岡山旅行の2日目を書くはずだったが、脱線。
今年の1月末くらいから、noteにアカウントを作って書き始めた。
昨年からコロナで少し暇になったこともあり、この間にもう少し「作品」らしいものを書いていきたいと、最初は自分のホームページに書いていたが、まったく人の目に届かないので、やる気を失っていた。
そんな時、人に勧められて、noteを始めた。
noteをポートフォリオ的に使っているライターも多いとのこと。使ってみると書きやすいし、いろんな人の書いているものも見られるので面白いなと思った。
と言っても、まだ3月頃まではそれなりに忙しく、月に2~3本ペース。
5月頃から暇になったので、ぼちぼち本腰入れて書いていこうかなと思っていたら、私のある記事が「今日の注目記事」というnote編集部が選ぶもの(何の基準かは謎)にピックアップされた。
これが爆発的にヒット(?)し、一気に1万以上のビューがついた。(ビューは見られているだけ)
同時に、「スキ(noteでの、いいね!)」をたくさんいただき、フォロワーもぐんと増えた。
この頃、100人くらいだったと思う。
不思議なもので、見てくれる人が増えると急に張り合いが出てきて、6月は20記事以上を投稿した。(かなり暇だった)
毎日がとても楽しかった。
このブログは、いわば私の備忘録的なもので、だいたい30分くらいでパーッと書く。
もちろん「作品」の意識はない。「日記」に近い。
感覚としては「吐き出す」感じで、「創り上げる」のとはまったく違う。
だから、友達など親しい人や通りすがりのネット住民に見られるのはいいが、仕事の関係者などには絶対に見られたくない。
検索にも引っかからないように固有名詞を避け(もちろんハッシュタグも入れず)、出会った人にこの存在を話すこともない。
一方、noteは毎回「作品」として「創り上げる」ことを意識した。
ここのようにダラダラ書くのではなく、人が読みやすい1200~2500文字くらいを基本に、ちゃんと「エッセイ」として成立するようなものを書いていった。
便宜上、ハンドルネームは使っているものの、プロフィールには自分のホームページをリンクさせているし、素性も明らかにしているので、プロのライターが書いているとわかるからだ。変なものは出せない。
毎日何を書こうかなと考えて、1時間とか、時には2時間くらいかけて書く。
このブログのように思考の速さで書くのではなく、ちゃんと練って書き、時間をかけて推敲する。
「作品」として出せると思えたらアップする。
仕事と同じような感覚で書いていった。
でも、仕事と違うのは、「書きたいものを書ける」ということ。テーマは自由だ。
ネタはいくらでもあった。
そうやって書いていく中でまた3本くらい「今日の注目記事」に選ばれたものだから、フォロワーが300人くらいになった。
私もできるだけフォローバックしていたが、その頃からだんだん追いつかなくなってきた。
7月以降は月に10~15記事くらいに減ったが、フォロワーはどんどん増えていった。
そうなると、今度はフォロワーさんたちのやりとりが楽しくなる。
これ、何かに似てるなぁと思ったら、私が20代後半から30代前半くらいにやっていた自分のホームページへの訪問者との関係に似ているのだった。
偉そうだが、私の「ファン」のような人が増えてきて、毎回楽しみに読んでくれ、コメントを残してくれる。
私もその人の書くものを読みに行ってコメントを残す。
だんだん「親しい人」のような感覚になっていく。
この感覚が懐かしかった。そして楽しかった。
フォロワーが1000人を超えたら、周りの友達にも「noteやってるねん」と言おうかなと思っていた。(現在800ちょっと)
そうしたら、先日、noteで行われているエッセイコンテストで私の作品がグランプリを受賞するという、びっくりな出来事があった。
3,649件の応募作品の中のグランプリ。つまり、一等賞だ。
ちゃんとしたクリエイターの審査員(たとえば、犬山紙子さんとか)がつき、企業がスポンサーになっているので、賞金も10万円もらった。
さすがにこれは友達にも報告したいと思い、noteやってるねんけど、という説明から始めてグランプリ受賞を伝えた。
受賞は本当に嬉しかった。
