月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

オープンマインド

2015-03-19 | 想い
波長の合う人、というのが世の中にいる。
それは、その人を好き・嫌い、性格の一致・不一致、趣味や嗜好が似ている・似ていない、育った環境、年齢、性別、学歴、仕事、経済力、さまざまな能力・・・何一つ関係がない。

ただ「波長」という言葉でしか表せない「何か」があって、それが「合う」ということ。

昨年後半一緒に仕事をしていたディレクター兼デザイナーの女性Nさんがまさにそれで。
何の共通点もないけれど、しゃべっているとラクだし、昔からの知り合いのように話が弾む。
不思議だなぁ。

その仕事の打ち上げがあって、久しぶりに会った。初めて一緒に飲んだ。
ずっと横にいて、二次会のバーではほとんど二人でしゃべっていたけれど、異常に楽しかった。
彼女もそう思ってくれたようで、「かおりさんのトークが楽しすぎて、久しぶりにお腹抱えて笑いました」と帰ってからメールをくれた。

あー、なんか、波長が合うんだなぁと思う。
不思議なくらい、自分が自分でいられるのだ。

他のデザイナーさんたちのことも私は本当に大好きで、尊敬しまくっているのだけど、たまに食事を一緒にしていてもどこか緊張しているというか、気取ってしまうというか、「自分」を出すタイミングみたいなのがわからない。
意識的にそうしているわけではないが、私らしくないなと思う。
その人たちと波長が合わないわけではない。たぶんそれが「普通」で、Nさんみたいに「合う!」と思う人と出会えるほうが珍しいのだ。

そういう意味では、最近仕事で出会う人は、Nさんを除けば女性より男性のほうが断然一緒にいてラクだ。
それは私がかなりオッサン化しているということか?

この間、友人と「オープンマインド」の話をしたことを思い出す。
その友人は人に対して心をなかなか開かないし、すぐに穿った見方をするというか、簡単には人を信用しないようなところがある。
信用云々よりも、まず親しく接する必要性みたいなものを感じず、面倒な気持ちのほうが勝ってしまうようだった。

私は基本的にオープンマインドだ。
バカなのか?と思うほど、すぐに人を信用して、すぐに全部手の内を見せて、面倒がらずにどんどん相手に踏み込んでしまう。
結果、よく騙されるし、裏切られる。
いや、そんな大げさな話じゃなくても、自分が思うほど相手は自分を必要としていなくて、勝手に傷ついたり。
そして本当にバカかと思うのは、何度も同じことを繰り返すことだ。
普通は傷ついたら学習して、傷つかないように人と距離をとろうとするのだが、傷が癒えるとすっかりその痛みを忘れてまた同じことを繰り返す。

信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つくほうがいい。
なんて、そんな金八先生の主題歌みたいなことは思っていないけれど、結果的にそうなっているようだ。

日本酒雑誌のメンバーと食事をしているときや、取材の移動の車の中で、私はひたすらしゃべっている。
自分の話というよりは、人にずっと質問を続けている。
皆のことが好きだから、もっといろんなことを知りたくて。
30年も40年も生きてきたのだから、その人生をざっくりとでも知ろうと思えば、いくら時間があっても足りない。
私の性格+職業病なのかもしれないが、延々質問攻撃だ。

その中で、ふとした拍子に、相手の本心みたいなものに触れられることがあって。
そうすると、その人のことをすごくよくわかったような気持ちになってとてもうれしくなる。
この長い歴史の中で、この広い世界の中で、同じ時代に生き、出会い、一緒に仕事をするという、とんでもない奇跡なのだから、絶対無駄にしたくないのだ。
相手をよく知りたい。知って好きになりたいという気持ちが働いてしまう。

そんな私をメンバーは「変わってるよな」という。
一番無口なカメラマンさんと東京から京都まで新幹線の自由席に一緒に座り、2時間半しゃべりながら帰ってきたという話は、メンバーにとってちょっとした驚きだったようだ。
私はその時間で、カメラマンさんが映画好きであることを知り、彼の好きな映画ベスト10を聞き出すことに成功した。
40年以上の彼の歴史は知らないけれど、好きなものを聞くと、少しだけ親密になれた気がしてうれしかった。

メンバーは皆、「Mさん(カメラマン)、かわいそうに・・・」と私につかまったことを同情していたが、先日の取材の際、Mさんのほうから私に「飲みに行きますか?」と誘いがあり、また周囲が驚いた。
結果的に、私はMさんと二人で3軒もハシゴした。
新幹線の一件で、Mさんは完全に私にオープンマインド。
意外に波長も合うようだ。

E本さんはそんな私を見ていて「面倒じゃないの?」と聞く。
「何が?」
「いや、人と関わるのが」
「だって、私、とにかく人のことを知りたいんやもん」

そう言うと、奇妙な動物でも見るような目で私を見て、苦笑。
そして、冷たく「変態」と言い放った。(せめて「変人」にしてほしいものだ)

この間、友人と話していて思ったけれど、私が「人を知りたい」と思うのは「自分を人に知ってほしい」と思う気持ちの裏返しなのかもしれない。
「つながり」を強く持ちたいんだなぁと思う。
人と固くつながろうと思えば、まずは自分から丸腰になって、両手を上げて、
「ワタシハ、キケンナジンブツ、デハアリマセン。アナタノ、ミカタデス。ダイジョウブ」
と、いかに自分が安全で平和主義で友好的であるかということを、身をもって示していくしかないのだと思っているのだろう。

とはいえ、先に書いたように「波長」というのはあるもので。
自分が上手に丸腰になれない相手というのもいるのだ。
ただ人の良い笑顔を浮かべておとなしくしているだけで、「変態」とも言われない代わりに、踏み込んで親しくもなれない。
そういう場合ももちろんある。

だけど、そういうことも全部ひっくるめても、やっぱり人との関係は面白い。



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