昨年の終わりごろ、仕事の人間関係で少し悩むことがあった。
ある取引先の窓口になってくれていた編集者。
とても気遣いのできる、優しく頼れる人だった。
仕事もよくでき、細やかな気遣いにいつも感謝していた。
これが私の悪いところなのだが、ビジネスライクということが苦手だ。
本音とタテマエも苦手。
すぐに情を持ち込んだ関係にしてしまう。
相手が社交辞令で「今度飲みに行きましょうね」なんて言ってくれていても、のんきに「わー、じゃあ、いつにしますか?」なんて言ってしまうようなタイプだ。
そうすると、相手は大慌て・・・。
さすがに慌て振りを見て、「あ、社交辞令だったんだ!」と気づくが、時すでに遅し
知り合って2年経つのに、いつまで経っても飲み会が実現しないという時点で、「この人は私とプライベートで付き合うつもりはないんだ」と気づくべきだったのに・・・。
飲み会の話ならまだいいのだが、仕事の案件でもそういうことがあって。
言葉では「お忙しいし、負担が増えるでしょう」と言ってくれたのだが、実際には別のライターさんに頼むことになっていたのだ。
私はバカなので、それがまったくわからず、「え?忙しくないですよー。いけますよ~!」とか言ってしまう。
ここは裏側の気持ちを察知して、「ありがとうございます。ではまた何かあったらお願いします」と引き下がればいいところなのだが。
だから、「気遣い」の上手な人って、素晴らしいとは思うけれど、私のようなストレートど真ん中の人間にとっては少々ややこしい。
お互いの腹の探りあいみたいなことは本当に苦手。(探れないし、探られていることにも気づけない)
多少、無神経なくらいにはっきりと「今回は仕事ありません」と言ってくれればいいし、飲みに行く気がないのなら社交辞令なんて言わなくていいのにな、と思ってしまう。
でも、そういうのがスマートにできて、うまく察して返せるのが「大人」ってことなのかな、とも思う。
まだまだ修行が足りませぬ・・・
で、結局この気遣い上手な方とは、疎遠になってしまった。
それは、私が上手に気遣いを返せなかったからではない。
ちゃんと別の理由があって。
社内で少し意見のくい違いなどがあり、それに納得できないので、自分はもう外注ライターさんとの窓口役をおろしてもらう、という内容のメールが届いたのは秋の終わり頃だった。
私に迷惑をかけるようなことはないのでご心配なく・・・と締めくくられていた。
確かに、仕事は変わらず、迷惑はうけなかった。
でも、本当にその日以来、ピタッとその方とのやりとりが途絶えた。
メールを送っても返信は来ないし(仕事のことなら別の人から返答が来る)、顔を合わせても逃げるように無視して行ってしまう。
郵送物も普段なら「ご自愛くださいね」などの個人的なメッセージが書いてあるのだが、そんなものはない。
いつも送っているお歳暮も、まったく反応がなかった。(いつもならお礼のメールをすぐにくれる)
正直、戸惑った。
ここまで徹底して無視する必要があるんだろうか、と。
人生において、人から「無視される」という行為をほとんど受けたことがない私は、かなりショックを受けた。
年末はずっとうじうじしていて、夫に「またあのこと考えてるんやろ?」と何度もつっこまれた。
もう忘れよう・・・とも思った。
でも、私は「答え」が出るまで考え続けないと気がすまないのだ。
何回かメールを書こうかとも思った。
でもそれはしなかった。
一度は書いて、削除した。
昔の自分なら、絶対すぐに送ってるだろうな・・・と思い、ちょっと苦笑い。
多少は学習して、大人になったようだ。
