感動との出会いをもとめて・・、白いあごひげおじさん(もう、完全なじじいだな・・)の四国遍路の写真日記です・・
枯雑草の巡礼日記
夕暮れの陽の中で・・閼伽井坊多宝塔
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山口県下松市の花岡八幡宮境内に一基の多宝塔がある。
藤原鎌足が建てた八幡宮日本十六塔の一つと伝える。閼伽井坊(あかいぼう)塔婆と呼ば
れる。閼伽井坊(真言宗御室派)は、花岡八幡宮の社坊九ヵ寺のうち現存する唯一のもの。
いわゆる神仏習合を継承した神宮寺である。
現存する塔は、室町時代後期の建立と推定されている。三間四方の二重塔婆で、高さ13.5m、
屋根は杮葺きである。下層の梁間正面の装飾蟇又など、華麗、精緻な木組みを有する。
多宝塔は、下層が正方形、上層が円形の塔身を持ち、上層を受けるため土饅頭のような
白漆喰の亀腹が下層の屋根の上に載るのが一般。この塔は上層の塔身が細く、この亀腹が
殆ど目立たない独特の形態を持つ。そのため、屋根の翼のような拡がりが一層強調される。
塔内には、金剛界大日如来を祀る。国重要文化財指定。
(実は、こんな立派な多宝塔が、近くにあることに気付かないでいました。調べてみると、なる
ほど、山陽路にある四つの国宝、国重文指定の多宝塔の一つ。(他は、尾道浄土寺(国宝)、
厳島神社(重文)、笠岡遍照寺(重文)の三つです。浄土寺は以前載せました。)
夕暮れ近い午後、訪れました。低い陽に照らされた塔身の木組みのなかに、古の壮大な
世界を見た思いがしたものです。それは、半ば、過ぎ去って顧みられることの少ない今の
境遇を嘆いているようにも・・、 ふと、軒先の青い風鐸が鳴る声を聞いたように思ったもの
でした。)
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雨の中の・・、国東富貴寺阿弥陀堂
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船に乗って、豊後水道を渡り大分県に入る。
臼杵や竹田に寄って、その帰路どうしても行きたいところがあった。
国東半島の山懐深く、富貴寺阿弥陀堂である。
一昨年の夏以来の再訪である。
朝から雨が降り止まぬ。
日本全国に数ある国宝建築の中でも最も優れたものの一つ、
と言われるこの阿弥陀堂。その伸び伸びとした全容、屋根の線、
その下の光輝く柱、戸。何処をとっても、茫洋として心奪われる・・。
堂内の仏と壁画を守るため、雨の日は、お堂の扉は開けられない。
ゆっくりと、その周りを廻りながら、雨線と水滴の向こうの阿弥陀堂を
飽かず眺めていたものだ。
前回の記事はこちら(2007年9月)
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滲み出す古の色と声、臼杵石仏
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我が国では、特に秀でた石仏として名高い臼杵の石仏。大分県臼杵市深田の丘陵の山裾
の凝灰岩に刻まれた磨崖仏群です。平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫られたものと
言われています。石仏の大々的な修復、覆堂の設置などが終わった平成7年、4群59体の
石仏はまとめて国宝に指定されました。そのうち、いくつかを紹介しましょう。
ホキ石仏第2群の内。阿弥陀三尊(写真1)、阿弥陀如来(写真2)、左脇侍観音菩薩(写真3)。
臼杵石仏のなかでも特に優れた石仏と言われますが、覆堂が設置されて、その印象が最も
大きく変わった(厳しさから柔和な表情へと)のは、この阿弥陀仏でしょう。
ホキ石仏第1群の内。地蔵十王像(写真4)。臼杵石仏の中では最も新しく、鎌倉時代に彫ら
れたものと言われます。石の上に滲み出る色の残映が鮮やかです。
同じく第1群の内。如来三尊(写真5)、釈迦如来(写真6)。
古園石仏の内。大日如来(写真7、8)。臼杵石仏を代表する最も有名な大日如来です。
