原稿の追い込み、今日で5日目。
全く家から出ることなく、ひたすらパソコンに向かっている。
でも、あとひと息。
今日あと1本書いたら、とりあえず今週中に終わらせないといけない原稿は終了。ようやく終わりが見えてきた。
来週は来週で、また別件のややこしい原稿があるのだけれど、それでもちょっと落ち着くなぁ。
今週は主に日本酒雑誌の原稿を書いていた。
酒蔵3本と店舗が2本。
今回は全部いい取材ができていて、心から書きたいと思う対象だったので、すごくいいものが書けたと自分で思う。
やっぱり人の「想い」にきちんと触れることができると、自分の心も震える。そうすると、良いものが書ける。それはおそらく心で書けるから。
でも、推敲も随分重ねた。
最終章の最後の数行の段落を書くのに何時間も費やしたり。
書いては消し、書いては消し。
この人の想いは一体何だったのか。どこに向かっていたのか。あの笑顔の下に隠された熱い想いはどんなものだったのか。
思い出せ、しっかりと思い出せと、何度も何度も振り返り、言葉を紡ぐ。
とても苦しい時間だけれど、ああこれだと見つかった時には胸がいっぱいになる。
あとは答え合わせだ。
私が感じたものが真実だったのかどうか。
それを判定してくれるのは、取材対象者しかいない。
今はそれをじっと待っている。
原稿チェックは私を通さず、営業窓口が酒蔵や店舗へ送ってくれる。
もし大きな修正などがあれば、私のところに戻される。特になければそのまま入稿へと進められる。
だから、少なくとも発行されるまでは取材対象者の感想を聞くことはない。
それが、昨日、私の携帯に今回書いたお店の店長さんから電話がかかってきた。
手違いで修正の連絡がこちらへ来たのかと一瞬思ったらそうではなかった。
「記事の確認で読ませてもらいました。もう・・・すっごくよかったです!
本当によかった。こんなふうに書いてもらって嬉しいです。
ありがとうございます。それを直接すぐにかおりさんに言いたくて・・・」
そう言われて、私も嬉しくて嬉しくて。
それから少ししゃべっていたら、店長さんは自分の本を出したいという夢があるとのこと。
でも、自分では書くことができないので、もし手伝ってもらえたらうれしいと、そう言われた。
ありがたい。
具体的にいつ作るという話ではなかったけれど、そう思ってもらえたことが嬉しかった。
こういうことがあると、疲れも吹き飛ぶ。
書いていてよかったと思う瞬間だ。
まだ書いていていいのだと、許された気分になる。
もちろん編集サイドや読者に喜んでもらえるのも嬉しいけれど、私はいつも一番に取材対象者が喜んでくれる記事を書きたいと思っている。
人が、自分の生き方や信念みたいなものを、見ず知らずの人間に語るのって、実はとても勇気のいることだと思うのだ。
会ったばかりの私に、それもせいぜい2、3時間で(下手すりゃ1時間以内で)語る。
正しく受け止められるほうが難しいくらいで、私だってその人のことを深く知った気持ちにはならない。
だけど、垣間見たものを、少しでも正しく、少しでも根っこのところを捉えて表現できればといつも思っている。
さっきも書いたけれど、私にとっては「答え合わせ」なのだ。
自分の感性で作った言葉なんかじゃなくて、その人から出た言葉を正しく伝えたい。(一言一句という意味ではなくて)
前に久留米のバーのマスターの話を書いたが、まさにああいうことだ。
店に入ってその雰囲気を自分の感性で捉えて「おしゃれな」とか「スタイリッシュな」みたいな言葉で表現するのではなくて、「なぜこの内装にしたのか」「どういう想いでこの店を作ったのか」ということをきちんと取材して、相手の想いを拾って表現したいのだ。
それが「正解」だったら、一番嬉しい。
ああ、私はちゃんと相手の言葉を聞けていたなと、大事なことをちゃんと理解できていて、それをきちんと表現できたなと思えるから。
とにかく、その店長さんからの電話で疲れも吹き飛び、昨日は原稿もいい感じに進んだ。
夜、その店長さんつながりで、また別に嬉しいことがあった。
その記事のレイアウトをしてくれていたデザイナーさんからメール。
何かと思ったら、「あの記事読んでいたらお酒が飲みたくなったので今お店に来ています」と。そして「トイレに入ったら、かおりさんの手紙が貼ってありましたよ!感動!!」と。
画像も添付してあった。
見ると、私が取材の後に送ったお礼のハガキだった。
それがそのお店のトイレに貼ってあるというのだ!
