どうも疲れが取れない。
10月1週目はゆっくりしていたのだが、8日の三連休の始まりから、体を休めるヒマがなくて。
8日は広島県西条まで「酒まつり」の取材へ。
2日間で延べ20万人以上も動員するお祭りで、小さな街中に人が溢れる。
全国1000銘柄を飲めたり、酒蔵通りにある8軒の酒蔵がそれぞれにイベントを行っていたり。
駅から続く大きな通りにはずらりと屋台が立ち並び、歩くのも難しいほどの人ごみだった。
朝6時に家を出て、新大阪で6時50分発の新幹線に乗ったのだが、自分の席には既に他の人が座っている。
ちょうど通りかかった車掌さんにチケットを見せて「合ってますよね?」と聞くと「間違ってますよ」と。
なんと、同じ6時50分発の「東京行き」に乗車してしまっていたのだった!
幸い、停車時間が長かったので、出発寸前のところで飛び降りた。
慌てて広島行きのホームへ移動したが、当然、出発した後・・・。
三連休のため他の列車はすべて満席。
結局どうしたかというと、次の列車の自由席車両に“立って”乗ったのだった・・・。
岡山でたくさん人が降りたので、岡山から広島までは座れたが、あせったこともあり、どっと疲れが・・・
移動中、クライアントのI山氏にLINEしたら、「また伝説を作りましたね!笑」と返信があった。
そう。私には、こういう漫画のようなことが平気で起きるから怖い
広島から西条までの電車もすごい人でもちろん40分間立ちっぱなし。
駅に着いたときにはもう疲れ切っていた。足も痛い。
そんな状態で夕方まで街を歩き回って(時々酒も飲みつつ)、実行委員長のインタビューもして帰って来た。(帰りは座れた)
翌日はまだぐったりしていたが、この原稿が超急ぎなので、1日で仕上げてデザインまで持っていかなければならなかった。
昼間では少し体を休めて、そろそろやろうと思ったら、夫の母から電話。父方の祖母が亡くなったというのだ。
翌日、徳島の阿波加茂という田舎町まで行って通夜に参列することになったので、さあ大変!
大慌てで原稿を書き、さらに、翌日やるはずだった原稿もやり、またフラフラに・・・。
そして、そんな状態で翌日は徳島まで行って、ほとんど知らない親戚の中で気を遣いながらも、わりと中心の役割を担い、お祖母さまを見送ったのだった。
こう書くと冷たいようだが、私はお祖母さまと会ったのは結婚した後に一度だけ。それも、その時にはすでに寝たきり状態で、会話すらしていないので、申し訳ないが本当に全くの他人を見送るくらいの感情しか湧かなかった。
きれいなお顔を見て、苦しまずに亡くなったのなら良かったなぁと思ったが。
それより、親しく接してくれている叔父さん(夫の父の兄)が泣き崩れている様子を見ているほうが辛かったし胸が痛んだ。
叔父さんの奥さんも娘さんも、私の癌を心から心配してくれていて、お見舞いも贈ってくださったし、今回もこんな大変な状況においても「かおりさん、お体はどう?」「お大事にしてや」と、言葉を何度も何度もかけてくれた。
この一家は本当に優しい人ばかりなのだ。
お通夜や葬儀は身内でなくとも、なんだか疲れるものだ。
独特の雰囲気にやられてしまうというのか。
そんな状態で、また4時間かけて最終電車で帰って来た。
そして、その三連休の疲労を背負ったまま、翌日は奈良へ酒蔵取材。
行きは京都で拾ってもらい車で行ったが、終了後は御所駅へ放置されたので、電車を乗り継いで2時間近くかけて帰宅。
ただでさえ、酒蔵取材は頭フル回転、緊張感MAXなので、後でどっと疲れが出る。
もうボロボロだった。
でも、翌日昼までに出さないといけない原稿があったので、とりあえず寝て、朝6時から原稿書き。
なんとかやりあげて、この日の午後は少し休んだ。
なぜなら、翌日からまたハードな取材が待っていたからだ。
13、14日は京都の不動産系の会社のWEBサイト&採用パンフの取材。
今回はマイナビへの掲載記事も含めて一括で受けたので、久しぶりにまとまった額の仕事になった。
しかし、その分、取材はハード。
2日間拘束され、10時~18時までほぼ休憩もなしに、取材と移動の繰り返し。
人物インタビューが5人分と、座談会が2つ。
撮影もかなり時間がかかり(クライアントの要望がわりと強めで)、その間もずっとサポートで休む間もない。
座談会も30分くらいで終わるのかと思っていたら、1時間半もとってある!