仕事ではない、自分が創り上げた文章が初めて公で認められたのだから。
作家になりたかった私としたら、小説ではないものの、かなり近い感覚の喜びだった。
「書く」ということに関しては、人生で1、2を争うほど嬉しかったんじゃないだろうか。
受賞を知った時は、文字通り、跳び上がった。人ってあんな跳ぶんだ、と思ったほど、ぴょんぴょんと。
知らせると、友達は「友達」だから、当然喜んでくれた。
受賞作品を読んで「よかったよ」とか、審査員の評価を読んで「大絶賛やったね」とか、私と同じように喜んでくれた。
そのことはもちろん嬉しかったが、びっくりしたのはnoteで知り合ったnoteの住人の方たちが、友達と同じように喜んでくれて、愛情のこもったコメントを残していってくれたことだ。
自分のことのように、「おめでとう」「よかったね」「嬉しい」と。
「かおりさんの文章が好き」「これからも楽しみにしています」とコメントしてくれる人もいて、受賞よりもそのコメントに涙してしまった。
「note始めてよかったな」と夫がよく言う。
私が目に見えてイキイキし始めたからだ。仕事以外でパソコンに向かっている時間が増えたからだ。
本当によかったなぁと思う。
小さな小さな賞ではあるけれど、50歳にしてようやく受賞した。
やっと「書く自分」を認めてもらえた気がする。
仕事では「書いたモノ」を認めてもらってきたけれど、今回は自分発信の文章だから、認められたのは「書く自分」のように思えた。
それは似ているようで、大きく異なること。
20代の頃からずっと書きたかったし、書くことで認められたかった。
やっと今、心の底から「書いてきてよかった」「あきらめなくてよかった」と思えるし、「これからも書いていっていいんだ」と思える。
おごることなく、虚勢を張ることもなく、謙虚に、地道にコツコツと、でも前向きに、書き続けていこうと、改めて決意した。
※このブログはこれまで同様に日記的なものとして続けていきますが、興味がある方はnoteもたまに覗いてみてください。
こちらから
※受賞のお知らせはこちら
※受賞作品はこちら
今年の1月末くらいから、noteにアカウントを作って書き始めた。
昨年からコロナで少し暇になったこともあり、この間にもう少し「作品」らしいものを書いていきたいと、最初は自分のホームページに書いていたが、まったく人の目に届かないので、やる気を失っていた。
そんな時、人に勧められて、noteを始めた。
noteをポートフォリオ的に使っているライターも多いとのこと。使ってみると書きやすいし、いろんな人の書いているものも見られるので面白いなと思った。
と言っても、まだ3月頃まではそれなりに忙しく、月に2~3本ペース。
5月頃から暇になったので、ぼちぼち本腰入れて書いていこうかなと思っていたら、私のある記事が「今日の注目記事」というnote編集部が選ぶもの(何の基準かは謎)にピックアップされた。
これが爆発的にヒット(?)し、一気に1万以上のビューがついた。(ビューは見られているだけ)
同時に、「スキ(noteでの、いいね!)」をたくさんいただき、フォロワーもぐんと増えた。
この頃、100人くらいだったと思う。
不思議なもので、見てくれる人が増えると急に張り合いが出てきて、6月は20記事以上を投稿した。(かなり暇だった)
毎日がとても楽しかった。
このブログは、いわば私の備忘録的なもので、だいたい30分くらいでパーッと書く。
もちろん「作品」の意識はない。「日記」に近い。
感覚としては「吐き出す」感じで、「創り上げる」のとはまったく違う。
だから、友達など親しい人や通りすがりのネット住民に見られるのはいいが、仕事の関係者などには絶対に見られたくない。
検索にも引っかからないように固有名詞を避け(もちろんハッシュタグも入れず)、出会った人にこの存在を話すこともない。
一方、noteは毎回「作品」として「創り上げる」ことを意識した。
ここのようにダラダラ書くのではなく、人が読みやすい1200~2500文字くらいを基本に、ちゃんと「エッセイ」として成立するようなものを書いていった。
