(株)カプロラクタム-blog

果たしてココは何処なのだろうか・・・
否!ココは(株)カプロラクタム代表取締役兼社員αのweblogである!

靖国神社

2006年08月16日 | 時事
小泉首相、靖国神社に昇殿して参拝
昨日はたまたま5時頃に目が覚め、そのままテレビに釘付けになっていました。

普通、8月15日といえば終戦記念の特集が組まれるわけですが、この日はどのテレビ局も靖国一色。もっと他に報道することがあるだろうと思いつつも、色んなチャンネルにかえて報道の仕方をチェックしていました。
なんつーか、日本は「表現の自由」が認められている国なのに、どの局も大して変わらない構成をしていることは不思議ですね。マスコミが信用できない理由の一つです。中にははっきり反対スタンスの局があってもいいし、逆に賛成スタンスの局もまた、あっておかしくないでしょう。それが、雁首そろえてさも中立を装い双方の意見を紹介しつつも、結局は批判したいことがミエミエの構成。それを全局でやられちゃ、マインドコントロール以外の何物でもありませんな。
こういう部分で、新聞はもっとはっきりしていますね。

さて、正直そんなことはどうでも良いわけですけど、別に今まで特に関心も何もなかったこの一連の騒動を見ていて、ふと「自分も靖国に行ってみたい」という気持ちになりました。東京へは修学旅行なども含めて5~6回しか行ったことがありません。何故かその中で東京タワーだけは4~5回行っている気がしますが・・・ネットで靖国神社の場所を検索し、東京タワーまでとさほど距離が変わらないことを確認。(歩くのかよ)南紀に行った時の青春18切符がまだ1回分残っていたので、東京日帰り旅行の構想でネット検索しました。あまり早起きするのも何ですから、8時ぐらいに岐阜を出て何時に着けるか調べてみると、

14時半・・・orz

まあ、ココから四国までが6時間ですから、距離的に同じような東京もそれくらいはかかってしまう模様です。当然、帰りも同じだけかかりますし、青春18が有効な24時前に着く事を考えると、17時前にはもう東京を出ていないといけないのです。滞在時間2時間かよ・・・いや、メインは1つですし、行って行けない事もないのですが、楽しめるかどうかを考えると微妙な所です。始発で出て12時半に着けば何とかなるか・・・でも5時起きは辛いなぁ。

夏休みの中で一日年休なのは18日と29日。どちらも前日に飲み会が・・・辛い選択です。

川下り

2006年08月15日 | Weblog
3時頃、1人で川へ泳ぎに行ってきました。

田舎から川までは距離もそれほどありませんが、それなりに泳げるスポットというと結構足を伸ばさなければなりません。まあ1人ならぶっちゃけどこでも泳げるわけですから、一応、去年見つけた穴場に狙いを定め、車が使えなかったので徒歩で行くことにしました。
死ねる。
去年は車で行ったのでそんなに遠くない所だとイメージしていたのですが、歩いていくと結構な距離がありました。しかも今日の最高気温は37℃。またも直射日光が降り注ぐ道しかなく、熊野古道のような険しい山道ではないにしろ、田舎道ですからそれなりに起伏もあります。おまけに濡れると嫌なので携帯は置いてきたのですが、どれくらい歩いたか、今は何時なのかという情報が全く入りません。万が一川で動けなくなるようなことが起きても、助けを呼ぶ術がないことに大分歩いてから気づきました。

いくら数学科の自分としても、歩数を数えながら歩いてそこから時間を割り出すなんて痛い真似はしません。それでも、帰りには同じ時間かそれ以上かかることは明白ですし、泳ぐための体力を行きに消費してしまうのは本末転倒です。目的地まで八分目(後に判明)といった所で路線を変更し、穴場に拘らずすぐにでも河原へ降りていける道を探すことにしました。
しばらく戻った所に小さな橋を発見。見下ろすと、2~3家族が泳いでいる姿を確認できました。人がいれば十分泳げるだろう・・・という目論見のもと川辺に近づくと、
龍の刺青×2・・・orz
何か最近そんなのばかりだよなぁ・・・幸い、その家族とは距離を保った所に陣取ることができ、深い所でしばし立ち泳ぎに興じました。

