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相模原連続殺傷事件

2016年07月26日 | 時事
相模原の障害者施設、刺され19人死亡 26歳の元職員逮捕 「障害者なんていなくなってしまえ」供述
死者19名というのは、放火殺人などを除くと平成になって最悪の大量殺人事件だそうです。

連続殺傷事件というと池田小事件や秋葉原が思い出されますが、それでも死者は1桁で、いかに弱者を狙ったとしても逃げ惑う人間を大量に殺すのは難しいわけです。しかしこの犯人は深夜の2時という皆が寝ている時間帯に、しかも動けない重度障がい者ばかり首を狙って犯行に及んでいますから、その異常性が際立っています。元従業員ということで建物内部や勤務体制などを知っていることも、この最悪の死傷者数になってしまった理由の1つですな。
この心理は、単なる逆恨みなどではなく、「デスノート」の夜神月のように自らの行為を正当化しないとできないことでしょう。しかし普通は思っても中々実行できませんし、何十人も刺し続けることも困難でしょう。よほど精神を病んでいるか、薬物の影響なのか・・・障がい者というのは確かにコストがかかりますし、負担に感じている身内も少なくないのかもしれませんが、だからといって「いないほうが良い」という考えは短絡的すぎます。いずれにしても非常に独りよがりで身勝手な犯行ですな。

自分も特別支援学校に3年間いたので、勤務中に「この子達は社会に出てどうなるのだろう」と思ったことがあるのは事実です。免許もなく突然放り込まれ、しかも発作があると今までできたことができなくなる子や、目を放すと他人に危害を加えてしまう子など、客観的に見ても症状の重いクラスの受け持ちだったため、普通の学校なら当たり前の「これだけ成長しました」「できることが増えました」という事実で勝負できないもどかしさや、こうなる前にもっと何かできたのではないかという無力感など、教育者として「自分の培った知識でもって子どもたちを立派に育てたい」という夢をここでは叶えられないのではないかという苦しさに悩んだものです。犯人と同じく26にして初めて感じた挫折感でしたが、自分にとって幸いだったのが、その子達の保護者の方が皆自分の子どもたちの特性を受け止め、愛情を注いでいた方たちばかりだったことです。拙い自分の指導も好意的に受け入れて頂けたため、むしろ変わるべきは自分の方だという思いにかられ、積極的に研修会に参加したり、特別支援学校教諭の免許の取得を志したりしたものです。
その中で学んだことは、人間は生まれてすぐ独り立ちする動物ではなく、弱者(赤ちゃん)として生まれ、弱者(老人)に戻るのだから、そういう時期に守れる者がお互い支え合うことで人間社会は成り立っているという、当たり前かつ普遍的な事実です。今は自分が支えられて成長できたことを忘れ、何不自由なく生活できるため、「弱者なんてお荷物だからいないほうがいい」と思うかもしれません。しかし生まれつきの障がいがなくとも、ある日突然交通事故に遭って弱者側になってしまうかもしれません。そうなっても安心な世の中こそ、本当に成熟した人間社会なのではないでしょうか。

今回の行為によって自身も著しく自由を束縛され、最悪死刑という余命宣告を受けたに等しい状況なわけですが、自分自身についてもいないほうがマシだと思うのでしょうか・・・我が身に置き換えて考えるという想像力を身につけたいものです。