カナ文字文庫(漢字廃止論)

日本文学の名作などをカナ書きに改めて掲載。

ジンセイロン ノート 3

2017-11-22 | ミキ キヨシ
 ニンゲン の ジョウケン に ついて

 どんな ホウホウ でも よい、 ジコ を シュウチュウ しよう と すれば する ほど、 ワタシ は ジコ が ナニ か の ウエ に ういて いる よう に かんじる。 いったい なんの ウエ に で あろう か。 キョム の ウエ に と いう の ホカ ない。 ジコ は キョム の ナカ の ヒトツ の テン で ある。 この テン は かぎりなく シュクショウ される こと が できる。 しかし それ は どんな に ちいさく なって も、 ジコ が その ナカ に うきあがって いる キョム と ヒトツ の もの では ない。 セイメイ は キョム で なく、 キョム は むしろ ニンゲン の ジョウケン で ある。 けれども この ジョウケン は、 あたかも ヒトツ の ナミ、 ヒトツ の ホウマツ で さえ も が、 ウミ と いう もの を はなれて かんがえられない よう に、 それ なし には ニンゲン が かんがえられぬ もの で ある。 ジンセイ は ホウマツ の ごとし と いう シソウ は、 その ホウマツ の ジョウケン と して の ナミ、 そして ウミ を かんがえない バアイ、 まちがって いる。 しかし また ホウマツ や ナミ が ウミ と ヒトツ の もの で ある よう に、 ニンゲン も その ジョウケン で ある ところ の キョム と ヒトツ の もの で ある。 セイメイ とは キョム を かきあつめる チカラ で ある。 それ は キョム から の ケイセイリョク で ある。 キョム を かきあつめて かたちづくられた もの は キョム では ない。 キョム と ニンゲン とは シ と セイ との よう に ことなって いる。 しかし キョム は ニンゲン の ジョウケン で ある。

 ニンゲン の ジョウケン と して タ の ムスウ の もの が かんがえられる で あろう。 たとえば、 この ヘヤ、 この ツクエ、 この ショモツ、 あるいは この ショモツ が あたえる チシキ、 また この イエ の ニワ、 ゼンタイ の シゼン、 あるいは カゾク、 そして ゼンタイ の シャカイ…… セカイ。 この イクツ か の コトバ で あらわされた もの は さらに ムスウ の ヨウソ に ブンカイ する こと が できる。 それら ムスウ の ヨウソ は たがいに カンケイ して いる。 また ニンゲン と いう もの も、 その シンタイ も、 その セイシン も、 それら の ヨウソ と おなじ チツジョ の もの に かぎりなく ブンカイ する こと が カノウ で ある。 そして ヒトツ の サイボウ に とって タ の スベテ の サイボウ は ジョウケン で あり、 ヒトツ の シンショウ に とって タ の スベテ の シンショウ は ジョウケン で ある。 これら の ジョウケン は タ の あらゆる ジョウケン と カンケイ して いる。 かよう に どこまでも ブンカイ を すすめて ゆく ならば、 ジョウケン イガイ に なんらか ニンゲン ソノモノ を ハッケン する こと は フカノウ で ある よう に おもわれる。 ワタシ は ジコ が セカイ の ヨウソ と おなじ ヨウソ に ブンカイ されて しまう の を みる。 しかしながら それ にも かかわらず ワタシ が セカイ と ことなる ある もの と して ソンザイ する こと は たしか で ある。 ニンゲン と ニンゲン の ジョウケン とは どこまでも ことなって いる。 この こと は いかに して カノウ で あろう か。
 モノ が ニンゲン の ジョウケン で ある と いう の は、 それ が キョム の ナカ に おいて はじめて そのよう な もの と して あらわれる と いう こと に よって で ある。 いいかえる と、 セカイ ――それ を ムゲン に おおきく かんがえる に せよ、 ムゲン に ちいさく かんがえる に せよ―― が ニンゲン の ジョウケン で ある こと に とって キョム は その アプリオリ で ある。 キョム と いう ニンゲン の コンポンテキ ジョウケン に セイヤク された もの と して、 それ ジシン キョム に きしうる もの、 いな、 キョム で ある もの と して、 セカイ の もの は ニンゲン の ジョウケン で ある。 かよう に して はじめて、 ニンゲン は セカイ と おなじ ヨウソ に、 それら の ヨウソ の カンケイ に、 かぎりなく ブンカイ されうる に して も、 ニンゲン と セカイ との アイダ に、 ニンゲン と ニンゲン の ジョウケン との アイダ に、 どこまでも クベツ が ソンザイ しうる の で ある。 キョム が ニンゲン の ジョウケン の ジョウケン で ない ならば、 いかに して ワタシ の ジコ は セカイ の ヨウソ と コンポンテキ に クベツ される ある もの で ありうる で あろう か。

 キョム が ニンゲン の ジョウケン あるいは ニンゲン の ジョウケン で ある もの の ジョウケン で ある ところ から、 ジンセイ は ケイセイ で ある と いう こと が したがって くる。 ジコ は ケイセイリョク で あり、 ニンゲン は ケイセイ された もの で ある と いう のみ では ない、 セカイ も ケイセイ された もの と して はじめて ニンゲンテキ セイメイ に とって ゲンジツテキ に カンキョウ の イミ を もつ こと が できる の で ある。 セイメイ は みずから カタチ と して ソト に カタチ を つくり、 モノ に カタチ を あたえる こと に よって ジコ に カタチ を あたえる。 かよう な ケイセイ は ニンゲン の ジョウケン が キョム で ある こと に よって カノウ で ある。
 セカイ は ヨウソ に ブンカイ され、 ニンゲン も この ヨウソテキ セカイ の ウチ へ ブンカイ され、 そして ヨウソ と ヨウソ との アイダ には カンケイ が みとめられ、 ヨウソ ソノモノ も カンケイ に ブンカイ されて しまう こと が できる で あろう。 この カンケイ は イクツ か の ホウソク に おいて テイシキカ する こと が できる で あろう。 しかし かよう な セカイ に おいて は セイメイ は セイリツ する こと が できない。 なにゆえ で ある か。 セイメイ は チュウショウテキ な ホウソク で なく、 たんなる カンケイ でも、 カンケイ の ワ でも セキ でも なく、 セイメイ は カタチ で あり、 しかるに かよう な セカイ に おいて は カタチ と いう もの は かんがえられない から で ある。 ケイセイ は どこ か タ の ところ から、 すなわち キョム から かんがえられねば ならぬ。 ケイセイ は つねに キョム から の ケイセイ で ある。 カタチ の セイリツ も、 カタチ と カタチ との カンケイ も、 カタチ から カタチ への ヘンカ も ただ キョム を コンテイ と して リカイ する こと が できる。 そこ に カタチ と いう もの の ホンシツテキ な トクチョウ が ある。

 コダイ は ジッタイ ガイネン に よって シコウ し、 キンダイ は カンケイ ガイネン あるいは キノウ ガイネン (カンスウ ガイネン) に よって シコウ した。 あたらしい シコウ は カタチ の シコウ で なければ ならぬ。 カタチ は たんなる ジッタイ で なく、 たんなる カンケイ ないし キノウ でも ない。 カタチ は いわば リョウシャ の ソウゴウ で ある。 カンケイ ガイネン と ジッタイ ガイネン と が ヒトツ で あり、 ジッタイ ガイネン と キノウ ガイネン と が ヒトツ で ある ところ に カタチ が かんがえられる。

