カナ文字文庫(漢字廃止論)

日本文学の名作などをカナ書きに改めて掲載。

キカイ 1

2012-12-21 | ヨコミツ リイチ
 キカイ

 ヨコミツ リイチ

 ハジメ の アイダ は ワタシ は ワタシ の イエ の シュジン が キョウジン では ない の か と ときどき おもった。 カンサツ して いる と まだ ミッツ にも ならない カレ の コドモ が カレ を いやがる から と いって、 オヤジ を いやがる ホウ が ある か と いって おこって いる。 タタミ の ウエ を よちよち あるいて いる その コドモ が ぱったり たおれる と、 いきなり ジブン の サイクン を なぐりつけながら オマエ が バン を して いて コドモ を たおす と いう こと が ある か と いう。 みて いる と まるで キゲキ だ が ホンニン が それ で ショウキ だ から、 ハンタイ に これ は キョウジン では ない の か と おもう の だ。 すこし コドモ が なきやむ と もう すぐ コドモ を だきかかえて ヘヤ の ナカ を かけまわって いる シジュウ オトコ。 この シュジン は そんな に コドモ の こと ばかり に かけて そう か と いう と そう では なく、 およそ ナニゴト に でも それほど な ムジャキサ を もって いる ので シゼン に サイクン が この イエ の チュウシン に なって きて いる の だ。 イエ の ナカ の ウンテン が サイクン を チュウシン に して くる と サイクン-ケイ の ヒトビト が それだけ のびのび と なって くる の も もっとも な こと なの だ。 したがって どちら か と いう と シュジン の ほう に カンケイ の ある ワタシ は、 この イエ の シゴト の ウチ で いちばん ヒト の いやがる こと ばかり を ひきうけねば ならぬ ケッカ に なって いく。 いや な シゴト、 それ は まったく いや な シゴト で、 しかも その いや な ブブン を ダレ か ヒトリ が いつも して いなければ イエ ゼンタイ の セイカツ が まわらぬ と いう チュウシンテキ な ブブン に ワタシ が いる ので、 じつは イエ の チュウシン が サイクン には なく ワタシ に ある の だ が、 そんな こと を いったって いや な シゴト を する ヤツ は ツカイミチ の ない ヤツ だ から こそ だ と ばかり おもって いる ニンゲン の アツマリ だ から、 だまって いる より シカタ が ない と おもって いた。 まったく ツカイミチ の ない ニンゲン と いう もの は ダレ にも できかねる カショ だけ に フシギ に ツカイミチ の ある もの で、 この ネームプレート セイゾウショ でも イロイロ な ヤクヒン を シヨウ せねば ならぬ シゴト の ナカ で ワタシ の シゴト だけ は とくに ゲキヤク ばかり で みちて いて、 わざわざ ツカイミチ の ない ニンゲン を おとしこむ アナ の よう に できあがって いる の で ある。 この アナ へ おちこむ と キンゾク を フショク させる エンカテツ で イルイ や ヒフ が だんだん ヤク に たたなく なり、 シュウソ の シゲキ で ノド を ハカイ し ヨル の スイミン が とれなく なる ばかり では なく、 ズノウ の ソシキ が ヘンカ して きて シリョク さえ も うすれて くる。 こんな キケン な アナ の ナカ へは ユウヨウ な ニンゲン が おちこむ はず が ない の で ある が、 この イエ の シュジン も わかい とき に ヒト の できない この シゴト を おぼえこんだ の も おそらく ワタシ の よう に ツカイミチ の ない ニンゲン だった から に ちがいない の だ。 しかし、 ワタシ とて も いつまでも ここ で カタワ に なる ため に ぐずついて いた の では もちろん ない。 じつは ワタシ は キュウシュウ の ゾウセンジョ から でて きた の だ が ふと トチュウ の キシャ の ナカ で ヒトリ の フジン に あった の が この セイカツ の ハジメ なの だ。 フジン は もう 50 サイ あまり に なって いて シュジン に しなれ イエ も なければ コドモ も ない ので、 トウキョウ の シンセキ の ところ で しばらく ヤッカイ に なって から ゲシュクヤ でも はじめる の だ と いう。 それなら ワタシ も ショク でも みつかれば アナタ の ゲシュク へ ヤッカイ に なりたい と ジョウダン の つもり で いう と、 それでは ジブン の これから いく シンセキ へ ジブン と いって そこ の シゴト を てつだわない か と すすめて くれた。 