カナ文字文庫(漢字廃止論)

日本文学の名作などをカナ書きに改めて掲載。

キカイ 2

2012-12-07 | ヨコミツ リイチ
 カルベ との アラソイ も トウブン の アイダ は おこらなく なって ワタシ も いくらか マエ より いやすく なる と しばらく して、 シゴト が キュウゲキ に カルベ と ワタシ に まして きた。 ある シヤクショ から その ゼンチョウ の ネームプレート 5 マン-マイ を トオカ の アイダ に せよ と いって きた ので よろこんだ の は シュフ だ が ワタシタチ は その ため ほとんど ヨル さえ ねむれなく なる の は わかって いる の だ。 それで シュジン は ドウギョウ の ユウジン の セイサクショ から テ の すいた ショクニン を ヒトリ かりて きて ワタシタチ の ナカ へ まじえながら シゴト を はじめる こと に した。 ハジメ の アイダ は ワタシタチ は なんの キ も なく ただ シゴト の リョウ に アットウ されて しまって はたらいて いた の だ が、 その うち に あたらしく はいって きた ショクニン の ヤシキ と いう オトコ の ヨウス が なんとなく ワタシ の チュウイ を ひきはじめた。 ブキヨウ な テツキ と いい ヒト を みる とき の するどい メツキ と いい ショクニン-らしく は して いる が これ は ショクニン では なくて もしか したら セイサクショ の ヒミツ を ぬすみ に きた マワシモノ では ない か と おもった の だ。 しかし、 そんな こと を クチ に でも だして しゃべったら カルベ は ヤシキ を どんな メ に あわす か しれない ので しばらく だまって カレ の ヨウス を みて いる こと に して いる と、 ヤシキ の チュウイ は いつも カルベ の バット の ユスリカタ に そそがれて いる の を ワタシ は ハッケン した。 ヤシキ の シゴト は シンチュウ の ジガネ を カセイ ソーダ の ヨウエキ-チュウ に いれて カルベ の すませて きた エンカテツ の フショクヤク と イッショ に その とき もちいた ニス や グリュー を あらいおとす ヤクメ なの だ が、 カルベ の シゴト の ブブン は ここ の セイサクショ の 2 バンメ の トクチョウ の ブブン なの で、 タ の セイサクショ では マネ する こと は できない の だ から そこ に みいる ヤシキ とて トウゼン な こと は トウゼン だ と して も うたがって いる とき の こと とて その トウゼン な こと が なお いっそう うたがわしい ゲンイン に なる の で ある。 しかし、 カルベ は ヤシキ に みいられて いる と ますます トクイ に なって チョウシ を とりつつ バット の ナカ の エンカテツ の ヨウエキ を ゆする の だ。 イツモ の こと なら ワタシ を うたぐりだした よう に カルベ とて いちおう は ヤシキ を うたがわねば ならぬ はず だ のに それ が コト も あろう か カルベ は ヤシキ に バット の ユスリカタ を セツメイ して、 ジガネ に かかれた モジ と いう もの は いつも こうして ウツブセ に する もの で、 すべて キンゾク と いう もの は キンゾク それ ジシン の オモミ の ため に まける の だ から モジ イガイ の ブブン は それだけ はやく エンカテツ に おかされて くさって いく の だ と ダレ に きいた もの やら むずかしい クチョウ で セツメイ して ヤシキ に イチド バット を ゆすって みよ と まで いう。 ワタシ は ハジメ は ひやひや しながら だまって カルベ の しゃべって いる こと を きいて いた の だ が シマイ には ワタシ は ワタシ で ダレ が どんな シゴト の ヒミツ を しろう と しらせる だけ よい の では ない か と おもいだし、 それから は もう ヤシキ への ケイカイ も しない こと に きめて しまった が、 すべて ヒミツ と いう もの は その ブブン に はたらく モノ の マンシン から もれる の だ と キ が ついた の は その とき の ナニ より の ワタシ の シュウカク で あった で あろう。 それにしても カルベ が そんな に うまく ヒミツ を しゃべった の も カレ の その とき の チョウシ に のった マンシン だけ では ない。 たしか に カレ に そんな にも しゃべらせた ヤシキ の フウボウ が カルベ の ココロ を その とき うきあがらせて しまった の に ちがいない の だ。 ヤシキ の ガンコウ は するどい が それ が やわらぐ と アイテ の ココロ を ブンレツ させて しまう フシギ な ミリョク を もって いる の で ある。 その カレ の ミリョク は たえず ワタシ へも コトバ を いう たび に せまって くる の だ が ナン に せよ ワタシ は あまり に いそがしくて アサ はやく から ガス で ねっした シンチュウ へ ウルシ を ぬりつけて は かわかしたり ジュウ-クロム サン アンモニア で ぬりつめた キンゾクバン を ニッコウ に さらして カンコウ させたり アニリン を かけて みたり、 ソノタ バーニング から スミトギ から アモアピカル から ダンサイ まで くるくる まわって しつづけねば ならぬ ので ヤシキ の ミリョク も なにも あった もの では ない の で ある。 すると イツカ-メ-ゴロ の ヨナカ に なって ふと ワタシ が メ を さます と まだ ヤギョウ を つづけて いた はず の ヤシキ が アンシツ から でて きて シュフ の ヘヤ の ほう へ はいって いった。 