 イゼン の ニンゲン は ゲンテイ された セカイ の ウチ に セイカツ して いた。 その すむ チイキ は ハシ から ハシ まで ミトオシ の できる もの で あった。 その もちいる ドウグ は どこ の ナニガシ が つくった もの で あり、 その ギリョウ は どれほど の もの で ある か が わかって いた。 また カレ が うる ホウドウ や チシキ に して も、 どこ の ナニガシ から でた もの で あり、 その ヒト が どれほど シンヨウ の できる オトコ で ある か が しられて いた。 このよう に カレ の セイカツ ジョウケン、 カレ の カンキョウ が ゲンテイ された もの で あった ところ から、 したがって カタチ の みえる もの で あった ところ から、 ニンゲン ジシン も、 その セイシン に おいて も、 その ヒョウジョウ に おいて も、 その フウボウ に おいて も、 はっきり した カタチ の ある もの で あった。 つまり イゼン の ニンゲン には セイカク が あった。
 しかるに コンニチ の ニンゲン の ジョウケン は ことなって いる。 ゲンダイジン は ムゲンテイ な セカイ に すんで いる。 ワタシ は ワタシ の つかって いる ドウグ が どこ の ナニガシ の つくった もの で ある か を しらない し、 ワタシ が ヨリドコロ に して いる ホウドウ や チシキ も どこ の ナニガシ から でた もの で ある か を しらない。 スベテ が アノニム (ムメイ) の もの で ある と いう のみ で ない。 スベテ が アモルフ (ムテイケイ) の もの で ある。 かよう な セイカツ ジョウケン の ウチ に いきる もの と して ゲンダイジン ジシン も ムメイ な、 ムテイケイ な もの と なり、 ムセイカク な もの と なって いる。
 ところで ゲンダイジン の セカイ が かよう に ムゲンテイ な もの で ある の は、 じつは、 それ が もっとも ゲンテイ された ケッカ と して しょうじた こと で ある。 コウツウ の ハッタツ に よって セカイ の スミズミ まで たがいに カンケイ-づけられて いる。 ワタシ は みえない ムスウ の もの に つながれて いる。 コリツ した もの は ムスウ の カンケイ に はいる こと に よって きわめて よく ゲンテイ された もの と なった。 ジッタイテキ な もの は カンケイ に ブンカイ される こと に よって もっとも ゲンミツ に ゲンテイ された もの と なった。 この ゲンテイ された セカイ に たいして イゼン の セカイ が むしろ ムゲンテイ で ある と いわねば ならぬ で あろう。 しかしながら それ にも かかわらず コンニチ の セカイ は ムゲンテイ で ある。 カンケイテキ ないし カンスウテキ には ゲンテイ されて いる に して も、 あるいは むしろ そのよう に ゲンテイ されつくした ケッカ、 カタチ と して は かえって ムゲンテイ な もの に なって いる。 この ムゲンテイ が じつは トクテイ の ゲンテイ の シカタ の ハッタツ した ケッカ しょうじた もの で ある ところ に、 ゲンダイジン の ムセイカク と いわれる もの の トクシュ な フクザツサ が ある。
 コンニチ の ニンゲン の サイダイ の モンダイ は、 かよう に カタチ の ない もの から いかに して カタチ を つくる か と いう こと で ある。 この モンダイ は ナイザイテキ な タチバ に おいて は カイケツ されない。 なぜなら この ムテイケイ な ジョウタイ は ゲンテイ の ハッタツ しつくした ケッカ しょうじた もの で ある から。 そこ に ゲンダイ の あらゆる チョウエツテキ な カンガエカタ の イギ が ある。 ケイセイ は キョム から の ケイセイ、 カガク を こえた ゲイジュツテキ とも いう べき ケイセイ で なければ ならぬ。 イッシュ ゲイジュツテキ な セカイカン、 しかも カンショウテキ で なくて ケイセイテキ な セカイカン が シハイテキ に なる に いたる まで は、 ゲンダイ には キュウサイ が ない と いえる かも しれない。

 ゲンダイ の コンラン と いわれる もの に おいて、 あらゆる もの が コンゴウ しつつ ある。 タイリツ する もの が ソウゴウ されて ゆく と いう より も むしろ タイリツ する もの が コンゴウ されて ゆく と いう の が ジッサイ に ちかい。 この コンゴウ から あたらしい カタチ が でて くる で あろう。 カタチ の セイセイ は ソウゴウ の ベンショウホウ で ある より も コンゴウ の ベンショウホウ で ある。 ワタシ の いう コウソウリョク の ロンリ は コンゴウ の ベンショウホウ と して トクチョウ-づけられねば ならぬ で あろう。 コンゴウ は フテイ な もの の ケツゴウ で あり、 その フテイ な もの の フテイセイ の コンキョ は キョム の ソンザイ で ある。 あらゆる もの は キョム に おいて あり、 かつ それぞれ トクシュテキ に キョム を いだいて いる ところ から コンゴウ が かんがえられる。 キョム は イッパンテキ な ソンザイ を ゆうする のみ で なく、 ソレゾレ に おいて トクシュテキ な ソンザイ を ゆうする。 コンゴウ の ベンショウホウ は キョム から の ケイセイ で なければ ならぬ。 カオス から コスモス への セイセイ を といた コダイジン の テツガク には ふかい シンリ が ふくまれて いる。 ジュウヨウ なの は その イミ を どこまでも シュタイテキ に ハアク する こと で ある。

 コドク に ついて

「この ムゲン の クウカン の エイエン の チンモク は ワタシ を センリツ させる」 (パスカル)。

 コドク が おそろしい の は、 コドク ソノモノ の ため で なく、 むしろ コドク の ジョウケン に よって で ある。 あたかも、 シ が おそろしい の は、 シ ソノモノ の ため で なく、 むしろ シ の ジョウケン に よって で ある の と おなじ で ある。 しかし コドク の ジョウケン イガイ に コドク ソノモノ が ある の か。 シ の ジョウケン イガイ に シ ソノモノ が ある で あろう か。 その ジョウケン イガイ に その ジッタイ を とらえる こと の できぬ もの、 ――シ も、 コドク も、 まことに かく の ごとき もの で あろう と おもわれる。 しかも、 ジッタイセイ の ない もの は ジツザイセイ の ない もの と いえる か、 また いわねば ならない の で ある か。

 コダイ テツガク は ジッタイセイ の ない ところ に ジツザイセイ を かんがえる こと が できなかった。 したがって そこ では、 シ も、 そして コドク も、 あたかも ヤミ が ヒカリ の ケツボウ と かんがえられた よう に、 たんに ケツボウ (ステレーシス) を イミ する に すぎなかった で あろう。 しかるに キンダイジン は ジョウケン に よって シコウ する。 ジョウケン に よって シコウ する こと を おしえた の は キンダイ カガク で ある。 だから キンダイ カガク は シ の キョウフ や コドク の キョウフ の キョモウセイ を あきらか に した の で なく、 むしろ その ジツザイセイ を しめした の で ある。

 コドク と いう の は ドッキョ の こと では ない。 ドッキョ は コドク の ヒトツ の ジョウケン に すぎず、 しかも その ガイテキ な ジョウケン で ある。 むしろ ヒト は コドク を のがれる ため に ドッキョ し さえ する の で ある。 イントンシャ と いう もの は しばしば かよう な ヒト で ある。

 コドク は ヤマ に なく、 マチ に ある。 ヒトリ の ニンゲン に ある の で なく、 オオゼイ の ニンゲン の 「アイダ」 に ある の で ある。 コドク は 「アイダ」 に ある もの と して クウカン の ごとき もの で ある。 「シンクウ の キョウフ」 ――それ は ブッシツ の もの で なくて ニンゲン の もの で ある。

 コドク は ウチ に とじこもる こと では ない。 コドク を かんじる とき、 こころみに、 ジブン の テ を のばして、 じっと みつめよ。 コドク の カンジ は キュウ に せまって くる で あろう。

 コドク を あじわう ため に、 セイヨウジン なら マチ に でる で あろう。 ところが トウヨウジン は シゼン の ナカ に はいった。 カレラ には シゼン が シャカイ の ごとき もの で あった の で ある。 トウヨウジン に シャカイ イシキ が ない と いう の は、 カレラ には ニンゲン と シゼン と が タイリツテキ に かんがえられない ため で ある。

 トウヨウジン の セカイ は ハクメイ の セカイ で ある。 しかるに セイヨウジン の セカイ は ヒル の セカイ と ヨル の セカイ で ある。 ヒル と ヨル との タイリツ の ない ところ が ハクメイ で ある。 ハクメイ の サビシサ は ヒル の サビシサ とも ヨル の サビシサ とも セイシツテキ に ちがって いる。

 コドク には ビテキ な ユウワク が ある。 コドク には アジワイ が ある。 もし ダレ も が コドク を このむ と したら、 この アジワイ の ため で ある。 コドク の ビテキ な ユウワク は オンナ の コ も しって いる。 コドク の より たかい リンリテキ イギ に たっする こと が モンダイ で ある の だ。
 その イッショウ が コドク の リンリテキ イギ の タンキュウ で あった と いいうる キェルケゴール で さえ、 その ビテキ な ユウワク に しばしば まけて いる の で ある。