取材とお酒をごちそうになったお礼と、店主の日本酒への熱い気持ちをなんとか文章で表現してお役に立ちたい・・・ということを書いた簡単なものだったのだが。
まさかトイレに貼られているとは!!
デザイナーさんに読まれて恥ずかしかったけれど、嬉しかったのはその後でデザイナーさんがくれた言葉だった。
「日頃から一つ一つの仕事に一生懸命取り組まれているんだと感動しました。一緒に仕事できて感謝です!」
なんだかじんわりしてしまった。
いつもいつも自分のほうが他のメンバーと一緒に仕事ができていることに感謝することばかりで、人から感謝されることなんてないと思っていたのに・・・。
「人よりできないのだから、人の何倍も一生懸命やるしかない」
「一生懸命努力して、それでやっと人並みなんだから」
これは子供の頃から何かをやる時にいつも必ず思っていたこと。
もちろんすべてのことに対してではないけれど、少なくとも大人になった今は「仕事」に対してだけはそうだ。
とにかく誠実に、一生懸命、一つ一つを全力で。
それしかなくて、そうやってようやくライターという職業にしがみついている私。
そんな私の姿を偶然目にして、一緒に仕事ができてよかったと言ってくれたデザイナーさんの気持ちが、とてもありがたかった。
さあ、あと1本がんばるぞ!
これが結構な大物なんだが・・・。(酒米試験所の研究者の話・・・)
加齢とアルコールで死滅しかかっている脳細胞を無理やり働かせなければ!!
全く家から出ることなく、ひたすらパソコンに向かっている。
でも、あとひと息。
今日あと1本書いたら、とりあえず今週中に終わらせないといけない原稿は終了。ようやく終わりが見えてきた。
来週は来週で、また別件のややこしい原稿があるのだけれど、それでもちょっと落ち着くなぁ。
今週は主に日本酒雑誌の原稿を書いていた。
酒蔵3本と店舗が2本。
今回は全部いい取材ができていて、心から書きたいと思う対象だったので、すごくいいものが書けたと自分で思う。
やっぱり人の「想い」にきちんと触れることができると、自分の心も震える。そうすると、良いものが書ける。それはおそらく心で書けるから。
でも、推敲も随分重ねた。
最終章の最後の数行の段落を書くのに何時間も費やしたり。
書いては消し、書いては消し。
この人の想いは一体何だったのか。どこに向かっていたのか。あの笑顔の下に隠された熱い想いはどんなものだったのか。
思い出せ、しっかりと思い出せと、何度も何度も振り返り、言葉を紡ぐ。
とても苦しい時間だけれど、ああこれだと見つかった時には胸がいっぱいになる。
あとは答え合わせだ。
私が感じたものが真実だったのかどうか。
それを判定してくれるのは、取材対象者しかいない。
今はそれをじっと待っている。
原稿チェックは私を通さず、営業窓口が酒蔵や店舗へ送ってくれる。
もし大きな修正などがあれば、私のところに戻される。特になければそのまま入稿へと進められる。
だから、少なくとも発行されるまでは取材対象者の感想を聞くことはない。
それが、昨日、私の携帯に今回書いたお店の店長さんから電話がかかってきた。
手違いで修正の連絡がこちらへ来たのかと一瞬思ったらそうではなかった。
「記事の確認で読ませてもらいました。もう・・・すっごくよかったです!