支社長クラスの人たち相手に座談会を仕切り、五感フル回転ですべてメモをとっていく。
でも、後で録音データは聞き直さないと書けないだろうなぁ・・・。
若い頃は録音に頼ることなんて講演会の取材くらいだった。メモを見ればほぼ自分の頭の中に再生できるくらい記憶力も良かった。だから、原稿を書くのも今よりずっと早かった。
今はもう録音がきちんとできているかどうかが気になって仕方がないし(レコーダ命!)、文字おこしまではしないものの、何度か聞き直さなければ書けなくなってしまった・・・。
労働生産性が下りまくっている。
年を重ねればそれは誰でも仕方のないことだと思うので、問題なのは「若い頃と同じような仕事をしている」ということなんだろう。
あの頃は、45歳になった自分が「足で稼いでナンボ」みたいな仕事をまだやっているとは思いもしなかった。
もっと大御所(?)になって、若いライターを育てるとか、自分の“名前”で書けるような案件を持っているとか、作家先生気取りのことができると(したいと)思っていたのに、やっていることは20代と全く変わらない。
ひたすら現場へ足を運び、話を聞き、書く!
もちろん、それが今でも“大好き!!!”なのだが、こうも体と頭がついてこないとは・・・!
若い頃と同じようなキラキラした感性があって、今よりずっと頭の回転と記憶力が良い自分を保っていられるのなら、同じような現場仕事を永久にしたいところだが。
正直、今は鈍りまくっている自分にイライラするし、原稿を書けば落ち込むし、自信もない。
前は書きながら自分の原稿に感動して涙して、出来上がると部屋の中で「いい!めっちゃいい!」と叫びながら小躍りしていたのに。
「自分が感動できないようなモノで、人が感動できるわけないやろ!」なんて、偉そうなことまで言っていた。
それが、今はいつもクライアントのOKが出るまでビクビクしている。
ふぅーーーー。
もう私には“成長”はなく、あとは“衰退”しかないのだろうか。
周りの40代も「最近、“老い”がひどい」と話しているので、きっと衰えているのは私だけではないのだろうけれど。
話が逸れたが、そんなハードな2日間を過ごした後、この週末はまた1泊2日のキャンプだった。
それについてはまた次回書いていこう。
病気をしてから、本当に体力が落ちたと感じる。とにかく疲れる。
でも、できるだけ人と会ったこと、自分が感じたことなどは、ここに書いていきたいと思っている。
抗がん剤治療中、久しぶりにほぼ毎日のように日記を書いていて、やっぱり「その日を振り返って書く」ということは、自分にとって大事なことなんだなぁと実感したから。
小学生の頃から“書かずにはいられない自分”と付き合ってきて、それだけは今も同じだと感じる。
書くことで感性が動き、感性が動くことでまた書きたくなる。
いい循環がここにある。
とりあえず、HardDaysは一旦落ち着いた。
今週は疲れを癒しつつ、たまった原稿を書いていく週。またがんばろ。
10月1週目はゆっくりしていたのだが、8日の三連休の始まりから、体を休めるヒマがなくて。
8日は広島県西条まで「酒まつり」の取材へ。
2日間で延べ20万人以上も動員するお祭りで、小さな街中に人が溢れる。
全国1000銘柄を飲めたり、酒蔵通りにある8軒の酒蔵がそれぞれにイベントを行っていたり。
駅から続く大きな通りにはずらりと屋台が立ち並び、歩くのも難しいほどの人ごみだった。
朝6時に家を出て、新大阪で6時50分発の新幹線に乗ったのだが、自分の席には既に他の人が座っている。
ちょうど通りかかった車掌さんにチケットを見せて「合ってますよね?」と聞くと「間違ってますよ」と。
なんと、同じ6時50分発の「東京行き」に乗車してしまっていたのだった!
幸い、停車時間が長かったので、出発寸前のところで飛び降りた。
慌てて広島行きのホームへ移動したが、当然、出発した後・・・。
三連休のため他の列車はすべて満席。
結局どうしたかというと、次の列車の自由席車両に“立って”乗ったのだった・・・。
岡山でたくさん人が降りたので、岡山から広島までは座れたが、あせったこともあり、どっと疲れが・・・
移動中、クライアントのI山氏にLINEしたら、「また伝説を作りましたね!笑」と返信があった。
そう。私には、こういう漫画のようなことが平気で起きるから怖い
広島から西条までの電車もすごい人でもちろん40分間立ちっぱなし。
駅に着いたときにはもう疲れ切っていた。足も痛い。
そんな状態で夕方まで街を歩き回って(時々酒も飲みつつ)、実行委員長のインタビューもして帰って来た。(帰りは座れた)
翌日はまだぐったりしていたが、この原稿が超急ぎなので、1日で仕上げてデザインまで持っていかなければならなかった。
昼間では少し体を休めて、そろそろやろうと思ったら、夫の母から電話。父方の祖母が亡くなったというのだ。
翌日、徳島の阿波加茂という田舎町まで行って通夜に参列することになったので、さあ大変!
