月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

どこまでも歩き続けられる

2019-09-13 | 癌について
昨日は久しぶりに家から出た。
駅まで歩けるのか不安だったが、出てみるとなんということもない。どんどん歩けた。
前夜までぐったりと布団に横たわっていたのが嘘のようだ。力がみなぎるのを感じて嬉しかった。

梅田まで出て、行きつけの美容院へ。
3年前の副作用で脱毛する前もこの美容師さんに切ってもらっていたので、話はスムーズだった。
「できるだけ短く、ショートカットにしてほしい」とお願いした。

私はこの美容師さんが大好きなのだが、第二子出産のため(保育所が見つからない)9月で退職すると聞いていたので、「これが最後になるのか・・・。再び毛が生えてきた時に揃えてもらうことはできないんだ・・・」とがっくりしていた。
それが、「実は、引っ越し先が決まって、その近所に保育所があったので産休をとって続けることにしました!」と嬉しい報告。
来年の夏頃には職場復帰されるそうな。
私もうまくいけば、来年の7月頃にはなんとか地毛で外に出られるはず。
「その時は必ずお願いします」「待ってますよ!」と、固い約束を交わした。

久しぶりのショートカット。
でも、もってあと10日ほどだろう。
仕方ないので、良いことを考える。

・白髪染めをしなくていい
・シャンプーも乾かすのも楽
・美容院代、シャンプー代が浮く
・ウィッグでいろんな髪型ができる

そう考えれば、悪いことばかりではない。以前使っていたのが2種類あるが、せっかくなのでもう1種類作ってもいいかなとも思っている。
「ハゲを隠している人」ではなく、「いろんなウィッグでおしゃれを楽しんでいる人」になればいいのだ。

実は、髪の毛よりも私はまつ毛が抜けるほうが嫌だ。
ツケマは難しい!!
前も本当に苦労したのだ。
そのうえ、今回は手先が痺れて感覚がないので、そんな細かい作業ができるのか心配で仕方がない。
まあ、がんばろ。

美容院の後、少し休んでから帰ろうと、よく行くカフェに寄った。
サーモンとエビと野菜をライ麦パンで挟んだ小さなサンドイッチとコーヒーで、遅めのランチ。
こんな普通のことも新鮮に感じた。

帰りに思いついて、実家の最寄り駅で降り、両親に会いに行った。
副作用を心配していたので、元気な顔を見せて安心させようと思ったのだ。ショートカットも見せたかった。
たった1週間寝込んでいただけで2キロ以上痩せたので、逆に「そんなに痩せて・・・」と心配されるかなとも思ったが、そんな心配は無用だった。

母「ちょっと痩せてちょうどよくなったんじゃない?」
父「そんな首長かったか? 髪切ったからか?」

う、うん・・・。

とはいえ、二人ともホッとして嬉しそうだった。
私も、元気な顔を見せられてよかったなぁと思った。

それからスーパーで買い物を済ませて帰宅。
近所の「心臓破りの坂」も楽々登れたし、いくらでも歩き続けられるような気分だった。

不思議だなぁと思う。
痛みに耐えて寝ていた時は、マイナスのことしか考えられなかった。悪いイメージしかなかった。
気分転換にとお笑い番組などを見ても笑えないし、本を読んでも何をしても、感情がすべて「痛い」「辛い」「逃げたい」に支配されていた。
それが、体が動くようになったとたん、入院前と同じく「治る」ことしか考えられない。「治る」を超えて「治った」気分にしかならないのだ。
それと同時に感情や感性も戻ってきて、いろいろなことに心が動く。笑ったり、感動して泣いたり。
そして、当たり前のことが嬉しくて仕方がない。
昨日は「歩く」ということが、楽しくて嬉しくて。いつまでもいつまでも歩いていたかった。

そんな感じで帰ってきて万歩計(スマホのアプリ)を見たら、なんと9000歩超!!

家を出る時、「駅まで歩けるか不安」と言っていたのは何だったのか・・・。
っていうか、人ってこんなに急激に回復するもの?!
前夜までよろよろと歩き、這って階段を上り、ぐったりと口もきけなくなっていた人が、翌日には9000歩。
さすがに張り切りすぎて、この後、どっと疲れが出るんじゃないかと思ったがそれもなく・・・
帰宅してから、パプリカのおかかきんぴらと、焼きナスを作って、冷ややっこを添えて3品しっかり食べた。

歩いている時、大げさかもしれないが、自分の中の40兆だか60兆だかの、とてつもない数の細胞たちがみんなで喜んでいる感じがした。
私たちみんな元気だから!生きたいから!と、訴えているような気がした。
やっぱり治るしかない。
死にに行く人間の細胞は、こんなふうに生きる喜びを表現してくれないだろう。
勇ましく、ひたむきだった。

優しい秋の風を感じながら、どこまでも歩き続けられる気がした日。

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