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三社参り

2014年01月02日 | 自伝
というわけで、あけましておめでとうございます。

昨年まで、うちは伝統的に初詣として三弘法参りをしていましたが、祖母が入院したため今年は近場の三社参りをすることにしました。
岐阜で三社と言えば、伊奈波(いなば)神社、金(こがね)神社、橿森(かしもり)神社のことを言います。その三社はそれぞれ父・母・子の関係にあるらしく、子どもを中心に目算で半径1km圏内にあるため、比較的詣で易い場所にあります。
まあ今回初めて三社を元日に参拝したわけですが、伊奈波さんは手水舎の手前から数百名規模で入場制限がなされるほどの人手で、金さんも鳥居から境内まで直角に百名単位の参拝行列が出現していたのに対し、橿森さんは境内に数名しか見当たらず、屋台も見られませんでした。いつもの三弘法では、どこも同じくらい閑散としている(笑)わけですが、親子とはいえ同格扱いの三神社としては、ちょっと参拝者に差がありすぎるのではないかと気になりました。
    
(左から伊奈波神社、金神社、橿森神社)


最近は神社の由緒などにも凝っていて色々調べています。かじった程度なので以下は自分の推測に過ぎませんけど、国家神道の考え方では、全ての神々は天照大神に続く系譜に収められており、例えば伊奈波神社の主祭神は第11代垂仁天皇の皇子とされているわけです。しかし、各地にも同じような産土神が天皇及び太古の神々の所縁とされている神社が多数存在することから、おそらくこの三社の神様はこの地方に昔から住む豪族(地主)がモデルなのではないかと思います。そして、ひょっとしたらこの三社も別に親子縁でも何でもないと言う可能性も十分にあるのではないか、と思っています(根拠は全くありません)。
何故そう思うかと言うと、日本の宗教と言うか、神道の考え方は他の宗教の多くに見られる排他的なものとは違い、全てを包括していくからです。「私はこの神様を信じている。あなたはその神様を信じている。」世界の常識では普通この2つは共存しませんし、ひどい時には戦争やテロの火種にもなりかねません。しかし、日本では天照大神が大国主命から国譲りを受け、出雲大社を日本一の建物にしたり、自らの本拠(内宮)より食物の神(外宮)を先に参るように定めたりするように、他国には絶対にありえない日本独自の“和”の思想があります。相容れないものを排除するのでなく、相手の長をも神として取り込み祀る民族が天照一族だったのではないでしょうか。「この神は私の子孫の兄弟神(親子神)です。」というように。多数決でなく、折衷案を良しとするのが日本の文化の根本に流れているわけですね。

ですから、別に三社の由緒に反論しているわけでなく、別に親子でなくともそれぞれの神社はお互い尊いものだと思うわけです。もちろん、神明神社や北野神社など、全国に数多存在する神社も同じです。特に近い所にある神社は氏神様とも言って大切にしますし、「あの神社はダメだ」と排除することも決してありません。仮に橿森さんの知名度が低いとしても、三社と言われるなら、三社きちんと参るのが筋だと思います。

そういえば、あそこの明神鳥居は厳島神社のに似てたな・・・関係があるのか、こうやって調べていくと面白そうですね。

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