本当によかった。こんなふうに書いてもらって嬉しいです。
ありがとうございます。それを直接すぐにかおりさんに言いたくて・・・」
そう言われて、私も嬉しくて嬉しくて。
それから少ししゃべっていたら、店長さんは自分の本を出したいという夢があるとのこと。
でも、自分では書くことができないので、もし手伝ってもらえたらうれしいと、そう言われた。
ありがたい。
具体的にいつ作るという話ではなかったけれど、そう思ってもらえたことが嬉しかった。
こういうことがあると、疲れも吹き飛ぶ。
書いていてよかったと思う瞬間だ。
まだ書いていていいのだと、許された気分になる。
もちろん編集サイドや読者に喜んでもらえるのも嬉しいけれど、私はいつも一番に取材対象者が喜んでくれる記事を書きたいと思っている。
人が、自分の生き方や信念みたいなものを、見ず知らずの人間に語るのって、実はとても勇気のいることだと思うのだ。
会ったばかりの私に、それもせいぜい2、3時間で(下手すりゃ1時間以内で)語る。
正しく受け止められるほうが難しいくらいで、私だってその人のことを深く知った気持ちにはならない。
だけど、垣間見たものを、少しでも正しく、少しでも根っこのところを捉えて表現できればといつも思っている。
さっきも書いたけれど、私にとっては「答え合わせ」なのだ。
自分の感性で作った言葉なんかじゃなくて、その人から出た言葉を正しく伝えたい。(一言一句という意味ではなくて)
前に久留米のバーのマスターの話を書いたが、まさにああいうことだ。
店に入ってその雰囲気を自分の感性で捉えて「おしゃれな」とか「スタイリッシュな」みたいな言葉で表現するのではなくて、「なぜこの内装にしたのか」「どういう想いでこの店を作ったのか」ということをきちんと取材して、相手の想いを拾って表現したいのだ。
それが「正解」だったら、一番嬉しい。
ああ、私はちゃんと相手の言葉を聞けていたなと、大事なことをちゃんと理解できていて、それをきちんと表現できたなと思えるから。
とにかく、その店長さんからの電話で疲れも吹き飛び、昨日は原稿もいい感じに進んだ。
夜、その店長さんつながりで、また別に嬉しいことがあった。
その記事のレイアウトをしてくれていたデザイナーさんからメール。
何かと思ったら、「あの記事読んでいたらお酒が飲みたくなったので今お店に来ています」と。そして「トイレに入ったら、かおりさんの手紙が貼ってありましたよ!感動!!」と。
画像も添付してあった。
見ると、私が取材の後に送ったお礼のハガキだった。
それがそのお店のトイレに貼ってあるというのだ!
取材とお酒をごちそうになったお礼と、店主の日本酒への熱い気持ちをなんとか文章で表現してお役に立ちたい・・・ということを書いた簡単なものだったのだが。
まさかトイレに貼られているとは!!
デザイナーさんに読まれて恥ずかしかったけれど、嬉しかったのはその後でデザイナーさんがくれた言葉だった。
「日頃から一つ一つの仕事に一生懸命取り組まれているんだと感動しました。一緒に仕事できて感謝です!」
なんだかじんわりしてしまった。
いつもいつも自分のほうが他のメンバーと一緒に仕事ができていることに感謝することばかりで、人から感謝されることなんてないと思っていたのに・・・。
「人よりできないのだから、人の何倍も一生懸命やるしかない」
「一生懸命努力して、それでやっと人並みなんだから」
これは子供の頃から何かをやる時にいつも必ず思っていたこと。
もちろんすべてのことに対してではないけれど、少なくとも大人になった今は「仕事」に対してだけはそうだ。
とにかく誠実に、一生懸命、一つ一つを全力で。
それしかなくて、そうやってようやくライターという職業にしがみついている私。
そんな私の姿を偶然目にして、一緒に仕事ができてよかったと言ってくれたデザイナーさんの気持ちが、とてもありがたかった。
さあ、あと1本がんばるぞ!
これが結構な大物なんだが・・・。(酒米試験所の研究者の話・・・)
加齢とアルコールで死滅しかかっている脳細胞を無理やり働かせなければ!!