週末は庭掃除をしたり、クリーニングに行ったり。
あとはAmazonプライムやネットフリックスを使って数年前のドラマ(話題になったけど見逃した)を見たり、本を読んだり、少し文章を書いたり。
のんびり暮らしているなぁと思う。
仕事もあまりなく、たまっている原稿を書くだけ。
自粛期間なので、夫と外食もしないし、友達と会うこともない。
街へ出かけることも、もちろん旅行もしない。
刺激がなさすぎて、ボケそうだ。
そういえば、ゴールデンウィークに読むと言っていたこの本、実際読んだのだが、想像をはるかに超える素晴らしい本だった。
こんなふうに文章から著者の「熱」みたいなものが伝わってくる本を読んだことがない。
ふと、これが「ライター向けの教科書」だということを忘れてしまうほど、言葉のリズムが心地よくて、まるで好きな音楽でも聴いているかのようだった。
好きな作家の小説みたいに、内容を追う以前に、その言葉にずっと触れていたかった。
そもそもライターとは、からっぽの存在である。
だからこそライターは、取材する。
からっぽの自分を満たすべく、取材する。
自分と同じ場所に立つ読者に代わって、取材する。
ライターとは「取材者」である。
そして取材者にとっての原稿とは、「返事」である。
取材者であるわれわれは、「返事としてのコンテンツ」をつくっている。
ガイダンスの中で一番心に響いた箇所だ。
それからもう1箇所、好きだったのは「推敲」の章。
文章を書くのは、孤独な作業だ。それは、まるで深い海に潜るようなものだ。
でも、その漆黒の深い海の中で、「限界のもう1メートル先」まで潜らせてくれる命綱がある。
その命綱を、古賀氏は「自信」だという。
自分なら大丈夫、自分ならもっと先まで行ける、深淵のなにかに触れられる、という根拠なき自信だけが「限界のもう1メートル先」まで潜らせてくれるのだ。
この感覚が、人生で何度も味わってきたこの感覚が、こんなふうに的確な言葉になって伝わってくると、本当にもう感動でしかなかった。
そして、文章を「書き上げる」とはどういう状態なのか。
その答えを古賀氏はこう表現した。
原稿から「わたし」の跡が消えたときだ。
原稿を構成するすべてが「最初からこのかたちで存在していたとしか思えない文章」になったときだ。
そうか、そういうことなのかと思った。
私も、時間や労力は一切無視して、恐ろしいほどの時間をかけて推敲する。
何時間もかけて書いた部分を、がっつり削除して、一から書き直すこともある。
でも、どんなに苦労しても、泣きながら削っても、「最初からこのかたちで存在していたとしか思えない文章」になったときの喜びと充実感は言いようのないほど大きい。
あの感覚を味わいたくて、ライターをやっているのかもしれないと思うほどだ。
それから、面白かったというか、古賀氏と同じ感覚なのかなと思って嬉しかったことがある。
私は昔から「文章を書くのが速い人」のことを説明する時、藤子不二雄の「まんが道」の中にある手塚治虫が驚異的なスピードで描けるのはなぜか、ということを引用して話すことが多かった。
それは圧倒的な「自信」の差なんだと、「まんが道」の中で描かれている。
迷っていると線がまっすぐに引けない。自信があると、まっすぐに線が引ける。だから速いのだ、と。
文章を書くこともそれと同じで、取材内容や自分の書きたいと思うことに自信を持っていればおのずとスピードが上がる。
取材内容が乏しく、構成がうまくいかず、これでいいんだろうかと迷っていれば筆は進まない。
この話、夫や他の人にもしたことがあったし、確かブログにも過去に書いたことがあると思う。
なんと、その全く同じ漫画のページが、古賀氏のこの本の中にも紹介されていたのだ!!
