小さくなる度合が少ない形状が、この塔に荘重な雰囲気を与えているようだ。
          1~5枚目:五重塔。6~8枚目:金堂。9枚目:講堂。

          (新幹線で新大阪駅に向かうと、京都駅を出てすぐ左手に見えるのが東寺の五重塔ですね。
           京都駅ビルが新しくなって、壁のように市内の景色を遮るようになって、列車から古都の面影が
           伺えるのは、この塔ぐらいになってしまいました。
           昨年の暮も押し詰まった21日、「終い弘法」(21日は弘法大師の月命日なのです)に、四国遍路の
           仲間が東寺に集まりました。年の終わりの弘法の日ですから、それはすごい人出でしたよ。
           そんななかで、御影堂で納経させていただき、金堂の立体曼陀羅や五重塔をあわただしく見て
           回りました。そして、仁和寺や・・、翌日は東山の方まで、暮れの京都を歩いてみました。
           おっと、またちょっと前の写真で御免。)
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