ワタシ も まだ どこ へ つとめる アテ とて も ない とき だし、 ヒトツ は その フジン の ジョウヒン な コトバ や スガタ を シンヨウ する キ に なって そのまま ふらり と フジン と イッショ に ここ の シゴトバ へ ながれこんで きた の で ある。 すると、 ここ の シゴト は ハジメ は ミタメ は ラク だ が だんだん ヤクヒン が ロウドウリョク を コンテイ から うばって いく と いう こと に キ が ついた。 それで キョウ は でよう アス は でよう と おもって いる うち に、 ふと イマ まで シンボウ した から には それでは ひとつ ここ の シゴト の キュウショ を ゼンブ おぼえこんで から に しよう と いう キ にも なって きて、 ジブン で キケン な シゴト の ブブン に ちかづく こと に キョウミ を もとう と つとめだした。 ところが ワタシ と イッショ に はたらいて いる ここ の ショクニン の カルベ は、 ワタシ が この イエ の シゴト の ヒミツ を ぬすみ に はいって きた どこ か の カンジャ だ と おもいこんだ の だ。 カレ は シュジン の サイクン の ジッカ の リンカ から きて いる オトコ なので ナニゴト に でも ジユウ が きく だけ に それだけ シュカ が ダイイチ で、 よく ある チュウジツ な ゲボク に なりすまして みる こと が ドウラク なの だ。 カレ は ワタシ が タナ の ドクヤク を テ に とって ながめて いる と もう メ を ひからせて ワタシ を みつめて いる。 ワタシ が アンシツ の マエ を うろついて いる と もう かたかた と オト を たてて ジブン が ここ から みて いる ぞ と しらせて くれる。 まったく ワタシ に とって は ばかばかしい こと だ が、 それでも カルベ に して は シンケン なん だ から ブキミ で ある。 カレ に とって は カツドウ シャシン が ジンセイ サイコウ の キョウカショ で したがって タンテイゲキ が カレ には ゲンジツ と どこ も かわらぬ もの に みえて いる ので、 この ふらり と はいって きた ワタシ が そういう カレ には、 また コウコ の タンテイモノ の ザイリョウ に なって せまって いる の も ジジツ なの だ。 ことに カルベ は イッショウ この イエ に つとめる ケッシン ばかり では ない。 ここ の ブンケ と して やがて は ヒトリ で ネームプレート セイゾウショ を おこそう と おもって いる だけ に、 ジブン より サキ に シュジン の コウアン した セキショク プレート セイホウ の ヒミツ を ワタシ に うばわれて しまう こと は ホンモウ では ない に ちがいない。 しかし、 ワタシ に して みれば ただ この シゴト を おぼえこんで おく だけ で それ で ショウガイ の カッケイ を たてよう など とは たくらんで いる の では けっして ない の だ が、 そんな こと を いったって カルベ には わかる もの でも なし、 また ワタシ が この シゴト を おぼえこんで しまった なら あるいは ひょっこり それ で セイケイ を たてて いかぬ とも かぎらぬ し、 いずれ に して も カルベ なんか が ナニ を おもおう と ただ カレ を いらいら させて みる の も カレ に ニンゲン シュウヨウ を させて やる だけ だ と ぐらい に おもって おれば それ で よろしい、 そう おもった ワタシ は まるで カルベ を ガンチュウ に おかず に いる と、 その アイダ に カレ の ワタシ に たいする テキイ は キュウソク な チョウシ で すすんで いて、 この バカ が と おもって いた の も じつは バカ なれば こそ これ は あんがい バカ には ならぬ と おもわしめる よう に まで なって きた。 ニンゲン は テキ でも ない のに ヒト から テキ だ と おもわれる こと は、 その キカン アイテ を バカ に して いられる だけ なんとなく タノシミ な もの で ある が、 その タノシミ が じつは こちら の クウゲキ に なって いる こと には なかなか きづかぬ もの で、 ワタシ が なんの キ も なく イス を うごかしたり ダンサイキ を まわしたり しかける と フイ に カナヅチ が アタマ の ウエ から おっこって きたり、 ジガネ の シンチュウバン が つみかさなった まま アシモト へ くずれて きたり、 アンゼン な ニス と エーテル の コンゴウエキ の ザボン が いつのまにか キケン な ジュウ-クロム サン の サンエキ と いれかえられて いたり して いる の が、 ハジメ の アイダ は こちら の カシツ だ と ばかり おもって いた のに それ が ことごとく カルベ の シワザ だ と きづいた とき には、 かんがえれば かんがえる ほど これ は ユダン を して いる と イノチ まで ねらわれて いる の では ない か と おもわれて きて ひやり と させられる よう に まで なって きた。 