今月の初め所要があり、久しぶりに中之島を歩いてみた。この難波橋のライオンと再会するのは、おそらく20数年ぶりだろう。難波橋の名の由来は704年僧・行基の時代にさかのぼる天神橋、天満橋、浪華三大橋の一つとしてあったと云われている。左側が口をあけ、右側は閉じている。狛犬の阿形像と吽形像となっていることに気づく人は少ない。
大和ミュージアムで戦艦大和の大きさに見とれ、戦争の馬鹿らしさ、虚しさを感じながら資料館である「鉄のくじら館」でサブマリーンの内部見学。このような「デカイ」ものが、海底を計器だけを頼りに移動することを説明するが、彼らは理解できたのかどうかは大いに疑問の見学だった。久しぶりに孫と爺様のひと時を過ごした、「ちょこっと呉」の旅であった。(完)
なんだかんだと、見方、感じ方はあるだろうがこの地区の経済の一端を担っている「赤レンガ通り」である。決して犯罪など黙認している人はいない街なのだろう。海上自衛隊の町で意外なものに出くわしてしまった呉の朝だった。
アーケードを抜け表通りに出ると、どこからか大きな怒鳴りあう声が聞こえてきた。よく見ると若者らしい人物4人が取っ組み合いをしている。明らかに「喧嘩」だ。それを眼の端に見てか、見ないでか?バイクは通り過ぎるし、タクシーは近くで客待ちをしている。「スワ!警察へ連絡」と思いながらもシャッターを切っていたら、パトーカが赤色灯を回してやってきてそれぞれを引き離し、一人はパトカーの中へ入れられた。日常茶判事な出来事なのだろうか?