イマゴロ シュフ の ヘヤ へ なんの ヨウ が ある の で あろう と おもって いる うち に おしい こと には もう ワタシ は シゴト の ツカレ で ねむって しまった。 ヨクチョウ また メ を さます と ワタシ に うかんで きた ダイイチ の こと は サクヤ の ヤシキ の ヨウス で あった。 しかし、 こまった こと には かんがえて いる うち に それ は ワタシ の ユメ で あった の か ゲンジツ で あった の か まったく わからなく なって きた こと だ。 つかれて いる とき には イマ まで とて も ときどき ワタシ には そんな こと が あった ので なお コノタビ の ヤシキ の こと も ワタシ の ユメ かも しれない と おもえる の だ。 しかし ヤシキ が アンシツ へ はいった リユウ は ソウゾウ できなく は ない が シュフ の ヘヤ へ はいって いった カレ の リユウ は ワタシ には わからない。 まさか ヤシキ と シュフ と が ワタシタチ には わからぬ ふかい ところ で マエ から コウショウ を もちつづけて いた とは おもえない の だし これ は ユメ だ と おもって いる ほう が カクジツ で あろう と おもって いる と、 その ヒ の ショウゴ に なって フイ に シュジン が サイクン に サクヤ ナニ か かわった こと が なかった か と わらいながら たずねだした。 すると サイクン は、 オカネ を とった の は アナタ だ ぐらい の こと は いくら ネボウ の ワタシ だって しって いる の だ。 とる の なら もっと ジョウズ に とって もらいたい と すまして いう と シュジン は いっそう おおきな コエ で おもしろそう に わらいつづけた。 それでは サクヤ シュフ の ヘヤ へ はいって いった の は ヤシキ では なく シュジン だった の か と キ が ついた の だ が いくら いつも キンセン を もたされない から と いって ヨナカ ジブン の サイクン の マクラモト の サイフ を ねらって しのびこむ シュジン も シュジン だ と おもいながら ワタシ も おかしく なり、 アンシツ から でて きた の も それでは アナタ か と シュジン に きく と、 いや それ は しらぬ と シュジン は いう。 では アンシツ から でて きた の だけ は やはり ヤシキ で あろう か それとも その ブブン だけ は ユメ なの で あろう か と また ワタシ は まよいだした。 しかし、 シュフ の ヘヤ へ はいりこんだ オトコ が ヤシキ で なくて シュジン だ と いう こと だけ は たしか に ゲンジツ だった の だ から アンシツ から でて きた ヤシキ の スガタ も ぜんぜん ユメ だ と ばかり も おもえなく なって きて、 イチド きえた ヤシキ への ウタガイ も ハンタイ に また だんだん ふかく すすんで きた。 しかし そういう ウタガイ と いう もの は ヒトリ うたがって いた の では けっきょく ジブン ジシン を うたがって いく だけ なので なんの ヤク にも たたなく なる の は わかって いる の だ。 それ より ちょくせつ ヤシキ に たずねて みれば わかる の だ が、 もし たずねて それ が ホントウ に ヤシキ だったら ヤシキ の こまる の も きまって いる。 この バアイ ワタシ が ヤシキ を こまらして みた ところ で べつに ワタシ の トク に なる では なし と いって すてて おく には ジケン は キョウミ が ありすぎて おしい の だ。 だいいち アンシツ の ナカ には ワタシ の クシン を かさねた ソウエン と ケイサン ジルコニウム の カゴウブツ や、 シュジン の トクイ と する ムテイケイ セレニウム の セキショク-ヌリ の ヒホウ が カガク ホウテイシキ と なって かくされて いる の で ある。 それ を しられて しまえば ここ の セイサクショ に とって は バクダイ な ソンシツ で ある ばかり では ない、 ワタシ に したって イマ まで の ヒミツ は ヒミツ では なくなって セイカツ の オモシロサ が なくなる の だ。 ムコウ が ヒミツ を ぬすもう と する なら こちら は それ を かくしたって かまわぬ で あろう。 と おもう と ワタシ は ヤシキ を イチズ に ゾク の よう に うたがって いって みよう と ケッシン した。 マエ には ワタシ は カルベ から そのよう に うたがわれた の だ が コンド は ジブン が タニン を うたがう バン に なった の を かんじる と、 あの とき カルベ を その アイダ バカ に して いた オモシロサ を おもいだして やがて は ワタシ も ヤシキ に たえず あんな オモシロサ を かんじさす の で あろう か と そんな こと まで かんがえながら、 イチド は ヒト から バカ に されて も みなければ とも おもいなおしたり して いよいよ ヤシキ へ チュウイ を そそいで いった。 ところが ヤシキ は ヤシキ で ワタシ の メ が ひかりだした と きづいた の で あろう か、 それから ほとんど ワタシ と シセン を あわさなくて すませる ホウコウ ばかり に むきはじめた。 あまり イマ から キュウクツ な オモイ を させて は かえって イマ の うち に ヤシキ を にがして しまいそう だし する ので、 なるだけ ノンキ に しなければ ならぬ と やわらいで みる の だ が メ と いう もの は フシギ な もの で、 おなじ ニンシキ の タカサ で うろついて いる シセン と いう もの は イチド がっする と ソコ まで ドウジ に つらぬきあう の だ。 