ことに カルベ は バカ は バカ でも ワタシ より も センパイ で ゲキヤク の チョウゴウ に かけて は ウデ が あり、 オチャ に いれて おいた ジュウ-クロム サン アンモニア を アイテ が のんで しんで も ジサツ に なる ぐらい の こと は しって いる の だ。 ワタシ は ゴハン を たべる とき でも それから トウブン の アイダ は キイロ な もの が メ に つく と それ が ジュウ-クロム サン では ない か と おもわれて ハシ が その ほう へ うごかなかった が、 ワタシ の そんな ケイカイシン も しばらく する と ジブン ながら コッケイ に なって きて そう たやすく ころされる もの なら ころされて も みよう と おもう よう にも なり、 シゼン に カルベ の こと など は また ワタシ の アタマ から さって いった。
 ある ヒ ワタシ は シゴトバ で シゴト を して いる と シュフ が きて シュジン が ジガネ を かい に いく の だ から ワタシ も イッショ に ついて いって シュジン の キンセン を たえず ワタシ が もって いて くれる よう に と いう。 それ は シュジン は キンセン を もつ と ほとんど かならず トチュウ で おとして しまう ので シュフ の キヅカイ は シュジン に キンセン を わたさぬ こと が ダイイチ で あった の だ。 イマ まで の この イエ の ヒゲキ の ダイブブン も じつに この ばかげた こと ばかり なん だ が それにしても どうして こんな に ここ の シュジン は キンセン を おとす の か ダレ にも わからない。 おとして しまった もの は いくら しかったって おどしたって かえって くる もの でも なし、 それだから って アセミズ たらして ミナ が はたらいた もの を ヒトリ の シンケイ の ユルミ の ため に ことごとく ミズ の アワ に されて しまって そのまま ナキネイリ に だまって いる わけ にも いかず、 それ が 1 ド や 2 ド なら ともかく しじゅう もったら おとす と いう こと の ほう が カクジツ だ と いう の だ から、 この イエ の カツドウ も シゼン に タンレン の サレカタ が フツウ の イエ とは どこ か ちがって セイチョウ して きて いる に ちがいない の だ。 いったい ワタシタチ は キンセン を もったら おとす と いう シジュウ オトコ を そんな に ソウゾウ する こと は できない。 たとえば サイフ を サイクン が ヒモ で しっかり クビ から フトコロ へ つるして おいて も それでも ナカ の キンセン だけ は ちゃんと いつも おとして ある と いう の で ある が、 それなら シュジン は カネ を サイフ から だす とき か いれる とき か に おとす に ちがいない と して みて も、 それにしても だいいち そう たびたび おとす イジョウ は コンド は おとす かも しれぬ から と 3 ド に 1 ド は だす とき や いれる とき に きづく はず だ。 それ を きづけば ジジツ は そんな にも おとさない の では ない か と おもわれて カンガエヨウ に よって は これ は あるいは キンセン の シハライ を のばす ため の サイクン の テ では ない か とも イチド は おもう が、 しかし まもなく あまり にも かわって いる シュジン の キョドウ の ため に サイクン の センデン も いつのまにか ジジツ だ と おもって しまわねば ならぬ ほど、 とにかく、 シュジン は かわって いる。 カネ を カネ とも おもわぬ と いう コトバ は フシャ に たいする ケイヨウ だ が ここ の シュジン の マズシサ は 5 セン の ハクドウ を にぎって セントウ の ノレン を くぐる テイド に かかわらず、 こまって いる モノ には ジブン の イエ の ジガネ を かう キンセン まで やって しまって わすれて いる。 こういう の を こそ ムカシ は センニン と いった の で あろう。 