朝目覚めると、両手首、両足首に枷をはめられているのではないかと思う。
触ってみて何もないことを確かめるが、ホッとするよりも不安になる。
体の中からの枷。
縛られるような痛みと重み。
そうだった、副作用ってこんな感じだったと、文字通り身をもって思い出させられた。
この数ヶ月、あるのかないのかわからないような副作用に安心しきっていた分、気持ちも体も重い。
抗がん剤は体内に蓄積する。
アレルギー反応が出たことからもわかるように、今回で私の体はクスリを受け付ける限界に達したのだろう。
細胞たちは本当によく頑張ってくれたけれど、もう限界だと悲鳴をあげたのがわかった。
少し活動しては横になり、また活動しては横になり。
久しぶりに家の階段を這って上がる。
手足が痺れ、足裏に感覚がなく、手の指先に鋭い痛みがピンと走る。
体中が内側から破壊されるようだ。
信じられないほどの倦怠感。
気が付くと心の中でマイナスの言葉をつぶやいている。
ハッとして取り消すが、またしばらくすると同じことを繰り返している。
「痛み」は人の心を折るのだと知る。
それでも、今日生かされている意味を考えると、一日横になって何もせずに過ごすことが罪のような気がして。
ぽつぽつと原稿を書き、休み休み料理をし、そうだ、この期間に自分の料理のレシピをまとめようと、ファイルを整理しレシピを1つ1つパソコンで打ち直し、印刷してまたファイリングするという作業を2日間かけて行った。
何かに夢中になっている間は、不思議なことに痛みが来ない。でも、一区切りで我に返ると、活動した分がどっと跳ね返るように痛みとなって襲ってくる。仕方なく、また横になる。
26日の誕生日に、たくさんの人からお祝いメッセージをもらった。
タイミング悪く、副作用が一番きつい日だった。
横になりながら返信する。ありがたくて、いろいろ書きたいのだけど、なんだかあまり力も出なくて。
マイナスのことを書かないようにするだけで精いっぱいだった。人は弱いね。
一昨日の朝、目覚めた時、ふと「無為自然」という言葉が思い浮かんだ。
なぜだろう。
こんな言葉、特に聞いたり印象に残ったりした覚えもないのに。
何の作為もない、ありのままの自分で生きたいと思ったら、この言葉が頭に浮かんだ。
これからの私の生き方。そうできればいい。
しんどくても「日にち薬だから」と言い聞かせ、昨日より今日、今日より明日、少しずつ良くなると信じ、投与から1週間。
昨日は80%くらい復活して、車で出かけることもできたし、花壇の植え替えもした。
花や土に触れていると、エネルギーが体にみなぎってくるのがわかる。ずっとずっとこうしていたいと思う。
そして、今日は90%近くよくなったように思う。
昨日からどこかが「しんどい」ということはないのだが、手足の痺れ(痛みと重みも含めて)だけはあまり変わらない。
こうしてキーボードを叩く両腕にも重りをつけられているようだ。
手足の痺れは長く引きずるというから、体全体の回復とは別にして考えないといけないようだ。
それでも、少しずつ良くなっていることがわかるから、気持ちはもう沈まない。
明日はきっと100%回復しているはず。
触ってみて何もないことを確かめるが、ホッとするよりも不安になる。
体の中からの枷。
縛られるような痛みと重み。
そうだった、副作用ってこんな感じだったと、文字通り身をもって思い出させられた。
この数ヶ月、あるのかないのかわからないような副作用に安心しきっていた分、気持ちも体も重い。
抗がん剤は体内に蓄積する。
アレルギー反応が出たことからもわかるように、今回で私の体はクスリを受け付ける限界に達したのだろう。
細胞たちは本当によく頑張ってくれたけれど、もう限界だと悲鳴をあげたのがわかった。
少し活動しては横になり、また活動しては横になり。
久しぶりに家の階段を這って上がる。
手足が痺れ、足裏に感覚がなく、手の指先に鋭い痛みがピンと走る。
体中が内側から破壊されるようだ。
信じられないほどの倦怠感。
気が付くと心の中でマイナスの言葉をつぶやいている。
ハッとして取り消すが、またしばらくすると同じことを繰り返している。
「痛み」は人の心を折るのだと知る。
それでも、今日生かされている意味を考えると、一日横になって何もせずに過ごすことが罪のような気がして。
ぽつぽつと原稿を書き、休み休み料理をし、そうだ、この期間に自分の料理のレシピをまとめようと、ファイルを整理しレシピを1つ1つパソコンで打ち直し、印刷してまたファイリングするという作業を2日間かけて行った。
何かに夢中になっている間は、不思議なことに痛みが来ない。でも、一区切りで我に返ると、活動した分がどっと跳ね返るように痛みとなって襲ってくる。仕方なく、また横になる。
26日の誕生日に、たくさんの人からお祝いメッセージをもらった。
タイミング悪く、副作用が一番きつい日だった。
横になりながら返信する。ありがたくて、いろいろ書きたいのだけど、なんだかあまり力も出なくて。
マイナスのことを書かないようにするだけで精いっぱいだった。人は弱いね。
一昨日の朝、目覚めた時、ふと「無為自然」という言葉が思い浮かんだ。
なぜだろう。
こんな言葉、特に聞いたり印象に残ったりした覚えもないのに。
何の作為もない、ありのままの自分で生きたいと思ったら、この言葉が頭に浮かんだ。
これからの私の生き方。そうできればいい。
しんどくても「日にち薬だから」と言い聞かせ、昨日より今日、今日より明日、少しずつ良くなると信じ、投与から1週間。
昨日は80%くらい復活して、車で出かけることもできたし、花壇の植え替えもした。
花や土に触れていると、エネルギーが体にみなぎってくるのがわかる。ずっとずっとこうしていたいと思う。
そして、今日は90%近くよくなったように思う。
昨日からどこかが「しんどい」ということはないのだが、手足の痺れ(痛みと重みも含めて)だけはあまり変わらない。
こうしてキーボードを叩く両腕にも重りをつけられているようだ。
手足の痺れは長く引きずるというから、体全体の回復とは別にして考えないといけないようだ。
それでも、少しずつ良くなっていることがわかるから、気持ちはもう沈まない。
明日はきっと100%回復しているはず。
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