そのまま水流に抗って上流まで泳いでいくのも面白いかと思いましたが、それよりはむしろ下流に下って家に近づいた方が建設的だなと思い直し、荷物を持って川下りを始めました。ちなみに荷物は濡らせませんし、27にもなって1人浮き輪を持ち歩く趣味はないため、専ら徒歩で下っていきました。
水位が首にまで達し荷物を頭に載せて進んだ所や、ひざ下ぐらいでジャバジャバ水や藻を押しのけて進んだ所もありました。当然徒歩よりも時間がかかるため、単純に帰路としては最悪の選択なわけです。しかし暑くなったら潜ればいいし、寒くなったら河原に出るだけのこと。適度に日焼けもでき、また下り中に別の良さそうなスポットも見つけることができました。

家に戻ると5時。ということは、実際に川にいたのは1時間ほどのようです。
後で調べてみたら、引き返した所までで2km、川の中を歩いたのは1kmでした。そりゃ2時間くらいかかるよな・・・

やな

2006年08月14日 | Weblog
遊びに来たイトコの家族と、観光やなへ行きました。

簡単に補足すると、“やな”とは川辺にある鮎料理専門店です。岐阜には結構多くやな場が存在し、もちろん出てくる料理は鮎のフルコース、オンリーです。
こいつももしかしたらローカルな行事かもしれませんが、うちでは毎年1~2回はこの“やな”へ鮎を食べに行きます。甘露煮から始まり、鮎フライ、塩焼き2匹、魚田(味噌)、鮎雑炊。高いコースになると鮎刺も出てきます。こういう所で食べる鮎は、頭から尻尾まで丸ごと美味しく食べられるのが良いですね。小さい頃は頭や骨は残していましたが、中学ぐらいからは全部食べられるようになりました。カルシウムもDHAも満載!
ただ、これを食べると流石にしばらくスーパーの鮎が食べられなくなってしまうのが難点です。

このやな場、当然のことながらお盆中は非常に混みます。大抵の店の場合、店内が一杯だったら諦めて帰る客もいるでしょうが、やなに至っては「やな場での川遊び」がセットになるため、順番待ち表に名前を書いてじっくり遊びながら待つという傾向があるのです。ココも例外ではなく、1時に先発隊として名前を書きに来たときにはものすごい数の車が停まっており、自分達の番まではまだ24組待ちでした。親に「多分2時間ぐらいかかるよ」と連絡を入れて、そのままイトコと川で遊ぶこと1時間、思ったより早く名前を呼ばれましたがそれから親達が来るのに20分、注文してからも20分間間隔で料理が・・・というわけで、結局食べ終わったのは4時過ぎでした。昼食というより、「午後の予定=やな」という気概で臨まないと辛いものがありますね。まあ、川遊びもできたから自分ら的には満足なのですが。

イトコの赤ちゃんももう1歳ということで、ちゃんと鮎の身を食べていたのには感動しました。他人の子は本当に成長が早く感じますね。これから嫁探しをして・・・とか言っていると、自分の子が産まれる頃には小学生ぐらいになっていたりして。

小学生で済めばマシか(汗

里帰り

2006年08月13日 | Weblog
今日から3日間、田舎へ帰省します。

・・・毎年のことなのであえて書くこともないのですがね。まあ、これしかネタがないのもまた事実。
ちなみに、うちの盆は13日に和尚様が家に来てお経をあげ、夕方頃から迎え火、墓参りをし、14日は親戚と丸々遊んだりして過ごし、15日に送り火と精霊流しをして帰宅するという風習が続いています。記憶にある頃から毎年行っているのでどこの家庭でもやっているのかと思っていましたけど、このような昔ながらの行事が残っているのは珍しい部類に入るようですね。基本的にお盆は休むか旅行に行くそうです。この高くて混む時に・・・