 カンジョウ は シュカンテキ で チセイ は キャッカンテキ で ある と いう フツウ の ケンカイ には ゴビュウ が ある。 むしろ その ギャク が いっそう シンリ に ちかい。 カンジョウ は オオク の バアイ キャッカンテキ な もの、 シャカイカ された もの で あり、 チセイ こそ シュカンテキ な もの、 ジンカクテキ な もの で ある。 しんに シュカンテキ な カンジョウ は チセイテキ で ある。 コドク は カンジョウ で なく チセイ に ぞくする の で なければ ならぬ。

 シンリ と キャッカンセイ、 したがって ヒ-ジンカクセイ と を ドウイツシ する テツガクテキ ケンカイ ほど ユウガイ な もの は ない。 かよう な ケンカイ は シンリ の ナイメンセイ のみ で なく、 また とくに その ヒョウゲンセイ を リカイ しない の で ある。

 いかなる タイショウ も ワタシ を して コドク を こえさせる こと は できぬ。 コドク に おいて ワタシ は タイショウ の セカイ を ゼンタイ と して こえて いる の で ある。
 コドク で ある とき、 ワレワレ は モノ から ほろぼされる こと は ない。 ワレワレ が モノ に おいて ほろぶ の は コドク を しらない とき で ある。

 モノ が しんに ヒョウゲンテキ な もの と して ワレワレ に せまる の は コドク に おいて で ある。 そして ワレワレ が コドク を こえる こと が できる の は その ヨビカケ に こたえる ジコ の ヒョウゲン カツドウ に おいて の ホカ ない。 アウグスティヌス は、 ショクブツ は ニンゲン から みられる こと を もとめて おり、 みられる こと が それ に とって キュウサイ で ある と いった が、 ヒョウゲン する こと は モノ を すくう こと で あり、 モノ を すくう こと に よって ジコ を すくう こと で ある。 かよう に して、 コドク は もっとも ふかい アイ に ねざして いる。 そこ に コドク の ジツザイセイ が ある。

 シット に ついて

 もし ワタシ に ニンゲン の セイ の ゼン で ある こと を うたがわせる もの が ある と したら、 それ は ニンゲン の ココロ に おける シット の ソンザイ で ある。 シット こそ ベーコン が いった よう に アクマ に もっとも ふさわしい ゾクセイ で ある。 なぜなら シット は コウカツ に、 ヤミ の ナカ で、 よい もの を がいする こと に むかって はたらく の が イッパン で ある から。

 どのよう な ジョウネン でも、 テンシン ランマン に あらわれる バアイ、 つねに ある ウツクシサ を もって いる。 しかるに シット には テンシン ランマン と いう こと が ない。 アイ と シット とは、 シュジュ の テン で にた ところ が ある が、 まず この イッテン で まったく ちがって いる。 すなわち アイ は ジュンスイ で ありうる に はんして、 シット は つねに インケン で ある。 それ は コドモ の シット に おいて すら そう で ある。

 アイ と シット とは あらゆる ジョウネン の ウチ もっとも ジュッサクテキ で ある。 それら は タ の ジョウネン に ひして はるか に ジゾクテキ な セイシツ の もの で あり、 したがって そこ に リチ の ジュッサク が はいって くる こと が できる。 また ギャク に リチ の ジュッサク に よって それら の ジョウネン は ジゾクセイ を ます の で ある。 いかなる ジョウネン も アイ と シット と ほど ニンゲン を くるしめない、 なぜなら タ の ジョウネン は それほど ジゾクテキ で ない から。 この クルシミ の ナカ から あらゆる ジュッサク が うまれて くる。 しかも アイ は シット の コンニュウ に よって ジュッサクテキ に なる こと が いかに おおい か。 だから ジュッサクテキ な アイ に よって の ホカ たのしまない モノ は、 アイテ に シット を おこさせる よう な シュダン を もちいる。

 シット は ヘイゼイ は 「かんがえ」 ない ニンゲン にも 「かんがえ」 させる。

 アイ と シット との ツヨサ は、 それら が はげしく ソウゾウリョク を はたらかせる こと に もとづいて いる。 ソウゾウリョク は マジュツテキ な もの で ある。 ヒト は ジブン の ソウゾウリョク で つくりだした もの に たいして シット する。 アイ と シット と が ジュッサクテキ で ある と いう こと も、 それら が ソウゾウリョク を かりたて、 ソウゾウリョク に かりたてられて うごく ところ から しょうずる。 しかも シット に おいて ソウゾウリョク が はたらく の は その ナカ に コンニュウ して いる なんらか の アイ に よって で ある。 シット の ソコ に アイ が なく、 アイ の ウチ に アクマ が いない と、 ダレ が しろう か。

 シット は ジブン より も たかい チイ に ある モノ、 ジブン より も コウフク な ジョウタイ に ある モノ に たいして おこる。 だが その サイ が ゼッタイテキ で なく、 ジブン も カレ の よう に なりうる と かんがえられる こと が ヒツヨウ で ある。 まったく イシツテキ で なく、 キョウツウ な もの が なければ ならぬ。 しかも シット は、 シット される モノ の イチ に ジブン を たかめよう と する こと なく、 むしろ カレ を ジブン の イチ に ひくめよう と する の が フツウ で ある。 シット が より たかい もの を めざして いる よう に みえる の は ヒョウメンジョウ の こと で ある、 それ は ホンシツテキ には ヘイキンテキ な もの に むかって いる の で ある。 この テン、 アイ が その ホンセイ に おいて つねに より たかい もの に あこがれる の と ことなって いる。
 かよう に して シット は、 アイ と あいはんする セイシツ の もの と して、 ニンゲンテキ な アイ に ナニ か おぎなわねば ならぬ もの が ある か の ごとく、 たえず その ナカ に カンショウ して くる の で ある。

 おなじ ショクギョウ の モノ が シン の トモダチ に なる こと は ちがった ショクギョウ の モノ の アイダ に おいて より も はるか に コンナン で ある。

 シット は セイシツテキ な もの の ウエ に はたらく の で なく、 リョウテキ な もの の ウエ に はたらく の で ある。 トクシュテキ な もの、 コセイテキ な もの は、 シット の タイショウ とは ならぬ。 シット は タ を コセイ と して みとめる こと、 ジブン を コセイ と して リカイ する こと を しらない。 イッパンテキ な もの に かんして ヒト は シット する の で ある。 これ に はんして アイ の タイショウ と なる の は イッパンテキ な もの で なくて トクシュテキ な もの、 コセイテキ な もの で ある。

 シット は ココロ の おくふかく もえる の が ツネ で ある にも かかわらず、 なんら ナイメンセイ を しらぬ。

 シット とは スベテ の ニンゲン が カミ の マエ に おいて は ビョウドウ で ある こと を しらぬ モノ の ニンゲン の セカイ に おいて ヘイキンカ を もとめる ケイコウ で ある。

 シット は であるいて、 イエ を まもらない。 それ は ジブン に とどまらない で たえず ソト へ でて ゆく コウキシン の ヒトツ の おおきな ゲンイン に なって いる。 シット の まじらない ムジャキ な コウキシン と いう もの は いかに まれ で ある か。

 ヒトツ の ジョウネン は チセイ に よって より も タ の ジョウネン に よって いっそう よく せいする こと が できる と いう の は、 イッパンテキ な シンリ で ある。 エイユウ は シットテキ で ない と いう コトバ が もし ホント で ある と したら、 カレラ に おいて は コウミョウシン とか キョウソウシン とか いう タ の ジョウネン が シット より も つよく、 そして ジュウヨウ な こと は、 いっそう ジゾクテキ な チカラ に なって いる と いう こと で ある。

 コウミョウシン や キョウソウシン は しばしば シット と まちがえられる。 しかし リョウシャ の サイ は メイリョウ で ある。 まず コウミョウシン や キョウソウシン は コウキョウテキ な バショ を しって いる に はんし、 シット は それ を しらない。 シット は スベテ の コウジ を シジ と かいして かんがえる。 シット が コウミョウシン や キョウソウシン に テンカ される こと は、 その ギャク の バアイ より も はるか に コンナン で ある。

 シット は つねに タボウ で ある。 シット の ごとく タボウ で、 しかも フセイサンテキ な ジョウネン の ソンザイ を ワタシ は しらない。

 もし ムジャキ な ココロ と いう もの を テイギ しよう と する なら、 シットテキ で ない ココロ と いう の が ナニ より も テキトウ で あろう。