人と人との問題かもしれないけれど、相手に解決法を求めるのは間違っている。
相手は「私と関わらない」ということを選択したのだから、それ以上でも以下でもない。
メールを送ってどうするつもりだったのかな・・・と自問した。
「仕事上、割り切ろうと思ってやってるだけで、あなたのことを個人的に嫌いになったわけじゃないんですよ。ごめんなさいね」なんて言葉でも貰えたら、満足できたのだろうか。
そうだ、きっとそうだ。
私は、自分が嫌われているわけじゃない、理由があってこんなふうになったんだ、あの優しかった方がそんなことするわけないと、そう思いたかっただけなんだろう・・・。
その結論が出たら、もうメールを送ろうという気持ちはなくなった。
それから、自分の心の分析を始めた。
なぜあんなにも落ち込んだのか。
ここまで来たら、答えはすぐに出た。
私は、その人のことが本当に好きで、一緒に仕事させてもらえることに感謝していて、出来る限りその人のためにいい仕事をしたかったんだなぁと。だから、もう一緒に仕事ができないことが淋しくて仕方がなかったんだなぁと。
相手は社交辞令で仲良くしてくれていただけだったのに、またいつもの勘違いで、仕事を超えて仲良くできると思い込んでいた。
そういえば・・・
過去にも二度、同じような感じのことがあった。
いつも一緒に飲みに行って、いろんなプレゼントもくれて、ダンナさんとも二人で私の家に遊びに来て・・・
仕事を超えた友達だと思っていたら、仕事でいざこざが起きたとき、
「あなたのことはライターとして必要だっただけで、友達だなんて思ったことない」と言われた。
これは、ほんまに衝撃だった。
ちょうど同じ時期に、10年間も仕事をしていたところもクビになり・・・
そこの女社長ともひどい終わり方だったなぁ
いつも自分が利用されていることに気づかないのだ。
あ、「利用される」というと、相手が一方的に悪いみたいな響きだけど、決してそうではない。
ビジネスという意味。
私は立場的に「使われる」「利用される」のが仕事のライターだから。
ビジネスで必要としてくれて、その関係を円滑にするために近づいてきてくれているのに、それを友情や何かと勘違いしてしまう私。
本当にバカなんだと思う
今回のその人とは、プライベートで会おうとか、そこまで親しくなろうとは思っていなかったし、友達という感覚でもなかった。
ただ、私はその人のことがとても好きで、ライターとしての私を拾ってくれたことに心から感謝していて・・・
もっともっと恩返ししたかったのだ。
いい仕事をして喜んでもらいたかったのだ。
「かおりちゃんみたいなライターをスカウトしたことが、私の自慢やねんから」とよく言ってくれた。
私はその言葉を聞くたびに、この人の顔に泥を塗るようなことは絶対にしてはいけない。いい仕事をして、「いいライター見つけてきたね」と周りから言われて喜んでもらえるようにしなければいけないと、そう思ってきた。
だから、すごく淋しかった。
年末年始、ずっと落ち込んで、ずっと悩んで・・・。
そして、この「淋しかった」という気持ちを、書きたかった。
ずっと書きたかった。
やっと書けた。
ブログを引っ越した理由の1つ。
いつになるかわからないけど、こことの仕事もいずれ終了するだろう。切られるかもしれないし、私が辞めるかもしれない。
終了するときに、お礼の手紙だけは書こうと思っている。
感謝してもしきれない人だから。
あーあ。
私も多少は成長したけど、もうひと息やな(笑)
メールを送らなかったのは、ほんま私にしては快挙やで!ようやった!