教員の場合は夏期休暇として4日間もらえるので、毎年131415を中心に休むようにしています。しかし当然平日であれば日直と管理職の誰かは学校に待機していなければなりません。今の所、5年間一度もお盆に日直が被らずに済んでいますが、今後もずっと回避し続けるのは不可能でしょう。10年後、一家の大黒柱としてお盆をプロデュースしなければならなくなった時に日直が重なったりしたら、果たしてどうするのでしょうか・・・あ、だから若い奴に当たりやすいのか。

自分が若いといってもらえるのはあと何年か・・・その前に、もう3回年が巡れば親が退職するわけで、付属物として許される期間はもう数えるほども残っていないわけです。そりゃ、叔母さんのお腹の中にいた頃から知っているイトコが車で遊びに来るようになるのですからね。まさに光陰矢のごとし。

そろそろ遠縁の親戚の名前も覚えなければ(をい

左利き

2006年08月12日 | 私見
左利きの大卒男性、右利きよりも高給取り=米調査
自分は右利きですが、少々思う所がありましたので。

端的に言いたいことをまとめると、左利きは「障害」でないということです。当たり前です。第一、左利きの人に「あなたは障害者ですか」と聞けば、間違いなく100%の人がNOだと応えるでしょう。仮に障害というなら身体障害の部類でしょうが、我々のイメージする身体障害の中に、この左利きという概念はどう考えても当てはまらない気がするからです。しかし、「左利きで苦労したことはありますか」という問いには、逆にほぼ100%の人が「YES」と応えるのではないでしょうか。
この社会は完全なる右利き社会です。単に左利きが10人に1人ぐらいの割合で産まれる少数派だというだけで、学校では文字を書く時や、はさみを扱う時などに大変な不便を強いられなければならないのです。時には、「この問題わかる人」の問いに、勢いよく「はい」と挙手したとしても、得られるのは満足感ではなく「挙手は右手でしましょう」という叱責だったりもするでしょう。また、視野を広く持てばカメラやゲームのコントローラーなどのボタン系も右利き用ですし、野球のグローブ、ギター、マウス、レコード、自動改札、ピアノ、そろばんなど、身近にあるものの中に右利き用の道具や装置は意外に多いものです。これでは左利きの人が苦労せずに生きて来られる訳がありません。

左利きとは、右手より左手の方が優位に動くというだけで、身体的に異常があるとは普通言いません。左利きが不便さを感じているのは、単に社会が左利き用に動いていないというだけなのですが、ここに、少なからず社会的制約が生まれます。そして、その制約は少なからず差別の対象となってしまうのです。
左利きに対する差別は、昔は相当あったことでしょう。そんな時代において、左利きは紛れもない「障害」であったと言えるのではないでしょうか。しかし、今は上記のような不便さは感じるものの、手に入れようと思えば左利き用グッズも手に入りますし、またそのことで差別されることはほとんどなく、むしろ「左利きはカッコイイ」というイメージまで生まれてきています。こうした認知から、多くの左利きの人は左利きであることを普通の事として受け入れ、何も問題とせずに生活しているわけです。

障害には3つの側面があります。機能的制約、活動的制約、社会的制約です。昨年の4月に視力障害について同じような記事を書きましたが、例えば目が悪いという機能的制約を受けても、メガネによって活動的制約を受けず、また一般化することで社会的にも制約を受けなければ、それは日常生活に不便でこそあれ、不利にはならないのです。
今の世の中は、まだまだそうした不利を負っている人がたくさんいます。医学の進歩、社会的な設備が整いつつある今、我々一人一人の障害に対する理解と配慮をこれから少しずつでも増やしていくべきなのではないでしょうか。

・・・おかしいなぁ。「自分は右利きだけど旋毛は左巻きだ」ということを書くはずだったのに(笑

読書の夏

2006年08月11日 | Weblog
買いだめした、あるいは借りだめした本を一気に消化しました。

と言っても自分は読書の習慣があるわけではなく、1冊読むうちに何度も寝ながら数日がかりで読破したということです。図書館の本2冊に加えて、小説デスノートを含む新しく買った4冊のうち、3冊まで読みきりました。
旅行に行ってきてからすでに3日経過し、その間はほとんどヒッキー状態でしたが、やはりこうして読書をしていたり、ピアノやリコーダーなどを弾いたりしていると、引きこもりという負のイメージを払拭する、不思議な充実感がありますね。こう、自分は趣味に生きているぞ・・・というような・・・これはむしろニート?(違