しかし、 センニン と イッショ に いる モノ は たえず はらはら して いきて いかねば ならぬ の だ。 イエ の こと を なにひとつ まかして おけない ばかり では ない、 ヒトリ で すませる ヨウジ も フタリガカリ で でかけたり、 その ヒトリ の いる ため に シュウイ の モノ の ロウリョク が どれほど ムダ に ついやされて いる か わからぬ の だ が、 しかし それ は そう に ちがいない と して も この シュジン の いる いない に よって トクイサキ の この イエ に たいする ニンキ の ソウイ は カクダン の ヘンカ を しょうじて くる。 おそらく ここ の イエ は シュジン の ため に ヒト から にくまれた こと が ない に ちがいなく シュジン を しばる サイクン の シマリ が たとい アクヒョウ を たてた と した ところ で、 そんな にも コウジンブツ の シュジン が サイクン に しばられて ちいさく しのんで いる ヨウス と いう もの は また シゼン に コッケイ な フウミ が あって よろこばれがち な もの でも あり、 その サイクン の ニラミ の ルス に ダット の ごとく ぬけだして は すっかり キンセン を ふりまいて かえって くる オトコ と いう の も これ また いっそう の ニンキ を たてる ザイリョウ に なる ばかり なの だ。
 そんな ふう に かんがえる と この イエ の チュウシン は やはり サイクン にも なく ワタシ や カルベ にも ない おのずから シュジン に ある と いわねば ならなく なって きて ワタシ の ヤトイニン コンジョウ が マルダシ に なりだす の だ が、 どこ から みたって シュジン が ワタシ には すき なん だ から シヨウ が ない。 じっさい ワタシ の イエ の シュジン は せいぜい イツツ に なった オトコ の コ を そのまま 40 に もって きた ところ を ソウゾウ する と うかんで くる。 ワタシタチ は そんな オトコ を おもう と まったく ばかばかしくて ケイベツ したく なりそう な もの にも かかわらず それ が みて いて ケイベツ できぬ と いう の も、 つまり は あんまり ジブン の いつのまにか セイチョウ して きた ネンレイ の ミニクサ が ギャク に あざやか に うかんで きて その ジシン の スガタ に うたれる から だ。 こんな ジブン への ハンシャ は ワタシ に かぎらず カルベ に だって つねに おなじ サヨウ を して いた と みえて、 アト で きづいた こと だ が、 カルベ が ワタシ への ハンカン も しょせん は この シュジン を まもろう と する カルベ の ゼンリョウ な ココロ の ブブン の ハタラキ から で あった の だ。 ワタシ が ここ の イエ から はなれがたなく かんじる の も シュジン の その コノウエ も ない ゼンリョウサ から で あり、 カルベ が ワタシ の アタマ の ウエ から カナヅチ を おとしたり する の も シュジン の その ゼンリョウサ の ため だ と する と、 ゼンリョウ なんて いう こと は ムカシ から あんがい よい ハタラキ を して こなかった に ちがいない。
 さて その ヒ シュジン と ワタシ は ジガネ を かい に いって もどって くる と その トチュウ シュジン は ワタシ に キョウ は こういう ハナシ が あった と いって いう には、 ジブン の イエ の セキショク プレート の セイホウ を 5 マン エン で うって くれ と いう の だ が うって よい もの か どう だろう か と きく ので、 ワタシ も それ には こたえられず に だまって いる と セキショク プレート も いつまでも ダレ にも コウアン されない もの なら ともかく もう ナカマ たち が ヒッシ に こっそり ケンキュウ して いる ので セイホウ を うる なら イマ の うち だ と いう。 それ も そう だろう と おもって も シュジン の ながい クシン の ケッカ の ケンキュウ を ワタシ が とやかく いう ケンリ も なし、 そう か と いって シュジン ヒトリ に まかして おいて は シュジン は いつのまにか サイクン の いう まま に なりそう だし、 サイクン と いう もの は また メサキ の こと だけ より かんがえない に きまって いる の を おもう と ワタシ も どうか して シュジン の ため に なる よう に と それ ばかり が それから の フシギ に ワタシ の キョウミ の チュウシン に なって きた。 