でも、もうちょっとビジネスライクということを覚えなくては。
だから人生を表す一文字は「情」だというのだ
あーでも、心の整理ができて、すっきりした。
またがんばるぞ~
ある取引先の窓口になってくれていた編集者。
とても気遣いのできる、優しく頼れる人だった。
仕事もよくでき、細やかな気遣いにいつも感謝していた。
これが私の悪いところなのだが、ビジネスライクということが苦手だ。
本音とタテマエも苦手。
すぐに情を持ち込んだ関係にしてしまう。
相手が社交辞令で「今度飲みに行きましょうね」なんて言ってくれていても、のんきに「わー、じゃあ、いつにしますか?」なんて言ってしまうようなタイプだ。
そうすると、相手は大慌て・・・。
さすがに慌て振りを見て、「あ、社交辞令だったんだ!」と気づくが、時すでに遅し
知り合って2年経つのに、いつまで経っても飲み会が実現しないという時点で、「この人は私とプライベートで付き合うつもりはないんだ」と気づくべきだったのに・・・。
飲み会の話ならまだいいのだが、仕事の案件でもそういうことがあって。
言葉では「お忙しいし、負担が増えるでしょう」と言ってくれたのだが、実際には別のライターさんに頼むことになっていたのだ。
私はバカなので、それがまったくわからず、「え?忙しくないですよー。いけますよ~!」とか言ってしまう。
ここは裏側の気持ちを察知して、「ありがとうございます。ではまた何かあったらお願いします」と引き下がればいいところなのだが。
だから、「気遣い」の上手な人って、素晴らしいとは思うけれど、私のようなストレートど真ん中の人間にとっては少々ややこしい。
お互いの腹の探りあいみたいなことは本当に苦手。(探れないし、探られていることにも気づけない)
多少、無神経なくらいにはっきりと「今回は仕事ありません」と言ってくれればいいし、飲みに行く気がないのなら社交辞令なんて言わなくていいのにな、と思ってしまう。
でも、そういうのがスマートにできて、うまく察して返せるのが「大人」ってことなのかな、とも思う。
まだまだ修行が足りませぬ・・・
で、結局この気遣い上手な方とは、疎遠になってしまった。
それは、私が上手に気遣いを返せなかったからではない。
ちゃんと別の理由があって。
社内で少し意見のくい違いなどがあり、それに納得できないので、自分はもう外注ライターさんとの窓口役をおろしてもらう、という内容のメールが届いたのは秋の終わり頃だった。
私に迷惑をかけるようなことはないのでご心配なく・・・と締めくくられていた。
確かに、仕事は変わらず、迷惑はうけなかった。
でも、本当にその日以来、ピタッとその方とのやりとりが途絶えた。
メールを送っても返信は来ないし(仕事のことなら別の人から返答が来る)、顔を合わせても逃げるように無視して行ってしまう。
郵送物も普段なら「ご自愛くださいね」などの個人的なメッセージが書いてあるのだが、そんなものはない。
いつも送っているお歳暮も、まったく反応がなかった。(いつもならお礼のメールをすぐにくれる)
正直、戸惑った。
ここまで徹底して無視する必要があるんだろうか、と。
人生において、人から「無視される」という行為をほとんど受けたことがない私は、かなりショックを受けた。
年末はずっとうじうじしていて、夫に「またあのこと考えてるんやろ?」と何度もつっこまれた。
もう忘れよう・・・とも思った。
でも、私は「答え」が出るまで考え続けないと気がすまないのだ。
何回かメールを書こうかとも思った。
でもそれはしなかった。
一度は書いて、削除した。
昔の自分なら、絶対すぐに送ってるだろうな・・・と思い、ちょっと苦笑い。
多少は学習して、大人になったようだ。
人と人との問題かもしれないけれど、相手に解決法を求めるのは間違っている。
相手は「私と関わらない」ということを選択したのだから、それ以上でも以下でもない。
メールを送ってどうするつもりだったのかな・・・と自問した。
「仕事上、割り切ろうと思ってやってるだけで、あなたのことを個人的に嫌いになったわけじゃないんですよ。ごめんなさいね」なんて言葉でも貰えたら、満足できたのだろうか。
そうだ、きっとそうだ。
私は、自分が嫌われているわけじゃない、理由があってこんなふうになったんだ、あの優しかった方がそんなことするわけないと、そう思いたかっただけなんだろう・・・。
