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左利き

2006年08月12日 | 私見
左利きの大卒男性、右利きよりも高給取り=米調査
自分は右利きですが、少々思う所がありましたので。

端的に言いたいことをまとめると、左利きは「障害」でないということです。当たり前です。第一、左利きの人に「あなたは障害者ですか」と聞けば、間違いなく100%の人がNOだと応えるでしょう。仮に障害というなら身体障害の部類でしょうが、我々のイメージする身体障害の中に、この左利きという概念はどう考えても当てはまらない気がするからです。しかし、「左利きで苦労したことはありますか」という問いには、逆にほぼ100%の人が「YES」と応えるのではないでしょうか。
この社会は完全なる右利き社会です。単に左利きが10人に1人ぐらいの割合で産まれる少数派だというだけで、学校では文字を書く時や、はさみを扱う時などに大変な不便を強いられなければならないのです。時には、「この問題わかる人」の問いに、勢いよく「はい」と挙手したとしても、得られるのは満足感ではなく「挙手は右手でしましょう」という叱責だったりもするでしょう。また、視野を広く持てばカメラやゲームのコントローラーなどのボタン系も右利き用ですし、野球のグローブ、ギター、マウス、レコード、自動改札、ピアノ、そろばんなど、身近にあるものの中に右利き用の道具や装置は意外に多いものです。これでは左利きの人が苦労せずに生きて来られる訳がありません。

左利きとは、右手より左手の方が優位に動くというだけで、身体的に異常があるとは普通言いません。左利きが不便さを感じているのは、単に社会が左利き用に動いていないというだけなのですが、ここに、少なからず社会的制約が生まれます。そして、その制約は少なからず差別の対象となってしまうのです。
左利きに対する差別は、昔は相当あったことでしょう。そんな時代において、左利きは紛れもない「障害」であったと言えるのではないでしょうか。しかし、今は上記のような不便さは感じるものの、手に入れようと思えば左利き用グッズも手に入りますし、またそのことで差別されることはほとんどなく、むしろ「左利きはカッコイイ」というイメージまで生まれてきています。こうした認知から、多くの左利きの人は左利きであることを普通の事として受け入れ、何も問題とせずに生活しているわけです。

障害には3つの側面があります。機能的制約、活動的制約、社会的制約です。昨年の4月に視力障害について同じような記事を書きましたが、例えば目が悪いという機能的制約を受けても、メガネによって活動的制約を受けず、また一般化することで社会的にも制約を受けなければ、それは日常生活に不便でこそあれ、不利にはならないのです。
今の世の中は、まだまだそうした不利を負っている人がたくさんいます。医学の進歩、社会的な設備が整いつつある今、我々一人一人の障害に対する理解と配慮をこれから少しずつでも増やしていくべきなのではないでしょうか。

・・・おかしいなぁ。「自分は右利きだけど旋毛は左巻きだ」ということを書くはずだったのに(笑