イエ に いて も イエ の ナカ の ウゴキ や ブッピン が ことごとく ワタシ の セイリ を またねば ならぬ か の よう に うつりだして きて カルベ まで が まるで ワタシ の ケライ の よう に みえて きた の は よい と して も、 ヒマ さえ あれば おぼえて きた ベンシ の コワイロ ばかり うなって いる カレ の ヨウス まで が うるさく なった。 しかし、 それから まもなく ハンタイ に カルベ の メ が また はげしく ワタシ の ドウサ に ビンカン に なって きて シゴトバ に いる とき は ほとんど ワタシ から メ を はなさなく なった の を かんじだした。 おもう に カルベ は シュジン の シゴト の サイキン の ケイカ や セキショク プレート の トッキョケン に かんする ハナシ を シュフ から きかされた に ちがいない の だ が、 シュフ まで カルベ に ワタシ を カンシ せよ と いいつけた の か どう か は ワタシ には わからなかった。 しかし、 ワタシ まで が シュフ や カルベ が いまに もしか する と こっそり シュジン の シゴト の ヒミツ を ぬすみだして うる の では ない か と おもわれて イクブン の カンシ さえ する キモチ に なった ところ から みて さえ も、 シュフ や カルベ が ワタシ を ドウヨウ に うたがう キモチ は そんな に ごまかして いられる もの では ない。 そこで ワタシ も それら の ウタガイ を いだく シセン に みられる と フカイ は フカイ でも なんとなく おもしろく ひとつ どう する こと か ずうずうしく こちら も ギャク に カンシ を つづけて やろう と いう キ に なって きて こまりだした。 ちょうど そういう とき また シュジン は ワタシ に シュジン の つづけて いる あたらしい ケンキュウ の ハナシ を して いう には、 ジブン は ジガネ を エンカテツ で フショク させず に そのまま コクショク を だす ホウホウ を ながらく ケンキュウ して いる の だ が いまだに おもわしく いかない ので、 オマエ も ヒマ な とき ジブン と イッショ に やって みて くれない か と いう の で ある。 ワタシ は いかに シュジン が オヒトヨシ だ から と いって そんな ジュウダイ な こと を タニン に もらして よい もの で あろう か どう か と おもいながら も、 まったく ワタシ が ねから シンヨウ された この こと に たいして は カンシャ を せず には おれない の だ。 いったい ヒト と いう もの は シンヨウ されて しまったら もう こちら の マケ で、 だから シュジン は いつでも シュウイ の モノ に かちつづけて いる の で あろう と イチド は おもって みて も、 そう シュジン の よう に ソコヌケ な バカサ には なかなか なれる もの では なく、 そこ が つまり は シュジン の えらい と いう リユウ に なる の で あろう と おもって ワタシ も シュジン の ケンキュウ の テダスケ なら できる だけ の こと は させて もらいたい と シンソコ から レイ を のべた の だ が、 ヒト に シンソコ から レイ を のべさせる と いう こと を イチド でも して みたい と おもう よう に なった の も その とき から だ。 だが、 ワタシ の シュジン は タニン に どうこう されよう など と そんな ケチ な カンガエ など は ない の だ から また いっそう ワタシ の アタマ を さげさせる の だ。 つまり ワタシ は アンジ に かかった シント みたい に シュジン の ニクタイ から でて くる ヒカリ に いぬかれて しまった わけ だ。 キセキ など と いう もの は ムコウ が キセキ を おこなう の では なく ジシン の ミニクサ が キセキ を おこなう の に ちがいない。 それから と いう もの は まったく ワタシ も カルベ の よう に ナニ より シュジン が ダイイチ に なりはじめ、 シュジン を サユウ して いる サイクン の ナニカ に ハンカン を さえ かんじて きて、 どうして こういう フジン が この リッパ な シュジン を ドクセン して よい もの か うたがわしく なった ばかり では なく できる こと なら この シュジン から サイクン を ツイホウ して みたく おもう こと さえ ときどき ある の を かんがえて も カルベ が ワタシ に つらく あたって くる キモチ が テ に とる よう に わかって きて、 カレ を みて いる と シゼン に ジブン を みて いる よう で ますます また そんな こと に まで キョウミ が わいて くる の で ある。