大慌てで原稿を書き、さらに、翌日やるはずだった原稿もやり、またフラフラに・・・。
そして、そんな状態で翌日は徳島まで行って、ほとんど知らない親戚の中で気を遣いながらも、わりと中心の役割を担い、お祖母さまを見送ったのだった。
こう書くと冷たいようだが、私はお祖母さまと会ったのは結婚した後に一度だけ。それも、その時にはすでに寝たきり状態で、会話すらしていないので、申し訳ないが本当に全くの他人を見送るくらいの感情しか湧かなかった。
きれいなお顔を見て、苦しまずに亡くなったのなら良かったなぁと思ったが。
それより、親しく接してくれている叔父さん(夫の父の兄)が泣き崩れている様子を見ているほうが辛かったし胸が痛んだ。
叔父さんの奥さんも娘さんも、私の癌を心から心配してくれていて、お見舞いも贈ってくださったし、今回もこんな大変な状況においても「かおりさん、お体はどう?」「お大事にしてや」と、言葉を何度も何度もかけてくれた。
この一家は本当に優しい人ばかりなのだ。
お通夜や葬儀は身内でなくとも、なんだか疲れるものだ。
独特の雰囲気にやられてしまうというのか。
そんな状態で、また4時間かけて最終電車で帰って来た。
そして、その三連休の疲労を背負ったまま、翌日は奈良へ酒蔵取材。
行きは京都で拾ってもらい車で行ったが、終了後は御所駅へ放置されたので、電車を乗り継いで2時間近くかけて帰宅。
ただでさえ、酒蔵取材は頭フル回転、緊張感MAXなので、後でどっと疲れが出る。
もうボロボロだった。
でも、翌日昼までに出さないといけない原稿があったので、とりあえず寝て、朝6時から原稿書き。
なんとかやりあげて、この日の午後は少し休んだ。
なぜなら、翌日からまたハードな取材が待っていたからだ。
13、14日は京都の不動産系の会社のWEBサイト&採用パンフの取材。
今回はマイナビへの掲載記事も含めて一括で受けたので、久しぶりにまとまった額の仕事になった。
しかし、その分、取材はハード。
2日間拘束され、10時~18時までほぼ休憩もなしに、取材と移動の繰り返し。
人物インタビューが5人分と、座談会が2つ。
撮影もかなり時間がかかり(クライアントの要望がわりと強めで)、その間もずっとサポートで休む間もない。
座談会も30分くらいで終わるのかと思っていたら、1時間半もとってある!
支社長クラスの人たち相手に座談会を仕切り、五感フル回転ですべてメモをとっていく。
でも、後で録音データは聞き直さないと書けないだろうなぁ・・・。
若い頃は録音に頼ることなんて講演会の取材くらいだった。メモを見ればほぼ自分の頭の中に再生できるくらい記憶力も良かった。だから、原稿を書くのも今よりずっと早かった。
今はもう録音がきちんとできているかどうかが気になって仕方がないし(レコーダ命!)、文字おこしまではしないものの、何度か聞き直さなければ書けなくなってしまった・・・。
労働生産性が下りまくっている。
年を重ねればそれは誰でも仕方のないことだと思うので、問題なのは「若い頃と同じような仕事をしている」ということなんだろう。
あの頃は、45歳になった自分が「足で稼いでナンボ」みたいな仕事をまだやっているとは思いもしなかった。
もっと大御所(?)になって、若いライターを育てるとか、自分の“名前”で書けるような案件を持っているとか、作家先生気取りのことができると(したいと)思っていたのに、やっていることは20代と全く変わらない。
ひたすら現場へ足を運び、話を聞き、書く!
もちろん、それが今でも“大好き!!!”なのだが、こうも体と頭がついてこないとは・・・!
若い頃と同じようなキラキラした感性があって、今よりずっと頭の回転と記憶力が良い自分を保っていられるのなら、同じような現場仕事を永久にしたいところだが。
正直、今は鈍りまくっている自分にイライラするし、原稿を書けば落ち込むし、自信もない。
前は書きながら自分の原稿に感動して涙して、出来上がると部屋の中で「いい!めっちゃいい!」と叫びながら小躍りしていたのに。
「自分が感動できないようなモノで、人が感動できるわけないやろ!」なんて、偉そうなことまで言っていた。
それが、今はいつもクライアントのOKが出るまでビクビクしている。
ふぅーーーー。
もう私には“成長”はなく、あとは“衰退”しかないのだろうか。
周りの40代も「最近、“老い”がひどい」と話しているので、きっと衰えているのは私だけではないのだろうけれど。
話が逸れたが、そんなハードな2日間を過ごした後、この週末はまた1泊2日のキャンプだった。
それについてはまた次回書いていこう。
病気をしてから、本当に体力が落ちたと感じる。とにかく疲れる。
でも、できるだけ人と会ったこと、自分が感じたことなどは、ここに書いていきたいと思っている。
抗がん剤治療中、久しぶりにほぼ毎日のように日記を書いていて、やっぱり「その日を振り返って書く」ということは、自分にとって大事なことなんだなぁと実感したから。
小学生の頃から“書かずにはいられない自分”と付き合ってきて、それだけは今も同じだと感じる。
書くことで感性が動き、感性が動くことでまた書きたくなる。
いい循環がここにある。
とりあえず、HardDaysは一旦落ち着いた。
今週は疲れを癒しつつ、たまった原稿を書いていく週。またがんばろ。