 ジシン が ない こと から シット が おこる と いう の は ただしい。 もっとも なんら の ジシン も なければ シット の オコリヨウ も ない わけ で ある が。 しかし シット は その タイショウ に おいて ジコ が シット して いる とうの テン を さけて タ の テン に ふれる の が ツネ で ある。 シット は サジュツテキ で ある。

 シットシン を なくする ため に、 ジシン を もて と いわれる。 だが ジシン は いかに して しょうずる の で ある か。 ジブン で モノ を つくる こと に よって。 シット から は ナニモノ も つくられない。 ニンゲン は モノ を つくる こと に よって ジコ を つくり、 かくて コセイ に なる。 コセイテキ な ニンゲン ほど シットテキ で ない。 コセイ を はなれて コウフク が ソンザイ しない こと は この ジジツ から も リカイ される で あろう。

 セイコウ に ついて

 コンニチ の リンリガク の ほとんど スベテ に おいて おきわすれられた フタツ の もっとも いちじるしい もの は、 コウフク と セイコウ と いう もの で ある。 しかも それ は あいはんする イミ に おいて そのよう に なって いる の で ある。 すなわち コウフク は もはや ゲンダイテキ な もの で ない ゆえ に。 そして セイコウ は あまり に ゲンダイテキ な もの で ある ゆえ に。
 コダイジン や チュウセイテキ ニンゲン の モラル の ウチ には、 ワレワレ の イミ に おける セイコウ と いう もの は どこ にも そんしない よう に おもう。 カレラ の モラル の チュウシン は コウフク で あった の に はんして、 ゲンダイジン の それ は セイコウ で ある と いって よい で あろう。 セイコウ する と いう こと が ヒトビト の おも な モンダイ と なる よう に なった とき、 コウフク と いう もの は もはや ヒトビト の ふかい カンシン で なくなった。

 セイコウ の モラル が キンダイ に トクチョウテキ な もの で ある こと は、 シンポ の カンネン が キンダイ に トクチョウテキ な もの で ある の に にて いる で あろう。 じつは リョウシャ の アイダ に ミッセツ な カンケイ が ある の で ある。 キンダイ ケイモウ シュギ の リンリ に おける コウフクロン は コウフク の モラル から セイコウ の モラル への スイイ を カノウ に した。 セイコウ と いう もの は、 シンポ の カンネン と おなじく、 チョクセンテキ な コウジョウ と して かんがえられる。 しかるに コウフク には、 ほんらい、 シンポ と いう もの は ない。

 チュウヨウ は ヒトツ の シュヨウ な トク で ある のみ で なく、 むしろ あらゆる トク の コンポンテキ な カタチ で ある と かんがえられて きた。 この カンテン を やぶった ところ に セイコウ の モラル の キンダイテキ な アタラシサ が ある。

 セイコウ の モラル は およそ ヒ-シュウキョウテキ な もの で あり、 キンダイ の ヒ-シュウキョウテキ な セイシン に ソウオウ して いる。

 セイコウ と コウフク と を、 フセイコウ と フコウ と を ドウイツシ する よう に なって イライ、 ニンゲン は シン の コウフク が ナン で ある か を リカイ しえなく なった。 ジブン の フコウ を フセイコウ と して かんがえて いる ニンゲン こそ、 まことに あわれむ べき で ある。

 タニン の コウフク を シット する モノ は、 コウフク を セイコウ と おなじ に みて いる バアイ が おおい。 コウフク は カクジン の もの、 ジンカクテキ な、 セイシツテキ な もの で ある が、 セイコウ は イッパンテキ な もの、 リョウテキ に かんがえられうる もの で ある。 だから セイコウ は、 その ホンセイジョウ、 タニン の シット を ともないやすい。

 コウフク が ソンザイ に かかわる の に はんして、 セイコウ は カテイ に かかわって いる。 だから、 タニン から は カレ の セイコウ と みられる こと に たいして、 ジブン では ジブン に カカワリ の ない こと で ある か の よう に ムカンシン で いる ニンゲン が ある。 かよう な ニンゲン は ニジュウ に タニン から シット される オソレ が あろう。

 Streber―― この ドイツ-ゴ で もっとも テキセツ に あらわされる シュルイ の セイコウ シュギシャ こそ、 ゾクブツ-チュウ の ゾクブツ で ある。 タ の シュルイ の ゾクブツ は ときとして キマグレ に ゾクブツ で ある こと を やめる。 しかるに この ドリョクカ-ガタ の セイコウ シュギシャ は、 けっして キドウ を はずす こと が ない ゆえ に、 それだけ ゾクブツ と して カンゼン で ある。
 シュトレーバー と いう の は、 いきる こと が そもそも ボウケン で ある と いう ケイジジョウガクテキ シンリ を いかなる バアイ にも リカイ する こと の ない ニンゲン で ある。 ソウゾウリョク の ケツボウ が この ドリョクカ-ガタ を トクチョウ-づけて いる。

 セイコウ も ジンセイ に ホンシツテキ な ボウケン に ぞくする と いう こと を リカイ する とき、 セイコウ シュギ は イミ を なさなく なる で あろう。 セイコウ を ボウケン の ケンチ から リカイ する か、 ボウケン を セイコウ の ケンチ から リカイ する か は、 ホンシツテキ に ちがった こと で ある。 セイコウ シュギ は アト の バアイ で あり、 そこ には シン の ボウケン は ない。 ジンセイ は カケ で ある と いう コトバ ほど カッテ に リカイ されて ランヨウ されて いる もの は ない。

 イッシュ の スポーツ と して セイコウ を ツイキュウ する モノ は ケンゼン で ある。

 ジュンスイ な コウフク は カクジン に おいて オリジナル な もの で ある。 しかし セイコウ は そう では ない。 エピゴーネントゥム (ツイズイシャ-フウ) は オオク の バアイ セイコウ シュギ と むすびついて いる。

 キンダイ の セイコウ シュギシャ は カタ と して は メイリョウ で ある が コセイ では ない。
 コダイ に おいて は、 コジン イシキ は ハッタツ して いなかった が、 それ だけ に カタテキ な ニンゲン が コセイテキ で ある と いう こと が あった。 コジン イシキ の ハッタツ した ゲンダイ に おいて は かえって、 カタテキ な ニンゲン は リョウテキ な ヘイキンテキ な ニンゲン で あって コセイテキ で ない と いう こと が しょうじた。 ゲンダイ ブンカ の ヒゲキ、 あるいは むしろ キゲキ は、 カタ と コセイ との ブンリ に ある。 そこ に コセイ と して は カタテキ な ツヨサ が なく、 カタ と して は コセイテキ な アザヤカサ の ない ニンゲン が できた の で ある。

 セイコウ の モラル は オプティミズム に ささえられて いる。 それ が ジンセイ に たいする イギ は しゅとして この オプティミズム の イギ で ある。 オプティミズム の コンテイ には ゴウリ シュギ あるいは シュチ シュギ が なければ ならぬ。 しかるに オプティミズム が この ホウコウ に センレン された バアイ、 なお なんらか セイコウ シュギ と いう もの が のこりうる で あろう か。
 セイコウ シュギシャ が ヒゴウリ シュギシャ で ある バアイ、 カレ は おそる べき で ある。

 キンダイテキ な ボウケンシン と、 ゴウリ シュギ と、 オプティミズム と、 シンポ の カンネン との コンゴウ から うまれた サイコウ の もの は キギョウカ-テキ セイシン で ある。 コダイ の ニンゲン リソウ が ケンジャ で あり、 チュウセイ の それ が セイジャ で あった よう に、 キンダイ の それ は キギョウカ で ある と いいうる で あろう。 すくなくとも そのよう に かんがえらる べき オオク の リユウ が ある。 しかるに それ が イッパン には そのよう に ジュンスイ に ハアク されなかった の は キンダイ の ハイキン シュギ の ケッカ で ある。

 もし ヒト が いくらか の ケンリョク を もって いる と したら、 セイコウ シュギシャ ほど ぎょしやすい もの は ない で あろう。 ブカ を ぎょして ゆく テヂカ な ミチ は、 カレラ に リッシン シュッセ の イデオロギー を ふきこむ こと で ある。

 ワタシ は イマ ニーチェ の モラル の コンポン が セイコウ シュギ に たいする キョクタン な ハンカン に あった こと を しる の で ある。
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ジンセイロン ノート 4

