数日前、姉にLINEで再発のことを告げた。
「かわいそうに・・・でも、前も効いたし、きっと大丈夫!」と前向きかつシンプルな返信。
そして「1つ特技できたし、病院で披露するわ」と言う。
「え?特技って何?」
「ルービックキューブ」
・・・この令和に、まさかのルービックキューブ?!
あまりの意外な答えに思わずふき出していると、
「いつでも6面そろえられるようなった。でも5分かかるからまだ誰にも披露してない。そんな長い時間見てられへんやろ?」と。
私は笑いながら「病院はいっぱい時間あるし、見せてな」と返信した。
「目標がないと生きられない」と言う姉は、きっとルービックキューブも毎日練習していたんだろうなと思う。
練習して、コツをつかんで、6面そろえられるようになった。
フルマラソンに挑戦した時と同じで、いつもそうやって目標を立てて努力して、必ず達成して、成功体験を自分の力にする。
私にはない性質なので、いつもすごいなぁ、おもしろい人だなぁと思う。
そして、昨日は実家へ行って両親に再発を告げた。
病院で結果を聞く時よりも私は緊張していた。胸に大きなものが詰まっているような感覚。呼吸の方法を忘れそうだった。
車の中で夫が「もし、二人がパニックになったら・・・」「もし、怒り出したら・・・」「もし、とても感情的になったら・・・」等の「もしもの反応」を挙げて「こちらは冷静でいよう」と言う。
やっぱり血のつながりがないって、こういうことなんだなぁと、それを聞きながら思った。
「絶対にない」「それも絶対にない」と夫の「もしも」をいちいち否定する私。
あの人たちの娘を50年近くやっているんだ。どんな反応をするか、手に取るようにわかる。
パニックになることも、感情的になる(泣く・怒るなど)ことも、絶対にない。
穏やかに話を聞いて、落ち込んで。
それでも気を確かに持とうと何でもないように見せて、凛として対応する。
私はそう思っていた。
結果、やはりそうだった。
二人とも、「そう・・・もう治ったと思って忘れていたわ」とがっくりした感じは見せながらも、一生懸命私の話を聞いてくれた。
もちろん「最悪の話」はしない。事実のうち、「前向きな要素」だけをつまんで聞かせた感じ。
「大丈夫、治るわね」と母。
「なったものは仕方ない。とにかく治療せんとな」と父。
「こんな話の後で、北海道の写真見る気分じゃないよね?」と聞いたけれど、「見る見る!」と母。
気を紛らわすかのように、写真に見入って、いろいろ質問して、感想を述べて、時には笑いもした。
思っていた以上に冷静で、拍子抜けしたくらだった。
ただ、いつもより長く、私たちの車を見送っていた。
いつもは玄関で手を振るのに、外まで出て、車が見えなくなるんでずっと二人で立ってこちらを見ていた。
胸が苦しくなって、二人の顔を見られなかった。
本当に親不孝者。
いつも勝手ばかりで、就職はしないし、すぐに家を出てしまったし、なかなか結婚もしなかったし、癌になるし。
自由気ままに生きさせてもらったうえ、迷惑ばかりかけてしまった。
これ以上、親不孝をしないためにも、両親より絶対に長生きしなければ。
帰ってから、夫と外へご飯を食べに行った。そのほうが気がまぎれるから。
お酒も少しだけ飲んだ。週末だけのご褒美。
どこも痛くないし食欲もあるし、極めて元気なのにがん患者だなんて不思議だなぁ。
でも、今日も生きているし、明日も生きる。
夫と話した。
がんになっても10年生きる人もいれば、何の病気もなくても明日事故や災害で死ぬ人もいる。
私が人より寿命が短くなったわけでも、一番死に近いわけでもない。
「いつか死ぬ」ということは、みんな平等なんだ。
だからこそ、今日も生きていることに感謝しないとね、と。
夫とこういう考え方が一致する人でよかったと思う。
嘆いたり、悲観したり、夫自身がボロボロになっていくような人じゃなくてよかった。
そういう人がそばにいたら、治るものも治らないだろう。
とは言え・・・
私の精神状態はまだ安定していない。
元気で前向きな日もあれば、不安と恐怖で震えている日もある。
でも、今朝は穏やかな気持ち。
きっと、心地よい風のおかげだ。
昨日から風が変わり、今朝、窓を開けた瞬間、確実に秋が来たことが感じられた。
『秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる』
毎年、この風を感じた瞬間に、この和歌が頭に流れる。
秋は好きだけれど、毎年仕事が一番慌ただしい時期で、あっと言う間に過ぎ去ってしまう。
ここ数年は「自分には秋がない」と感じていた。夏が終わって気づくと年末だから。
でも、今年はある意味、特別な秋になりそうだ。ゆっくりと過ぎていくような気がする。
それもいい。
秋のはじまりも、深まっていく様子も、ゆっくりと感じながら生活してみよう。
※この記事にコメントはできません
「かわいそうに・・・でも、前も効いたし、きっと大丈夫!」と前向きかつシンプルな返信。
そして「1つ特技できたし、病院で披露するわ」と言う。
「え?特技って何?」
「ルービックキューブ」
・・・この令和に、まさかのルービックキューブ?!
