鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

世界最古の平底型土器群の発見

2021-05-29 11:18:47 | 古日向の謎
今朝の新聞で紹介されていたが、宮崎県都城市山之口町の農道工事中に発見された縄文早期初頭の住居跡13軒分と「前平式土器」4000点。さらに摺り石や炉の後も出土しているという。

遺跡の名前は小字名からだろうか「相原第一遺跡」という。ここは地図で見る限り畑作地帯で、地形的には平原である。

南九州特有の火山灰地層の年代から割り出して、縄文早期(12000年前~7500年前)でも初頭に当たる時期だと割り出したのは、地層もさることながら、出土した「前平式土器」の年代観にもよるのだろう。

これは霧島市の上野原遺跡から発掘された土器群で、手前に並ぶ6個体のうち一番左手の土器が「前平式土器」。平底で薄手の造りとフォルムは美術品と言ってよい。この円筒形の前平式は早期でも最初期のもので、11000年前というから驚きだ。右手には角筒形もある。先日書いたブログ「北海道・北東北の縄文遺跡群が世界文化遺産へ」の中で、最後の方に「肝属郡田代町(現・錦江町)の鶴園地区で1万年前の吉田式土器が12個体も完形に近い形で発掘された」と書いたが、吉田式は右手奥の方に見えるバケツ型(深鉢型)がそれである。

今度の遺跡最大の特徴は、この4000点と大量の土器片のすべてが「前平式」だけだったことである。4000点の土器片を組み合わせたらいったい何固体の完形になるのだろうか。50片で一個体なら90個体。100片なら40個体。40個体でも同一形式の土器とすれば「大量発見」だろう。しかも11000年前のものだ。

もしかしたらここが前平式土器の淵原地なのかもしれない。ここで作られた「最新式モデルの土器」の評判がよく、南九州のあちこちから買い求め(物々交換)に来ていた、もしくは相原第一遺跡の土器の作り手が古日向内を売りに歩いた?

そんなことを想像すると面白い。

とにかく縄文早期の南九州(古日向)には驚くほどの先進文化があった証拠がまた増えたのである。

たまたまちょこっと出土したのなら、「それはどこか先進地からのおこぼれに過ぎない」と言えるかもしれないが、前平式、吉田式、加栗山式・・・と縄文早期の土器が南九州の至る所から出ているわけだから、もう「フェイクだ」などと言われる筋合いはなかろう。

「南九州の縄文早期の遺跡群」として世界文化遺産に登録申請すべき時だ。