そこで ワタシ は アモアピカル で シンチュウ を みがきながら ヨモヤマ の ハナシ を すすめ メ だけ で カレ に もう ホウテイシキ は ぬすんだ か と きいて みる と ムコウ で まだまだ と こたえる か の よう に ひかって くる。 それでは はやく ぬすめば よい では ない か と いう と オマエ に それ を しられて は ジカン が かかって シヨウ が ない と いう。 ところが オレ の ホウテイシキ は イマ の ところ まだ マチガイ-だらけ で とったって なんの ヤク にも たたぬ ぞ と いう と それなら オレ が みて なおして やろう と いう。 そういう ふう に しばらく ヤシキ と ワタシ は シゴト を しながら ワタシ ジシン の アタマ の ナカ で だまって カイワ を つづけて いる うち に だんだん ワタシ は イッカ の ウチ の ダレ より も ヤシキ に シタシミ を かんじだした。 マエ に カルベ を ウチョウテン に させて ヒミツ を しゃべらせて しまった カレ の ミリョク が ワタシ へも しだいに のりうつって きはじめた の だ。 ワタシ は ヤシキ と シンブン を わけあって よんで いて も キョウツウ の ワダイ に なる と イケン が いつも イッチ して すすんで いく。 カガク の ハナシ に なって も リカイ の ソクド や チド が キッコウ しながら なめらか に すべって いく。 セイジ に かんする ケンシキ でも シャカイ に たいする キボウ でも おなじ で ある。 ただ ワタシ と カレ との ソウイ して いる ところ は タニン の ハツメイ を ぬすみこもう と する フドウトク な コウイ に かんして の ケンカイ だけ だ。 だが、 それ とて カレ には カレ の カイシャク の シカタ が あって ハツメイ ホウホウ を ぬすむ と いう こと は ブンカ の シンポ に とって は べつに フドウトク な こと では ない と おもって いる に ちがいない。 じっさい、 ホウホウ を ぬすむ と いう こと は ぬすまぬ モノ より よい コウイ を して いる の かも しれぬ の だ。 げんに シュジン の ハツメイ ホウホウ を アンシツ の ナカ で かくそう と ドリョク して いる ワタシ と ぬすもう と ドリョク して いる ヤシキ と を ヒカク して みる と ヤシキ の コウイ の ほう が それだけ シャカイ に とって は やくだつ こと を して いる ケッカ に なって いく。 それ を おもう と そうして そんな ふう に ワタシ に おもわしめて きた ヤシキ を おもう と、 なお ますます ワタシ には ヤシキ が したしく みえだす の だ が、 そう か と いって ワタシ は シュジン の ソウシ した ムテイケイ セレニウム に かんする センショク ホウホウ だけ は しらしたく は ない の で ある。 それゆえ たえず いちばん ヤシキ と なかよく なった ワタシ が ヤシキ の ジャマ も また シゼン に ダレ より いちばん しつづけて いる ワケ にも なって いる の だ。
 ある とき ワタシ は ヤシキ に ジブン が ここ へ はいって きた トウジ カルベ から カンジャ だ と うたがわれて キケン な メ に あわされた こと を はなして みた。 すると ヤシキ は それなら カルベ が ジブン に そういう こと を まだ しない ところ から さっする と たぶん キミ を うたがって こりごり した から で あろう と わらいながら いって、 しかし それだから キミ は ボク を はやく から うたがう シュウカン を つけた の だ と カレ は からかった。 それでは キミ は ワタシ から うたがわれた と それほど はやく きづく から には キミ も はいって くる なり ワタシ から うたがわれる こと に たいして それほど ケイカイ する レンシュウ が できて いた わけ だ と ワタシ が いう と、 それ は そう だ と カレ は いった。 しかし、 カレ が それ は そう だ と いった の は ジブン は ホウホウ を ぬすみ に きた の が モクテキ だ と いった の と ドウヨウ なの にも かかわらず、 それ を そう いう ダイタンサ には ワタシ とて おどろかざる を えない の だ。 もしか する と カレ は ワタシ を みぬいて いて、 カレ が そう いえば ワタシ は おどろいて しまって カレ を たちまち ソンケイ する に ちがいない と おもって いる の では ない か と おもわれて、 コイツ、 と しばらく ヤシキ を みつめて いた の だ が、 ヤシキ は ヤシキ で もう ツギ の ヒョウジョウ に うつって しまって ウエ から ギャク に かぶさって きながら、 こんな セイサクショ へ こういう ふう に はいって くる と よく ジブン たち は ハラ に イチモツ あって の シゴト の よう に おもわれがち な もの で ある が キミ も もちろん しって の とおり そんな こと なんか なかなか ワレワレ には できる もの では なく、 しかし ベンカイ-がましい こと を いいだして は これ は また いっそう おかしく なって こまる ので シカタ が ない から ヒトビト の おもう よう に おもわせて はたらく ばかり だ と いって、 いちばん こまる の は キミ の よう に いたく も ない ところ を さして くる メツキ の ヒト の いる こと だ と ワタシ を ひやかした。 