 ある ヒ シュジン が ワタシ を アンシツ へ よびこんだ ので はいって いく と、 アニリン を かけた シンチュウ の ジガネ を アルコール ランプ の ウエ で ねっしながら いきなり セツメイ して いう には、 プレート の イロ を ヘンカ させる には なんでも ねっする とき の ヘンカ に いちばん チュウイ しなければ ならない、 イマ は この ジガネ は ムラサキイロ を して いる が これ が コッカッショク と なり やがて コクショク と なる と もう すでに この ジガネ が ツギ の シレン の バアイ に エンカテツ に まけて ヤク に たたなく なる ヤクソク を して いる の だ から、 チャクショク の クフウ は すべて イロ の ヘンカ の チュウダン に おいて なさる べき だ と おしえて おいて、 ワタシ に その バ で バーニング の シケン を できる かぎり オオク の ヤクヒン を シヨウ して やって みよ と いう。 それから の ワタシ は カゴウブツ と ゲンソ の ユウキ カンケイ を しらべる こと に ますます キョウミ を むけて いった の だ が、 これ は キョウミ を もてば もつ ほど イマ まで しらなかった ムキブツ-ナイ の ビミョウ な ユウキテキ ウンドウ の キュウショ を よみとる こと が できて きて、 いかなる ちいさな こと にも キカイ の よう な ホウソク が ケイスウ と なって ジッタイ を はかって いる こと に きづきだした ワタシ の ユイシンテキ な メザメ の ダイイッポ と なって きた。 しかし カルベ は マエ まで ダレ も はいる こと を ゆるされなかった アンシツ の ナカ へ ジユウ に はいりだした ワタシ に キ が つく と、 ワタシ を みる カオイロ まで が かわって きた。 あんな に はやく から イチ にも シュジン ニ にも シュジン と おもって きた カルベ にも かかわらず シンザン の ワタシ に ゆるされた こと が カレ に ゆるされない の だ から イマ まで の ワタシ への カレ の ケイカイ も なんの ヤク にも たたなく なった ばかり では ない、 うっかり する と カレ の チイ さえ ワタシ が ジユウ に サユウ しだす の かも しれぬ と おもった に ちがいない の だ。 だから ワタシ は いくぶん カレ に エンリョ す べき だ と いう ぐらい は わかって いて も なにも そう いちいち カルベ カルベ と カレ の メ の イロ ばかり を きづかわねば ならぬ ほど の ヒト でも なし、 イツモ の よう に カルベ の ヤツ いったい いまに どんな こと を しだす か と そんな こと の ほう が かえって キョウミ が でて きて なかなか ドウジョウ なんか する キ にも なれない ので、 そのまま アタマ から みおろす よう に しらぬ カオ を つづけて いた。 すると、 よくよく カルベ も ハラ が たった と みえて ある とき カルベ の つかって いた アナホギ-ヨウ の ペルス を ワタシ が つかおう と する と キュウ に みえなく なった ので キミ が イマサキ まで つかって いた では ない か と いう と、 つかって いたって なくなる もの は なくなる の だ、 なければ みつかる まで ジブン で さがせば よい では ない か と カルベ は いう。 それ も そう だ と おもって、 ワタシ は ペルス を ジブン で さがしつづけた の だ が どうしても みつからない ので そこで ふと ワタシ は カルベ の ポケット を みる と そこ に ちゃんと あった ので だまって とりだそう と する と、 タニン の ポケット へ ムダン で テ を いれる ヤツ が ある か と いう。 タニン の ポケット は ポケット でも この サギョウバ に いる アイダ は ダレ の ポケット だって おなじ こと だ と いう と、 そういう カンガエ を もって いる ヤツ だ から こそ シュジン の シゴト だって ずうずうしく ぬすめる の だ と いう。 いったい シュジン の シゴト を いつ ぬすんだ か、 シュジン の シゴト を てつだう と いう こと が シュジン の シゴト を ぬすむ こと なら キミ だって シュジン の シゴト を ぬすんで いる の では ない か と いって やる と、 カレ は しばらく だまって ぶるぶる クチビル を ふるわせて から キュウ に ワタシ に この イエ を でて いけ と せまりだした。 