2017-11-07 | ミキ キヨシ
 メイソウ に ついて

 たとえば ヒト と タイダン して いる サイチュウ に ワタシ は とつぜん だまりこむ こと が ある。 そんな とき、 ワタシ は メイソウ に ホウモン された の で ある。 メイソウ は つねに フイ の キャク で ある。 ワタシ は それ を まねく の で なく、 また まねく こと も できない。 しかし それ の くる とき には あらゆる もの にも かかわらず くる の で ある。 「これから メイソウ しよう」 など と いう こと は およそ グ にも つかぬ こと だ。 ワタシ の なしうる こと は せいぜい この フイ の キャク に たいして つねに ジュンビ を して おく こと で ある。

 シサク は シタ から のぼって ゆく もの で ある と すれば、 メイソウ は ウエ から おりて くる もの で ある。 それ は ある テンヨ の セイシツ を もって いる。 そこ に メイソウ と ミスティシズム との もっとも ふかい ムスビツキ が ある。 メイソウ は おおかれ すくなかれ ミスティック な もの で ある。

 この おもいもうけぬ キャク は あらゆる バアイ に くる こと が できる。 たんに ヒトリ しずか に いる とき のみ では ない、 まったき ケンソウ の ナカ に おいて も それ は くる の で ある。 コドク は メイソウ の ジョウケン で ある より も ケッカ で ある。 たとえば オオゼイ の チョウシュウ に むかって はなして いる とき、 ワタシ は フイ に メイソウ に おそわれる こと が ある。 その とき この フカコウ の チンニュウシャ は、 ワタシ は それ を ギャクサツ する か、 それとも それ に まったく ミ を まかせて ついて ゆく か で ある。 メイソウ には ジョウケン が ない。 ジョウケン が ない と いう こと が それ を テンヨ の もの と おもわせる コンポンテキ な リユウ で ある。

 プラトン は ソクラテス が ポティダイア の ジンエイ に おいて イッチュウヤ たちつづけて メイソウ に ふけった と いう こと を しるして いる。 その とき ソクラテス は まさに メイソウ した の で あって、 シサク した の では ない。 カレ が シサク した の は かえって カレ が イチバ に あらわれて ダレ でも を とらえて ダンロン した とき で ある。 シサク の コンポンテキ な ケイシキ は タイワ で ある。 ポティダイア の ジンエイ に おける ソクラテス と アテナイ の イチバ に おける ソクラテス―― これほど メイリョウ に メイソウ と シサク との サイ を あらわして いる もの は ない。

 シサク と メイソウ との サイ は、 ヒト は シサク の タダナカ に おいて さえ メイソウ に おちいる こと が ある と いう ジジツ に よって しめされて いる。

 メイソウ には カテイ が ない。 この テン に おいて、 それ は ホンシツテキ に カテイテキ な シサク と ことなって いる。

 スベテ の メイソウ は カンビ で ある。 この ゆえ に ヒト は メイソウ を ほっする の で あり、 その かぎり スベテ の ニンゲン は ミスティシズム に たいする シコウ を もって いる。 けれども メイソウ は ほんらい ワレワレ の イヨク に イゾン する もの では ない。

 スベテ の ミリョクテキ な シサク の ミリョク は メイソウ に、 この ミスティック な もの、 ケイジジョウガクテキ な もの に もとづいて いる。 その イミ に おいて スベテ の シソウ は、 がんらい、 あまい もの で ある。 シサク が あまい もの で ある の では ない、 あまい シサク と いう もの は なんら シサク では ない で あろう。 シサク の コンテイ に ある メイソウ が カンビ な もの なの で ある。

 メイソウ は その アマサ の ゆえ に ヒト を ユウワク する。 シン の シュウキョウ が ミスティシズム に ハンタイ する の は かよう な ユウワク の ゆえ で あろう。 メイソウ は あまい もの で ある が、 それ に ユウワク される とき、 メイソウ は もはや メイソウ では なくなり、 ムソウ か クウソウ か に なる で あろう。

 メイソウ を いかしうる もの は シサク の キビシサ で ある。 フイ の ホウモンシャ で ある メイソウ に たいする ジュンビ と いう の は シサク の ホウホウテキ クンレン を そなえて いる こと で ある。

 メイソウヘキ と いう コトバ は ムジュン で ある。 メイソウ は なんら シュウカン に なりうる セイシツ の もの では ない から で ある。 セイヘキ と なった メイソウ は なんら メイソウ では なく、 ムソウ か クウソウ か で ある。

 メイソウ の ない シソウカ は ソンザイ しない。 メイソウ は カレ に ヴィジョン を あたえる もの で あり、 ヴィジョン を もたぬ いかなる シン の シソウ も ソンザイ しない から で ある。 しんに ソウゾウテキ な シソウカ は つねに イメージ を ふまえて きびしい シサク に シュウチュウ して いる もの で ある。

 キンベン は シソウカ の シュヨウ な トク で ある。 それ に よって シソウカ と いわゆる メイソウカ あるいは ムソウカ と が クベツ される。 もちろん ヒト は キンベン だけ で シソウカ に なる こと は できぬ。 そこ には メイソウ が あたえられねば ならない から。 しかし シン の シソウカ は また たえず メイソウ の ユウワク と たたかって いる。

 ヒト は かきながら、 もしくは かく こと に よって シサク する こと が できる。 しかし メイソウ は そう では ない。 メイソウ は いわば セイシン の キュウジツ で ある。 そして セイシン には シゴト と ドウヨウ、 ヒマ が ヒツヨウ で ある。 あまり に おおく かく こと も まったく かかぬ こと も ともに セイシン に とって ユウガイ で ある。

 テツガクテキ ブンショウ に おける パウゼ と いう もの は メイソウ で ある。 シソウ の スタイル は しゅとして メイソウテキ な もの に イゾン して いる。 メイソウ が リズム で ある と すれば、 シサク は タクト で ある。

 メイソウ の アマサ の ウチ には おおかれ すくなかれ つねに エロス-テキ な もの が ある。

 シサク が メイソウ に おいて ある こと は、 セイシン が シンタイ に おいて ある の と ドウヨウ で ある。

 メイソウ は シソウテキ ニンゲン の いわば ゲンザイ で ある。 メイソウ の ウチ に、 したがって また ミスティシズム の ウチ に キュウサイ が ある と かんがえる こと は、 イタン で ある。 シュウキョウテキ ニンゲン に とって と ドウヨウ に、 シソウテキ ニンゲン に とって も、 キュウサイ は ほんらい ただ コトバ に おいて あたえられる。

 ウワサ に ついて

 ウワサ は フアンテイ な もの、 フカクテイ な もの で ある。 しかも ジブン では テ の クダシヨウ も ない もの で ある。 ワレワレ は この フアンテイ な もの、 フカクテイ な もの に とりまかれながら いきて ゆく の ホカ ない。
 しからば ウワサ は ワレワレ に とって ウンメイ の ごとき もの で あろう か。 それ は ウンメイ で ある に して は あまり に グウゼンテキ な もの で ある。 しかも この グウゼンテキ な もの は ときとして ウンメイ より も つよく ワレワレ の ソンザイ を ケッテイ する の で ある。
 もしも それ が ウンメイ で ある なら、 ワレワレ は それ を あいしなければ ならぬ。 また もし それ が ウンメイ で ある なら、 ワレワレ は それ を カイタク しなければ ならぬ。 だが ウワサ は ウンメイ では ない。 それ を ウンメイ の ごとく あいしたり カイタク したり しよう と する の は ばかげた こと で ある。 ワレワレ の すこしも コウデイ して は ならぬ この もの が、 ワレワレ の ウンメイ を さえ ケッテイ する と いう の は いかなる こと で あろう か。

 ウワサ は つねに ワレワレ の トオク に ある。 ワレワレ は その ソンザイ を さえ しらない こと が おおい。 この とおい もの が ワレワレ に かくも ミッセツ に カンケイ して くる の で ある。 しかも この カンケイ は つかむ こと の できぬ グウゼン の シュウゴウ で ある。 ワレワレ の ソンザイ は ムスウ の メ に みえぬ グウゼン の イト に よって どこ とも しれぬ ところ に つながれて いる。