さて、いよいよお盆休みに突入。残った1冊に、新たに借りてきた2冊を加えて、お盆中に3冊読破を目指したいと思います。
・・・何か、他に予定入らないモノかねぇ。

2分の1

2006年08月10日 | 重禾
今朝の朝食はパンでした。

そんなわけでカフェオレを作ろうと、冷蔵庫から牛乳とボトルコーヒーを取り出しました。この前、コーヒーフレッシュは牛乳でないという驚愕の事実を耳にする機会があり、それ以来、家で飲むときは牛乳を入れて飲むようにしています。いつもは大体コーヒー1:牛乳1の割合で入れており、この分量ですとコーヒー飲料ではなく乳飲料に分類されるとか。つまり、どちらかといえば牛乳なわけですね。
ちなみに、市販されているコーヒーの乳製品混入の割合による表記は「コーヒー、コーヒー飲料、コーヒー入り清涼飲料、乳飲料、牛乳」となっています。つーか、最後はもうコーヒーじゃないし。
(注:厳密には、コーヒーと乳飲料の判断基準は全く別物です。)

さて、今日も50%程度の配合にしようと、ボトルをコップに傾けると
中から麦茶。
・・・
牛乳が先じゃなくて良かったかな。

岐阜-和歌山

2006年08月09日 | 時事
智弁和歌山が4-1で県岐阜商下す 高校野球
タイムリーというか何というか・・・

この春も丁度神戸にいる時に岐阜-兵庫をやっていました。あの時は、敵地での報道の仕方が面白くてつい地元紙の夕刊などを持ち帰ろうとしましたが、それが帰りの電車の中で暖を取るのに役立とうとは誰が予想したでしょうか。まあ、今回は戻った後なのでそれほど稀有性は高くありませんけど、春に続いて同じ県同士が戦うということもまた珍しいといっちゃ珍しいでしょう。ちなみに、春は岐阜城北が勝っていました。その後兵庫に勝って、準決勝で沖縄に負けるも県勢ではうん十年ぶりのベスト4。沖縄にさえ当たらなければ準優勝ぐらいできたかな?沖縄も行ってみたいなぁ・・・って、論点がずれてきましたね。

さて、そのうん十年ほど前の高校野球において、岐阜は毎年のようにベスト8以上に顔を出す“古豪”でありました。特に県岐商はその名を全国に轟かせていたわけですが、近年では「県岐商が出ると1回戦で負ける」というジンクスが囁かれるほどしょぼんでしまいました。確かに、ここ数年で県岐商を破って甲子園に出たチームは大体1回戦を勝ちあがっています。丁度、県岐商が「甲子園1勝へのボーダー」的な扱いとなっているわけですね。つまり県岐商が甲子園に出るときは、他に大した選手がいなかったということなのです。
今年は春のベスト4、岐阜城北を破っての出場なので期待はしていましたが、現代の強豪、智弁和歌山にあえなく敗退・・・ヒット数では圧倒していたのに、そう忠実にジンクスを守らなくても。

後は和歌山でも応援するか・・・

南紀の旅その4

2006年08月08日 | Weblog
いよいよ旅の終わり。本日の予定はズバリ“無事戻ること”です。

昨日、歩く距離を短くしたのが良かったのか、疲労と食べすぎから昨夜ちょいと痺れがきていた手足も朝は無事動きました。最悪の場合、友人に引きずってもらって戻るつもりでいましたが、どうやらそんな心配はなさそうです。
しかし、それだけが本日の目標設定の理由ではなく、他にも安心できない事情がありました。まず台風。朝起きた時点でものすごい雨と風。思いっきり進路予想に入っていたので、一刻も早い南紀脱出が求められるのです。そして、もう1つはそれに伴う鉄道の運行状況。この辺りの列車は特急を除くと3時間に1本というレベルでしか運行されないため、乗り遅れは元より、もし運休ということになったら今日中に戻れない可能性もあるのです。別に僕には今日戻らねばならない理由はありませんでしたが、滞在となれば当然旅費がかさみますし、友人の懐状況を考えると夕食前には何とか戻りたい所です。

