鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

「追想」(メモリアル)記事

2021-12-24 22:09:46 | 日記
今日の新聞の「追想」欄に載っていた作曲家の「すぎやまこういち」さんは9月に90歳で逝去されたが、この人が作曲した中で一番の思い出の曲は何と言っても「学生街の喫茶店」だ。

歌手は「ガロ」というグループで、山上路夫の詩も素晴らしいが、独特のリズムは一度聴いたら忘れられない。あの当時のグループサウンドはどれもテンポが速く、躁的だったが、この曲のぐっと抑えられたリズムは哀愁を誘った。同じ頃に流行った「神田川」と双璧だったように思う。

ザ・タイガースへの提供曲「真珠の首飾り」やビレッジシンガーズへの「亜麻色の髪の乙女」も躁的なテンポとリズムではなく、むしろ歌曲に近い響きを持っている。

ところがその一方で、ドラゴンクエストの電子音楽をほとんど作曲していたというから驚く。自身も「ゲームの達人」だったそうで、オーケストラの指揮をしたりと「すぎやまこういち」という人は多彩な文化人だった。

去年は、80歳位の作曲家や作詞家が相次いで亡くなった記憶がある。

筒美京平が81歳、なかにし礼が83歳、服部克久85歳などの著名な作詞・作曲家の訃報が相次いのだ。

80歳は現在の日本人男性の寿命の平均に近いから、短命というわけではなく、それなりの大きな仕事を成し遂げた人たちであるから、いわば使命を果たした挙句の死であり、悲しいという感じとは無縁だ。創造した楽曲はこれからも長く歌われ(演奏され)続ける。

今日の「追想」欄にはあと二人の紹介があり、すぎやま氏の隣りが、森山真弓さんで、享年93歳。この人は労働省の役人から政治家に転身し、1989年の海部俊樹首相の下で女性初の官房長官になった。戦後、女性にも開放された旧帝大のうちトップの東京大学に学んだが、これも女性初の東大生だったという。

女性代議士では社会党の土井たか子と比べて「押が弱い」と言われたようだが、この人なりにしっかりした「男女平等観」を持っていたのだろう。比べる相手が悪かったというべきだ。しかし、それにしても長生きである。

ところが三人目に載っていた日本原水爆被害者団体連絡協議会代表役員の坪井直(すなお)氏は享年96歳、と、どの人も90歳を越えた中では最年長の96歳というから驚く。

20歳の時に広島で被爆し、9月下旬まで生死の間をさまよった経験があり、この悲惨さを乗り越え、その後教職に就き勤務を全うしてから「語り部」の道に入り、ある意味必然的に被爆者の団体の中枢に入った。

国連にも何度も足を運び、核兵器のない世界を訴え続けた功績は大きい。

「原爆が落とされた地域は50年は草木も生えぬ」と言われていた。しかし事実は夾竹桃が被爆しながら、その夏にも絶えなかったという。しかし被爆者の多くは白血病や各種の癌に侵され、若くして亡くなる人が多かった。

その中を平均寿命をはるかに超える96歳という年齢は「天寿」と言っていいだろう。多くの若くして亡くなった人々の無念の後押しがあったのかもしれない。

たまたま、というより日本の長寿社会の現況を垣間見せてくれた「追想」記事であった。合掌。