そう いわれる と ワタシ だって もう カレ から いたい ところ を さされて いる ので カレ も ちょうど いつも イマ の ワタシ の よう に ワタシ から たえず ちくちく やられた の で あろう と ドウジョウ しながら、 そういう こと を いつも いって いなければ ならぬ シゴト なんか さぞ おもしろく は なかろう と ワタシ が いう と、 ヤシキ は キュウ に ガンクビ を たてた よう に ワタシ を みつめて から ふっふ と わらって ジブン の カオ を にごして しまった。 それから ワタシ は もう ヤシキ が ナニ を たくらんで いよう と すてて おいた。 たぶん ヤシキ ほど の オトコ の こと だ から タニン の イエ の アンシツ へ イチド はいれば みる ヒツヨウ の ある ジュウヨウ な こと は すっかり みて しまった に ちがいない の だし、 みて しまった イジョウ は サツガイ する こと も できない かぎり ミラレゾン に なる だけ で どう しよう も おっつく もの では ない の で ある。 ワタシ と して は ただ イマ は こういう すぐれた オトコ と ぐうぜん こんな ところ で であった と いう こと を むしろ カンシャ す べき なの で あろう。 いや、 それ より ワタシ も カレ の よう に できうる かぎり シュジン の アイジョウ を リヨウ して イマ の うち に シゴト の ヒミツ を ぬすみこんで しまう ほう が よい の で あろう と まで おもいだした。 それで ワタシ は カレ に ある とき もう ジブン も ここ に ながく いる つもり は ない の だ が ここ を でて から どこ か よい クチ は ない か と たずねて みた。 すると カレ は それ は ジブン の たずねたい こと だ が そんな こと まで キミ と ジブン と が にて いる よう では キミ だって えらそう な こと も いって いられない では ない か と いう。 それで ワタシ は キミ が そう いう の も もっとも だ が これ は なにも キミ を ひっかけて とやこう と キミ の シンリ を ほりだす ため では なく、 かえって ワタシ は キミ を ソンケイ して いる ので これから じつは デシ に でも して もらう つもり で たのむ の だ と いう と、 デシ か と カレ は ヒトコト いって ケイベツ した よう に クショウ して いた が、 にわか に マジメ に なる と イチド ワタシ に、 シュウイ が 1 チョウ シホウ まったく クサキ の かれて いる エンカテツ の コウジョウ へ いって みて くる よう バンジ が それから だ と いう。 ナニ が それから なの か ワタシ には わからない が ヤシキ が ワタシ を みた サイショ から ワタシ を バカ に して いた カレ の タイド の ゲンイン が ちらり と そこ から みえた よう に おもわれる と、 いったい この オトコ は どこ まで ワタシ を バカ に して いた の か ソコ が みえなく なって きて だんだん カレ が ブキミ に なる と ドウジ に、 それなら ヤシキ を ひとつ こちら から ケイベツ して かかって やろう とも おもいだした の だ が、 それ が なかなか イチド カレ に みせられて しまって から は どうも おもう よう に クスリ が きかなく ただ コッケイ に なる だけ で、 すぐれた オトコ の マエ に でる と こう も こっち が みじめ に じりじり シュギョウ を させられる もの か と なげかわしく なって くる ばかり なの で ある。 ところが、 いそがしい シヤクショ の シゴト が ようやく かたづきかけた コロ の こと、 ある ヒ カルベ は キュウ に ヤシキ を シゴトバ の ダンサイキ の シタ へ ねじふせて しきり に ハクジョウ せよ ハクジョウ せよ と せまって いる の だ。 おもう に ヤシキ は こっそり アンシツ へ はいった ところ を カルベ に みつけられた の で あろう が ワタシ が シゴトバ へ はいって いった とき は ちょうど カルベ が おしつけた ヤシキ の ウエ へ ウマノリ に なって コウトウブ を なぐりつけて いる ところ で あった。 とうとう やられた な と ワタシ は おもった が べつに ヤシキ を たすけて やろう と いう キ が おこらない ばかり では ない。 ヒゴロ ソンケイ して いた オトコ が ボウリョク に あう と どんな タイド を とる もの か と まるで ユダ の よう な コウキシン が わいて きて レイタン に じっと ゆがむ ヤシキ の カオ を ながめて いた。 ヤシキ は ユカ の ウエ へ ながれだした ニス の ナカ へ カタホオ を ひたした まま おきあがろう と して ふるえて いる の だ が、 カルベ の ヒザボネ が ヤシキ の セナカ を つきふせる たび ごと に また すぐ べたべた と くずれて しまって キモノ の まくれあがった ふとった アカハダカ の リョウアシ を ブカッコウ に ユカ の ウエ で もがかせて いる だけ なの だ。 ワタシ は ヤシキ が カルベ に すくなからず テイコウ して いる の を みる と ばかばかしく なった が それ より ソンケイ して いる オトコ が クツウ の ため に みにくい カオ を して いる の は ココロ の ミニクサ を あらわして いる の と ドウヨウ な よう に おもわれて フカイ に なって こまりだした。 ワタシ が カルベ の ボウリョク を はらだたしく かんじた の も つまり は わざわざ タニン に そんな みにくい カオ を させる ブレイサ に たいして なの で、 じつは カルベ の ワンリョク に たいして では ない。 