 ウワサ は ヒョウバン と して ヒトツ の ヒヒョウ で ある と いう が、 その ヒヒョウ には いかなる キジュン も なく、 もしくは ムスウ の グウゼンテキ な キジュン が あり、 したがって ほんらい なんら ヒヒョウ で なく、 きわめて フアンテイ で フカクテイ で ある。 しかも この フアンテイ で フカクテイ な もの が、 ワレワレ の シャカイテキ に ソンザイ する ヒトツ の もっとも ジュウヨウ な ケイシキ なの で ある。
 ヒョウバン を ヒヒョウ の ごとく うけとり、 これ と マジメ に タイシツ しよう と する こと は、 ムダ で ある。 いったい ダレ を アイテ に しよう と いう の か。 アイテ は どこ にも いない。 もしくは いたる ところ に いる。 しかも ワレワレ は この タイシツ する こと が できない もの と たえず タイシツ させられて いる の で ある。

 ウワサ は ダレ の もの でも ない、 ウワサ されて いる トウニン の もの で さえ ない。 ウワサ は シャカイテキ な もの で ある に して も、 ゲンミツ に いう と、 シャカイ の もの でも ない。 この ジッタイ の ない もの は、 ダレ も それ を しんじない と しながら、 ダレ も それ を しんじて いる。 ウワサ は ゲンショテキ な ケイシキ に おける フィクション で ある。

 ウワサ は あらゆる ジョウネン から でて くる。 シット から、 サイギシン から、 キョウソウシン から、 コウキシン から、 -トウトウ。 ウワサ は かかる もの で ありながら ウワサ と して ソンザイ する に いたって は もはや ジョウネンテキ な もの で なくて カンネンテキ な もの で ある。 ――ネツジョウ を もって かたられた ウワサ は ウワサ と して うけとられない で あろう。―― そこ に いわば ダイ 1 ジ の カンネンカ サヨウ が ある。 ダイ 2 ジ の カンネンカ サヨウ は ウワサ から シンワ への テンカ に おいて おこなわれる。 シンワ は コウジ の フィクション で ある。

 あらゆる ウワサ の コンゲン が フアン で ある と いう の は シンリ を ふくんで いる。 ヒト は ジコ の フアン から ウワサ を つくり、 うけとり、 また つたえる。 フアン は ジョウネン の ナカ の ヒトツ の ジョウネン で なく、 むしろ あらゆる ジョウネン を うごかす もの、 ジョウネン の ジョウネン とも いう べく、 したがって また ジョウネン を こえた もの で ある。 フアン と キョム と が ヒトツ に かんがえられる の も これ に よって で ある。 キョム から うまれた もの と して ウワサ は フィクション で ある。

 ウワサ は カコ も ミライ も しらない。 ウワサ は ホンシツテキ に ゲンザイ の もの で ある。 この フドウテキ な もの に ワレワレ が ツギ から ツギ へ うつしいれる ジョウネン や ゴウリカ に よる カコウ は それ を シンワカ して ゆく ケッカ に なる。 だから ウワサ は エイゾク する に したがって シンワ に かわって ゆく。 その ウワサ が どのよう な もの で あろう と、 ワレワレ は ウワサ される こと に よって ほろびる こと は ない。 ウワサ を いつまでも ウワサ に とどめて おく こと が できる ほど ケンメイ に ムカンシン で レイセイ で ありうる ニンゲン は すくない から。

 ウワサ には ダレ も セキニンシャ と いう もの が ない。 その セキニン を ひきうけて いる もの を ワレワレ は レキシ と よんで いる。

 ウワサ と して ソンザイ する か イナ か は、 モノ が レキシテキ な もの で ある か イナ か を クベツ する ヒトツ の シルシ で ある。 シゼン の もの に して も、 ウワサ と なる バアイ、 それ は レキシ の セカイ に はいって いる の で ある。 ニンゲン の バアイ に して も、 レキシテキ ジンブツ で あれば ある ほど、 カレ は いっそう おおく ウワサ に のぼる で あろう。 レキシ は すべて かく の ごとく フアンテイ な もの の ウエ に よって いる。 もっとも ウワサ は モノ が レキシ に はいる イリグチ に すぎぬ。 タイテイ の もの は この イリグチ に たつ だけ で きえて しまう。 ホント に レキシテキ に なった もの は、 もはや ウワサ と して ソンザイ する の で なく、 むしろ シンワ と して ソンザイ する の で ある。 ウワサ から シンワ への ハンチュウ テンカ、 そこ に レキシ の カンネンカ サヨウ が ある。
 かく の ごとく レキシ は ジョウネン の ナカ から カンネン もしくは リネン を つくりだして くる。 これ は レキシ の ふかい ヒミツ に ぞくして いる。

 ウワサ は レキシ に はいる イリグチ に すぎない が、 それ は この セカイ に はいる ため に イチド は とおらねば ならぬ イリグチ で ある よう に おもわれる。 レキシテキ な もの は ウワサ と いう この あらあらしい もの、 フアンテイ な もの の ナカ から でて くる の で ある。 それ は モノ が ケッショウ する マエ に まず なければ ならぬ シントウ の ごとき もの で ある。
 レキシテキ な もの は ヒヒョウ の ナカ から より も ウワサ の ナカ から ケッテイ されて くる。 モノ が レキシテキ に なる ため には、 ヒヒョウ を ツウカ する と いう こと だけ では たりない、 ウワサ と いう さらに キマグレ な もの、 グウゼンテキ な もの、 フカクテイ な もの の ナカ を ツウカ しなければ ならぬ。

 ウワサ より も ユウリョク な ヒヒョウ と いう もの は はなはだ まれ で ある。

 レキシ は フカクテイ な もの の ナカ から でて くる。 ウワサ と いう もの は その もっとも フカクテイ な もの で ある。 しかも レキシ は もっとも カクテイテキ な もの では ない の か。

 ウワサ の モンダイ は カクリツ の モンダイ で ある。 しかも それ は ブツリテキ カクリツ とは ことなる レキシテキ カクリツ の モンダイ で ある。 ダレ が その カクリツ を ケイサン しうる か。

 ウワサ する よう に ヒヒョウ する ヒヒョウカ は おおい。 けれども ヒヒョウ を レキシテキ カクリツ の モンダイ と して とりあげる ヒヒョウカ は まれ で ある。 ワタシ の しる カギリ では ヴァレリー が それ だ。 かよう な ヒヒョウカ には スウガクシャ の よう な チセイ が ヒツヨウ で ある。 しかし いかに オオク の ヒヒョウカ が ドクダンテキ で ある か。 そこで また いかに オオク の ヒヒョウカ が、 ジブン も セケン も しんじて いる の とは ハンタイ に、 ヒヒョウテキ で ある より も ジッセンテキ で ある か。

 リコ シュギ に ついて

 イッパン に ワレワレ の セイカツ を シハイ して いる の は give and take の ゲンソク で ある。 それゆえに ジュンスイ な リコ シュギ と いう もの は まったく ソンザイ しない か あるいは きわめて まれ で ある。 いったい ダレ が とらない で ただ あたえる ばかり で ありうる ほど ユウトク あるいは むしろ ユウリョク で ありうる で あろう か。 ギャク に いったい ダレ が あたえない で ただ とる ばかり で ありうる ほど ユウリョク あるいは むしろ ユウトク で ありうる で あろう か。 ジュンスイ な エイユウ シュギ が まれ で ある よう に、 ジュンスイ な リコ シュギ も また まれ で ある。

 ワレワレ の セイカツ を シハイ して いる ギヴ アンド テイク の ゲンソク は、 タイテイ の バアイ ワレワレ は イシキ しない で それ に したがって いる。 いいかえる と、 ワレワレ は イシキテキ に の ホカ リコ シュギシャ で ある こと が できない。
 リコ シュギシャ が ブキミ に かんじられる の は、 カレ が リコテキ な ニンゲン で ある ため で ある より も、 カレ が イシキテキ な ニンゲン で ある ため で ある。 それゆえに また リコ シュギシャ を くるしめる もの は、 カレ の アイテ では なく、 カレ の ジイシキ で ある。

 リコ シュギシャ は ゲンソクテキ な ニンゲン で ある、 なぜなら カレ は イシキテキ な ニンゲン で ある から。 ――ヒト は シュウカン に よって の ホカ リコ シュギシャ で ある こと が できない。 これら フタツ の、 マエ の メイダイ とも はんし、 また ソウゴ に ムジュン する メイダイ の ウチ に、 ニンゲン の チカラ と ムリョク と が いいあらわされる。