それで ワタシ も でる には でる が もう しばらく シュジン の ケンキュウ が すすんで から でも でない と シュジン に たいして すまない と いう と、 それなら ジブン が サキ に でる と いう。 それ では キミ は シュジン を こまらせる ばかり で なんにも ならぬ から ワタシ が でる まで でない よう に する べき だ と いって きかせて やって も、 それでも ガンコ に でる と いう。 それでは シカタ が ない から でて いく よう、 アト は ワタシ が フタリ ブン を ひきうけよう と いう と、 いきなり カルベ は ソバ に あった カルシューム の フンマツ を ワタシ の カオ に なげつけた。 じつは ワタシ は ジブン が わるい と いう こと を ヒャク も ショウチ して いる の だ が アク と いう もの は なんと いったって おもしろい。 カルベ の ゼンリョウ な ココロ が いらだちながら ふるえて いる の を そんな にも まざまざ と ガンゼン で みせつけられる と、 ワタシ は ますます シタナメズリ を して おちついて くる の で ある。 これ では ならぬ と おもいながら カルベ の ココロ の すこし でも やすまる よう に と しむけて は みる の だ が、 だいいち ハジメ から カルベ を アイテ に して いなかった の が わるい ので カレ が おこれば おこる ほど こちら が こわそう に びくびく して いく と いう こと は よほど の ジンブツ で なければ できる もの では ない。 どうも つまらぬ ニンゲン ほど アイテ を おこらす こと に ホネ を おる もの で、 ワタシ も カルベ が おこれば おこる ほど ジブン の ツマラナサ を はかって いる よう な キ が して きて シマイ には ジブン の カンジョウ の オキバ が なくなって きはじめ、 ますます カルベ には どうして よい の か わからなく なって きた。 まったく ワタシ は この とき ほど はっきり と ジブン を もてあました こと は ない。 まるで ココロ は ニクタイ と イッショ に ぴったり と くっついた まま の ソンザイ とは よくも なづけた と おもえる ほど ココロ が ただ もくもく と カラダ の オオキサ に したがって ソンザイ して いる だけ なの だ。 しばらく して ワタシ は そのまま アンシツ へ はいる と しかけて おいた チャクショクヨウ の ビスムチル を チンデン さす ため、 シケンカン を とって クロム サン カリ を やきはじめた の だ が カルベ に とって は それ が また いけなかった の だ。 ワタシ が ジユウ に アンシツ へ はいる と いう こと が すでに カルベ の ウラミ を かった ゲンイン だった のに さんざん カレ を おこらせた アゲク の ハテ に すぐ また ワタシ が アンシツ へ はいった の だ から カレ の ギャクジョウ した の も もっとも な こと で ある。 カレ は アンシツ の ドア を あける と ワタシ の クビ を もった まま ひきずりだして ユカ の ウエ へ なげつけた。 ワタシ は なげつけられた よう に して ほとんど ジブン から たおれる キモチ で たおれた の だ が、 ワタシ の よう な モノ を こまらせる の には まったく そのよう に ボウリョク だけ より ない の で あろう。 カルベ は ワタシ が シケンカン の ナカ の クロム サン カリ が こぼれた か どう か と みて いる アイダ、 どうした もの か イチド あわてて ヘヤ の ナカ を かけまわって それから また ワタシ の マエ へ もどって くる と、 かけまわった こと が なんの ヤク にも たたなかった と みえて ただ カレ は ワタシ を にらみつけて いる だけ なの で ある。 しかし もし ワタシ が すこし でも うごけば カレ は テモチ ブサタ の ため ワタシ を けりつける に ちがいない と おもった ので ワタシ は そのまま いつまでも たおれて いた の だ が、 セッパク した いくらか の ジカン でも いったい ジブン は ナニ を して いる の だ と おもった が サイゴ もう ぼんやり と マ の ぬけて しまう もの で、 まして こちら は アイテ を イチド おもうさま おこらさねば ダメ だ と おもって いる とき とて もう アイテ も すっかり キ の むく まで おこって しまった コロ で あろう と おもう と つい ワタシ も おちついて やれやれ と いう キ に なり、 どれほど カルベ の ヤツ が サキ から あばれた の か と おもって アタリ を みまわす と いちばん ひどく あらされて いる の は ワタシ の カオ で カルシューム が ざらざら した まま クチビル から ミミ へ まで はいって いる の に キ が ついた。 