しかし、 カルベ は アイテ が みにくい カオ を しよう が しまい が そんな こと に トンチャク して いる もの では なく ますます ウエ から クビ を しめつけて なぐりつづける の で ある。 ワタシ は シマイ に だまって タニン の クツウ を ソバ で みて いる と いう ジシン の コウイ が セイトウ な もの か どう か と うたがいだした が、 その じっと して いる ワタシ の イチ から すこし でも うごいて どちら か へ ワタシ が カタン を すれば なお ワタシ の セイトウサ は なくなる よう にも おもわれる の だ。 それにしても あれほど みにくい カオ を しつづけながら まだ ハクジョウ しない ヤシキ を おもう と いったい ヤシキ は アンシツ から ナニ か カクジツ に ぬすみとった の で あろう か どう か と おもわれて、 コンド は ヤシキ の コンラン して いる ガンメン の シワ から カレ の ヒミツ を よみとる こと に クシン しはじめた。 カレ は つっぷしながら も ときどき ワタシ の カオ を みる の だ が カレ と シセン を あわす たび に ワタシ は カレ へ だんだん セイリョク を あたえる ため にやにや ケイベツ した よう に わらって やる と、 カレ も それ には まいった らしく キュウ に ふんぜん と しはじめて カルベ を ウエ から ころがそう と する の だ が カルベ の つよい と いう こと には どう シヨウ も ない、 ただ ヤシキ は ふんぜん と する たび に つよく どしどし なぐられて いく だけ なの だ。 しかし、 ワタシ から みて いる と ワタシ に わらわれて ふんぜん と する よう な ヤシキ が だいいち もう ボロ を みせた ので こまった ドンヅマリ と いう もの は ヒト は うごけば うごく ほど ボロ を だす もの らしく、 ヤシキ を みながら わらう ワタシ も いつのまにか すっかり カレ を ケイベツ して しまって わらう こと も できなく なった の も つまり は カレ が なんの ヤク にも たたぬ とき に うごいた から なの だ。 それで ワタシ は ヤシキ とて べつに ワレワレ と かわった ジンブツ でも なく ヘイボン な オトコ だ と しる と、 カルベ に もう なぐる こと なんか やめて クチ で いえば たりる では ない か と いって やる と、 カルベ は ワタシ を うずめた とき の よう に また ヤシキ の アタマ の ウエ から シンチュウバン の セッペン を ひっかぶせて ヒトケリ けりつけながら、 たて と いう。 ヤシキ は たちあがる と まだ ナニ か カルベ に せられる もの と おもった の か こわそう に じりじり コウホウ の カベ へ セナカ を つけて カルベ の シセイ を ふせぎながら、 アンシツ へ はいった の は ジガネ の ウラ の グリュー が カセイ ソーダ では とれなかった から アンモニア を さがし に いった の だ と ハヤクチ に いう。 しかし、 アンモニア が イリヨウ なら なぜ いわぬ か、 ネームプレート セイサクショ に とって アンシツ ほど タイセツ な ところ は ない こと ぐらい ダレ だって しって いる では ない か と いって また カルベ は なぐりだした。 ワタシ は ヤシキ の ベンカイ が デタラメ だ とは わかって いた が なぐる カルベ の テ の オト が あまり はげしい ので もう なぐる の だけ は やめる が よい と いう と、 カルベ は キュウ に ワタシ の ほう を ふりかえって、 それでは フタリ は キョウボウ か と いう。 だいたい キョウボウ か どう か こういう こと は かんがえれば わかる では ない か と ワタシ は いおう と して ふと かんがえる と、 なるほど これ は キョウボウ だ と おもわれない こと は ない ばかり では なく ひょっと する と ジジツ は キョウボウ で なく とも キョウボウ と おなじ コウイ で ある こと に キ が ついた。 まったく ヤシキ に ゆうゆう と アンシツ へ など いれさして おいて シュジン の シゴト の ヒミツ を ぬすまぬ ジシン の ほう が かえって わるい コウイ を して いる と おもって いる ワタシ で ある イジョウ は キョウボウ と おなじ コウイ で ある に ちがいない ので、 いくぶん どきり と ムネ を さされた オモイ に なりかけた の を わざと ずぶとく かまえ キョウボウ で あろう と なかろう と それだけ ヒト を なぐれば もう ジュウブン で あろう と いう と コンド は カルベ は ワタシ に かかって きて、 ワタシ の アゴ を つきつき それでは キサマ が ヤシキ を アンシツ へ いれた の で あろう と いう。 ワタシ は もはや カルベ が どんな に ワタシ を なぐろう と そんな こと より も イマ まで なぐられて いた ヤシキ の ガンゼン で カレ の ツミ を ひきうけて なぐられて やる ほう が ヤシキ に これ を みよ と いう か の よう で まったく はればれ と して キモチ が よい の だ。 しかし ワタシ は そうして カルベ に なぐられて いる うち に コンド は フシギ にも カルベ と ワタシ と が しめしあわせて カレ に なぐらせて でも いる よう で まるで ハンタイ に カルベ と ワタシ と が キョウボウ して うった シバイ みたい に おもわれだす と、 かえって こんな にも なぐられて へいぜん と して いて は ヤシキ に キョウボウ だ と おもわれ は すまい か と ケネン されはじめ、 ふと ヤシキ の ほう を みる と カレ は なぐられた モノ が フタリ で ある こと に マンゾク した もの らしく キュウ に ゲンキ に なって、 キミ、 なぐれ、 と いう と ドウジ に カルベ の ハイゴ から カレ の アタマ を ツヅケサマ に なぐりだした。 