月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

奇跡の積み重ね

2019-02-21 | 想い
癌宣告を受けたのは、今から3年前だった。ちょうどこのくらいの時期だ。
嫌な予感をどうしても拭うことができないまま、検査入院をして、一人で宣告を受けた。
今でも思い出すのは、私は自分が大きな病気になったことはとてもショックだったし不安だったけれど、その宣告を受けたのが「一人」だったということに対しては何も思っていなかったのに、後で両親に結果を報告に行くと、母が「かわいそうに・・・そんなことを一人で聞いて・・・」と言ったことだった。
それを聞いてもピンとはこなかった。一人でも二人でも、結果は同じなのだから、と思った。
もちろんいつも夫は「ついていく」と言ってくれていたけれど、私が断っていた。大人なのに「ついていく」という意味がわからなかった。

母の言葉を聞いた時、ふと小学生の家庭訪問の時のことも思い出した。
母が私の担任にこう言っていたのだ。
「この子は幼い頃から私がずっと働きに出ていてかまってやることが少なかったので、何も相談しない子になってしまったんです。全部自分で決めて、全部事後報告です」と。
それを聞いて、私は母がそんなふうに思っていたのかとびっくりした。

まあ、これは余談だ。

まだ身を切るような冷たい空気なのに、梅の花が咲く頃になると、決まってあの時のことを思い出す。
「生」と「死」について考える。考えずにはおれない。
ギリギリセーフで電車に飛び乗れた人のような、そんな気持ちになる。一歩遅かったら、電車は走り去っていた。
間に合う人と、間に合わない人、その違いはどこにあるんだろう。それは「運命」のようなものなんだろうか。

先日、夫の友達の奥様が亡くなられた。まだ37歳という若さ。
その友達は私たちの結婚式にも出席してくれたし、他の友達と二人で新居にも遊びに来てくれた。

訃報を知らせるハガキを最初に見たのは私で、にわかには信じることができなかった。
奥様には会ったことがなかったし、そこに感情移入はできない。
ただ、裏返して宛名を見た時に、なんだか涙が止まらなくなってしまった。
決して上手な字でもないし、住所も間違っている。
でも、夫の名前の漢字の「ハネ」が1つ1つしっかりとしていて、そんな辛く悲しい状況でも、こうやって1文字ずつを丁寧に書くんだな、この人は、と思った。
きっと夫の名前を書きながら、夫の顔を思い出したのだろう。
どんな気持ちで、どんなことを考えながら、これを書いたのだろうかと思ったら、泣けて泣けて止まらなかった。

すぐに会社にいる夫にハガキの写真を撮って送った。
そのあと、友達とは少しメールか何かでやりとりをしたらしい。
夜遅く、日付が変わってから帰ってきた夫に布団の中から「ハガキそこにあるよ」と声をかけたけれど、朝見ても夫がそのハガキに触れた形跡はなかった。

今日、私がこうして生きているのは、当たり前ではなく、奇跡だということ。
それは私だけでなく、誰もがきっとそう。
毎日毎日、奇跡が起きて、今日も生きて、今日も食べて眠って、今日も笑っている。

この幸せを、当たり前だと思わないようにしたい。絶対に。

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