一番都合がが良さそうなのは11時発の便。ホテルは10時までOKだったので、8時頃に優雅な朝食を取った後、ゆっくりと雨が弱まるのを待つことにしました。9時半頃、一旦雨が止んだ所を見計らって駅までダッシュ。その間、あるお店の2階部分に取り付けてあった看板が強風で外れ、電柱にぶち当たっている現場も目にしました。消防車にパトカーが数台、それに野次馬も・・・いや、それより自分の家や命をを護ろうよ。雨が収まったのも一時的なものだし・・・
待つこと1時間ちょいでようやく乗車。しかし、まだまだ伊勢近辺まで戻るには4時間もかかります。ジャンプに加え、ガイドブックやら持ち込んだ本などを読み漁ってもまだ着きません。いい加減、四日目ともなれば友人と話すネタも尽きてきます。台風も、にげるように走って来ているのでそれほど影響はありません。まあ、送れてきた特急電車のすれ違いなどで停車中に雨に追いつかれるといった感じでしょうか。それも伊勢まで来たら雨の気配もなくなっていました。

直で戻るのも何なので、最後の目的地は伊勢神宮に決定。昨年は内宮だけだったので、今回は外宮に行くことにしました。駅から歩いて20分ほど。内宮ほど広くなく、中も30分ほどで回れました。その後、遅めの昼食として伊勢うどんを食べ、もう1つ神社を回った後にお約束の赤福もちを買って名古屋行きに乗車。途中追加料金を取られましたが、無事7時過ぎには岐阜まで戻ってくることができました。大阪ー奈良ー和歌山ー三重と、まさに南紀を一周し、予算も4万円台に収まる3泊4日の旅はこうして幕を閉じました。

お盆までまだ4日間の休みが。体の調子がよければもう一旅でかけたい所ですね。

南紀の旅その3

2006年08月07日 | Weblog
本日の予定は、中辺路巡りと駅に辿り着くことです。

ゆったりと8時に朝食を取り、9時出発。湯の峰温泉からは、国道2本を除けば2つの道があります。直接本宮を目指す、少々険しい4kmほどのコースと、一度中辺路へ出て正規ルートで行くコース。こちらは13kmもあるのですが、湯の峰から向かうのはそれ程辛くはないという話を聞いて、半日潰す覚悟で後者の赤木越に挑戦しました。
死ねる。
登り始めて30分。炎天下の直射日光が降り注ぐ中で、延々と続く急勾配の上り坂。地獄坂とはよく言ったものです。しかしこう命名した人も、まさか温暖化が進んだ現在において雲一つない今年一番の暑さの中を帽子も被らずに歩く青年がいることは想像できたでしょうか。現に、これまで誰ともすれ違いません。古道というと木陰の涼しい道を思い浮かべますが、この道は容赦なく直射日光が降り注ぎます。まず、夏に歩く道じゃなかった・・・この旅最大の後悔がココにありました。
もう少し進めば平らになるのでしょうし、まだ多少余力もありましたが、おそらく全行程の1割も終わっていない今、このまま進めば間違いなく因島の二の舞になるだろうと判断し、友人に頼んで別行動とし、自分は来た道を戻ってバスで向かうことにしました。
昨日の石段がなければ。これほど暑くなければ。荷物が重くなければ。病気の心配がなければ。直接発心門王子にバスで行っていれば。悪条件を並べればきりがありませんが、友人はしっかり13キロの道程を4時間かけて歩き通したため、普通にクリアできない道ではないのです。それこそ、熊野古道には難所といわれる道がいくつもあり、そこを体験した人に比べたら大した負荷でないと思われるのかもしれません。しかし、自分はこれが現時点での限界。せめてもう一度訪れるチャンスがあれば、体調を万全にし、涼しい日に、荷物を預けるなどして軽装備で、登山で心肺機能を強化したりして、発心門王子から本宮までのポピュラールートだけはしっかり歩きたいと思います。「一生のうちに伊勢7回、熊野3回訪れるべし」と言われていますが、伊勢はすでに5~6回行っているので、これで次なる目標が立ちました。しかし、そんなまとまった休みは今後取れるのだろうか・・・?