すると、 ワタシ も べつに ハラ は たてて は いない の だ が イマ まで なぐられて いた イタサ の ため に なぐりかえす ウンドウ が ユカイ に なって ぽかぽか と カルベ の アタマ を なぐって みた。 カルベ は ゼンゴ から なぐりだされる と シュリョク を ヤシキ に むけて カレ を なぐりつけよう と した ので ワタシ は カルベ を ハイゴ へ ひいて ジャマ を する と、 その ヒマ に ヤシキ は カルベ を おしたおして ウマノリ に なって また なぐりつづけた。 ワタシ は ヤシキ の そんな にも ゲンキ に なった の に おどろいた が いくぶん ワタシ が リユウ も なく なぐられた ので ワタシ が ハラ を たてて カレ と イッショ に カルベ に むかって かかって いく に ちがいない と おもった から で あろう。 しかし、 ワタシ は もう それ イジョウ は カルベ に フクシュウ する ヨウ も ない ので また だまって なぐられて いる カルベ を みて いる と カルベ は すぐ ク も なく ヤシキ を ひっくりかえして ウエ に なって ハンタイ に カレ を マエ より いっそう はげしく なぐりだした。 そう なる と ヤシキ は いちばん サイショ と おなじ こと で どう する こと も できない の だ。 だが カルベ は しばらく ヤシキ を なぐって いて から ワタシ が ハイゴ から カレ を おそう だろう と おもった の か キュウ に たちあがる と ワタシ に むかって つっかかって きた。 カルベ と ヒトリ ドウシ の ナグリアイ なら ワタシ が まける に きまって いる ので また ワタシ は だまって ヤシキ の おきあがって くる まで なぐらせて いて やる と、 おきあがって きた ヤシキ は フイ に カルベ を なぐらず に ワタシ を なぐりだした。 ヒトリ でも こまる のに フタリ イッショ に こられて は ワタシ も もう シカタ が ない ので ユカ の ウエ に たおれた まま フタリ の する まま に させて やった が、 しかし ワタシ は サキ から それほど も いったい アクギョウ を して きた の で あろう か、 ワタシ は リョウウデ で アタマ を かかえて まんまるく なりながら ワタシ の した こと が フタリ から なぐられねば ならぬ それほど も わるい か どう か を かんがえた。 なるほど ワタシ は ジケン の おこりはじめた とき から フタリ に とって は イヒョウガイ の コウイ ばかり を しつづけて いた に ちがいない。 しかし、 ワタシ イガイ の フタリ も ワタシ に とって は イガイ な こと ばかり を した では ない か。 だいいち ワタシ は ヤシキ から なぐられる リユウ は ない。 たとえ ワタシ が ヤシキ と イッショ に カルベ に かからなかった から とは いえ ワタシ をも そんな とき に かからせて やろう など と おもった ヤシキ ジシン が バカ なの だ。 そう おもって は みて も けっきょく フタリ から、 ドウジ に なぐられなかった の は ヤシキ だけ で いちばん なぐられる べき セキニン の ある はず の カレ が いちばん うまい こと を した の だ から ワタシ も カレ を イチド なぐりかえす ぐらい の こと は して も よい の だ が とにかく もう その とき は ぐったり ワタシタチ は つかれて いた。 じっさい ワタシタチ の この ばかばかしい カクトウ も ゲンイン は ヤシキ が アンシツ へ はいった こと から だ とは いえ 5 マン-マイ の ネームプレート を タンジジツ の アイダ に しあげた ヒロウ が より おおきな ゲンイン に なって いた に きまって いる の だ。 ことに シンチュウ を フショク させる とき の エンカテツ の シュウソ は それ が タリョウ に つづいて でれば でる ほど シンケイ を ヒロウ させる ばかり では なく ニンゲン の リセイ を さえ コンラン させて しまう の だ。 そのくせ ホンノウ だけ は ますます カラダ の ナカ で メイリョウ に セイシツ を あらわして くる の だ から この ネームプレート セイサクショ で おこる ジケン に ハラ を たてたり して いて は キリ が ない の だ が それにしても ヤシキ に なぐられた こと だけ は アイテ が ヤシキ で ある だけ に ワタシ は わすれる こと は できない。 ワタシ を なぐった ヤシキ は ワタシ に どういう タイド を とる で あろう か、 カレ の デカタ で ひとつ カレ を セキメン させて やろう と おもって いる と いつ おわった とも わからず に おわった ジケン の アト で ヤシキ が いう には どうも あの とき キミ を なぐった の は わるい と おもった が キミ を あの とき なぐらなければ いつまで カルベ に ジブン が なぐられる かも しれなかった から ジケン に オワリ を つける ため に キミ を なぐらせて もらった の だ、 ゆるして くれ と いう。 じっさい ワタシ も きづかなかった の だ が あの とき いちばん わるく ない ワタシ が フタリ から なぐられなかった なら ジケン は まだまだ つづいて いた に ちがいない の だ。 