鴨着く島

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正月早々の大惨事

2024-01-04 09:08:47 | 災害

元旦は朝の霜降りに若干驚いたのだが、夕方近くに起きた石川県能登地方の大地震にはびっくりしてしまった。

正月早々というより元旦早々に震度7というような大きな地震は、おそらく記録の残る戦前戦後を通じて初めてではないか。

元旦は朝のお屠蘇から始まる呑兵衛には嬉しい日なのだが、昼も若干のアルコールを嗜み、その間は群馬県で行われている恒例の「実業団100キロ駅伝」を観ながらというのが、おおむね私の新年第一日である。

(※元旦に家の中の神仏への挨拶は済ませるが、近隣の神社への初詣は3日目頃に行くようにしている。)

駅伝が終わり、元旦のブログを書き終えた午後4時過ぎだった。4時から某テレビ局の2時間番組「笑点正月特番」を観ようかとテレビを点け、「さあ、たちびりちびりやれる」と椅子に座ったと同時だった。

笑点の例のおはやしが流れる間もないくらいに、テレビ画面の真ん中上に「地震情報」が現れた。すぐに「午後4時6分に能登地方で震度4の地震がありました」。そしていつもなら「津波の心配はありません」と出るはずが、震度情報だけで終わろうとした。

そうしたらわずか4分後に今度は「4時10分、震度7の地震」と来た。

もう笑点の番組自体が掻き消され、地震情報一色になっていた。アラームが鳴り響き「津波が来ます。とにかく高い所へ避難してください」なるアナウンスが繰り返され、ただならぬ雰囲気が画面を通じてひしひしと伝わってくる。

「ホントかよ。元旦早々に!」と言うのがやっと。酒の酔いは一気に醒めてしまった。

4日付の今日の新聞では、この「令和6年能登半島地震」でこれまでのところ73人の死亡が確認されているという。まだ倒壊した建物に閉じ込められている人がいるので、死者もけが人も増える可能性が高い。

地震の揺れによる直接の死者数は、2016年に起きたやはり震度7を観測した熊本地震の50人を上回ったそうである。

能登のこの地域では3年くらい前からしばしば震度5程度の地震が起きており、震度1以上の地震が2021年には70回、2022年には195回、そして直近の2023年は241回と年を追うごとに増えて来ていた。

もちろんその増え方が「前兆」だったと言えるのだが、巨大地震が何月何日に起きるという予知はほぼ不可能だ。

鹿児島県に多い火山災害なら火山体周辺では直近になって数々の「異常現象」が起きるので、爆発や噴火の近いことがある程度は分かるし、そもそも誰の目にも見える山だから、あらかじめ逃れようがある。

しかし地震に限っては困難だ。まして震源が海底ならなお一層難しい。

今度の大地震で幸いだったのは、震源が沖合遠くではなかったことだろう。震源の×表示によると、能登半島先端の海と陸との境目だったようだ。

そのため東日本大震災のような巨大津波が発生することなく、輪島市で最大1.2m程度で済んだ。津波は海岸の縁に建つ集落を襲ったようだが、死者・けが人はいなかった。

だが、これから震源が沖合に移動したならば危険度はぐっと増すに違いない。活断層が能登半島沖の海中を北部から西部にかけて150キロ走っているらしいから、怖い話だ。

死者を除くと最大の被害は全国的に有名な「輪島の朝市」会場のほとんどが火災で失われたことだろう。その店舗数は200あったというから、甚大な被害だ。

この北陸の能登地方と東海地方とはともに糸魚川ー静岡線(フォッサマグナ)の西に位置し、プレート的に見れば裏表の関係にあるから、能登地方でのさらに大きな本震を心配するより、東海地方でこれから起きそうな大規模地震(いわゆる東海地震・東南海地震)の予兆と考えるべきかもしれない。

ちょっと行き過ぎた感想になってしまったが、東海・東南海・相模湾・首都直下地震は必ず起きるのだから心しておかなければなるまい。

ともあれ、能登地方への速やかな救援と復旧が急務だ。

 

元日はそんなで、ざわついた気分になってしまったが、明けて2日。今回で100回目という箱根大学駅伝にかじりついてから、少し庭いじりをし、元旦同様やはり4時頃からテレビを見始めたのだが、6時少し前の臨時ニュースにまたまたビックリした。

羽田空港に着陸した札幌発のJAL機が、海上保安庁所属の小型機に追突し炎上しているというのだ。

空港の監視カメラか離着陸に必要なカメラなのか知らないが、薄暮の中を右手の海の方から着陸したJAL機が間もなくオレンジ色の炎に包まれ、機体はそのまま滑走路を走って止まり、やがて機体全体が燃え始めた様子が映されていた。

6時過ぎになってJAL機の乗客乗員全員(389名)が脱出に成功したと聞いて胸をなでおろしたのだが、実は私と家内の二人は暮れの22日に方向こそ真反対の鹿児島からだが、同じようにJAL機であの滑走路に着陸していたので、他人事には思えなかった。

片や海上保安庁のボンバルディア機は追突の衝撃で瞬く間に燃え、乗員6名のうち大やけどを負った機長以外は全員が死亡したという。巨大な巡航ミサイルに狙い撃ちされたようなものだ。気の毒としか言いようがない。

追突の原因は昨日発表された双方の飛行機に対する無線交信記録でほぼ判明した。一言でいえば海上保安庁機が滑走路に出るのが早過ぎたのだ。

管制塔の指示を無視して、誘導路から滑走路に早めに機体を入れてしまったというのが真相のようだ。

しかしなぜ早まったのか。報道によるとまずJAL機の着陸予定時間がかなり遅れたこと、これに対して海上保安庁機は元旦に起きた能登地震への救援物資を載せて出かけるという使命があったこと。

この点が機長の焦りを生んだのではないだろうか。このボンバルディア機はすでに新潟空港へ何往復かして救援物資を届けており、今度のが最後かどうかわからないが、とにかく早く救援物資を届けたい、という思いに駆られていたのだろう。

現在専門家の調査が行われているが、亡くなった職員たちの冥福を祈る。合掌


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