便宜上、ハンドルネームは使っているものの、プロフィールには自分のホームページをリンクさせているし、素性も明らかにしているので、プロのライターが書いているとわかるからだ。変なものは出せない。
毎日何を書こうかなと考えて、1時間とか、時には2時間くらいかけて書く。
このブログのように思考の速さで書くのではなく、ちゃんと練って書き、時間をかけて推敲する。
「作品」として出せると思えたらアップする。
仕事と同じような感覚で書いていった。
でも、仕事と違うのは、「書きたいものを書ける」ということ。テーマは自由だ。
ネタはいくらでもあった。
そうやって書いていく中でまた3本くらい「今日の注目記事」に選ばれたものだから、フォロワーが300人くらいになった。
私もできるだけフォローバックしていたが、その頃からだんだん追いつかなくなってきた。
7月以降は月に10~15記事くらいに減ったが、フォロワーはどんどん増えていった。
そうなると、今度はフォロワーさんたちのやりとりが楽しくなる。
これ、何かに似てるなぁと思ったら、私が20代後半から30代前半くらいにやっていた自分のホームページへの訪問者との関係に似ているのだった。
偉そうだが、私の「ファン」のような人が増えてきて、毎回楽しみに読んでくれ、コメントを残してくれる。
私もその人の書くものを読みに行ってコメントを残す。
だんだん「親しい人」のような感覚になっていく。
この感覚が懐かしかった。そして楽しかった。
フォロワーが1000人を超えたら、周りの友達にも「noteやってるねん」と言おうかなと思っていた。(現在800ちょっと)
そうしたら、先日、noteで行われているエッセイコンテストで私の作品がグランプリを受賞するという、びっくりな出来事があった。
3,649件の応募作品の中のグランプリ。つまり、一等賞だ。
ちゃんとしたクリエイターの審査員(たとえば、犬山紙子さんとか)がつき、企業がスポンサーになっているので、賞金も10万円もらった。
さすがにこれは友達にも報告したいと思い、noteやってるねんけど、という説明から始めてグランプリ受賞を伝えた。
受賞は本当に嬉しかった。
仕事ではない、自分が創り上げた文章が初めて公で認められたのだから。
作家になりたかった私としたら、小説ではないものの、かなり近い感覚の喜びだった。
「書く」ということに関しては、人生で1、2を争うほど嬉しかったんじゃないだろうか。
受賞を知った時は、文字通り、跳び上がった。人ってあんな跳ぶんだ、と思ったほど、ぴょんぴょんと。
知らせると、友達は「友達」だから、当然喜んでくれた。
受賞作品を読んで「よかったよ」とか、審査員の評価を読んで「大絶賛やったね」とか、私と同じように喜んでくれた。
そのことはもちろん嬉しかったが、びっくりしたのはnoteで知り合ったnoteの住人の方たちが、友達と同じように喜んでくれて、愛情のこもったコメントを残していってくれたことだ。
自分のことのように、「おめでとう」「よかったね」「嬉しい」と。
「かおりさんの文章が好き」「これからも楽しみにしています」とコメントしてくれる人もいて、受賞よりもそのコメントに涙してしまった。
「note始めてよかったな」と夫がよく言う。
私が目に見えてイキイキし始めたからだ。仕事以外でパソコンに向かっている時間が増えたからだ。
本当によかったなぁと思う。
小さな小さな賞ではあるけれど、50歳にしてようやく受賞した。
やっと「書く自分」を認めてもらえた気がする。
仕事では「書いたモノ」を認めてもらってきたけれど、今回は自分発信の文章だから、認められたのは「書く自分」のように思えた。
それは似ているようで、大きく異なること。
20代の頃からずっと書きたかったし、書くことで認められたかった。
やっと今、心の底から「書いてきてよかった」「あきらめなくてよかった」と思えるし、「これからも書いていっていいんだ」と思える。
おごることなく、虚勢を張ることもなく、謙虚に、地道にコツコツと、でも前向きに、書き続けていこうと、改めて決意した。
※このブログはこれまで同様に日記的なものとして続けていきますが、興味がある方はnoteもたまに覗いてみてください。
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