 ワレワレ の セイカツ は イッパン に ギヴ アンド テイク の ゲンソク に したがって いる と いえば タイテイ の モノ が ナニホド か は ハンカン を おぼえる で あろう。 その こと は ジンセイ に おいて ジッショウテキ で ある こと が いかに コンナン で ある か を しめして いる。 リコ シュギ と いう もの で すら、 ほとんど スベテ が ソウゾウジョウ の もの で ある。 しかも リコ シュギシャ で ある ヨウケン は、 ソウゾウリョク を もたぬ と いう こと で ある。
 リコ シュギシャ が ヒジョウ に おもわれる の は、 カレ に アイジョウ とか ドウジョウ とか が ない ため で ある より も、 カレ に ソウゾウリョク が ない ため で ある。 そのよう に ソウゾウリョク は ジンセイ に とって コンポンテキ な もの で ある。 ニンゲン は リセイ に よって と いう より も ソウゾウリョク に よって ドウブツ から クベツ される。 アイジョウ で すら、 ソウゾウリョク なく して ナニモノ で ある か。

 アイジョウ は ソウゾウリョク に よって はかられる。

 ジッショウ シュギ は ホンシツテキ に ヒジョウ で ある。 ジッショウ シュギ の ハテ が キョム シュギ で ある の は だから トウゼン の こと で ある。
 リコ シュギシャ は チュウト ハンパ な ジッショウ シュギシャ で ある。 それとも ジカク に たっしない キョム シュギシャ で ある と いえる で あろう か。
 リコテキ で ある こと と ジッショウテキ で ある こと とは、 しばしば すりかえられる。 ヒトツ には ジコ ベンカイ の ため に、 ギャク には タニン コウゲキ の ため に。

 ワレワレ の セイカツ を シハイ する ギヴ アンド テイク の ゲンソク は、 キタイ の ゲンソク で ある。 あたえる こと には とる こと が、 とる こと には あたえる こと が、 キタイ されて いる。 それ は キタイ の ゲンソク と して、 ケッテイロンテキ な もの で なくて むしろ カクリツロンテキ な もの で ある。 このよう に ジンセイ は ガイゼンテキ な もの の ウエ に なりたって いる。 ジンセイ に おいて は ガイゼンテキ な もの が カクジツ な もの で ある。

 ワレワレ の セイカツ は キタイ の ウエ に なりたって いる。

 キタイ は タニン の コウイ を コウソク する マジュツテキ な チカラ を もって いる。 ワレワレ の コウイ は たえず その ジュバク の モト に ある。 ドウトク の コウソクリョク も そこ に キソ を もって いる。 タニン の キタイ に はんして コウイ する と いう こと は かんがえられる より も はるか に コンナン で ある。 ときには ヒトビト の キタイ に まったく はんして コウドウ する ユウキ を もたねば ならぬ。 セケン が キタイ する とおり に なろう と する ヒト は ついに ジブン を ハッケン しない で しまう こと が おおい。 シュウサイ と よばれた モノ が ヘイボン な ニンゲン で おわる の は その ヒトツ の レイ で ある。

 リコ シュギシャ は キタイ しない ニンゲン で ある、 したがって また シンヨウ しない ニンゲン で ある。 それゆえに カレ は つねに サイギシン に くるしめられる。
 ギヴ アンド テイク の ゲンソク を キタイ の ゲンソク と して で なく ダサン の ゲンソク と して かんがえる モノ が リコ シュギシャ で ある。

 ニンゲン が リコテキ で ある か イナ か は、 その ウケトリ カンジョウ を どれほど とおい ミライ に のばしうる か と いう モンダイ で ある。 この ジカンテキ な モンダイ は しかし たんなる ダサン の モンダイ で なくて、 キタイ の、 ソウゾウリョク の モンダイ で ある。

 コノヨ で えられない もの を シゴ に おいて キタイ する ヒト は シュウキョウテキ と いわれる。 これ が カント の カミ の ソンザイ の ショウメイ の ヨウヤク で ある。

 リコ シュギシャ は タ の ニンゲン が ジブン とは おなじ よう で ない こと を アンゼン に ゼンテイ して いる。 もし スベテ の ニンゲン が リコテキ で ある と した なら、 カレ の リコ シュギ も セイリツ しえない はず で ある から。 リコ シュギシャ の ゴサン は、 その サイ が ただ カンジョウ の キゲン の モンダイ で ある こと を リカイ しない ところ に ある。 そして これ は カレ に ソウゾウリョク が かけて いる と いう こと の ショウコ に ほかならない。

 リコ シュギシャ は ジブン では じゅうぶん ゴウリテキ な ニンゲン で ある と おもって いる。 その こと を カレ は コウゲン も する し、 ホコリ に さえ も して いる。 カレ は、 カレ の リチ の ゲンカイ が ソウゾウリョク の ケツボウ に ある こと を リカイ しない の で ある。

 スベテ の ニンゲン が リコテキ で ある と いう こと を ゼンテイ に した シャカイ ケイヤクセツ は、 ソウゾウリョク の ない ゴウリ シュギ の サンブツ で ある。 シャカイ の キソ は ケイヤク で なくて キタイ で ある。 シャカイ は キタイ の マジュツテキ な コウソクリョク の ウエ に たてられた タテモノ で ある。

 どのよう な リコ シュギシャ も ジコ の トクシュテキ な リエキ を イッパンテキ な リエキ と して シュチョウ する。 ――そこ から いかに オオク の リロン が つくられて いる か。―― これ に はんして アイ と シュウキョウ と に おいて は、 ヒト は かえって タンテキ に ジコ を シュチョウ する。 それら は リロン を ケイベツ する の で ある。

 リコ シュギ と いう コトバ は ほとんど つねに タニン を コウゲキ する ため に つかわれる。 シュギ と いう もの は ジブン で しょうする より も ハンタイシャ から おしつけられる もの で ある と いう こと の もっとも ニチジョウテキ な レイ が ここ に ある。

 ケンコウ に ついて

 ナニ が ジブン の ため に なり、 ナニ が ジブン の ガイ に なる か、 の ジブン ジシン の カンサツ が、 ケンコウ を たもつ サイジョウ の ブツリガク で ある と いう こと には、 ブツリガク の キソク を こえた チエ が ある。 ――ワタシ は ここ に この ベーコン の コトバ を しるす の を きんずる こと が できない。 これ は きわめて ジュウヨウ な ヨウジョウクン で ある。 しかも その コンテイ に ある の は、 ケンコウ は カクジ の もの で ある と いう、 タンジュン な、 タンジュン な ゆえ に ケイケン な と さえ いいうる シンリ で ある。

 ダレ も タニン の ミガワリ に ケンコウ に なる こと が できぬ、 また ダレ も ジブン の ミガワリ に ケンコウ に なる こと が できぬ。 ケンコウ は まったく メイメイ の もの で ある。 そして まさに その テン に おいて ビョウドウ の もの で ある。 ワタシ は そこ に ある シュウキョウテキ な もの を かんじる。 スベテ の ヨウジョウクン は そこ から シュッタツ しなければ ならぬ。

 フウサイ や キシツ や サイノウ に ついて は、 カクジン に コセイ が ある こと は ダレ も しって いる。 しかるに ケンコウ に ついて おなじ よう に、 それ が まったく コセイテキ な もの で ある こと を ダレ も リカイ して いる で あろう か。 この バアイ ヒト は ただ ジョウブ な とか よわい とか いう はなはだ イッパンテキ な ハンダン で マンゾク して いる よう に おもわれる。 ところが レンアイ や ケッコン や コウサイ に おいて コウフク と フコウ を ケッテイ する ヒトツ の もっとも ジュウヨウ な ヨウソ は、 カクジ の ケンコウ に おける きわめて コセイテキ な もの で ある。 セイリテキ シンワセイ は シンリテキ シンワセイ に おとらず ビミョウ で、 タイセツ で ある。 オオク の ニンゲン は それ に きづかない、 しかし ホンノウ が カレラ の ため に センタク を おこなって いる の で ある。
 かよう に ケンコウ は コセイテキ な もの で ある と すれば、 ケンコウ に ついて の キソク は ニンゲンテキ コセイ に かんする キソク と ことならない こと に なる で あろう。 ――すなわち まず ジコ の コセイ を ハッケン する こと、 その コセイ に チュウジツ で ある こと、 そして その コセイ を ケイセイ して ゆく こと で ある。 セイリガク の キソク と シンリガク の キソク とは おなじ で ある。 あるいは、 セイリガク の キソク は シンリガクテキ に ならねば ならず、 ギャク に シンリガク の キソク は セイリガクテキ に ならねば ならぬ。