多少本宮から逆走したりして古道の雰囲気を味わった後、バスで新宮まで戻りました。この辺、バスはあるにしても便は非常に悪いです。一つ乗り遅れると2時間待ちはザラですから、予定を立てる際には余裕をもって立てないとドツボにはまりますね。
新宮でまず宿を決め、浮島と神倉神社へ行ってきました。新宮といえば桃鉄の目的地16駅に数えられる有名な所ですが、そんなイメージとはかけ離れた都市でした。駅から最初のコンビニまで1キロあり、どこの山村やねんという有様。昔はもっと栄えていたのでしょうけどね・・・料理はそれなりに美味く、また疲れもあって9時には床に着きました。

明日は一路帰宅の旅。台風と追いかけっこのようです。

南紀の旅その2

2006年08月06日 | Weblog
本日の予定は、熊野三山巡りです。

昨日は奈良まで足を伸ばしたせいで、宿に着いたのが9時になってしまいました。それから夕飯に和歌山ラーメンを食べ、風呂屋に行き、結局くつろぎモードに入ったのが12時過ぎ。しかも宿泊地点から熊野本宮までは100キロほどあり、さらに三山を巡るとすると200キロでは済みません。必然的に出発時刻、起床時刻が早くなってしまい、朝はかなり辛い門出となりました。

三山に焦点を当てた時点で本日の古道歩きは諦めていました。とにかく本宮まで休憩1回で昼前に辿り着き、速玉で遅めの昼食、那智に3時に着いた時点でこの計画の妥当性が証明されました。まあ、国道や参拝云々は基本的に土曜が混むようで、今回は比較的すんなり進めたことが勝因ですかね。
余裕があるからと、那智大社は一つ手前の大門坂王子から歩くことにしました。しかし距離的にはあまりないのですが、1000段近い石段を延々と登らねばならず、早くも膝に黄信号が灯りました。まあ登りかけたからには頑張るしかなく、やっとの思いで三山の牛王符をコンプできました。友人に頼んで滝まで歩くのは勘弁してもらい、宿がある湯の峰温泉へ。
ここで30分ぐらい余裕があるからと、千枚田を見に行くことにしたのが運の尽き。国道に出るまで強烈な山道を登ったり下ったりし、やっと国道に出たと思ったらその道も同じような道で、自分の中の国道の定義が大きく変わりました。30分のアドバンテージはみるみる詰まっていき、仕方なく宿に電話してもう30分到着を遅らせてもらいました。民宿に7時着って普通は考えられないですよね。いつもビジネスばかりなので。

まあ、そんなこんなで友人の片割れと別れ、宿でくつろいだ後温泉巡りへ。メインは“つぼ湯”です。野郎2人で入ると非常にぁゃιぃ距離感が味わえますが、もし3人だったら・・・と考えると別れて良かったなぁと思いました。
この温泉郷、「お湯を沸かす」という概念がないようです。源泉が90度以上の高音のため各家庭のお湯には全て温泉が回されており、温泉ご飯や温泉コーヒーなど、基本的に暑いものは硫黄臭がつきまとうのです。草津より臭いはきつくないですが、流石に風呂のシャワーまで温泉しか出ないのには参りました。結局水ですすぐしか・・・(冷