あまりの意外な答えに思わずふき出していると、
「いつでも6面そろえられるようなった。でも5分かかるからまだ誰にも披露してない。そんな長い時間見てられへんやろ?」と。
私は笑いながら「病院はいっぱい時間あるし、見せてな」と返信した。
「目標がないと生きられない」と言う姉は、きっとルービックキューブも毎日練習していたんだろうなと思う。
練習して、コツをつかんで、6面そろえられるようになった。
フルマラソンに挑戦した時と同じで、いつもそうやって目標を立てて努力して、必ず達成して、成功体験を自分の力にする。
私にはない性質なので、いつもすごいなぁ、おもしろい人だなぁと思う。
そして、昨日は実家へ行って両親に再発を告げた。
病院で結果を聞く時よりも私は緊張していた。胸に大きなものが詰まっているような感覚。呼吸の方法を忘れそうだった。
車の中で夫が「もし、二人がパニックになったら・・・」「もし、怒り出したら・・・」「もし、とても感情的になったら・・・」等の「もしもの反応」を挙げて「こちらは冷静でいよう」と言う。
やっぱり血のつながりがないって、こういうことなんだなぁと、それを聞きながら思った。
「絶対にない」「それも絶対にない」と夫の「もしも」をいちいち否定する私。
あの人たちの娘を50年近くやっているんだ。どんな反応をするか、手に取るようにわかる。
パニックになることも、感情的になる(泣く・怒るなど)ことも、絶対にない。
穏やかに話を聞いて、落ち込んで。
それでも気を確かに持とうと何でもないように見せて、凛として対応する。
私はそう思っていた。
結果、やはりそうだった。
二人とも、「そう・・・もう治ったと思って忘れていたわ」とがっくりした感じは見せながらも、一生懸命私の話を聞いてくれた。
もちろん「最悪の話」はしない。事実のうち、「前向きな要素」だけをつまんで聞かせた感じ。
「大丈夫、治るわね」と母。
「なったものは仕方ない。とにかく治療せんとな」と父。
「こんな話の後で、北海道の写真見る気分じゃないよね?」と聞いたけれど、「見る見る!」と母。
気を紛らわすかのように、写真に見入って、いろいろ質問して、感想を述べて、時には笑いもした。
思っていた以上に冷静で、拍子抜けしたくらだった。
ただ、いつもより長く、私たちの車を見送っていた。
いつもは玄関で手を振るのに、外まで出て、車が見えなくなるんでずっと二人で立ってこちらを見ていた。
胸が苦しくなって、二人の顔を見られなかった。
本当に親不孝者。
いつも勝手ばかりで、就職はしないし、すぐに家を出てしまったし、なかなか結婚もしなかったし、癌になるし。
自由気ままに生きさせてもらったうえ、迷惑ばかりかけてしまった。
これ以上、親不孝をしないためにも、両親より絶対に長生きしなければ。
帰ってから、夫と外へご飯を食べに行った。そのほうが気がまぎれるから。
お酒も少しだけ飲んだ。週末だけのご褒美。
どこも痛くないし食欲もあるし、極めて元気なのにがん患者だなんて不思議だなぁ。
でも、今日も生きているし、明日も生きる。
夫と話した。
がんになっても10年生きる人もいれば、何の病気もなくても明日事故や災害で死ぬ人もいる。
私が人より寿命が短くなったわけでも、一番死に近いわけでもない。
「いつか死ぬ」ということは、みんな平等なんだ。
だからこそ、今日も生きていることに感謝しないとね、と。
夫とこういう考え方が一致する人でよかったと思う。
嘆いたり、悲観したり、夫自身がボロボロになっていくような人じゃなくてよかった。
そういう人がそばにいたら、治るものも治らないだろう。
とは言え・・・
私の精神状態はまだ安定していない。
元気で前向きな日もあれば、不安と恐怖で震えている日もある。
でも、今朝は穏やかな気持ち。
きっと、心地よい風のおかげだ。
昨日から風が変わり、今朝、窓を開けた瞬間、確実に秋が来たことが感じられた。
『秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる』
毎年、この風を感じた瞬間に、この和歌が頭に流れる。
秋は好きだけれど、毎年仕事が一番慌ただしい時期で、あっと言う間に過ぎ去ってしまう。
ここ数年は「自分には秋がない」と感じていた。夏が終わって気づくと年末だから。
でも、今年はある意味、特別な秋になりそうだ。ゆっくりと過ぎていくような気がする。
それもいい。
秋のはじまりも、深まっていく様子も、ゆっくりと感じながら生活してみよう。
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