今日1月12日は桜島が大正3年(1914年)に大噴火を起こした日で、110年が経つ。
大正の大噴火によってマグマが東側へ大量に流れ、桜島と垂水市との間にあった「瀬戸海峡」を埋め、桜島が大隅半島と地続きになったことで特に記憶される。
瀬戸海峡はその幅約400メートルあったのだが、2週間ほどで溶岩が埋め尽くし陸続きとなった。
今はその溶岩原の上を道路が走り、大隅半島から県都鹿児島市に出かける際に利用する桜島フェリー乗り場まで、車で約1時間程度で行けるようになった。
これが桜島大正大噴火がもたらした唯一の恩恵で、特に戦後は県外からの多くの旅行者に溶岩原の珍しい景観や大隅半島への足を提供することになった。
近年は桜島のマグマのもとになっている姶良カルデラの地下深くにあるマグマだまりへのマグマの供給が、すでに110年前の爆発前のマグマ量に近づいているという見解が出されており、大正噴火災害に学ぼうという気運が高まっている。
桜島大噴火による被害者の数は58名で、その内、鹿児島市方面で噴火直後の地震(M7.1)によって29名、当の桜島住民の死者も29名と半々だそうである。
火砕流や溶岩流の押し寄せた桜島の住民の死者が意外に少ない気がするが、大噴火の前に多くの地区で大噴火の予兆が見られ、住民の多くが前もって鹿児島市内などに避難していたからだという。
予兆の多くは頻発する火山性の地震だが、「井戸水が枯れた」「井戸水が温かくなった」「山手や海岸で噴気が上がった」と明らかに目に見える異常現象だった。
阪神淡路大震災以降、大規模な地震災害が続いているが、地震については今度起きた能登半島地震でも予兆現象は目には見えず、起きるのは言わば「不意打ち」なので、あらかじめ逃れようがない。
しかしこと火山災害では目に見える異常現象が多々見られるので、避難への準備はかなり可能ということを桜島大噴火時の住民が教えている。
そうは言っても火山災害で怖いのは溶岩流のほかに各地に火山灰が降り積もることだ。この頃は桜島の噴火が少ないのでほとんど見られないが、20年から30年前に結構噴火が盛んな時期があり、降灰が人々を悩ました。
一説では「道路に10センチ積もると交通は不能になる」という。鹿児島市には灰を除去する「ロードスイーパー」なる除灰のための車が常置してあるが、10センチ以上になるとおそらく機能しなくなるのではないか。
桜島大正大噴火の時は鹿児島市内で数十センチ、風下に当たっていた垂水市の牛根や鹿屋市の輝北では数メートル積もり、生活に多大な支障をもたらしている。当時、まだ車の時代ではなく、交通体系の混乱というのはなかったのが幸いと言えば幸いだった。
2019年に鹿児島市が作成した桜島大規模噴火シミュレーション等によれば、東風の吹くことの多い春から夏に起きた場合、市内で1.4m。西風の吹く冬ならば垂水市で2.4m、鹿屋市でも0.9mの降灰があると予測している。大変な量で、市民生活はほぼマヒ状態だ。
いずれにしても桜島では大正大噴火クラスの噴火がいつ起きてもおかしくない時期に入っているようだ。予兆現象に目を凝らし、避難への心構えを持っておくに越したことはない。