明日は歩きメイン。非常食用に源泉でサツマイモを蒸かして、湯の峰のイベントは一通りクリアした所で床に着きました。

南紀の旅その1

2006年08月05日 | Weblog
今日から4日間かけて、紀伊半島を1周してきます。

メインは熊野古道。この前から少しずつ予定を決めていったわけですが、運悪く仕事が入り友人の1人が途中で抜けることになってしまいました。1週間前にして大幅な修正を余儀なくされ、それなら・・・と3人そろっているうちに早足で熊野3社を巡り、抜けた後は残った2人で古道をのんびりと歩くプランに変更しました。まあ、それほどガチガチに決めていたわけではなく、まだ宿まで手を伸ばしてなかったのが不幸中の幸いでしたね。しかし本当、あのまま北海道旅行に決めていなくて良かった・・・キャンセル料で死ぬ所だったぜよ。(紀州弁)(ウソ)

本日の予定は大阪、和歌山です。

ひとことカード

2006年08月04日 | 時事
仙台でも「生協の白石さん」現象 悩みや恋愛相談続々
タイムリーにも昨日、岐大生協の一言カードに目を配らせていました。

「○○のガムを置いて下さい」などというお願いには「○日に入荷します」などと、非常に真摯に対応されていました。こういう点で生協は普通のスーパーなどとは違い、可能な限り利用者のニーズに応えてくれますね。今回貼ってあったのはそういうマトモなのが多かったですが、中には「置いてくれないと大学辞めます」などと付け加えられていたり、「○○が食べたい!」とデカデカと書いてあったりし、そのような要望が強いモノに対しては生協職員も「お気持ちは良く分かりました。」などと受ける形で返信がなされていました。

このような無記名投書のようなモノの場合、ラクガキに近いものから罵詈雑言、ウケ狙い、意味不明なものまで、色々なことが書かれてくると思います。自分も、高校時代には某○屋のメッセージカードに「○○屋は40秒で提供されましたがこの店は1分30秒ほどかかりました」などと書いたことがありますが、これって相手の反応を期待しているわけじゃなく、単なる吐き捨てですよね。改善して欲しいというより、ただ相手の気分を害することが目的になってしまっています。そして、大学生協や安い飲食店などには、このような青い投書を止める術なんてあるはずがないことは言うまでもありません。激昂したら、それこそガキの思うツボですしね。
店側は、こういうのに反応する必要など全くなく、むしろ無視して当然の内容なのですが、この生協職員はこういった内容にも極めて誠実で真面目に応えてくれるのです。そのセンスたるや・・・もちろんこの天然さ加減は全部演技でしょう。誰でもそれくらい分かっています。しかし、あえてこの姿の見えない、寛容で気さくで、全てを包み込むように装られた「白石さん」という人物を想像することで、我々は日常に生きながら、さながらドラエモンののび太の如くついつい助けを求めてしまうような非日常感を体験できるのです。ドラえも~ん!ジャージー乳入りチョコレート出してよ~!どこにも売ってないんだよ~!

・・・まあ私情が入りましたが、もう少し岐大の学生はセンスを磨くべきだよなぁなんて思いました。

新免許

2006年08月03日 | Weblog
本日の認定講習で、いよいよ特別支援学校免許の全容が明らかになりました。

現在の特殊関係の免許は、盲学校教諭免許状・聾学校教諭免許状・養護学校教諭免許状の3種に分かれています。これらの免許は共通単位が少なく、今までは仮に全部取ろうとするとそれぞれ16単位ずつ別に取得する必要がありました。(全部で61単位)
んで、今回の話によると、今後はそれに代わって新しい特別支援学校免許というものに統合され、視覚障害、聴覚障害、知的障害、肢体不自由、病弱の5ジャンルについて1つから5つ選択して取れるような仕組みになるそうです。これだと仮に5つ全てを取ったとしても38単位で済み、これだけを見れば現行の制度より遥かに取得しやすくなったといえるでしょう。文科省も、「全ての特別支援教育に関わる先生は5つとも取得することを基本として、より専門性の高い教師を増やしたい」という考えのようです。