それでは ワタシ は まだ やっぱり こんな とき にも ヤシキ の ヌスミ を まもって いた の か と おもって クショウ する より シカタ が なくなり せっかく ヤシキ を セキメン させて やろう と おもって いた タノシミ も うしなって しまって ますます ヤシキ の すぐれた チボウ に おどろかされる ばかり と なった ので、 ワタシ も いまいましく なって きて ヤシキ に そんな に うまく キミ が ワタシ を つかった から には アンシツ の ほう も さだめし うまく いった の で あろう と いう と、 カレ は カレ で てなれた もの で キミ まで そんな こと を いう よう では カルベ が ワタシ を なぐる の だって トウゼン だ、 カルベ に ヒ を つけた の は キミ では ない の か と いって わらって のける の だ。 なるほど そう いわれれば カルベ に ヒ を つけた の は ワタシ だ と おもわれたって ベンカイ の シヨウ も ない ので これ は ひょっと する と ヤシキ が ワタシ を なぐった の も ワタシ と カルベ が キョウボウ した から だ と おもった の では なかろう か と おもわれだし、 いったい ホントウ は どちら が どんな ふう に ワタシ を おもって いる の か ますます ワタシ には わからなく なりだした。 しかし ジジツ が そんな に フメイリョウ な ナカ で ヤシキ も カルベ も フタリ ながら それぞれ ワタシ を うたがって いる と いう こと だけ は メイリョウ なの だ。 だが この ワタシ ヒトリ に とって メイリョウ な こと も どこ まで が ゲンジツ と して メイリョウ な こと なの か どこ で どうして はかる こと が できる の で あろう。 それ にも かかわらず ワタシタチ の アイダ には イッサイ が メイリョウ に わかって いる か の ごとき みえざる キカイ が たえず ワタシタチ を はかって いて その はかった まま に また ワタシタチ を おしすすめて くれて いる の で ある。 そうして ワタシタチ は たがいに うたがいあいながら も ヨクジツ に なれば ゼンブ の シゴト が できあがって らくらく と なる こと を ヨソウ し、 その しあげた チンギン を もらう こと の タノシミ の ため に もう ヒロウ も アラソイ も わすれて その ヒ の シゴト を おえて しまう と、 いよいよ ヨクジツ と なって また ダレ も が まったく ヨソウ しなかった あたらしい デキゴト に あわねば ならなかった。 それ は シュジン が ワタシタチ の しあげた セイサクヒン と ヒキカエ に うけとって きた キンガク ゼンブ を カエリ の ミチ に おとして しまった こと で ある。 まったく ワタシタチ の ヨノメ も ろくろく ねむらず に した ロウリョク は なんの ヤク にも たたなく なった の だ。 しかも カネ を ウケトリ に いった シュジン と イッショ に ワタシ を この イエ へ ショウカイ して くれた シュジン の アネ が あらかじめ シュジン が カネ を おとす で あろう と ヨソウ して ついて いった と いう の だ から、 この こと だけ は ヨソウ に たがわず ジケン は シンコウ して いた の に ちがいない が、 ふと ヒサシブリ に タイキン を もうけた タノシサ から たとえ イッシュン の アイダ でも よい もうけた キンガク を もって みたい と シュジン が いった ので つい ユダン を して ドウジョウ して しまい、 シュジン に しばらく の アイダ その カネ を もたした の だ と いう。 その アイダ に ヒトツ の ケッカン が これ も カクジツ な キカイ の よう に はたらいて いた の で ある。 もちろん おとした キンガク が もう イチド でて くる など と おもって いる モノ は いない から ケイサツ へ とどけ は した ものの イッカ は もう あおざめきって しまって コトバ など いう モノ は ダレ も なく、 ワタシタチ は ワタシタチ で チンギン も もらう こと が できない の だ から イチジ に ツカレ が でて きて シゴトバ に ねそべった まま うごこう とも しない の だ。 カルベ は てあたりしだい に カンパン を ぶちくだいて なげつける と キュウ に ワタシ に むかって なぜ オマエ は にやにや して いる の か と つきかかって きた。 ワタシ は べつに にやにや して いた と おもわない の だ が それ が そんな に カルベ に みえた の なら あるいは わらって いた の か しれない。 たしか に あんまり シュジン の アタマ は キカイ だ から だ。 それ は エンカテツ の ナガネン の サヨウ の ケッカ なの かも しれない と おもって みて も アタマ の ケッカン ほど おそる べき もの は ない では ない か。 そうして その シュジン の ケッカン が また ワタシタチ を ひきつけて いて おこる こと も できない ゲンイン に なって いる と いう こと は これ は なんと いう チンキ な コウゾウ の マワリカタ なの で あろう。 しかし、 ワタシ は そんな こと を カルベ に きかせて やって も シカタ が ない ので だまって いる と とつぜん ワタシ を にらみつけて いた カルベ が テ を うって、 よしっ サケ を のもう と いいだす と たちあがった。 ちょうど それ は カルベ が いわなくて も ワタシタチ の ナカ の ダレ か が もう すぐ いいださねば ならない シュンカン に ぐうぜん カルベ が いった だけ なので、 なんの フシゼンサ も なく すぐ すらすら と ワタシタチ の キブン は サケ の ほう へ むかって いった の だ。 じっさい そういう とき には ワカモノ たち は サケ でも のむ より シカタ の ない とき なの だ が それ が この サケ の ため に ヤシキ の セイメイ まで が なくなろう とは ヤシキ だって おもわなかった に ちがいない。