修復により本来の位置の戻された仏頭・・。バランスはどうでしょう。長い眉、豊かな頬の
肉取り、我が国の仏には見ることの少ない圧倒的な迫力を感じます。
大日さんの前で、お年寄りが正座して読経されています。その声が覆堂に木霊していました。
(実は、私は大昔、まだ学生だった頃、臼杵の石仏を見に行ったことがあるのです。
その頃は、草繁る畑中の道を歩いて、山陰に潜むような石仏に会った・・そんな記憶がある
のですが。覆堂は無く、あの有名な大日如来の仏頭は、直接台座の上に置かれていました。
その時の強烈な印象は忘れることができないものです。長い年月を経て、この日感じた
印象よりももっと強いものを・・。なぜでしょう。覆堂によって外光が遮られたためでしょうか。
修復により端整な面持ちとなった仏の姿のためでしょうか。いや、半世紀近くの歳月を経て、
私の感じる心が変わった・・。きっとそうなのだと思います。)
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この赤き乱舞・・、尾道向上寺再訪
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瀬戸田(現尾道市)の港の古い街並みの上に三重塔が見えます。
向上寺三重塔に初めて会ったのは、一昨年の夏の日。汗を拭きながら上った丘の上から
見た三重塔の印象は忘れられません。塔の向こうの青い瀬戸の海の色もまた・・。
この度は、冬の日。待望の再訪でした。
長い石段を上って、塔の前に立つと、やや色褪せた塔身から蘇る極彩色の世界に飲み込まれます。
軒下を巡る扇垂木の並び。その下の圧倒的な組物。尾垂木の上下の波のようにも見える
若葉の抽象化された彫物。黄色の木鼻。各層に見える花頭窓。
欄干四隅の親柱の逆蓮華の飾り付け。禅宗様が色濃いと言われる建築様式。
これほどの装飾に彩られた三重塔は他に見ることはないでしょう。
いや、講釈はどうでもよいことでしょう。
この赤き乱舞・・狂気とも言えるような色の中に身を置けることは得がたいことに思えます。
こういった極彩もまた、日本の原風景の一つだったと気づかされます。
向上寺の境内は、三重塔の他は山門があるだけ。大きな建物の土台が造りかけられていました。
やっと本堂が再建されるようです。こんな冬の日、訪れる人は誰もいません。
またの再訪を期して、ゆっくり、ゆっくり長い石段を下って瀬戸田の街へ。
前回(2007年7月)の記事はこちら
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醍醐寺、美しき全身像、五重塔へ
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金堂のやや奥、右手の広い敷地に独り立つ五重塔が見えてくる。天暦5年(951)の建立。
醍醐寺創建当時より残る唯一の建物である。
また、京都府内に現存する最古の建物でもあるらしい。
わが国に残る五重古塔としては、5番目に古いもの(4つの塔のうち2つは小塔であり、実質に
は、法隆寺、室生寺に次いで3番目に当たる)
塔の高さ38m。その上の相輪は13mで塔全体の1/3を占める。創建以来多くの修理が行われ
たようで、必ずしも創建時の姿を忠実に伝えているとは言えないのかもしれないが、仰ぎ見れば、
そのバランスのとれた全身、木組みの力強さ、屋根の瓦の並びと反りの美しさ・・どこをとっても、
稀にみる見事な五重塔である。暫し佇んで、その前を離れることができなかったほど・・。
(醍醐寺発祥の地、上醍醐はここより約2kの山道を上ったところ。上醍醐には、薬師堂、
清瀧宮、開山堂、准胝堂など、国宝、重文の建築物もあり、ぜひ参りたいところであった。
2008年8月24日、西国十一番札所でもある准胝堂が、落雷による火災で全焼。それ以来、
上醍醐全体が入山禁止となっている。私の行ったのは少し前。今は解除された模様。
機会があれば、いつか訪ねたい地である。)
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