月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

やっぱりハルキスト

2015-11-09 | 
「『時間があればもっと良いものが書けたはずなんだけどね』、ある友人の物書きがそう言うのを耳にして、私は本当に度肝を抜かれてしまった。今だってそのときのことを思い出すと愕然としてしまう。もしその語られた物語が、力の及ぶ限りにおいて最良のものでないとしたら、どうして小説なんて書くのだろう?結局のところ、ベストを尽くしたという満足感、精一杯働いたというあかし、我々が墓の中まで持って行けるのはそれだけである。私はその友人に向かってそう言いたかった。悪い事は言わないから別の仕事を見つけた方がいいよと。同じ生活のために金を稼ぐにしても、世の中にはもっと簡単で、おそらくはもっと正直な仕事があるはずだ。さもなければ君の能力と才能を絞りきってものを書け。そして弁明をしたり、自己正当化したりするのはよせ。不満を言うな。言い訳をするな」

村上春樹の自伝的エッセイ『職業としての小説家』を読んでいる。



その中で、レイモンド・カーヴァーのエッセイを流用していたのが上の文章だ。
村上氏はそれについて「全面的に賛成」と述べている。
私もそうだ。
もうなんというか・・・わかりすぎて怖いくらい。
「その時の自分にできる最良のもの」を書くのでないとしたら、一体何のために書いているのか意味がわからない。
良いものは書けないことはある。クライアントのダメ出しも、読者の良くない反応もある。それは私の力が残念ながら及ばないだけ。
でも、「その時の自分にできる最良のもの」はいつも出している。

このエッセイで、初めて村上氏の小説の書き方や小説を書くという思いを知った。
とても興味深かった。
あの小説が、どんなに推敲を重ねて重ねて重ねて重ねてできているか。初めて知った。
そして、久しぶりに氏の文章を読んで、やっぱり思った。
面白いとか面白くないとか、優れているとか優れていないとか、好きだとか嫌いだとか、そういうことではなくて、ただ心地良い。
永久に読んでいたい。
このリズム、この文体に触れている時間こそが幸せ。
たぶん、好きな音楽に似ている。「あの作家が好き」「あの小説面白いよ」という話ではないのだ。ただ流れているだけで心地良い、そんな好きな音楽にたとえたほうがしっくりくる。

今ちょうど半分。
仕事が忙しくて電車での移動時間しか読めないけど、まだ残り半分あるのが嬉しい。