 その ヨ ワタシタチ 3 ニン は シゴトバ で そのまま クルマザ に なって 12 ジ-スギ まで のみつづけた の だ が、 メ が さめる と 3 ニン の ナカ の ヤシキ が ジュウ-クロム サン アンモニア の のこった ヨウエキ を ミズ と まちがえて ドビン の クチ から のんで しんで いた の で ある。 ワタシ は カレ を この イエ へ おくった セイサクショ の モノタチ が いう よう に カルベ が ヤシキ を ころした の だ とは イマ でも おもわない。 もちろん ワタシ が ヤシキ の のんだ ジュウ-クロム サン アンモニア を シヨウ する べき グリュー-ビキ の ブブン に その ヒ も はたらいて いた とは いえ、 カレ に サケ を のました の が ワタシ で ない イジョウ は ワタシ より も いちおう カルベ の ほう が より おおく うたがわれる の は トウゼン で ある が、 それにしても カルベ が コイ に サケ を のまして まで ヤシキ を ころそう など と ふかい タクラミ の おころう ほど マエ から ワタシタチ は サケ を のみたく なって いた の では ない の で ある。 サケ を のみたく なった とき より ワタシ が ジュウ-クロム サン アンモニア を つくって おいた ジカン の ほう が マエ なの だ から うたがいえられる と する と ワタシ なの にも かかわらず、 それ が カルベ が うたがわれた と いう の も カルベ の まず ヒトメ で ダレ から も ボウリョク を このむ こと を みやぶられる たくましい ソウボウ から きて いる の で あろう。 しかし、 ワタシ とて も もちろん カルベ が ぜんぜん ヤシキ を ころした の では ない と ダンゲン する の では ない。 ワタシ の しりえられる テイド の こと は カレ が ヤシキ を ころした の では ない と いいえられる ほど の こと で ある より シカタ が ない の だ。 もともと カルベ は ヤシキ が アンシツ へ しのびこんだ の を みて いる から は、 カレ を サツガイ する イガイ に カレ に ヒミツ を しられぬ ホウホウ は ない と イチド は ワタシ の よう に おもった で あろう から。 そうして ワタシ が ヤシキ を サツガイ する の なら サケ を のまして おいて そのうえ ジュウ-クロム サン アンモニア を のます より シカタ が ない と おもった こと さえ ある こと から かんがえて も、 カレ も そのよう に イチド は おもった に ちがいない で あろう から。 だが、 サケ に よって いた の は ワタシ と ヤシキ だけ では なくて カルベ とて ドウヨウ に よって いた の だ から カレ が その ゲキヤク を ヤシキ に のまそう など と した の では ない で あろう。 よし たとえ ヒゴロ かんがえて いた こと が ムイシキ に ヨイ の ナカ に はたらいて カレ が ヤシキ に ジュウ-クロム サン アンモニア を のました の だ と する なら それなら あるいは ヤシキ に それ を のました の は ドウヨウ な リユウ に よって ワタシ かも しれない の だ。 いや、 まったく ワタシ とて カレ を ころさなかった と どうして ダンゲン する こと が できる で あろう。 カルベ より ダレ より も いつも いちばん ヤシキ を おそれた モノ は ワタシ では なかった か。 ニチヤ カレ の いる かぎり カレ の アンシツ へ しのびこむ の を いちばん チュウイ して ながめて いた の は ワタシ では なかった か。 いや それ より ワタシ の ハッケン しつつ ある ソウエン と ケイサン ジルコニウム の カゴウブツ に かんする ホウテイシキ を ぬすまれた と おもいこみ いつも いちばん はげしく ヤシキ を うらんで いた の は ワタシ では なかった か。 そう だ。 もしか する と ヤシキ を サツガイ した の は ワタシ かも しれぬ の だ。 ワタシ は ジュウ-クロム サン アンモニア の オキバ を いちばん よく こころえて いた の で ある。 ワタシ は ヨイ の まわらぬ まで は ヤシキ が アス から どこ へ いって どんな こと を する の か カレ の ジユウ に なって から の コウドウ ばかり が キ に なって ならなかった の で ある。 しかも カレ を いかして おいて ソン を する の は カルベ より も ワタシ では なかった か。 いや、 もう ワタシ の アタマ も いつのまにか シュジン の アタマ の よう に はや エンカテツ に おかされて しまって いる の では なかろう か。 ワタシ は もう ワタシ が わからなく なって きた。 ワタシ は ただ ちかづいて くる キカイ の するどい センセン が じりじり ワタシ を ねらって いる の を かんじる だけ だ。 ダレ か もう ワタシ に かわって ワタシ を さばいて くれ。 ワタシ が ナニ を して きた か そんな こと を ワタシ に きいたって ワタシ の しって いよう はず が ない の だ から。

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