 ヨウジョウロン の コンテイ には ゼン-シゼン テツガク が ある。 これ は イゼン、 トウヨウ に おいて も セイヨウ に おいて も、 そう で あった し、 コンニチ も また そう で なければ ならぬ。 ここ に シゼン テツガク と いう の は もちろん あの イガク や セイリガク の こと では ない。 この シゼン テツガク と キンダイ カガク との ソウイ は、 コウシャ が キュウハクカン から シュッパツ する の に はんして、 ゼンシャ は ショユウカン から シュッタツ する ところ に ある と いう こと が できる で あろう。 ハツメイ は キュウハクカン から しょうずる。 ゆえに コウシャ が ハツメイテキ で ある の に はんして、 ゼンシャ は ハッケンテキ で ある と いう こと も できる で あろう。 キンダイ イガク は ケンコウ の キュウハクカン から、 その イミ での ビョウキカン から でて きた。 しかるに イゼン の ヨウジョウロン に おいて は、 ショユウ されて いる もの と して の ケンコウ から シュッタツ して、 いかに して この シゼン の もの を ケイセイ しつつ イジ する か と いう こと が モンダイ で あった。 ケンコウ は ハツメイ させない、 ビョウキ が ハツメイ させる の で ある。

 ケンコウ の モンダイ は ニンゲンテキ シゼン の モンダイ で ある。 と いう の は、 それ は たんなる シンタイ の モンダイ では ない と いう こと で ある。 ケンコウ には シンタイ の タイソウ と ともに セイシン の タイソウ が ヒツヨウ で ある。

 ワタシ の シンタイ は ヨノナカ の もの の ウチ ワタシ の シソウ が ヘンカ する こと の できる もの で ある。 ソウゾウ の ビョウキ は ジッサイ の ビョウキ に なる こと が できる。 タ の もの に おいて は ワタシ の カテイ が モノ の チツジョ を みだす こと は ありえない のに。 ナニ より も ジブン の シンタイ に かんする キョウフ を とおざけねば ならぬ。 キョウフ は コウカ の ない ドウヨウ を しょうずる だけ で あり、 そして シアン は つねに キョウフ を ます で あろう。 ヒト は ジブン が ハメツ した と かんがえる よう に なる、 ところが いったん ナニ か キンキュウ の ヨウジ が できる と、 カレ は ジブン の セイメイ が カンゼン で ある の を みいだす と いった レイ は おおい。

 シゼン に したがえ と いう の が ケンコウホウ の コウリ で ある。 ヒツヨウ なの は、 この コトバ の イミ を ケイジジョウガクテキ な フカミ に おいて リカイ する こと で ある。 さしあたり この シゼン は イッパンテキ な もの で なくて コベツテキ な もの、 また ジコ ケイセイテキ な もの で ある。 シゼン に したがう と いう の は シゼン を モホウ する と いう こと で ある。 ――モホウ の シソウ は キンダイテキ な ハツメイ の シソウ とは ことなって いる。―― その リエキ は、 ムヨウ の フアン を のぞいて アンシン を あたえる と いう ドウトクテキ コウカ に ある。

 ケンコウ は モノ の カタチ と いう よう に チョッカンテキ グタイテキ な もの で ある。

 キンダイ イガク が ハッタツ した ノチ に おいて も、 ケンコウ の モンダイ は キュウキョク に おいて シゼン ケイジジョウガク の モンダイ で ある。 そこ に ナニ か ヘンカ が なければ ならぬ と すれば、 その ケイジジョウガク が あたらしい もの に ならねば ならぬ と いう だけ で ある。 イシャ の フヨウジョウ と いう コトワザ は、 ヨウジョウ に ついて は、 イシャ にも ケイジジョウガク が ヒツヨウ で ある こと を しめす もの に ほかならぬ。

 キャッカンテキ な もの は ケンコウ で あり、 シュカンテキ な もの は ビョウテキ で ある。 この コトバ の ウチ に ふくまれる ケイジジョウガク から、 ヒト は リッパ な ヨウジョウクン を ひきだす こと が できる で あろう。

 ケンコウ の カンネン に もっとも おおきな ヘンカ を あたえた の は キリスト-キョウ で あった。 この エイキョウ は その シュカンセイ の テツガク から しょうじた の で ある。 ケンコウ の テツガク を もとめた ニーチェ が あのよう に きびしく キリスト-キョウ を コウゲキ した の は トウゼン で ある。 けれども ニーチェ ジシン の シュカン シュギ は、 カレ が あれほど もとめた ケンコウ の テツガク に たいして ハカイテキ で ある の ホカ なかった。 ここ に チュウイ す べき こと は、 キンダイ カガク の キャッカン シュギ は キンダイ の シュカン シュギ を たんに うらがえした もの で あり、 これ と ソウセイジ で ある と いう こと で ある。 かよう に して シュカン シュギ が でて きて から、 ビョウキ の カンネン は ドクジセイ を もち、 コユウ の イミ を えて きた の で ある。 ビョウキ は ケンコウ の ケツボウ と いう より セッキョクテキ な イミ の もの と なった。

 キンダイ シュギ の ゆきついた ところ は ジンカク の ブンカイ で ある と いわれる。 しかるに それ と ともに ジュウヨウ な デキゴト は、 ケンコウ の カンネン が おなじ よう に ブンレツ して しまった と いう こと で ある。 ゲンダイジン は もはや ケンコウ の カンゼン な イメージ を もたない。 そこ に ゲンダイジン の フコウ の おおきな ゲンイン が ある。 いかに して ケンコウ の カンゼン な イメージ を とりもどす か、 これ が コンニチ の サイダイ の モンダイ の ヒトツ で ある。

「ケンコウ ソノモノ と いう もの は ない」、 と ニーチェ は いった。 これ は カガクテキ ハンダン では なく、 ニーチェ の テツガク を ヒョウメイ した もの に ほかならぬ。 「ナニ が イッパン に ビョウキ で ある か は、 イシャ の ハンダン より も カンジャ の ハンダン および ソレゾレ の ブンカケン の シハイテキ な ケンカイ に イゾン して いる」、 と カール ヤスペルス は いう。 そして カレ の かんがえる よう に、 ビョウキ や ケンコウ は ソンザイ ハンダン で なくて カチ ハンダン で ある と すれば、 それ は テツガク に ぞくする こと に なろう。 ケイケンテキ な ソンザイ ガイネン と して は ヘイキン と いう もの を もちだす ほか ない。 しかしながら ヘイキンテキ な ケンコウ と いう もの に よって は ヒト ソレゾレ に コセイテキ な ケンコウ に ついて なんら ホンシツテキ な もの を ハアク する こと が できぬ。 もし また ケンコウ は モクテキロンテキ ガイネン で ある と すれば、 その こと に よって まさに それ は カガク の ハンイ を だっする こと に なる で あろう。

 シゼン テツガク あるいは シゼン ケイジジョウガク が うしなわれた と いう こと が、 この ジダイ に かくも ケンコウ が うしなわれて いる ゲンイン で ある。 そして それ が また この カガクテキ ジダイ に、 ビョウキ に かんして かくも オオク の メイシン が ソンザイ する リユウ で ある。

 じっさい、 ケンコウ に かんする オオク の キジュツ は つねに なんらか の ケイジジョウガクテキ ゲンリ を ふくんで いる。 たとえば いう、 ヘンカ を おこない、 ハンタイ の こと を コウカン せよ、 しかし より おだやか な キョクタン に たいする コノミ を もって。 ゼッショク と ホウショク と を もちいよ、 しかし むしろ ホウショク を。 さめて いる こと と ねむる こと と を、 しかし むしろ ねむる こと を。 すわって いる こと と うごく こと と を、 しかし むしろ うごく こと を。 ――これ は ヒトツ の ケイジジョウガクテキ シコウ で ある。 また たとえば いう、 ただ ヒトツ の こと を かえる の は よく ない、 ヒトツ の こと より も オオク の こと を かえる の が より アンゼン で ある。 ――これ も ヒトツ の ケイジジョウガクテキ ゲンリ を あらわして いる。

 ケンコウ と いう の は ヘイワ と いう の と おなじ で ある。 そこ に いかに オオク の シュルイ が あり、 オオク の カチ の ソウイ が ある で あろう。
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