月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

静謐な暮らしの中で

2016-01-19 | 生活
今日はMRIだった。
結果はあまり良くはなく・・・

でも、自分の体が今どうなっているのかはっきりして、次にどうすればいいのかもわかったので、良しとしよう。
2月中にはなんとか片が付くと思う。

今回のことでわかったことが1つ。
病気っていうのは、体が痛い、しんどいという以前に、ものすごい精神的なストレスなんだな、ということ。
今年に入ってからというもの、生活はゆったりしているが、ふと気づくといつも「最悪」のことを考えてブルーな気持ちになっている。
このよくわからない「闇」のような、「悪魔の手」のようなものに捕らわれてしまうと、それだけでどんどん気持ちが落ち込んでしまうのだ。
自分の体に対する「不安」というのは、このことか、と44歳にして初めて知った。

私は自分も家族も健康な家に生まれたので、「病気の人」の気持ちが全く理解できていなかった。
それはよく夫に指摘された。
人が病気でしんどいということがわからないので、病気の人に対してやさしい気持ちで接することができない。
「かおりにはわからんわ」と夫によく怒られた。

今回、少しわかった気がする。
そうか、人は「不安」なんだなぁと。
そう気づいたら、以前、周囲のある人が手術をすることになったとき、とても不安がって落ち込んでいたことを思い出した。
あの時、自分は何かやさしい言葉を言ってあげられただろうか?
思い返してみたが、何を言ったのかまでは思い出すことができなかった。
でも、今の今までこの「不安」を理解していなかったということは、あの時、たいしたことは言ってあげられなかったんだろうなと思う。
今日、それを思い返して、申し訳なく思った。

まだまだ学ぶ44歳。

「不安」を想像ではなく実感として理解できただけでもよかったと思うことにしよう。
これで少しだけ人にやさしくなれる。

病院の待合室で、横にあった雑誌を何気なく手に取った。
普段、占いなんて見ないのに。

2016年はのんびりしたほうがよい、ずっと忙しくしてきたけれど、忙しさに生きがいなどない、と書かれてあった。
それから、こんな内容の言葉も。

「あなたが何のために生を受けたのかを探ってみるときです。
 宝物は静謐の中で発見できるものです。
 時にはお茶を点てたり、
 筆を執ったりして、静かに過ごしましょう」

占いというのは、私は当たる・はずれるではなく、「その時の自分に必要な言葉」だと思っている。
あまりにも今の自分にふさわしい言葉のように感じて、ちょっと笑ってしまった。

そういえば、もう何年もお茶を点てていないなぁ・・・
道具はまだ持っているので、お抹茶買ってきて、久しぶりに点ててみようか。

筆を執ったり・・・
占いの神様には、物書きってバレてたんかな。笑

忙しい毎日の中では、自分を見つめなおすことも宝物を発見することもできない。
静かに、ゆったりと過ごすことで、きっと見えてくるんだろう。
自分の書きたいものを少しでもたくさん書いていけたらいいな。

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