しかし、実際にはそんなに簡単にいきません。確かにこれから取得する学生なら全制覇を目指して計画していくのでしょうが、我々認定講習組は年々少しずつ単位を増やし、数年がかりでゆっくり取って行くしかないのです。現在の免許から新しい免許に取り替える場合は最低3単位(一説には5単位)を新たに取得して変えなければならず、さらに今まで取った単位がそのまま新制度の単位として認められるかもまだ不透明。一応プリントはもらったのですが、異常に複雑となったことだけが読み取れました。下手すると単位認定証が紙切れになってしまうこともあるような気配です。
あと、岐大は今まで盲・聾の免許を扱っていなかったのに今後は新免許の必須単位となったことで、それを教えられる先生をどこかから調達するか、教えるための免許(?)を取らないと講座自体がが開けないなんてことが緊急の課題なんだとか。これでは、専門性の高い教師を増やすどころか、新しい免許を持っている教師が減るだけのような気がしてなりません。この制度がいつから始まるかまでは分かりませんでしたが、ゴチャゴチャになる前にさっさと放送大学で単位を取り、今の制度で免許を取ってしまおうと考えた自分は大正解だったかもしれません。

これで、昨日の懸念について「あ、一応養護学校の免許はありますけど、古い奴なので特別支援のことは分かりませんね」という言い訳ができました(笑)
・・・いつ失効するか分からないのが現状ですが。

通信教育

2006年08月02日 | Weblog
特殊の免許のために、放送大学で単位を取ることにしました。

明日から今年度の認定講習が始まるわけですが、この1単位が通ったとして合計2単位。免許に必要な6単位をそろえるにはあと最短で2年。最長はとなると行事などで認定講習が受けられず、それこそ何10年とかかってしまう例だってザラだそうです。また養護学校ならこの時期には行事を組まないなどの配慮がなされることもありますけど、普通の学校だったらお構いなしにプールが入ったりするため、実際問題として養護学校を出てから免許を取得できる見込みは相当低いでしょう。つまり、このペースでは20代のうちにゲットすることは不可能に近いことになります。

自分は養護学校を出た後も特殊に関わるつもりは全くありません。ですから、認定講習は免許や単位のためというよりは自己研修や勉強のためのようなつもりで受けていました。しかし、自分がどう思っていようと、やはり養護学校から戻ってきた先生にはそれなりの専門性が求められ、下手をすると戻った年に特別支援コーディネーターに任命され、学級担任でいることもままならなくなってしまう可能性もあるのです。免許を取れば当然その確率も跳ね上がるわけで、それならば単位だけ取って「勉強はしてますよ」というジェスチャーを示しておくことが自分にとって一番いい選択肢だよなぁと思っていました。
ところが、ここにきてやはり「単位だけ取って免許が取れないのはもったいない」と思うようになってしまったのです。これで必要量の3分の1の単位は集まったわけですから、養護学校教諭になった以上は前述するリスクを踏まえた上でも養護学校の免許は持っていたいなと。嗚呼、悲しきかな極め性分・・・まるでドラクエ6の熟練度上げのような気分で、自ら棘の道へと進む決意をしてしまったのです。そのうち内なる自分が「全教科マスターするぞ!」と言いそうで恐い・・・

まあ、そんなわけで「養護学校在学中に免許が取れる唯一の方法」である、通信制の大学に手を伸ばし、本日ネットで申し込みを済ませました。半年間、ビデオ教材やテキストを通して勉強し、半年後にあるテストに受かれば晴れて2単位獲得。しかも数講座同時に受講なんて芸当も可能なようで、(当然その分勉強量は倍増しますが)半年で免許に必要な6単位を一気にそろえてしまうこともでき、今までの亀の歩みを見れば願ってもないシステムなのです。
自分はまだ来年度に2単位取れる可能性も残っていますし、最初は試しに1講座(2単位)だけやってみようと思っていましたが、何やら単位がそろってから免許申請し、実際に免許を手にするまでに半年以上かかることもあるようで、来年の夏に出る単位では遅い可能性もあるようです。どうせなら今年度中に単位をそろえて申請してしまおうと思い、自分が必要な残り4単位分の2講座を受講することにしました。ほとんど勢いで申し込んだのでまだ放送大学が何たるかも分かっていませんが、これで後期はさらに今までにない忙しさに追われそうです。

ちなみに、費用は2~3万ほど。認定講習が千円ですから、まさに「時は金なり」といった感じですな。