が、 さて ワタシ は いつ おきあがって よい もの か それ が わからぬ。 ワタシ は ダンサイキ から こぼれて ワタシ の ハナ の サキ に うずたかく つみあがって いる アルミニューム の かがやいた ダンメン を ながめながら よく まあ ミッカ の アイダ に これ だけ の シゴト が ジブン に できた と おどろいた。 それで カルベ に もう つまらぬ アラソイ は やめて はやく ニューム に ザボン を ぬろう では ない か と いう と、 カルベ は もう そんな シゴト は したく は ない の だ、 それ より オマエ の カオ を みがいて やろう と いって よこたわって いる ワタシ の カオ を アルミニューム の セッペン で うずめだし、 その ウエ から ワタシ の アタマ を あらう よう に ゆすりつづける の だ が、 マチ に ならんだ イエイエ の トグチ に バンゴウ を つけて はりつけられた あの ちいさな ネームプレート の ヤマ で みがかれて いる ジブン の カオ を ソウゾウ する と、 しょせん は ナニ が おそろしい と いって ボウリョク ほど おそる べき もの は ない と おもった。 ニューム の カド が ゆれる たび に ガンメン の シワ や くぼんだ ホネ に ささって ちくちく する だけ では ない。 かわいた ばかり の ウルシ が カオ に へばりついた まま はなれない の だ から やがて カオ も ふくれあがる に ちがいない の だ。 ワタシ も もう それ だけ の ボウリョク を だまって うけて おれば カルベ への ギム も はたした よう に おもった ので おきあがる と また アンシツ の ナカ へ はいろう と した。 すると カルベ は また ワタシ の その ウデ を もって セナカ へ ねじあげ、 マド の ソバ まで おして くる と ワタシ の アタマ を マドガラス へ ぶちあてながら カオ を ガラス の トッペン で きろう と した。 もう やめる で あろう と おもって いる のに ヨソウ とは ハンタイ に そんな ふう に いつまでも おって こられる と、 コンド は この ボウリョク が いつまで つづく の で あろう か と おもいだして いく もの だ。 しかし そう なれば こちら も たとえ わるい とは おもって も シャザイ する キ なんか は なくなる ばかり で イマ まで スキ が あれば ナカナオリ を しよう と おもって いた ヒョウジョウ さえ ますます にがにがしく ふくれて きて さらに ツギ の ボウリョク を さそう ドウイン を つくりだす だけ と なった。 が、 じつは カルベ も もう おこる キ は そんな に なく ただ シカタ が ない ので おこって いる だけ だ と いう こと は わかって いる の だ。 それで ワタシ は カルベ が ワタシ を マド の ソバ から ゲキヤク の はいって いる フショクヨウ の バット の ソバ まで つれて いく と、 キュウ に カルベ の ほう へ むきかえって、 キミ は ワタシ を そんな に いじめる の は キミ の カッテ だ が ワタシ が イマ まで アンシツ の ナカ で して いた ジッケン は タニン の まだ した こと の ない ジッケン なので、 もし セイコウ すれば シュジン が どれほど リエキ を うる か しれない の だ。 キミ は それ も ワタシ に させない ばかり か クシン の スエ に つくった ビスムチル の ヨウエキ まで こぼして しまった では ない か、 ひろえ、 と いう と カルベ は それなら なぜ ジブン にも それ を イッショ に させない の だ と いう。 させる も させない も ない だいたい カガク ホウテイシキ さえ よめない モノ に ジッケン を てつだわせたって ジャマ に なる だけ なの だ が、 そんな こと も いえない ので すこし イヤミ だ と おもった が アンシツ へ つれて いって カガク ホウテイシキ を こまかく かいた ノート を みせて セツメイ し、 これら の スウジ に したがって ゲンソ を くみあわせて は やりなおして ばかり いる シゴト が キミ に おもしろい なら これから マイニチ でも ワタシ に かわって して もらおう と いう と、 カルベ は はじめて それから ワタシ に まけはじめた。

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