月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

この2週間の闘いについて

2019-08-23 | 癌について
「心と体は密接なつながりがある」とはよく言われることだが、本当にそうなんだろうなと実感している。

ニワトリとタマゴではないが、心が弱ったのが先か、体が弱ったのが先なのか、どちらかはわからない。
ただ、この数ヶ月、精神状態が良くなかったことは事実。

だから、7月末の定期検診のCT画像に「怪しいものがいろいろ映っています」と医者に言われたときも、それほど驚きはしなかった。
ただ、頭の中が真っ白になり、先生の話がほとんど入ってこなかった。足元から崩れ落ちる気がした。

「再発」=「寿命」
根治は目指さず、延命治療となる。
標準治療もなく、患者の状況を見ながら、延命を考える。

そんな情報は3年前の手術の時から頭に入っていたから、ぼんやりとした頭で「ああ、そうか。もう死ぬんだ」と思った。
とにかく詳しいことを調べましょうと言われ、PET-CTの予約をして、ふらつく足取りで診察室を出た。
こらえていないと涙がこぼれるので、トイレに駆け込んだ。

それが8月7日のこと。
11日から楽しい北海道キャンプを予定していたので、夫にすぐに伝えるかどうかを迷った。
こんな重い気持ちを抱えておくのは自分だけで十分で、北海道は楽しく過ごし、帰りのフェリーで告げようかと考えた。
とにかく夫を悲しませることが、それを想像するだけで、息が詰まりそうだった。過呼吸のようにはぁはぁ言いながら、病院のソファで会計の順番を待った。

でも、夫への思いやりよりも、自分一人で抱えておく苦しさのほうが勝り、結局そのソファの上でメールした。
仕事中に動揺させて申し訳ないと思い、事実と前向きなことを書いて、病院を出た。
どうやって帰って来たのか覚えていない。

部屋で少し泣いた。
でも、泣いていても寿命は1日だって延びないんだと思い、前向きに生きる方法をネットで検索し始めた。
夜、夫が帰ってきて話をした。「一緒にがんばろう。生きよう」と約束した。
そして、予定通り、8泊9日の北海道キャンプへ。
「いい空気を吸って、いい景色を見て、美味しいものを食べて、たくさん笑っていたら、ガンも消えるかもね」
二人でそう話して、たくさんたくさん笑った。
でもずっと心の奥に影が潜んでいて、それが出てこないようにするのに必死だった。

19日に帰宅し、翌日PET検査(全身がん検査)。
3年前のことを思い出したが、とにかく前向きに、何も映らないことを祈りながら検査を終えた。
この検査自体は、痛みも何もない。時間は3時間ほどかかるが。

もうその翌日、21日に検査結果が出るということで、夫は会社を早退してきた。
結果を聞くのは一人より二人のほうがいい。心強い。
その時は、私はもう何の恐怖感もなかった。どんな結果が出ても、やることは一つだけだから。「生きる!」
待ち合いのソファで夫のほうが死にそうな顔をしていたので、背中をさすって元気づけた。
北海道で撮った写真をいっぱい見せてあげて、気持ちを紛らわせた。私は笑っていた。
「かおりはすごいな」と夫が言った。

結果は、骨盤リンパ節および腹膜播種再発。
簡単に言えば、お腹辺りにたくさんのガンが散らばっているという状態。
新しくできたガンというよりは、3年前に叩ききれなかったガンが顔を出したと考えるのが妥当とのこと。
内臓などではないので、手術はできない。放射線も無理。選択肢は抗がん剤治療のみ。3年前と同じ薬だが、「最低でも6クール」という。
平然とした顔で、毒を盛ると言う。
私は涙一つこぼさなかった。ずっと医者をにらみつけていた。
「3年前、再発を防ぐために抗がん剤やったんですよね?でも再発した。効いていないってことなんじゃないんですか?」と突っかかったが、医者は「効いていると思う。やらなかったらもっと早く再発していたはず」と言う。
夫が冷静に、いくつか質問をして、医者はそれに答えた。

私は、前日の夜に夫に1つのことをお願いしていた。
それは、「すぐに答えを出さない」ということ。夫はそれを実行して、「一度持ち帰る」ことになった。
なので、まだ今の時点で抗がん剤治療の申し込みはしていない。

会計を済ませ、病院を出たとき、私が言ったのは「ビール飲みたいな」だった。
夫はびっくりしていたが、「うん、飲みたい」と言った。
まだ陽は高く15時半。
私は笑いながら、よく行く立ち飲み屋へ夫を誘った。
平日の15時から立ち飲みにいるのは、定年過ぎたオッサンばかりだ。その中に紛れて、生ビールを注文。
「決起大会や!」と私が言い、乾杯した。
思わず笑いがこみ上げてくる。
「知ってた?ガンの再発を告げられた夫婦は朝まで泣きとおすらしいよ。再発の告知を受けて、その足で立ち飲みに行く夫婦は、この世の中でうちらだけやよ」
愉快だった。勝った気がした。何にかわからないけれど。