見た瞬間、ああーー!っと嬉しさで声が出た。
「共感」が好きな私。
自分と同じ感覚を見て、とにかくうれしく、興奮してしまった。
この本を読んでから、私は古賀氏に夢中で、まるで恋でもしているみたい。
何度も何度も、好きな箇所を読みたくて、この本を開いてしまう。
「熱」がぐんぐんと私の中に迫る。それが心地よすぎる。
今日はこの本についての古賀氏のインタビュー記事も見つけた。
https://diamond.jp/articles/-/270553
https://diamond.jp/articles/-/270609
https://diamond.jp/articles/-/270620
https://diamond.jp/articles/-/270629
実は、古賀氏はこの「教科書」を使って、ライターの学校を開校するという。
https://college.batons.jp/
行きたくてたまらないし、応募条件に年齢制限はない。
だけど、「できれば若いライターを育てたい」という意味のことが書かれてあったし、こんな50歳のおばちゃんライターが今更行ってもなぁ・・・と思い、断念。
あと20歳若かったら、絶対応募していたんだけど・・・。
ただ、できることなら古賀氏に感謝の気持ちを伝えたい。
こんな素晴らしい本を作ってくださって、ありがとうございました、と。
取材して、書いて、推敲する。
このライターという仕事に、改めて誇りを持つことができたから。
帯に「この一冊だけでいい。」とあるが、私のライターの教科書は、本当にこれだけでいい。
あとはAmazonプライムやネットフリックスを使って数年前のドラマ(話題になったけど見逃した)を見たり、本を読んだり、少し文章を書いたり。
のんびり暮らしているなぁと思う。
仕事もあまりなく、たまっている原稿を書くだけ。
自粛期間なので、夫と外食もしないし、友達と会うこともない。
街へ出かけることも、もちろん旅行もしない。
刺激がなさすぎて、ボケそうだ。
そういえば、ゴールデンウィークに読むと言っていたこの本、実際読んだのだが、想像をはるかに超える素晴らしい本だった。
こんなふうに文章から著者の「熱」みたいなものが伝わってくる本を読んだことがない。
ふと、これが「ライター向けの教科書」だということを忘れてしまうほど、言葉のリズムが心地よくて、まるで好きな音楽でも聴いているかのようだった。
好きな作家の小説みたいに、内容を追う以前に、その言葉にずっと触れていたかった。
そもそもライターとは、からっぽの存在である。
だからこそライターは、取材する。
からっぽの自分を満たすべく、取材する。
自分と同じ場所に立つ読者に代わって、取材する。
ライターとは「取材者」である。
そして取材者にとっての原稿とは、「返事」である。
取材者であるわれわれは、「返事としてのコンテンツ」をつくっている。
ガイダンスの中で一番心に響いた箇所だ。
それからもう1箇所、好きだったのは「推敲」の章。
文章を書くのは、孤独な作業だ。それは、まるで深い海に潜るようなものだ。
でも、その漆黒の深い海の中で、「限界のもう1メートル先」まで潜らせてくれる命綱がある。
その命綱を、古賀氏は「自信」だという。
自分なら大丈夫、自分ならもっと先まで行ける、深淵のなにかに触れられる、という根拠なき自信だけが「限界のもう1メートル先」まで潜らせてくれるのだ。
この感覚が、人生で何度も味わってきたこの感覚が、こんなふうに的確な言葉になって伝わってくると、本当にもう感動でしかなかった。
そして、文章を「書き上げる」とはどういう状態なのか。
その答えを古賀氏はこう表現した。
原稿から「わたし」の跡が消えたときだ。
原稿を構成するすべてが「最初からこのかたちで存在していたとしか思えない文章」になったときだ。
そうか、そういうことなのかと思った。
私も、時間や労力は一切無視して、恐ろしいほどの時間をかけて推敲する。
何時間もかけて書いた部分を、がっつり削除して、一から書き直すこともある。
でも、どんなに苦労しても、泣きながら削っても、「最初からこのかたちで存在していたとしか思えない文章」になったときの喜びと充実感は言いようのないほど大きい。
あの感覚を味わいたくて、ライターをやっているのかもしれないと思うほどだ。
それから、面白かったというか、古賀氏と同じ感覚なのかなと思って嬉しかったことがある。
私は昔から「文章を書くのが速い人」のことを説明する時、藤子不二雄の「まんが道」の中にある手塚治虫が驚異的なスピードで描けるのはなぜか、ということを引用して話すことが多かった。
それは圧倒的な「自信」の差なんだと、「まんが道」の中で描かれている。
迷っていると線がまっすぐに引けない。自信があると、まっすぐに線が引ける。だから速いのだ、と。
文章を書くこともそれと同じで、取材内容や自分の書きたいと思うことに自信を持っていればおのずとスピードが上がる。
取材内容が乏しく、構成がうまくいかず、これでいいんだろうかと迷っていれば筆は進まない。
この話、夫や他の人にもしたことがあったし、確かブログにも過去に書いたことがあると思う。
なんと、その全く同じ漫画のページが、古賀氏のこの本の中にも紹介されていたのだ!!
見た瞬間、ああーー!っと嬉しさで声が出た。
「共感」が好きな私。
自分と同じ感覚を見て、とにかくうれしく、興奮してしまった。
この本を読んでから、私は古賀氏に夢中で、まるで恋でもしているみたい。
何度も何度も、好きな箇所を読みたくて、この本を開いてしまう。
「熱」がぐんぐんと私の中に迫る。それが心地よすぎる。
今日はこの本についての古賀氏のインタビュー記事も見つけた。
https://diamond.jp/articles/-/270553
https://diamond.jp/articles/-/270609
https://diamond.jp/articles/-/270620
https://diamond.jp/articles/-/270629
実は、古賀氏はこの「教科書」を使って、ライターの学校を開校するという。
https://college.batons.jp/
行きたくてたまらないし、応募条件に年齢制限はない。
だけど、「できれば若いライターを育てたい」という意味のことが書かれてあったし、こんな50歳のおばちゃんライターが今更行ってもなぁ・・・と思い、断念。
あと20歳若かったら、絶対応募していたんだけど・・・。
ただ、できることなら古賀氏に感謝の気持ちを伝えたい。
こんな素晴らしい本を作ってくださって、ありがとうございました、と。
取材して、書いて、推敲する。
このライターという仕事に、改めて誇りを持つことができたから。
帯に「この一冊だけでいい。」とあるが、私のライターの教科書は、本当にこれだけでいい。
「年齢制限」という言葉を使っていないだけで、実際には「学生の方、未経験でも構いません」「できれば新しい世代の方に来てほしい」って。
学校の目的が、「若いライターを育てる」ということだし、たった30名しか入れないから、もし私か若い人か、というのであれば、若い人にチャンスをあげるべきだとも思う。