その結論が出たら、もうメールを送ろうという気持ちはなくなった。
それから、自分の心の分析を始めた。
なぜあんなにも落ち込んだのか。
ここまで来たら、答えはすぐに出た。
私は、その人のことが本当に好きで、一緒に仕事させてもらえることに感謝していて、出来る限りその人のためにいい仕事をしたかったんだなぁと。だから、もう一緒に仕事ができないことが淋しくて仕方がなかったんだなぁと。
相手は社交辞令で仲良くしてくれていただけだったのに、またいつもの勘違いで、仕事を超えて仲良くできると思い込んでいた。
そういえば・・・
過去にも二度、同じような感じのことがあった。
いつも一緒に飲みに行って、いろんなプレゼントもくれて、ダンナさんとも二人で私の家に遊びに来て・・・
仕事を超えた友達だと思っていたら、仕事でいざこざが起きたとき、
「あなたのことはライターとして必要だっただけで、友達だなんて思ったことない」と言われた。
これは、ほんまに衝撃だった。
ちょうど同じ時期に、10年間も仕事をしていたところもクビになり・・・
そこの女社長ともひどい終わり方だったなぁ
いつも自分が利用されていることに気づかないのだ。
あ、「利用される」というと、相手が一方的に悪いみたいな響きだけど、決してそうではない。
ビジネスという意味。
私は立場的に「使われる」「利用される」のが仕事のライターだから。
ビジネスで必要としてくれて、その関係を円滑にするために近づいてきてくれているのに、それを友情や何かと勘違いしてしまう私。
本当にバカなんだと思う
今回のその人とは、プライベートで会おうとか、そこまで親しくなろうとは思っていなかったし、友達という感覚でもなかった。
ただ、私はその人のことがとても好きで、ライターとしての私を拾ってくれたことに心から感謝していて・・・
もっともっと恩返ししたかったのだ。
いい仕事をして喜んでもらいたかったのだ。
「かおりちゃんみたいなライターをスカウトしたことが、私の自慢やねんから」とよく言ってくれた。
私はその言葉を聞くたびに、この人の顔に泥を塗るようなことは絶対にしてはいけない。いい仕事をして、「いいライター見つけてきたね」と周りから言われて喜んでもらえるようにしなければいけないと、そう思ってきた。
だから、すごく淋しかった。
年末年始、ずっと落ち込んで、ずっと悩んで・・・。
そして、この「淋しかった」という気持ちを、書きたかった。
ずっと書きたかった。
やっと書けた。
ブログを引っ越した理由の1つ。
いつになるかわからないけど、こことの仕事もいずれ終了するだろう。切られるかもしれないし、私が辞めるかもしれない。
終了するときに、お礼の手紙だけは書こうと思っている。
感謝してもしきれない人だから。
あーあ。
私も多少は成長したけど、もうひと息やな(笑)
メールを送らなかったのは、ほんま私にしては快挙やで!ようやった!
でも、もうちょっとビジネスライクということを覚えなくては。
だから人生を表す一文字は「情」だというのだ
あーでも、心の整理ができて、すっきりした。
またがんばるぞ~
わたしもちょっと前までそうだった。
受け止める、というより
受け入れる、だね。
そういう熱いかおりさんだいすきだからね~(笑)
あ。わたし大丈夫だからね~
でも、なんともなくてほっとした。。。
安静にしてね。
床床。さんとは仕事で知り合ったけど、本当にお友達になれてよかったなって思ってます。
「受け入れる」って大事だね。
最近よくそう思います。
難しいんだけどね。
ただ、
社交辞令
スマート
大人
な人って、そうできるというよりは
それしかできないということじゃないかなぁ。
家ではストレスたまって家族には結構冷たかったり。
外面いい人って案外うちと外の顔が違うと思う。
地を出すと嫌われるって本能的にわかってるからそうなんじゃないかなって
生き方としてはどっちもラクじゃないと思うけど、自分がリラックスできるほうがいいよね。。。
それはどうなんやろなぁ・・・
私はその人とは仕事上の付き合いしかなかったから、家の中の顔までは想像つかないけど・・・
でも、すごく意識して気を遣っている感じはしていたから、疲れるだろうなとは思っていた。
私も仕事での外面はいいよー。
それこそ地を出すと嫌われるって思うから、すごくおとなしい人になる(笑)
自己主張激しくなくなる(笑)