その時の私の心境はこうだった。
8月7日に一人で結果を聞いた時、私は「再発してるんだな」と思っていた。医者の口ぶりはそうだったから。
あの時がショックと悲しみのピーク。
そして、その後、いろんな本やネットの情報を読んで、「最悪は、余命宣告もありうる」と覚悟していたのだ。
あと数ヶ月、あと1年・・・と。
だから、再発していた事実へのショックより、「余命宣告されなかった!まだ生きられる!」という喜びのほうが大きくて、自分の中の生命力がむずむずと顔を出し、どうしたって「生きる」という方向へしか、思考も行動も向かなかったのだ。

夫にそんな話をすると、夫は「かおりはすごい。かおりは強い」と言う。
「それは違う」と私は言った。
3年前の時もそうだった。いろんな人に「あなたは強い」と言われたが、何を言っているんだと腹立たしかった。
強い人間などいるわけがない!
病気になって、死を間近に感じて、平気でいられる人間なんているわけがない!
私がずっと平気で、笑っているとでも思っているのか。
この世への執着、やりたいことがまだある。愛している人たちがたくさんいるのに。
だけど・・・いや、だからこそ、強くあろうとするんだ。強くなりたいんだ。愛する人たちの想いを受け止めて強くなれないなら、それこそ生きていく資格がない。

「今日でひとまず最後」と言って、私はビールを飲み干し、日本酒を注文した。
酒がうまかった。
泣きながらご飯を食べたことがある人間は、大丈夫だ。まだ生きられる。

*    *    *    *

3年前もそうだったが、「なぜ私がこんな目に?」のような感情は一度も湧かなかった。
ただ、もっとポジティブな意味で、「がんになった意味」は考えなければならないと思う。
それは物理的な原因を探るという意味ではない。
よく「がんにならない食生活」のようなことが言われるが、じゃあ、私は人よりガンになる食生活をしていたのか?
ガンになっていない人は、毎日玄米を食べてにんじんジュースを飲んで、野菜とタンパク質を豊富に摂取して、インスタントもレトルトも甘いお菓子も一切口にしていないのか?絶対そうじゃないだろう。
少なくとも私の食生活は、平均以上に良質だ。
お酒のことを言う人もいるが、それもどうなのか。
直接、肝臓がんになるくらいアルコール摂取をしているのなら原因だろうけど。
だから、物理的な「がんの原因」を探ることは無意味だし、答えなど出るはずもない。
逆に言えば、「私はこれでガンを治しました!」も「その人には効いた」だけで、私に効くとは限らない。
特効薬はない。

ただこう考えている。「ガン」は私の一部で、絶対に何かを教えてくれているはずなんだ。
独りよがりの思い込みでもいい。無理やりの意味付けでもいい。それが生きることにつながっていくと信じている。
そして、余命宣告を受けたり再発したり、ステージが進んで発見されたりした人で長生きしている人は必ずこう言っている。
「ガンになってよかった」「意味があった」と。

「なぜ私が?」「なんで私がこんな目に?」と考えている人は、絶対によくならない。
意味を探すことが大切なんだと思う。
原因を探るのではなく、何を教えてもらっているのか、
ガンを治してその先に生きていく理由は何なのか、何ができるのか、
ガンを治して何がしたいのか、
それを考えて見つけることが、必ず生きることにつながる。
私はそう信じているし、それを実証してみせる。

*    *    *    *

今、悩んでいるのは一つだけ。
医者の勧める抗がん剤治療を受けるかどうか。
治療の選択肢は他にはないし、高い金を出してよくわからないサプリや免疫療法などに手を出すつもりもない。
受けないときは、自分の自然治癒力を信じて、それを高める努力をして、寿命を自然に全うするということ。
これは本当に勇気と覚悟のいることだから、おそらく抗がん剤治療を受けるだろうと思う。
でも、まだ病院に返事をしていないのは、100%納得いっていないからだ。

調べれば調べるほど、本を読めば読むほど、いろんな意見があって頭がごちゃごちゃになる。

「抗がん剤は死期を早めるだけ。医者を信じるな。毒を盛るな」
「ちゃんと臨床試験を経て効果があるのだから、抗がん剤は受けるべき」
「自分の自然治癒力を信じなさい」
「放置せず抗がん剤をやってくれていたら、もっと長生きできたのに残念です」
「私は抗がん剤などしないで、ガンを克服しました!」
「私は抗がん剤をやって、余命宣告から10年生きています!」

いや、ほんま、どっちやねん。
私は今、「再発した」という事実よりも、自分がどうやって治療していけばいいのかわからず、それでとてもしんどい。
グレーが苦手。選択肢が苦手。何より嫌い。

以前、3クールやってわかったことは、「こんなもん、3クールが限界や」ということ。
医者の言う通り6クールもやったら、ガンで死ぬ前に体がボロボロになる。
抗がん剤を投与するとき、恐怖感というより、私の中には罪悪感があった。
健康な細胞たちを殺してしまうことへの罪悪感。自分の体がかわいそうで泣けてきた。申し訳なかった。
もし、本当に自然治癒力で治るなら治したい。
でもそんなことが可能なんだろうか。

今、最も有力な選択肢は、「3クールだけ受ける」というもの。
どちらにしろ3クールごとに効いているのかCTとるので、効いてなくなっていれば3クールでやめるし、全く変わらなければ6クールやっても無駄だからやっぱりやめる。
その時、後悔しないだろうか。ボロボロになった体で、今さら自然治癒力も望めず、最初からするんじゃなかったと後悔しないだろうか。それだけが私の今の悩みだ。まだ結論は出ない。

ああ、もう一つあった。
日曜日、実家へ行って再発の事実を伝えてくる。
これは悩みというよりも落ち込むこと。母にどう言えばいいんだろうか。また心配かける。本当に親不孝。
母がどれほど苦しむかと思うと、それで落ち込んでしまう。辛い。

*    *    *    *

幾人かの友達にこのことを伝えた。
当たり前だが、みんな心配してくれている。応援してくれている。
「何もできないけど話くらい聞くよ」
「ごはん食べられてる?眠れてる?」
「よく考えて話し合って納得のいく治療をしてね」
「何かできることがあったら言ってね」
「祈ってるよ」
たくさんの励ましの言葉に救われた。

栃木から駆け付けようとした友達がいて、それは止めたけど、うれしかった。
盆正月に、親のところにも帰らないのに。そう思うと泣けてくる。

車を走らせて、癌封じの神社へ行き、お守りと祈祷後の砂を届けてくれた人もいた。
毎日、いろんな人の愛を感じて、それで泣いてばかりいる。

会いたいと言ってくれた人もたくさんいたけど、それは全部断った。
なんだろう・・・友達を避けたのは生まれて初めてかもしれない。
会いたいけど、まだみんなには会えない。そんな気分だ。
会えば、私は笑うし、よくしゃべる。
「あれ?思ったより元気やん。よかったー」
そう思ってもらおうと、体が、顔が、勝手に動くのはわかっている。
それが自分の体にはきっといい影響があることもわかっている。
明るい気持ちになるし、笑うことも免疫力を上げるし。
でも、今はそれを想像するだけで、とてもしんどい。
本当は大好きな人たちの顔を見たら、声を聞いたら、絶対に泣いてしまう。大声を上げて泣きたい。抱きつきたい。
でも、それを見せたくない。強くありたいから。だから、まだ会わない。

*    *    *    *

これから抗がん剤が始まるとして、次に考えなければならないのが仕事のことだった。
早ければ9月から今期の酒造りが始まる。10月、11月には毎週のように出張だ。
入院と副作用で動けない時期が出てくるし、また脱毛してウィッグをかぶるから、どうしたってチームメンバーには話さないわけにはいかない。
クライアント3名、デスクのYさん、ライターIさんにのみ、メールでざっくりとした内容と、これからどうしたいかということを書き、検討をお願いした。
「また迷惑かけるので再発したら辞めようと思っていたが、どうしてもまだ書きたいと思ってしまった」
ということも伝えた。
もしかしたら、長い戦いになるかもしれない。タイミングよく新しいライター候補が2名も勉強中。私はもうお払い箱になっても仕方がないと思っていた。

一人ひとりから、あたたかい返信があった。その人の人柄がとてもよく表れていた。

「あなたの代わりはいませんから、抜けられたら困りますからね。あとは筋トレしてたらなんとかなるっしょww」

「辞めるという選択より、続けるという選択をしてくださったことに、勇気と覚悟をもらいました。平日休みをとりますので、お会いしたいです。お顔、拝見したいです」

「あなたはこの雑誌に絶対に欠かせない人。休養してパワーをためこんで、また想いのぎゅっと詰まった記事を読ませてくださいね」

「再発したら辞めようと思ってたんですね。残念ながら今さら辞められませんよ。もう若くないんだから、我慢しながらやっていってください。笑」

「わがまま言っていいですからね。僕たちはそのためにできることを最大限します」

本当はもっともっとそれぞれ長いメール。
何度も読み返して、何度も泣いた。感謝しかない。最高のチーム。

私の席をあけて待っていてくれると、全員が言ってくれた。
だから、それまで治療に専念しなさいと。

抗がん剤治療を受けるなら、11月で3クール目。なんとしてもそこで終わらせて、年内に復帰する!
12月に1蔵でも取材に行くという具体的な目標ができたのもよかった。

これから、生きる方法と、生きる意味を考える。
これは神様がくれたチャンス。もう一度、生き直すんだ。

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